星の引力。 「将来の夢」。苦手な言葉だ。特に熱中してることもやりたいこともない俺には、「これで大人になったら生きていきます!」と宣言できるものもなかった。多分俺の考えすぎなんだろうけど。大人は「もっと夢を持ちなさい」って言うくせに、こちらがいざ夢を語ると「現実を見なさい」って言ってくるから嫌いだ。じゃあどうしろっていうんだよ、と思ったが要するに「身の丈に合った」「夢」を探せという事なんだと理解したので、俺は夢を探すのをやめた。中学の卒業文集でも将来の夢を書かされたけど、何も思いつかなかったので当たり障りなく部活でやってた「バスケの選手」と書いた記憶がある。
アイドルにスカウトされたのは高1の夏だった。人気ゲーム会社のエンジニア、公務員、国際社会で活躍する企業へ…この先何で飯を食べていくのかをクラスメイトが続々と決めていく中で、自分だけがまだ二の足を踏んでいた。焦っていながらなぜ焦るのか答えを探したくて、哲学ならその答えが掴めるんじゃないかと哲学科進学を朧げながら考えて勉強していた時期だった(残念ながらこれは大人の思う「身の丈に合った夢」のレールから大きく外れるので、後々俺は親と揉めるのはまた別の話だ)。社会を良くしたいとか、人生で何を残したいとか、そんなのはどうでも良くて、ただ自分の存在証明の手段が勉強しかなかったんだ。
その日は初夏で、日差しが眩しかった。夏休みにむけて友達と買い物(といっても高校生なのでどうせ適当にぶらぶらして最後にカフェに行くだけだが)をする予定で、待ち合わせ場所は若者ならみんなが使う有名なオブジェのそばだった。いつもなら時間通りに来る友人はその日に限って電車の遅延に巻き込まれており、ただスマホを眺めながら暫くぼんやりと木陰で待ちぼうけていたところに「ねえ、キミ…」とラフな格好のオトナ———今の俺のマネージャーが声を掛けてきた。
最初は「…はぁ?」と思った。身長が高い———高校入学時点で185㎝くらいあり、部活動オリエンテーションでは上級生から「バレー興味ない?!」「吹部どう?チューバっていうかっこいい楽器があってさ〜」とめちゃくちゃもみくちゃにされ、結局中学の時からやってたバスケ部に入った———だけで別に目立つ方でもないのになんで俺?って。…いや、それは今も変わらないな。パッとしないしタレ目で目もそんなにデカくないし。モテるって訳でもなくて、告白もされたことはあるけど大体は部活とかクラスとかの仲の良い女子からで、いわゆる「友だちのエンチョー」。だからなんで俺なのか分からなかったけど、自分から質問したら褒められ待ちみたいでヤだなと思いまごまごしていると、
「あはは、なんで俺って顔してるね〜、スマホばっか見てるから気づかないんだよ。ちょっと顔を上げれば面白い景色見れるのに。ほら、今もみんなキミのこと見てる」
「…そりゃこんなとこで180cm後半のヤツがいたらイヤでも目立ちますよ」
「自己評価低いな…というより偏屈なのか?私はそうは思わないけど。キミは端正な顔立ちしてるよ、大学生?すごく垢抜けてるし」
「…高1です」
「高1でこの仕上がり?!世の中すげえな…いやそうじゃなくて未成年か〜〜親御さんともお話ししないと行けないな…」
後日改めて面談したところ「勉強や部活もあるだろうし、まずは2週に1回のレッスンでモデルから。ゆくゆくはアイドルデビューでユニット相手はこの子を予定しています」とタブレット画面の写真を見せられた。なんでもうユニット決まってんだよ…とちょっと呆れながら少し身を乗り出して覗きこむと、星のように輝く瞳でこちらを見据える、オレンジ髪に独特な水色のアシメメッシュを入れた中学生くらいの少年と目が合った。
「どう?うちの次期エースだよ、私はこの子のマネージャーもやってるんだ。まだデビュー前だけど”そういう星の下に生まれました~~”って感じだよね、華があるし眩しくて惹きつけられる、アイドルやってる子って『自分だけを見て!』ってのが多いんだけどさ、この子は『僕以外見えなくさせてあげる』って言ってるみたいで目が離させないんだよ、天性のアイドルだよね、贔屓目なしで絶対にトップスターになるしそう思わせる素質がある」
大のオトナが何をバカな夢を…と思ったが、写真や動画を見せながら「彼」を語るその人の目はとてもきらきらしていた。なにがそこまでさせるんだ?もう一度タブレット画面を覗いてみた。、
レッスンがハードなのか色白の顔には汗が見えて頬も紅潮しているがなんでもないように曲に合わせてターンを決めて笑顔でウインクする。…正直言ってかっこいいと思った。視線の送り方、指まで洗練されたなめらかな動き、静動のメリハリのきいたダンス…なんとなくだけど、多分、こういう子が「アイドル」なんだと、詳しくない自分にも分かった。銀河のようにたくさんの星をたたえる少年の目に釘付けになる。「夢を見させてあげる」そういわれた気がした。
「ハル君もどうかな?」
じゃあ俺は?
