燐光は必携のこと「よォ。アンタめっちゃ俺のタイプ。今夜暇?」
最後の悪魔を黒い炎で突き刺し、その悪魔が消滅したと同時に少し張り上げられた声で背後から予定を聞かれる。志摩廉造は眉間に皺を寄せてから振り返るとそこに居たのは腰に刀を腰に差しカソックを着た元同級生、奥村燐である。片手を上げて片方の口角を悪魔らしく吊り上げながら余った左手で“鍵”をくるくると回していた。
「すんません、どなたか知りませんが俺はちっとも好みやないんで。」
「ッおいおい待てよ。」
すれ違おうとする志摩の腕を掴んだ燐はすぐさま自身の顔の前で両手をパチンと合わせ、飯行こ?な?と懇願した。そしてその顔を横目で見た志摩は先程まで群がっていた下級悪魔達の声が一切聞こえなくなっただだっ広い地に響き渡る程の盛大な舌打ちをし、燐は俺への嫌悪を隠さなくなったのは進歩なのかな……と呟きながら涙目で肩を落とした。
燐が“鍵”を開けて辿り着いたのは飲み屋街。しかしここは日本ではなくヴァチカン市国、正十字騎士團本部のお膝元である。
街が賑わう時間帯に2人並んで歩き、燐が一方的に志摩に話しかけ、志摩は口元をへの字に歪ませながら両手を隊服のアウターのポケットに入れて前だけを見ていた。歩いている間、5回前と前々回2人で立ち寄った飯屋を通り過ぎ、あぁあれ美味しかったなあと頼んだ料理を思い出した。
「ハイ志摩、今日はここな。」
立ち止まった燐が指差したのはバル、開放的で店内と外と仕切りのないテラス席が並んでいる。ここのレアステーキ美味くてぇ、と楽しそうに話す燐を無視して足を踏み入れるとやってきた店員から何かを聞かれるが、志摩はヴァチカンで使われる言語を勉強しているわけでもないので後ろに立つ男を睨んだ。やっと俺を見たな?とニヤつく燐は志摩が聞き取れない言葉を流暢に話し、店員はにこやかに2人をテラス席に通した。途中、店員が燐の刀を指さして何かを話していたが、ヴァチカンは他国に比べ祓魔師もポピュラーであり、祓魔師の仕事内容も日本のように聖職者というより、本来の祓魔師の仕事が知れ渡っていた。恐らく宗教とか文化とか、そこら辺が関係しているらしいが志摩は興味がないので詳しく勉強していない。
立っている時とあまり目線が変わらない程の高めの椅子に向かい合って座る。メニュー表を開いた燐は志摩にお前何飲む?と聞いてから、ドリンクメニューを1つ1つ和訳して声に出し始めた。
「甘いの。」
「やっぱり?」
勝手知ったると言うようにカクテル類を中心に和訳していた燐が視線だけを志摩に移す。それからじゃあ俺のおすすめ頼んでやるよと再びメニュー表に視線を戻してから店員を呼び、また流暢に注文を済ました。
「何語やったっけ?」
「今のはラテン語。でも色々言語飛び交ってるからな、挨拶くらいならできるぞ。」
「英語もままならんかったくせにぃ」
「昔の話でェす。」
成長してるからな!と意気揚々とした様子の燐に流石やねぇと目を細める。軽い会話をしている内に目の前に木の皿にスライスされ、胡椒がたっぷりとかかった牛肉のレアステーキと少し色が違う赤ワインのデキャンタ2つにグラスも2つ、そしてフライドポテトが並んだ。店員がメニューの説明をして、最後に燐に向かってウインクをした。
「なんて?」
「このフライドポテト、おまけだってさ。最近祓魔師に世話になったんだと。」
「ふぅん、」
燐は志摩の方にあったデキャンタを持って志摩のグラスに注いだ。
「こちら、俺おすすめサングリアでございます。」
グラスを志摩の前に滑らせると自分の方にもワインを注ぎ、ハイ、乾杯。とグラスを持ち上げる。なんというか、ずっとイラッとさせる燐の言動に店に入る前と同じように口をへの字に歪ませてからカチンと硝子同士を合わせた。
「最近どうよ。」
「いや質問ヘタクソか。……まぁ変わらずやな。」
頬を人差し指で掻きながら返事をした志摩に燐はへぇそう。と返事をした。
高校及び祓魔塾を卒業した燐は、燐の父である藤本獅郎と同じ格好でヴァチカンで働くことを志願した。もっと高みを目指すと、沢山のものを守るために勉強がしたいと、本当に奥村燐か?と思うような言葉であるが燐らしいと言われれば納得するような夢を持って出国した。対して志摩は明陀には戻らず、学生の時と変わらずメフィスト・フェレス直属の部下として国内で奔走していた。
