domsubユニバース みといおどむさぶみといお
一生の不覚だった。
その日は丸一日仕事だった。朝からロケ、昼はバラエティ、夜はリハーサル。当時は中学生のガキだったから今ほど体力もなかったし疲れが溜まってたんだと思う。その上三斗との仕事だったから喧嘩が絶えなかった。なんならいつもより喧嘩してた気がする。
とにかく全部が噛み合わなかった。三斗のグレアがキツいのは長い付き合いでわかってたのに。三斗と話す時は細心の注意を払わなくてはいけなかったのに。仮にバレたとしても1番コイツには知られたくなかったのに。
頭がグラグラする。上手く息が出来ない。身体に力が入らない。他人に勝手に切り替えられたのははじめてだった。こんなに自分で自分がコントロール出来ないものなのか。
「お前…」
三斗が驚いた顔をして自分の足元に蹲っているオレをみている。何か喋りかけられてるけどそれを聞けるほど余裕もなかった。マズいはやく立ち上がらなければ、言い訳ができるうちに立たないと。今まで努力して隠してきた分が全部無駄になる――――
「look」
澄んだ声が脳に響いた。他の雑音は一切聞こえてなかったのにこの声だけは脳に直接命令を受けたような不思議な感覚で、これがコマンドだと理解するよりも先に身体が動いていた。
「……やっとこっち見た」
ペリドットのような双眼と目が合う。思いのほかコイツにしては心配をしてくれてそうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「……もしかしてだけど、お前switchなの?」
これが、オレがはじめて他人にswitchだとバレた瞬間だった。
そんな出来事がかれこれ8年前ぐらい。
オレ、音葉五百助はswitchだがdom性の方が異様に強く普通のdomとグレアのぶつけ合いをしてもサブドロップしたりswitchしたりしにくい体質だった。だからわざわざswitchと公言しなかった。業界的にもdomである方が有利だったし。というかsubだと不利なことの方が多かった。だから隠し通すつもりでいたんだ。アイツに会うまでは。
「よしいい子だ。…どうです?体調マシになりました?」
「あっ…ありがとうございます、おかげさまで…」
「いいですよ、お互い様だし。オレも忙しいときはプレイサボっちゃうんで気持ちわかります」
目の前の女性スタッフはさっき楽屋前の廊下を歩いてたら廊下で倒れてるところを発見した。とりあえず楽屋に入れて簡易的なプレイをしてあげたらだいぶ落ち着いたらしい。大事にならなくてよかった。もう少し身体が楽になるように簡単なプレイを続ける。
「ちなみに薬がない感じですか?speak」
「あっ…ちょうど薬を切らしてしまって…パートナーもいないので今日病院行くつもりだったんですけど思ったより甘くみてました」
「なるほど…それは早めに病院行った方がいいですね。話してくれてありがとうございます、いい子だ」
「ご迷惑をかけてすみません…やっぱはやくパートナーみつけないとですね…」
パートナーねえ。その言葉を聞いて少し苦笑いをした。自分の特異体質を受け入れてくれる人がいるんだろうか。まあ受け入れてくれる以前にオレは自分のsub性を引っ張り出せるような強いdomを1人しか知らないのだけど。
「…あの、もしかして五百助さんもパートナーっていらっしゃらないんですか?」
「ん?オレっすか?いないですよ?でもいい加減作らないととは思ってますけど」
「じゃあ…!」
と、女性スタッフが何か言いかけたがその声は楽屋の扉がバン、と音をたてて開いた音で掻き消されてしまった。
「いつまで待たせる気?楽屋入れないんだけど。」
「はあ?そもそもお前遅刻してきてるのに偉そうにしてんじゃねぇよ」
いつからいたのか知らないがいつの間にかめちゃくちゃ機嫌の悪い三斗が楽屋内に入ってきた。とんでもなく機嫌が悪そうなのでできれば会話したくない。集合時刻より遅れてきたくせに偉そうだな、収録押してることに感謝しろよと心の中で悪態をつきながら目の前の女性スタッフを立たせる。
