witch「良い風」
窓を開け、部屋の中へと風を流し込む。爽やかな空気は、窓を開けた張本人の肺を満たし、眠気をも覚ました。
森の中で一人生活する魔法つかい、浮奇ヴィオレタ。彼は人がいないこの世界でのんびり魔法を使っては自由気ままに過ごしていた。人はいないが、浮奇の瞳によく似たパープルサファイア色のゼリー状の妖精たちが浮奇の周りに集まり、おしゃべりをしたり、ティータイムをしたりと、穏やかな日々を送っていた。
「ゼリーたち、今日は水辺にある石を探しに行くから手伝ってくれる?」
そう言ってドアの横に立てかけておいた箒を取り、外へと連れ立っていく。ゼリーたちは楽しそうに浮奇の後をふよふよと漂っていった。
箒に跨がり、ゆっくりと上昇する。太陽に近くなったことで照らされた浮奇の髪は、宝石のように陽を反射していた。
「日差しが強くなる前に探さないと、焼けちゃうからね」
ゼリーたちが浮奇の目線と同じ高さまで追いつき、目的の海岸までおしゃべりを楽しんだ。
「たぶんここにあると思うんだけど」
晴天を映し出しているように見える海岸に到着し、ゆっくりと箒から降り一呼吸、浮奇は呪文を唱える。周りに見える木々が騒ぎ出し、水面が揺れる。ただ歌を歌っているかのようにのびのびと唱え続けた。歌い終わり、一息つく頃には、木々は落ち着きを取り戻し、水面は鏡のように青空を再び映していた。
「水辺に光っている石がいくつか落ちていると思うから、それを拾ってきてくれる?」
浮奇はゼリーたちにそうお願いし、陽から隠れるように木へもたれかかった。ゼリーたちはわかったと言わんばかり頷き、ふよふよと頼まれた物を探し始めた。
魔法つかい、といってもまだ見習いの為、一人で全ての魔法を完結させることが難しく、ゼリー状の彼らのように妖精から力を借りたり、風や炎、草や水といった自然の力を借りたりして、一つの魔法を完成させる。師となる存在はいるものの、「この世界」では共に過ごしていない。師から教えられたことは、どの魔法使いも一人では魔法がつかえないこと。万物との繋がりが深ければ深いほど、突出して魔法がつかえるようになる。万物との繋がりが薄い浮奇は、自分が好きな歌を呪文とし、それらに引き寄せられた彼らゼリー状のものたちと共に生活をすることで、魔法としての理解を深め、また、他者へと繋がりが出来、寂しさを打ち消していた。
柔らかな風が浮奇の頬を撫で、すっかりうたた寝をしていたことに気づく。頼まれた物を探して疲れたのであろうゼリーたちが、浮奇の周りで共に寝息を立てていた。
「……ありがとうね」
眠っている彼らを起こさないよう小さな声で感謝の言葉を述べ、子守歌を歌う。魔法、というより、彼らへの感謝と愛しさを込めて。微睡みの一時だった。浮奇の音に合わせるように水面は輝き、風が浮奇たちを包む。浮奇の優しい声が、音の形を成し、上昇する。歌い終わる頃には、ゼリーたちも目を覚まし、ふよふよとまた、浮奇の周りを漂った。
「帰ろっか」
探してきてくれた光る石を全て集め、大事に鞄の中へと仕舞う。ゼリーたちは嬉しそうに上下し、箒に跨がる浮奇の後を付いていった。
家へと戻り、持って帰ってきた石を盤の上へと並べる。
「魔法書の通りだと、これで大丈夫なはず……。あとは今日の満月の光に一晩当てて、明日の朝に……」
師からもらっていた魔法書を片手に、ひとり言を溢す。師は、具体的な魔法は魔法書を見て創造すればいい、という考えから、妖精との関わり方や薬草の知識、太陽と月の関係性についてなどを教えてくれた。実際に魔法書を使って魔法をつかう時は隣で見ていてくれたし、危ないときは護ってくれた。実践的な魔法がしたい時は相手をしてくれて、師が師である理由をよく噛みしめていた。
「明日、ようやくおれだけの世界が創れるよ。もちろん君たちも一緒にね」
