これから航海くんは、多分最初、俺のことをよく思ってなかった。顔に出てたしね、バンドにお金の話を絡ませること自体、印象が良くないんだろうなって俺も分かってた。
でね、みんなと仲良くなって、「アルゴナビスのドラムは万浬くんじゃないとダメだ」って言って貰える関係になれて、それでもう結構満足だったんだ。だから。
「好きなんだ、万浬くんのこと」
航海くんにそう言われて、最初は意味が分からなかったよ。
「え? 何が?」
って聞き返した最低な俺に、航海くんはもう1回、今度はゆっくり、分かりやすく言ってくれた。
「僕、万浬くんのことが好き」
それでやっと分かった。
告白、されたんだって。でも、なんで?航海くん、相手間違えてない?いや、性別とかじゃなくて、結人くんとか、凛生くんとか……俺以外の誰かの方がよっぽどしっくりくる。どうして、俺?
「えっと……あの」
頭がぐるぐるする。
航海くんのことは大好きだし、大切に思ってる。でもそれが恋かどうかなんて、考えたことが無かった。
「返事は今すぐじゃなくてもいいよ」
航海くんはそう言って笑った。いつもの笑顔だ。
もしかして冗談なのかな?と思ったけど、声が本気のそれだった。航海くんはそもそも、こういう冗談を言うタイプじゃない。
どうしよう。俺、どうしたら良いんだろう。
「航海くんは、その……なんて返事が欲しい?」
我ながらそれはないだろ、ってことを聞いてしまったけど、口に出してから後悔しても遅い。
航海くんは一瞬きょとんとした顔をして、それから笑った。
「あはは、そうだなぁ。万浬くんの素直な気持ちが知りたいから……嘘でなければ、なんでもいいかな」
嘘でなければ。
耳障りのいい言葉は求めてない、ということなんだろう。航海くんらしいな。
「えっと……ちょっと考えさせて」
咄嗟に出たのはそんな言葉で、でもそれで良いって航海くんも言ってくれたから安心した。
そこからしばらく、航海くんの顔を真っ直ぐ見ることが出来なかったのは仕方が無いよね。
******
「万浬?」
蓮くんに覗き込まれて我に返る。シェアハウスと違う床、防音の壁、天井……そうだ、今、練習中だった。
「あ、ごめん……なんだっけ」
「大丈夫?体調が悪いなら今日は切り上げようか?」
蓮くんが歌いたいっていうから、それなら一緒にリズム練したいとスタジオに誘った。他のメンバーはバイトや講義で来られなくて、結局蓮くんと2人きり。
「ううん、平気平気!」
俺はそう言って笑ってみせる。蓮くんは優しいなあ。練習に集中出来ないのは俺が悪いんだから、もっと責めたって良いのにさ。
「そう?万浬がそういうなら続けるけど……」
蓮くんが少し不安そうに言うから、俺は慌てて何か言おうとしたんだ。でもそれは音にはならなかった。俺が言葉にするより早く、スタジオのドアが開いたからだ。
「航海?あれ、講義は?」
「休講になったから、僕も一緒に練習したくて」
蓮くんの驚いた声に、航海くんの柔らかい声が重なる。
俺は途端に動けなくなった。
だって、航海くんにこうしてちゃんと会うのは、あの日以来。同じシェアハウスで生活しながら、違和感のない範囲でできる限り、航海くんと顔を合わせるのを避けていた。挨拶とかはしてたよ、目は見られなかったけど……
「万浬、リズム練したいって言ってたよね。航海がいればやり易いんじゃない?」
うん。その通り。本来はそうだと思う。航海くんはベースで俺はドラムで、合わせる練習ってすっごく大事だ。だけど、
「……万浬、やっぱり体調良くないの?凄く顔色が悪い」
辟易している俺の、素直な顔色を呪いたい。蓮くんに心配されるほど、表情に出てしまっているなんて。
「万浬くん?大丈夫?」
航海くんも俺の顔を覗き込もうとするものだから、慌てて顔を逸らした。ごめん航海くん。心配してくれてるんだろうけれど、今だけは……見られたくないや。
「うん、ちょっと気持ち悪いみたいだから、お水買ってくるね」
そう言ってスタジオを飛び出すと、廊下を足早に抜けて、ちょうど無人だったロビーの隅でへなへなと蹲る。
もう、最悪だ。
本当に最低だ俺。
あからさまに避けちゃった。距離をとるにしたって今のは下手くそすぎる。
……でもどうすれば良いんだろ?だって、まだ告白の返事をしてない。返事って……どうすればいいんだっけ?