「すみません。もうすぐオレも準備始めるのでここまでで。また仕事でお会いする機会がありましたらよろしくお願いします」
「あっ…はい!ありがとうございました…!」
そう言って女性スタッフはビクビクしながらそそくさと楽屋を出ていった。
「お前なぁ…グレア出してるんじゃねーよ、怖がってただろ…」
「…可哀想」
「は?」
振り返るといつの間にか三斗が背後まで来ていた。
「可哀想、って言った。お節介ですぐ手を出すから勘違いする輩が増える」
「はあ?辛い思いしてる人がいたら助け合うべきだろ」
「そう。じゃあ何?さっきの女とパートナーになる気だった?」
「誰もそんな話してないだろ」
喋りながら一歩ずつこちら側に三斗が歩いてくる。それに合わせて一歩ずつ後ろに下がる。長年の経験からかすごく嫌な予感がした。
「そんな話してたから聞いてるんでしょ。さっきの人、お前にパートナーになって欲しいって言おうとしてた。言われたらいいって返事したの?」
「おい…さっきから何にキレてんだよ」
「質問してるんだけど」
ついに背中がドアにぶつかる。マズい完全に追い詰められた。収録の準備をしなくてはいけないが正直それどころじゃないので一度楽屋を出ようとドアノブに手をかけようとした。結論から言うとドアは開かなかった。オレがドアを開けようとする前に三斗がドアの鍵を閉めたからだ。
「どこいくの」
「っ……お前グレアつよ…っ」
ガチャン、という鍵の閉まる音が響く。三斗の強すぎるグレアに座り込みそうになるのを無理矢理耐える。
「コマンド使わなきゃわかんないの?」
「お前言うなよ」
「やだ」
「やだじゃねえよ」
視界がグラグラしてくる。辛すぎる。switch性の人間は簡単に性の切り替えができるって思われてるみてえだけどそんな噂広めた奴は絶対にswitchじゃない。switch性は希少だからって夢見ないで欲しい。
「…五百助」
「っ……、すんならはやくしろ」
気付いたら三斗の腕にしがみつくような体勢になっていて羞恥心で顔が赤くなる。三斗が満足そうな顔をしてるのを見てすごくムカついてきた。
「switch」
脳に直接、天使と呼ばれる声が響いた。
――――――――――――――――――――――――
この関係の始まりは百武さんの一言だった。
「じゃあ〜みとちんといおには今日からパートナーになってもらおうかな?」
「「は?」」
五百助がずっとグループ内にもswitchである事を隠していた事をこってり百武さんに絞られてるのを遠くから眺めてたら聞き捨てられない言葉が聞こえてきた。それはコイツも同じだったらしい、思いっきり声がハモってしまった。
「だっていお、その様子だと自分で切り替えできてないでしょ〜?」
「ま、まあ…」
「たぶんいおは自分のdomが強すぎて自分1人では上手に切り替えできないんだと思うんだよね。それにいお自身もsub性に切り替えたくないみたいだし今まで放置してたでしょ」
「……はい」
頬を膨らませてぷりぷり、なんて効果音が似合いそうな顔で百武さんが言う。隣で櫻井君が「怒ってるみくりしゃん……ぐうかわ。」とかなんとか言ってる。顔がうるさい。
「知ってると思うけどちゃんとダイナミクスは定期的にしないと体調面でも影響がでてくるの!それはswitchも一緒ね?switchの場合はdomの欲求とsubの欲求両方とも解消しないといけないの。今まではsubの欲求を放置してても大丈夫だったんだと思うけど今回予想外のところで切り替わったりしてるあたり身体的には限界だと思うんだよね。だからちゃんと解消しないとダメ。いおわかった?」
「だからってコイツとパートナーになれって言われる理由がわからないんすけど……」
と、こっちを指差しながらコイツは言ってくる。ほんと失礼なやつ、そんなのこっちも思ってるに決まってるだろ。
「みとちんもみとちんで問題なんだよね〜、みとちん全然プレイしないからさぁ……体調面もグレアの強さも心配だし…」
「別に僕は大丈夫なんだけど」
「も〜!みとちんはお口チャックして!いおだってあんまりいろんな人にswitchだって知られたくないでしょ?」