浮奇の周りを楽しそうに漂うゼリーたちに、浮奇はキスを送った。
少し遅くなったランチを済まし、夜になるまで薬草を煎じたり、歌を歌ったり、趣味のガーデニングもしたりと、自由気ままに過ごした。
「スミレの花びらに、365日分の朝露を集めた瓶、月の形をしたアメジスト。世界を映し出すための水晶に、今日拾ってきた朝日を浴びた翡翠。魔法書に書かれていた物は全て揃えた。花やクリスタルが群生する世界、そこには豊かに暮らしている人々を」
──集めたものを全て満月の光に一晩当て、翌朝、朝日が昇りきる頃、魔法陣へと並べ、呪文を唱えると、自分だけの世界を創造することが出来る。
魔法書にはそう書かれていた。
「長かったな」
特段珍しい物をたくさん集める必要はなかったが、数日費やして揃えられる材料が少なく、年単位の準備期間を要した。浮奇は材料を集めている期間もゼリーたちに手伝ってもらいながら、妖精である彼らとたくさんの思い出を作った。
スミレの花びらはどこにでも咲いているようなものではなく、遅咲きで、太陽の光をたくさん浴びている山の中の草原から摘み、朝露は浮奇の家の土台にもなっている神依木の葉から溢れ落ちる一滴、アメジストは赤が混じったラズベリーに近い色で特別な場所でのみ月の形で生成されるものを。今日拾ってきた翡翠も同様に一定の場所で、少量しか採取できない。そして“朝日を浴びている”という指定まである。特別な条件が揃った材料ばかりで何度も自分だけの世界を創るのなんて諦めようかと思ったが、全て集められたのも、妖精たちのおかげだった。上手くない魔法を駆使し、支えてくれたゼリーたち。彼らがいなかったら、全てを集めきらなかっただろう、と、浮奇は思った。
「明日は寝坊しないようにしないとね」
天窓から差す満月の光を確認し、浮奇は部屋のろうそくに息を吹きかけた。
『魔法使いは、自分の世界を創造して初めて一人前になれるんだ。でもそれは形式だけであって、本当に必要なのは世界と繋がる心。自分だけの心を持って、一人前。だから、私も浮奇に魔法を教える“師”ではあるけれど、一人前にはまだ遠いのかもねぇ』
朝日の昇りきる前の薄暗い中、浮奇は目を覚ました。冷えた空気が肺の中へと流れこみ、頭に残った言葉が夢だと理解した。
「一人前、か」
浮奇はベッドから足を下ろし、身支度を始めた。短いフレーズの呪文を唱え、朝食を用意する。あたたかな紅茶を沸かしているうちに、ローブを羽織り、正装で椅子へ腰掛ける。焼けた目玉焼きがのったトーストと紅茶が食卓へと並べられる。
「いただきます」
塩みのきいたトーストが浮奇の胃を満たした。あたたかな紅茶に口を付ければ、茶葉の香りが鼻腔をくすぐる。食べ終わった食器は魔法を使わず、自身の手ですぐに洗い流した。
天窓の下に並べていた材料は満月の光を浴び、輝きを増していた。それらを抱え、石畳で出来た魔法陣の決められた場所へとゼリーたちと並べていく。後からやってきたゼリーが浮奇の正装である魔法帽も一緒に持って必死に浮かんでいた。
「ありがとう」
浮奇は帽子を受け取りゼリーたちに声をかけ、空気をゆっくり吸って、吐き出す。瞼を閉じ、最初の一音を零せば、神依木の隣合う葉たちが会話をしているかのようにざわめき出す。次第に辺りの空気が花畑にいるような柔らかいものへと変わっていき、陣の中心に置いた水晶が輝き出す。浮奇の長い長い歌が唄い終わる頃、辺りの風景は今までいた場所とは異なる景色に変わっていた。
「出来た……!」
瞼を開け、目に飛び込んできた景色に、浮奇は感嘆の声を漏らした。
水晶を置いていた場所には光の柱が建っており、太陽の光に反射する朝露、風に揺られる桜の木、翡翠色をした緑が茂る大地。今までとは違う、宝石のような輝きが詰まった世界だった。そして、光の柱を囲むように様々な人間が言葉を交わしていた。
「はじめまして──」