家のことでバタバタしてたから、学生時代だってクラスの子と親密になって付き合う〜なんて青春は経験していない。それどころじゃなかった、っていうのが正直なところだ。
「万浬くん」
「っ」
頭の上から声がして、恐る恐る顔を上げるとそこに立っていたのは、やっぱり航海くんだった。手にはミネラルウォーターのペットボトルを持っている。
「大丈夫?また、手に痺れが出たり頭が痛くなったりしてない?吐き気は?……無理はしないで、何なら今からでも病院に行って診てもらっても」
眉を八の字にして俺をうかがう、その表情……本気で心配して追い掛けてきてくれたんだ。
「大丈夫だよ、ただの貧血だから」
「ほんとに?」
「うん、ほんとのほんと」
そう言って歯を見せて笑えば、航海くんはちょっと安心した顔になった。
「……返事の催促、しないんだね」
「万浬くんの体調の方が優先に決まってるだろ」
航海くんはすっ、と俺の隣にしゃがみ込む。
「ただ……このまま有耶無耶にはしないで欲しいな。万浬くんが僕のことを恋愛対象として見れないなら、そう言って欲しい。諦める努力はするし、バンド活動に悪影響を及ぼすようなことはしないよ。だから……正直な気持ちを聞かせて」
頬にそっと触れられて、俺は思わず息を飲んだ。
「僕、万浬くんのことが大好きだから」
ずるいよ航海くん。
俺に決めさせていいの?
君はそれで、本当に後悔しない?
「……俺で良いの?」
「え?」
「航海くんならもっと、素敵な相手狙えるのに」
俺がそう呟くと、航海くんは不思議そうに首を傾げた。
「万浬くんは素敵な人だよ」
「航海くん金に汚いヤツ嫌いでしょ?」
「万浬くんがお金を大切にするのは、大事な人達と大事な夢……バンドのためだろ?汚くないじゃない」
「俺は航海くんみたいに作詞できないし、かと言って曲も作れない」
「万浬くんはご飯も、ちょっとしたおやつだって作れちゃう。僕にはできないよ」
「俺……可愛げもないよね?」
「可愛げがなかったら、あんな風に商店街の人気者になんてなれない。スーパーの店員さんに聞いたらきっと、皆が万浬くんのこと可愛いって言うんじゃないかな」
「……まぁ、商店街には俺のファンが多いかも」
冗談みたいな口調になっちゃったけど、これは本当だ。あの商店街の人たちは、みんな優しくて温かい。
「……万浬くんは、誰かほかに好きな人がいる?例えば、蓮とか……桔梗とか」
航海くんの唐突な発言に、多分その時の俺は鳩が豆鉄砲をくらったような顔になっちゃってたと思う。
神妙な面持ちで、なんでそんな明後日のことを……?
「蓮くん?凛生くん?なんで?」
航海くんはそんな俺を見ると、なんだかほっとした様子で
「ううん、何でもない」
って笑った。
「えっ……あ、そういう?ないよ!仲間としては大好きだけど、そんな風に二人のことを見たことは……うん、ない。でも二人共すごく良い男だとは思ってるよ!」
「そっか。良かった……もしあの二人がライバルだったら、勝てないかもって思ってたから。万浬くんと仲が良いからね」
んー……
なんか引っかかるな、その物言い。
「……航海くんは、俺と仲良くないんだ?」
ちょっと意地悪な気持ちでそう聞いてみた。航海くんは真面目な顔で
「最初は、仲良くできないだろうなって思ってた。初対面の時」
って言った。
うん、そうだろうね。
航海くんは床に視線を落としたままで、俺も同じように、目の前の床を見つめながら返す。
「考え方が合わないって言ってたもんね。あ、責めてるんじゃなくてさ、俺もそうだろうなって思ったから。航海くんと俺は全然タイプ違うなぁって」
だからこそ、少しずつ打ち解けていって、本とか貸し借りしたり、オススメの映画を教えて貰ったり、そんなちょっとしたことが凄く嬉しかったんだ。
……そうだ。
俺、嬉しかった。
航海くんが気兼ねなくメッセージ送り合うようになってくれたことも、誘ったら一緒にカフェにパンケーキ食べに来てくれる仲になったことも、全部嬉しかったんだ。
ぽろり、と。
なぜか俺の目から涙が零れて、床に落ちた。
航海くんがびっくりして慌てて俺の顔を覗き込む。
「万浬くん……!?」
「あ、ちが、ごめん、」
急に泣いたりしたら驚かせちゃうよな、と取り繕おうとした俺の手首をぎゅっと掴んで、
「ごめん!最初に僕が加入を断った時、傷付けたよね……?家族のために一生懸命だった万浬くんのことをちゃんと知りもしないで、あの時の僕は酷かったと思う……」
と謝ってきて、今度は俺がびっくりする番になった。
「えっ!?いやいや!違う違う、そんなこと思ってないよ!?なんにも酷くないし!」
「じゃあ、どうして泣いてるの?」
どうして。
うん、話すと長くなってまとまりが無いかもしれないけど、伝えなきゃね。
「……航海くんが一緒にパンケーキ食べに行ってくれたり、買い出し付き合ってくれたり、バンドの時以外にも一緒に遊ぶようになってくれたり……そういう風になれたことが嬉しいなって思ったら、急に涙が出てきた」
君と仲良くなれたことが一番嬉しいんだよ、って。
ちょっと恥ずかしいから早口で言っちゃったけど、ちゃんと航海くんには伝わったかな?どうかな?