つまり、燐はヴァチカンで祓魔師として働きながら鍵を使って定期的に志摩に会いに来ているということだ。公私混同も甚だしいがそれより、志摩の仕事は通常任務に加えてスパイまがいの任務があり、その仕事内容の詳細が公開されることは相当な上層部でなければないのに、燐は毎度志摩の任務が終わるタイミングを見計らったように背後に現れた。誰かが情報を流しているのかそれとも……
「彼女は?前付き合い始めたっつてたろ?」
燐の質問に志摩は頬を掻いてから自慢げにまだ付き合っていると言った。一拍置いた燐は目を細め頬杖を付く。
「へぇ、お前にしては長えんじゃね?」
「まあね。……燐くんは?」
「俺ぇ?俺はまぁ……誘われて晩飯行ったくらい?」
「おぉ、どんな人やった?」
「金髪美女、おっぱいがデケェ。」
「おぉぉ!!ほんで!?」
「あ?終わり。」
「は?嘘や。」
興奮気味に身を乗り出していた志摩はつまらんと座り直す。はぁつまらんつまらんとため息を付きながらステーキを口に運んで咀嚼する志摩を見ながら燐はグラスを持った。
「えーだって俺さ、」
志摩から目を離さず、唇にグラスを付ける。
「志摩が好きだもん。」
燐が嚥下すると同時に志摩は喉からおかしな音を出しながら噎せた。
まだそんなことを言っているのかと燐を睨む。目の前の男はいつの間にか手に入れた目を細める優しい笑顔で志摩の観察を辞めていない。志摩は先程まで安心していたのだ、燐が女の話を始めたから。あぁもう俺じゃないのねと、思ったから話の続きを促したのに。
「志摩、すき。」
「お断りさせていただきます。」
「まァだなんも言ってねぇよ。」
学生時代、好きのスの字も言えなかったくせに、この男はこの数年で何を経験してこんなことになってしまったのか。スの字も言えなかった時から志摩への想いを募らせていたくせに、あの頃は志摩の方がうわてでそんな雰囲気にさせることもそんな話になることもなかったのに。
志摩は目を逸らしながら甘いワインを飲んでから頬を掻く。
「俺今彼女おるって言うたやろ」
「お前ってさぁ、嘘つくの下手だよなぁ。」
「……は?」
唐突に自身の特技を下手呼ばわりされた志摩は目を見開いた。
事実、現在の志摩廉造に彼女は存在しない。それに加え特に私生活が充実しているわけでもなければ、仕事も最近は楽しくない。
「お前は嘘じゃなくて、隠すのが得意なんだって。でもそれを判っちまったらもうこっちのもんだろ?」
「はは、燐くん今日酔っ払うん早いなぁ?お開きにしよか?」
「お前ェの方が弱えだろーが。」
だからさァ。燐が犬歯を見せる。志摩は続きを聞きたくなかった。それにまだ核心には触れられていないからまだ間に合う。
「メンドイって燐くん。」
少し声を張った志摩を見た燐は更に口角を動かした。志摩は燐に怒りを見せたことはない、だから少し怒ったように見せれば怯むと思った。それでも無理ならと志摩は立ち上がり日本の札を何枚か机に叩いて“鍵”を取り出した。
「帰るわ。」
眉間に皺を寄せた様子を見せる志摩を見た燐は一言、なるほどね、と呟く。
燐が“鍵”を持った志摩の手を握る。座るように促された志摩の表情は怒りに満ちていた。
「あー判った。もういーや、もう単刀直入に聞くわ。なぁ志摩。」
「なんや。」
「お前の自由って、それでいいの?」
志摩は目を見開き動かなくなった。燐は1つため息を付いてから志摩にもう一度、手を握ったまま、座れとさっきよりもっとやさしく促した。
「ちなみに俺は良くねえと思ってんだけどどうなんだよ。」
「別に、」
「俺には言えねえってか?」
横を向いて黙る志摩に、燐はそりゃ認めるわけないかと頭を搔いてからテーブル端に立ててあるメニュー表を横に持ち、それで目元を隠した。
「貴方の罪は、なんですか?」
「……何しとんの」
「簡易式懺悔室。てか、え?知らねえの?俺神父やってんの。」
「知っとるわ、サタンのくせにな」
「いや息子な?てかお前が一番ソーユーの気にしねえだろ。」
俺今奥村燐じゃなくて神父だからと笑う口に向かって奥村燐っちゅー神父だろうが。と悪態をつく。えぇっとちょっと違うというかなんと言うか……と小さく何かを言ったかと思うと一度咳払いをした。
