おたがいさま 思えば、彼のことなど何も知らないのだ。出身地、好きな食べ物といった、取材でよく聞かれる基本的なプロフィールくらいは勿論把握しているが、もっとパーソナルな部分——例えば、普段学校でどんな同級生と仲が良いのかとか、ご家族はどんな方なのか、とか——そういうことは、そもそも知ろうともしなかった。彼だけではなく、他の日本代表メンバーともそこまで深い話はしなかったけれど、芸能人である自分の立場を慮りこそすれども変な気遣いはせず、丁度良い距離で接してくれる面々と過ごす日々は心地よかった。
ただ一人、ずかずかと私の奥深くまで無遠慮に入り込んできた男と、友人という関係をすっ飛ばしていつの間にか身体まで繋げてしまっていたのだから、人生どうなるのかわからない。
「何見てんだ」
ソファで寛いでいると、隣にどっかりと腰を下ろした彼に問いかけられる。
「空の写真集ですよ」
「ああ……お前、好きだもんな」
彼は意外と、私のことを知っている。私のアイドル活動などまるで興味がないと思っていたのに、あるとき急に配信にコメントを残したり、新曲の感想を述べてきたりと、驚くようなことをする。彼の突拍子もない言動に振り回されるのは今にはじまったことではないが、私のどの側面もこの人とっては同じなのだと理解したときは、えも言われぬむず痒さに包まれたものだ。
「遠野くんは、何の本が好きですか」
「アァ?そりゃ、『世界の処刑大全』に決まってんだろ」
「それは知ってます。他にもあるでしょう」
「まあな」
「もっと、教えてください。アナタの好きなもの」
彼は目を見開いたかと思うと、きまり悪そうに視線を逸らした。
「……何か、調子狂うな」
「何がです」
「お前、前はそんな風に俺にあれこれ聞いてこなかったじゃねえか」
(おや、もしかして照れているのか)
眉間に寄った皺を認め、頬が緩んでしまう。
「前は前です。今は、もっとお互いのことを知っていかないとって、私も思ってるんですよ」
「へえ……素直になったもんだ」
手の甲に重なる指先が擽ったい。
(アナタだって、前はこんな風に私に触れようともしなかったくせに)
その言葉は呑み込んで、彼の耳元に唇を寄せた。
End.