オニオンコンソメスープ(缶) なんで、キミだったんだろう。ふとマユミくんとの出会いを、今のキミより少し鋭い「他人」へと向ける声で放たれた制止の声を思い返して、そう考える時がある。
結局、運命でもなんでもなくただの偶然だったという結論に落ち着くその疑問。たまたまあの日、僕はキミの目に留まって。それで、アマミネくんとぴぃちゃんに声をかけられた。それだけの話。たったそれだけの偶然が、今の幸せに繋がっている。だからこれにもきっと、意味なんてないんだ。
「もも、ひと」
たまたまキミが、僕の家の近くの公園のベンチに座っていた。そしてきっとキミにとっては運のないことに、ふとお腹が空いてコンビニに行こうとした僕に見つかってしまった。
無意識かどうかは知らないけど、人知れず落ち込みたい時の場所選びとしては最悪だなあ。いつもより情けない顔をしているマユミくんにいつも通りに声をかけながら、僕はそんなことを思っていた。
様子がおかしかったことに関しては、僕だけじゃなくぴぃちゃんもアマミネくんも気づいていた。ただ、本人に「問題ない」と突っぱねられればそこで引き下がれてしまう程度の違和感だった。早い話が役作りに行き詰っている、それだけ。マユミくんにしては珍しいけど、演技のお仕事をする時にはよくある話だ。
ただ、多分。
「マユミくんは、さあ」
「…………」
「幸せになるのが、こわいの?」
自惚れかもしれないけど。こうやって直球を投げれば躱されることはないと思える程度には、僕はキミの近くにいるはずなんだ。
「……そう、見えるか」
僕達といて楽しそうに笑うキミを知ってる。
皆と一緒に成果を出して嬉しそうにするキミを知ってる。
僕を見て、ふと柔らかく目を細める瞬間があるのを知ってる。
その全部の後に必ず、後ろめたそうに唇を噛むキミを、知ってる。
「なんとなくね」
「そうか。……しあわせ、か」
しあわせ。なんでもない言葉なのに、キミが呟くとひどく遠い物に感じてしまうのは、なんでだろう。ぼんやりとそんなことを考えながら空を眺めていると、細くため息を吐いたマユミくんが小さく吐き捨てる音が聞こえた。
「資格が、ない」
たったひとこと。きっと聞かせるつもりもない独り言が、自分でもわからないけど、気に障った。
(キミが、それを言うの)
あの日、僕をすくいあげてくれたキミが。
今日に続くしあわせの一端を担ってくれたキミが。
僕の隣で笑ってくれたキミが、それを言うのか。
「マユミくんは難しいことばっか考えてるね」
もっと簡単でいいのに。腹の底の怒りをぶつけるべきじゃないことはわかってるから、努めて軽くそう言って、僕は立ち上がった。背中に感じる「お前がそれを言うのか」って目線には気づかないフリ。
どう見えてるかは知らないけど。面倒臭いヤツじゃないよって否定したら嘘になるけど。出会った頃より、キミが思っているより、僕は結構単純なところもあったりするんだよ。
ぴ、がしゃん。
静かな公園に音を二回響かせて戻る。
「マユミくん、パス」
「っ」
チカチカと切れかけの光を放つ外灯の下。熱さのせいか数回お手玉をしたマユミくんの丸くなった目が面白い。
「この前のコーヒーのお礼に奢ってあげる。値段釣り合わないけど」
「いや、あれは」
「一緒に飲もうよ」
再び隣に座ってプルタブを開ける。僕が飲み始めるのを見て、マユミくんも何か言うのは諦めて缶を傾けた。
ほう、と息を吐くと、湯気混じりの白い塊が空に向かって消えていく。喉を転がる熱。鼻に抜けるコンソメの匂い。甘い玉ねぎの味。じわじわと胃から温まっていく体。
「……おいしい」
「おいしいよね」
いつもより幼く聞こえる声に相づちを打つ。
「ねえ、マユミくん」
しあわせなんて、たった100円で手に入るんだ。こうやって寒い日に温かい物を飲めば。おいしいって感想を分かち合えば。キミが笑ってくれれば。
しあわせって、その程度のものなんだよ。
「しあわせになろうよ」
目元が熱いのはスープを飲んで顔の温度が上がったせい。別に泣きたくなったわけじゃない。プロポーズ紛いの僕の言葉を聞いて、僕の顔を見て、またマユミくんが小さく唇を噛んだせいじゃない。
(キミが教えてくれたのに、なんでわかってくれないの)
せっかく美味しいものを飲んでるのに、八つ当たりで味を鈍らせるのはもったいない。だから僕はマユミくんの葛藤も自分の怒りも見ないフリをして、全部優しい味と一緒に飲み下す。
僕はキミが思うより単純で、キミが思うより短気で、だけどそれなりに気は長いから。いつか未来の冬にキミが素直に「うまいな」って笑ってくれるまでは、缶スープを奢ってあげるよ。