どうしたってこの業界でsubは不利なのは認めるよ〜と百武さんは続ける。そうなんだ。興味なかったから知らなかった。
「それにいおのdom性を上回るdomじゃないと上手くswitchできないだろうし……って考えるとやっぱ2人にパートナーになってもらうのがちょうどいいんじゃないかな〜?って♪」
「「絶対嫌だ」」
「も〜!悪いけど今回ばかりはふたりに拒否権はないからね!何も本当にパートナーになってって言ってるわけじゃないよ?本当にパートナーになりたい人が現れたらその人となればいい。ここでみくりが言ってるパートナーはお互いの健康面を考慮して定期的に軽くプレイをして欲しいって話なの、みくりのお願い聞いてくれない…?」
そんなこんなで百武さんに強く逆らえない僕たちは頷くしかなく、2ヶ月に1度軽くプレイをする関係性になった。
それから約8年。まあいろんなことがあったがいまだにこの関係が続いている。もう同じグループでもないのに続けてる理由はわからない。でも――
「はあ…っ、は……っ」
「ん。変わった?」
「……テメェほんといい加減にしろ、毎回言ってるだろ仕事場で変えてくるなって」
「お前が悪い」
「はあ!?オレがいつお前に悪いって言われなきゃいけねぇような事をしたってんだ」
「うるさい」
「おい――」
「look」
ビクッと身体を震わせながら五百助が僕を見る。まだ僕の腕を掴んでいた手がぎゅ、と服を握る。さっきまでsub相手に持ち前のお人好しを発揮していた男はどこにもいない。今目の前にいる男は僕の前でだけsubになる。ファンもスタッフも、誰も知らないコイツの一面を自分だけが知っている。その事実を確認するたびに自分の心臓の音が速くなるのがわかる。さっきまでイライラしてたはずの心はすっと晴れていた。この感情を表す言葉を僕は知らない。
「何、まだ怖いの」
「……」
「say」
「っ、当たり前だろ、慣れるもんじゃない」
「じゃあ回数増やす?」
「嫌だ」
一応ちゃんと話したご褒美として頭を撫でる。流石に声に出すのは気持ち悪いから。えらいね、とか言うような間柄じゃないし。最初はこれすらしてなかったんだけど「sub dropしちゃうでしょ!!」って百武さんに怒られてからはするようになった。
「…ねえ、パートナー作るの」
「…はあ?」
「だからさっきの人とパートナーになるの、って聞いてる」
「…もしかして機嫌悪かったのって理由それかよ」
「…say」
「おいコマンド使うほどの事じゃないだろ……今のところは考えてねえよ、仕事もあるし。switchである事自体隠したいしパートナーになったとてsub欲求も満たさなきゃいけないから別の奴ともやらなきゃいけないとか相手に不誠実だろ」
なんだ?お前オレにはやくパートナー作って欲しいのか?悪かったな、この関係が終わらなくて。なんて検討違いなことを続ける。ならなんでその辺のsubとプレイするんだ。同情?人助け?軽いものなら大丈夫だって?
「sub状態のオレを睨むな」
「じゃあ僕には不誠実だとは思わないの」
「急にどうしたんだよ、昔からずっとこうだろ」
パートナーになればコイツはあちらこちらにいい顔を振り向かなくなるのか。僕がいまだにパートナーじゃないからこうなのか。パートナーになればコイツを縛っておける?いや、そんな事あるわけない。だって僕はコイツがそばでずっと居てくれるような男じゃないことを知ってしまってる。首輪ひとつじゃこの男はここにとどめておけない。
「kiss」
「......ウルセェよ、調子に乗んな」
悪態をついておきながら噛み付くような口づけをしてくる。ぐちゃぐちゃな感情のまま出したコマンドに従ってくれた目の前の男を見て、自分のdomの本能が波のように押し寄せてきた。口角がわずかに上がり、満足げな表情を隠せなくなる。ずっと、中途半端な関係性。でもまだこのままでいい。
「お前、これ以上余計なことしないでよ」
視線が交錯した瞬間、妙な静けさが部屋を包んだ。
「......お前に言われたくねぇよ」
そう呟く声は、上手く隠しているようだったけれどいつもより少しだけ震えていた。