幼き日のリコルド ある夏の日。
仲間たちには休暇を出していたが、オレは細々と残っていた書類が気になり、一人アジトで書類仕事をこなしていた。一休みしようとソファに腰掛けていたところ、つい寝てしまっていたらしい。体を揺すられ、目が覚める。
身を起こし瞳を開ければ、輝く金髪と真っ青な瞳が目に入った。
「休みってのに、書類とにらめっこしてたのかよ。俺のアモーレは、俺より仕事のほうが好きみてーだな?」
机の上に散らばった書類を手で弄びながら、プロシュートが呆れたように言う。
「すまない……ついつい気になってな」
そう返せば、やれやれと溜息をつきながら、俺の隣へと座った。散らばった書類を集めて整えながら、ついでとばかりに口を開く。
「で、随分と気持ちよさそうに寝てたじゃあねーか、良い夢でも見てたのか?」
「ああ、そうだな。昔の……初恋の夢を見ていたよ」
へぇ……とプロシュートは目を細めた。続きを促すかのように顎をしゃくる。
「昔、故郷にいた頃に一度だけ会った子だ。眩いばかりの金髪に、海を写し取ったかのような真っ青な瞳をしていた」
◆◆◆
さんさんと日差しが降りそそぐ中、オレはいつものように遊びに出かけていた。なんてことはない、虫を捕まえたり、海で泳いだりとか。その日は蝶を捕まえようと、追いかけっこでもしていたんだったか。
ともかく、一人で遊んでいるところに、急に声をかけられたんだ。
「なにしてんだ?」と。
近所では見たことの無い子供だった。
「ちょうちょを追いかけてたんだ」
「ちょうちょ?」
指をさそうとして、蝶々が遠くへと飛び去っていることに気付く。
「あれ?さっきまでいたんだけど……」
「あっちだ、森の中にとんでったんだ」
自信満々に言い切る。
「ちょうちょ、見てたの?」
「いや?ただのカンだ」
「えぇ……」
「ほら、さがすの手伝ってやるよ」
そう言って、手を差し出される。
「ありがとう……ええっと」
手を握り返し、名前を呼ぼうとして、自己紹介をしていなかったことに気付く。
「オレ、リゾットって言うんだ」
「へぇ、良い名前じゃねーか。オレは――」
確かに聞いたはずなのに、そこだけモヤがかかったように思い出せないんだ。
◇◇◇
「初恋だったんだろ?どこが良かったんだ?」
「……一目見たとき、衝撃が走ったよ。こんな美人がこの世にいるのか、天から舞い降りた天使なんじゃあないかとな」
「なんだよ、見た目だけじゃねーか」
拗ねたように言うプロシュートの様子に、思わず小さく笑った。
「そんなことはない。……一目惚れではあったが」
◆◆◆
逃げた蝶々を追って、オレたちは森へと入っていった。緑が生い茂る森の中で、ひらひらと飛ぶ蝶を追いかけるのは中々難しく、何度も姿を見失った。その度に彼は「あっちだ」と持ち前の勘で方向を指し示していく。不思議なことに、彼が示す場所に向かうと、必ず蝶々が現れた。
もしかしたら、彼は天使ではなく森の精霊なのかもしれない。そんな馬鹿なことを半ば本気で考えながらも、オレたちは少しずつ蝶々を追い詰め、ようやく追いつくことが出来た。捕まえようと虫あみを振ったそのとき、傾斜に足を滑らせる。
「リゾット!」
転びそうになったところで、彼にギュッと抱きつかれ、そのまま一緒にゴロゴロと傾斜を転がり落ちていく。
「うぅ……いたた……」
「おい、大丈夫か!」
ようやく動きが止まり、そっと目を開けば、心配そうにこちらを見つめる真っ青な瞳が目と鼻の先にあった。
「……ッ!だ、大丈夫……」
思わずバッと立ち上がり、後ずさる。心臓のバクバクとした音が、嫌に耳についた。
◇◇◇
「余裕のある堂々とした態度、思い切りの良さと漢気に、尚更惚れ込んだよ……。まあ、抱きつかれなければ、その場で尻もちをつくくらいで済んだとは思ったが」
「わかんねーじゃねーか。そいつのおかげで大怪我から救われたのかもしれねーぜ」
そうは言いつつも、プロシュートはバツが悪そうに視線を逸らした。
「……で?結局蝶々はどうなったんだよ?」
「ああ、あの後落とした虫あみを拾いに元の場所へと戻ったら、運良く網に引っかかっていたんだ」
「ふーん、ついてるな」
「ああ、良かったよ。大切な贈り物だったからな……」
◆◆◆
蝶を捕まえて森を抜けると、中では木々に覆われて気づかなかったが、あたりはすっかり夕焼け色に染まっていた。そのまま来た道を二人で戻っていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「知り合いか?」
彼が問う。声が聞こえるほうに視線を向ければ、小さな子供が……従兄弟が手をブンブンと振っていた。
「ああ、いとこなんだ。……かわいいだろう?このちょうちょも、あの子にたのまれたんだ」
虫かごを見る。色々あったが無事に捕まえられた。ようやく届けられることに、ふっと安堵の笑みが漏れた。
すると彼が、オレの頭をよしよしと撫でる。
「ふーん、良いアニキじゃねーか」
「……べつに、ふつうだよ」
つい照れ隠しでぶっきらぼうな態度になってしまった。だが、そのままあの子の元に行こうとして、ふと気づく。もういい時間だ。 きっと彼も帰るだろう。このままお別れになるんだろうか……。
「……また、会えるかな?」
「んー?何だ、さみしーのか」
「え!そのッ……」
素直にそうだとは照れくさくて言えなくて、けれども否定もしたくはなかった。
そんな俺の様子を見て、彼はずいっと顔を近づける。突然、ちゅっと唇が触れ合った。
「……え?」
かあっと顔に血が上る。鏡を見なくてもわかる。きっとリンゴみたいに真っ赤になっていたことだろう。
「あはは、変なアホづら!もしかして、初めてだったみてーだな!」
そう言って彼はケラケラと笑った。
「わ、笑うな!」
頬を膨らませて怒るが、ちっとも怖くはないようで、よりいっそう大きく笑われる。ひとしきり笑ったあと、
「悪かはねーよ、オレも初めてだし?」
そう言って、いたずらっぽくウインクした。
「またな!照れ屋さん!オレらが運命で結ばれているのなら、きっとまた会えるだろーよ!」
くるりと踵を返し、来たときと同じように、唐突に走り去っていく。
突然の行動に呆れながらも、笑って「またな」と手を振って返した。
◇◇◇
「キスしたのは、そのときが初めてだったんだ」
「ふーん、そのキスって――」
スッとプロシュートの顔が近づいて来て、口付けされる。
「こんな味だったか?」
いたずらっ子のような顔でこちらを覗き込んだ。
「……どうだったかな?思い出すには、まだ足りないようだ」
そう言って誘うように視線を投げかければ、プロシュートはクスリと笑い、俺をソファへと押し倒す。
「愛してるぜ、俺のデスティナート」
「愛しているよ、俺のアンジェロ」
ぎしりと音を鳴らし、身体がソファに沈む。
再び、唇を重ね合わせる。より深く、何度も何度も。
そっと目を開けば、愛おしそうにこちらを見つめる真っ青な瞳が目と鼻の先にある。まるでいつかのようだなと、二人顔を見合わせて、笑った。