こんな風になれるとは微塵も思えなかったし同じところに自分がいるところも想像できなかったが、その瞳の輝く理由がどうしても知りたくなった。一番近くで見てみたかった。
「…やってみたいです」
こうして俺はアイドルのたまご「HAL」になった。
デビューまではあっという間だった気がする。最初は「2週に1回」だったレッスンが、次第に事務所に通う回数が増えた。レッスンはどれも思っていたよりも楽しかったし、「うん、HALくんは覚えが良いね、じゃあ次のステップに進もうか」と自分に出来ることがどんどん増えるのが面白かった。もちろん俺の考えとかツメとかが甘くて注意されることもあったけど。
そして何より面白かったのは、将来のユニット相手であるSAHOだった。年は俺より1つ下で中学3年生。最初に画面で見た印象と変わらず、めちゃくちゃ明るくてどこからその元気が湧いてくるんだと思うくらい喋って動く。
「HALくん昨日の音楽特番見た!?ボーイズグループの○○の新曲、めっちゃかっこよかったね!サビの直前にみんながピタッ!ってきれいにロックしてたのがすっっっごい画面映えしてた!ああいうのやってみたいよな~~」
「今日英語の授業で単語テストあったんだけどさあ、僕includeのLをRにしちゃったんだよね〜、恥ずかしい~~。あ、また『僕』って言っちゃった、今ね~頑張ってHALくんみたいに『オレ』って言う練習してるんだよ~かっこいいからHALくんのマネ~~えへへ」
「さっき駅前でさあ、たばこ持ってるオジサンがポイ捨てたばこ見つけて拾い上げてさあ、大人だなーって思ってたら、オジサン、拾ったたばこまた捨てちゃったんだよ、何がしたかったのかなあ?…もしかして吸おうとしてた!?」
「HALくんソレなに飲んでるの?コーヒー?ワァ~~~オトナだ!かっこいい…!僕…じゃなくてオレ苦いの苦手だから飲めないんだよねえ、いつか飲めるようになるかな、コーヒー」
なんか「お兄ちゃんが出来たみたいでうれしい」とは言っていたが、だとしても初手からかなり懐きすぎだ。思い返すとこの頃はSAHOを見てると個人的には弟というよりも、近所のにーちゃんが飼ってたコーギー犬の感覚に近かった。世界すべてがキラキラしているみたいにはしゃぐ子犬そっくりだ。元気。元気。有り余る元気を持て余している。電源切る方法ねーかなと思ったこともあったけど、騒々しい訳ではないので慣れたら割と平気になった。俺はそんなに元気溌剌天真爛漫ってタイプではないし、人見知りもする方だから最初はあんま喋らなくて———というかこちらから話す隙がなかった、わざわざ合間を狙って切り出す話題もなかったし———ひたすら聞き手に徹していたら、周囲からめちゃくちゃ心配された。
「…どう?うまくやれそう?」
じゃあ入所前から決めるなと思ったが、別に一緒にいて苦痛だとは思わないし、なんなら居心地もなぜかよかったので、「はい、おもしろい子だな~って思ってます、あとみんなが”そういう星の下に生まれた”って言ってるのもなんか分かります、すごく勉強になります」と答えた。本心だし。
それにしても最初にタブレットで見た時からすごいとは思っていたが、実際にとなりにいるとSAHOのアイドル然とした振る舞いに圧倒された。言葉遣いは当たり前だが自分が常に誰かに「見られている」前提での立ち居振る舞いが上手いし嫌味じゃない。自分がどうすればより輝くのかの押し引き。声のトーン。正直すごい。計算なのかもともとなのか、どちらにしても天才だと思う。年齢こそ俺より下だが芸歴というかレッスン歴というかは事務所の他の奴よりも少し長いようで、アイドルデビューはまだなだけでモデルやテレビの仕事にちょくちょく行っている。そんな訳で俺が事務所に入って程なくしてSAHOは一足先にアイドルとして独り立ちした。ユニットを組むとは聞いていたが、まさかそれぞれデビュー時期が違うとは思わなくてショックと悔しさで少し泣いた。
でも泣いてる暇はなかった。ダンスも歌もデビューしたSAHOに追いつくためにレッスンは徐々にハードで厳しくなっていった。時々「先輩のステージを見るのも勉強だ」とSAHOの仕事に付いていくこともあった。プラネットのライブステージはアイドル同士の1対1のバトル形式というのもあって360度からカメラが入る仕様になっている。
「この調子なら次の春にはユニットデビュー出来そうだね」
そう言われたのは高2の秋の始まりだった。レッスンはラストスパート。
はじめてのステージ。アイドルの「HAL」が始まりだと言われて、にわかに実感が湧き始める。緊張と不安はどんどん膨れ上がり、手にじんわり汗がにじんだ。ヤバい。
「HALくん…?大丈夫?」
「分かんない、無理かも、俺」
だめだ。一気に涙が目からこぼれ始める。止まらない。せっかくメイクしてもらったのに落ちる。泣き止もうと思っても焦りで余計にぼたぼた流れる。恥ずかしい。思わず腕で顔を隠す。
「大丈夫だよ」
「ぜったい足引っ張る」
「そんなことないよ、一緒に練習したじゃん」
「無理、緊張でトチる」
「大丈夫だよ、失敗も含めてみんな『オレたちの成長』を楽しんでくれるから」
そういうとSAHOは俺の顔を覆っていた腕をぐいと掴んで引きはがしてあの星のような瞳でこちらをまっすぐに見据え、ぎゅっと俺の両手を握る。
「オレだってよく失敗するよ、でも今日は全然怖くないんだ、だって二人だから」
と言った。まだほんのり頬に赤みがあるのはまだ幼いからなのか、それともこれから始まるステージへの高揚なのか。
この瞳だ。俺がここに来た理由。
ちらちらと赤や緑の光が恒星のように瞬いている。目が「一緒に輝こう」と訴えてくる。
「みんながオレたちを楽しみにしてくれてる、HALくんはそれに応えられるだけの努力をしてきたよ、キラキラしてたもん」
あ、SAHOが俺のこと見てくれてたんだ。
照れくささと安心感。
「行こう、一緒に!」