「私に言ってみてください。貴方が周りに、俺達に……俺に思ってること。なんでお前がそんなに死んだ顔してんのか言え。」
志摩は、自分の自由のためにこの道を選んだはずだった。明陀から離れメフィスト・フェレスの駒として、そして今はなきイルミナティとの二重スパイとして刺激的な日々を送り、好みの女性とある程度の様々な経験をして……自分の意思で使われるだけの人生から脱したはずだった。
それがどうだ、燐も周りも今や自由に自分らしく生きている。柵とか血縁とか、悩んでいた奴らが自由に道を選んでいるのに、自分は高校のあの時から何も変わらず同じことを繰り返している。メフィストからも似たような仕事ばかり寄越され、同じ時間に起きてある程度同じような時間まで仕事をして同じ時間に寝る。高校の時は楽しかったななんて、過去に縋っているようで気持ちが悪い。
楽しそうに自分の目の前に現れる奥村燐が羨ましくて、苛つかせるのに。
「うん、わかった。」
志摩の手を指で優しく撫でながら聞いていた男の目は愛おしそうに形を作っていた。
「何も解決せんやろ?せやから燐くんの気持ちには答えられん」
「するだろ。解決」
「えっ、いやいや話聞いとった?らしくなさすぎてキモいって話を、」
「やっぱお前って隠すのは上手いのな。」
「はっ?燐くんさっきから何の話を……」
燐は志摩が感じていることをなんとなくだが察していた。そして志摩の想いも察していたが、こんなにも巧妙に隠されると逆に。
「えぇいきなり笑わんといて……てか手ェ離して……」
「ヤだよ。お前が俺のこと好きって認めるまで離さねえ」
「い、や好きとか俺言うてへんしぃ……」
目を逸らし頬を指で搔いた志摩を見た燐はブハッ!と吹き出して志摩をビビらせてから口を開く。
「俺、お前のこと絶対幸せにできるぞ。」
「その自信はどこから……」
「お前のことぜーんぶ判ってるから。」
「はぁ。」
何に悩もうが自由だ。問題はその苦悩を口に出せず、頼れないことだ燐は思っている。
「俺を頼れよ志摩。俺はお前のことを大切にしたい。」
「……後悔するんちゃう。」
「ハハッ!絶対ェねえから安心しろ。」
握っていた手を繋ぎ直してから燐は指先にキスをした。
「俺が志摩のこともっと自由にしてやるよ。」
「ははっ、胡散臭ぁ」
言ってろ。そう返す燐に対し志摩はこの日はじめて笑みを見せ、それを見た燐も笑うのだった。
某日、正十字学園理事長室。メフィストに呼び出された志摩は部屋の扉を開けた。
「グーテン・ターク志摩君!調子はどうです?」
「あはは、まぁいつも通りですね」
志摩が高校生の時から何も変わらぬ外見のメフィスト・フェレスと他愛もない会話を済ませば、メフィストが指を鳴らしたと同時に10ページ程の書類が志摩の目の前に現れる。
「これは?」
「近頃、以前のイルミナティのような思想を持つ団体の名を耳にするようになりまして、それだけなら良いのですが何やら怪しい実験もしているとの報告が。」
「それってもしかして……」
書類を捲っていた志摩が一瞥すると、メフィストは派手にウインクをした。
「流石は元密偵察しが良い!その団体の調査をお願いします。もちろん!必要なものは全てこちらで用意しましょう。」
イルミナティが崩壊してからというもの、怪しい団体は鳴りを潜めていた。しかし、志摩の求めていたような仕事が舞い込んでくるとは、少し治安の悪い世界に感謝せねばならないのかもしれないと思った。
「時に志摩君。君は最近憑き物が落ちたように見えましてェ、何か良いことでも?」
「ええ?いえ特には?」
「クククッ、そうですか。……では、調査頑張って来てください。今の君には期待していますよ。」
メフィストはそう言って志摩が部屋から出ていくのを確認した後、そうかその手を使ったかと片手で顔を隠し高らかに笑った。そう、志摩の着ていた服からちらりと見えていたシルバーのネックレスに埋め込まれていた青い宝石が目に入ったからだ。
挨拶をして理事長室から出た志摩はすぐにスマホを取り出した。
「あぁ燐くん?ちょっとおもろい仕事してくるわ。おん、待っとき、きっと凄いことになるわ。」
高揚感を隠さない志摩の声が鼓膜を揺らす。その感情の共有を楽しみながら電話越しに笑う男の首に掛かるシルバーのネックレスに埋め込まれた宝石は桃色に光っていた。