なんとか拙い言葉にし終えて、航海くんの方を改めて確認してみる……あれ!?なんかすっごい赤い顔してるんだけど。
「えっと、航海く……」
「万浬くん……自分に告白してきた相手にそんなこと言って、危機感なさすぎない?」
へ?告白?されたっけ……あっ、そうか。航海くんは俺のこと好きなんだったよね。
ってええ!?
いや待って、急に実感しちゃって、なんか俺も恥ずかしくなってきた……!
「いや、でも万浬くんのことだから、これだけ期待させておいて『いい友達だよ』ってパターンもある……というか、その方が確率が高い気がする……やっぱり、あらゆる可能性を想定してダメージを抑えないと……」
ありゃ。
どうしたことか、航海くんはぶつぶつ言いながら考え込んでしまった。この状態の航海くんに何を言っても、多分聞こえてないんだろうなぁ……と思って眺めていると、
「あ、航海、万浬。こんなところにいた!」
あまりにも帰ってこない俺たちを心配して、蓮くんが探しに来てくれたみたいだ。
「……万浬?泣いてるの?」
「あ、違っ、これはその!」
そうだ、俺ったら、涙を拭うことも忘れて話し込んでた。蓮くんだってそりゃあ、ショックな顔になっちゃうよ。
「泣いちゃうほど体調が悪いんだったら、今日はもう休んだ方がいいよ。帰ろう?」
「で!でも、スタジオ代が勿体ないよ!」
「万浬の体調には替えられない。今日は帰って、元気になったらまた練習しよう」
「でも、蓮くん歌い足りないだろ?」
「……だったら、僕が万浬くんと一緒に帰るよ」
「うん。航海、万浬のことお願いしていい?」
航海くんの一言で蓮くんは納得したのか、航海くんに俺の事を預ける約束を取り付けた。本人の意思は……まあこの場合は仕方ないのかな。
荷物を持って建物を出る。隣の彼に、一応ひと言。
「航海くん、俺一人で帰れるよ?」
俺がそう言うと、航海くんは俺の頭をぽんって撫でてから、
「もうちょっとだけ、僕に万浬くんを独り占めさせて欲しいな」
なんて。
俺が断れないの、分かってて言ってるよね?
同じ家に帰るだけ、なのにさ?
そういう表現になるんだもんな、航海くんって本当ずるいや。
「……わかった」
「じゃあ、帰ろうか」
差し伸べられた手の意味は、敢えて考えないようにする。意地悪してるんじゃないんだよ、臆病なだけなんだ。
「一人で歩けるよ。航海くんってば心配性なんだから」
少し大きめに足を踏み出した俺の気持ちは、うまく隠せたんじゃないかな。
******
航海くん、大胆だな……街中で手を繫いで歩くのは流石にちょっと恥ずかしい。しかも、シェアハウスまで離してくれそうも無い。
「航海くんさぁ」
「何?」
「結局繋がれちゃったし。俺、本当に大丈夫だよ?」
俺がそう問いかけると、航海くんは優しい顔で微笑んで。
「心配だから」
……そう言われるとなぁ。さすがに無下にできない心理が働く。本当に下心とかないのだとしたら、下衆に勘繰る方が失礼だし。
「あのさ、万浬くん」
手を繫いだまま歩くこと数分。家まであと少し、ってところで、突然歩みを止めた航海くんが真っ直ぐな目で俺に向き直った。
俺も思わず背筋を伸ばして
「はい!」
と、運動部みたいな良い返事をしてしまう。
「……返事、聞かせてもらえる?」
「へっ?い……」
今!?
今来る!?
同じ家に帰る直前で、手を繫いでる状態で?
タイミング本当にここで合ってる!?
こんな所で返事して、ご近所さんに見られてたらどうするんだよ!
「あ……」とか「う」とか呻いて時間を稼ごうとするも、じっと覗き込んでくる航海くん。その真剣な表情に耐えきれなくなって、俺は観念して口を開いた。
「あの、……玄関入ったら、返事するから」
「玄関で返事するの?」
航海くんが優しい顔で俺の言葉をくり返す。……もしかして、態とかな?俺が逃げられないって分かってて、故意にやってない!?
「……もう、そうだよ!ほら、さっさと帰る!」
そう言い放って小走りで家路を急ぐ。角を曲がって、すっかり見慣れたシェアハウスに駆け込む俺。でも手を繋いでるわけで、当然航海くんも一緒に俺の後をついて来ているわけで。
なんか、これじゃあまるで俺が引っ張り込んだみたいに見えてるかも。
「ただいま!」
廊下に向かって帰宅を告れば、シェアハウスのリビングからぽんちゃんが跳ねてくる。ぽんぽんとした足取りで俺たちを迎えてくれる、可愛い家族。
「きゃん!」
「うん。ただいま、ぽんちゃん」
頭を撫でてやると嬉しそうにぴょこぴょこと尻尾を揺らす。とってもお利口さんだ。
結人くんと凛生くんは、まだ帰ってないみたい。ということは航海くんと二人きり。これは……返事するには絶好のタイミングかもしれない。
聞きたいって言ったのはそっちだからね。
「航海くん……さっきの返事なんだけど……」
靴を脱ぐのも後にして、話題をぶり返す俺のせいで、航海くんも玄関に立ったままになっちゃったけど、それは後で謝ろう。
「うん」
緊張した面持ちの航海くんと、視線が絡まる。少しだけ不安げに揺れる瞳。
きっと君のことだから、あらゆる最悪のパターンを想定して、対処を考えてるんだろうね。
いつも準備を怠らないし、慎重そうに見えるけど、実は結構不器用だったりするところも、可愛くて好きなんだけどな。
そう。
「航海くん」
「うん」
「俺さ、さっきも言ったけど……航海くんと一緒で楽しかったなって思い出が沢山ある。俺の作ったおやつを美味しそうに食べてくれるのだって。小さいことから大きなことまで、思い出す度に温かい気持ちになるんだ。航海くんでよかったって、嬉しくなる」
『俺も好き』って言ってしまえば早いんだろうけど、それだけだと少し足りない気がした。
俺の好きの中身を知って欲しい、と思った。
「だから、これからもそうやって過ごしていきたい」
航海くんの喉が大きく鳴るのが分かった。
「……それは、メンバー、友達として?」
綺麗な緑色の瞳に映った俺が、ゆらゆら揺れている。
「航海くんと、同じ気持ちで」
******
俺の言葉に航海くんは胸を撫で下ろすと、
「良かったぁ……振られたと思った」
「わ、分かりにくかった?」
「いや……万浬くんは万人に好かれるし、『身内』ってカテゴリーの人間を等しく大事にするから。その中の更に特別になりたいなんて、難しいのかなと思ってた。でも、僕と同じ気持ちってことは……特別で、いいんだよね?」
確認を取るように聞いてくる航海くんがなんだか子供っぽくて、俺は思わず笑って頷いた。
「もちろん!」
その答えに安心したのか、やっと航海くんの空気が緩んだ。こんなに幸せそうな顔ってあるんだなぁ。目が離せなくなっちゃうよ、どうしよう……なんて思っていたら。
ぎゅ。
「ちょ、ちょっと、航海くん!?」
「ありがとう。本当に嬉しい」
抱きしめられたまま、耳元でしみじみとそう言われて、俺もじわじわ嬉しくなってきた。
そっか、喜んでくれたんだ。
良かった……!
背中に手を回してぽんぽんしたり、さすってみたりして、俺も気持ちを返していると、航海くんの手も段々と俺の身体を確かめるような動きに変わっていく。
いや、これは……まずいのでは??
「えっと、航海くん?ここ玄関だよ?」
「んー」
俺のやんわりとした拒絶に生返事を返しつつ、航海くんの手が俺の身体を這い回る。こら、こらこら。
「だから、ほら、ぽんちゃんも見てるし……」
「きゅん?」
急に声をかけられたぽんちゃんが不思議そうに首を傾げる。くぅん?と鳴いて俺たちを交互に見る小さな毛玉。
「ほら、ぽんちゃんがずっと玄関にいること不思議がってるから!部屋入ろう!ね!」
「んー」
「んーじゃないよ!これだから末っ子は〜!!」