オオカバマダラの鳴くところ(無償DLサンプル) ハウンゼン356便が地球の軌道へ入り、大気圏へ突入しようとしていた。その周囲をサブフライトシステムに乗った三機のジェガンが護衛していた。月から来たその豪華シャトルに地球連邦政府要人が多く乗っていた。南米のマナウスで行われる国際会議に出るためだ。
一隻の貨物輸送船がその後方を航行し、距離を見計らいながら、護衛とシャトルの動向を監視し続けていた。
悠然とした地球が目の前に広がっていた。夜の砂漠に浮かぶ孤独なオアシスのように輝き、例え引力がなかったとしても惹かれるだろう。人を生み出した災厄の星は、無情に過去から未来へ向かって時を回していた。自らが生んだものによって朽ち果てても、沈黙し、いつか解放される時を待って、気高くあり続ける。
「出撃する前にロックを聞くなよ! 通信にギターのリフが入ってノイズかと思うだろ!」
「うっせえな! EDMよりマシだわ」
「もう黙れ。クラシックを聞く俺からしたらどっちも音楽じゃねえ。おい新人、準備できてるか」
「はい! 大丈夫です」
「今日は後方で見てるだけでいい。さあ出るぞ」
隊長が指示すると、三人は了解と声を揃え、ヘルメットのバイザーを下ろした。輸送船のカタパルトデッキのハッチが開き、四機は順に飛び立つ。機体を音符にして、スラスターの描く線がまばゆい楽譜を作っていた。隊長は新人に話しかけた。
「なあ新人、これが終わったら金が入る。お前の歓迎会をしよう。過去のないお前に思い出を作ってやる」
「わあ、嬉しいです! ありがとうございます!」
シャトルの進行方向とは逆にあった人工衛星の残骸を撃った。戦いの合図はフォルテシモだ。シャトル後方にいた一機が気づいた。こちらに向かってきたのを待ち構えて、ビームサーベルを振りかざし、サブフライトシステムごと機体を切断した。
あとの二機もこちらに気を取られると、護衛が手薄になった。その隙に、不気味な黒い機体がハウンゼンの上から重なり、卵を産みつけるように直方体の箱を残して去った。卵はすぐに孵化して、雇い主の集団が機内に放たれた。
先輩の機体はビームライフルの攻撃を両腕外側につけられた盾で防ぎながら、素早く敵の後ろへ回り込んで、サーベルでコックピットを串刺した。
もう一機のジェガンは隊長の機体に向かって、灼熱の雨を浴びせかけた。敵を中心にした球面上で、隊長はひらりと舞い、相手を翻弄した。ビームを無駄撃ちさせられ、業を煮やした敵がサーベルを抜き、真っ直ぐ向かってきた。盾を構え、切先がそれに当たる瞬間、隊長は身を外側へ少しだけずらすのと同時に、盾の角度を変えてサーベルを思い切り弾き飛ばした。踏み込み過ぎていたジェガンが前のめりになると、盾のすぐ脇から出た刃がその心臓を貫いた。護衛は塵と化し、通信にハウンゼンに乗り込んだ雇い主から連絡が入った。
「ハウンゼンを制圧した。あとは追っ手が来る前に向こうの要求する場所まで先導すればいい」
「意外と大したことなかったな」
「やった! パーティーだ!」
喜びの声が通信に届き、ハウンゼンの側に向かおうとした次の瞬間、味方の一機がミサイルで撃墜され、爆発音が轟いた。隊長が前世紀に流行ったロックバンドの名前を叫ぶと、モニターが捕捉した機体を拡大して見せた。
「死神が」
そのジェガンは足が速く、一気に二機へ距離を詰めながら、ビームライフルで頭を撃ち抜き、モニターを無効にした。通信に「計画は失敗した」と入り、隊長は叫んだ。
「撤退だ! 撤退しろ!」
ジェガンはサーベルを抜き、二機を嬲るように四肢を切断した。音楽性の違いで解散しとくべきだったなという悟りと、新人に逃げろという絶叫が機器を震わせた。
「先輩! 隊長!」
新人が助けようと近づく前に、弄ばれた二機は、火傷して体中に水膨れが広がるように爆散した。流れてきた隊長の手が新人の顔を撫で、その手に握られていたサーベルを掴むと、『ジーク・ジオン』『ジーク・ジオン』『ジーク・ジオン』と、祈りのような言葉を新人は繰り返した。銃口が向けられると、モノアイが躊躇うように鈍く点く。
殺意が棘となって目の前にほとばしると、新人は俊敏にかわした。クラスター弾が放たれると、大蛇が大きく口を開き、そこから細い蛇の群れが生まれ、食い潰そうと襲った。新人は盾を前にして、それらをサーベルで薙ぎ払っていく。炸裂した子爆弾の煙の中から飛び出すと、それを待ち受けていた敵は白刃を振りかぶったが、盾だけ真っ二つに割れる。その下から出たヒートホークがジェガンの両足を焼き切った。交差させた斧と剣が、敵の首元まで迫ったが、寸前で防がれ、稲妻が闇を砕くがごとく激突した。
「そんな寄せ集めのボロい機体でここまでやるとは、お前、何者なんだ」
敵のパイロットは聞いておきながら、そんなことはどうでもいいというようにサーベルに力を込め、三本の光が拮抗し、残像が回転する二機を包む。
「このテロリストが!」
敵がそう叫ぶと、新人はひるみ、その一瞬で、大きく突き放された。ビームが新人のコックピットを射抜こうとしたが、間一髪で避けた。体勢が崩れても整える余力はなく、地球の重力に捕まり、大気圏へ落下していく。スラスターの青い光は弱くなり、送り火を灯すように機体は燃え始めた。
「俺はっ―――」
新人は赤く霞む宇宙に向かって手を伸ばし、誰も聞いてくれない声を上げた。ヘルメット内で揺れて漂っていた水滴がバイザーに落ちて流れた。
熱帯雨林が広がり、滔々とした雄大なアマゾン川の曲線が晴れた空と陸の境界線まで続く。途中で激しいスコールに見舞われながら、マナウスの基地から軍の飛行機に一時間乗ると、目の細かいグリッド線が入った巨大な透明な球が森の中に現れた。球は傾いており、広葉樹に吸いつく露のようだった。地球連邦軍のかつての総司令部、ジャブローだ。
「俺もジャブローに来るのは初めてなんだ」
ケネスは窓の外を見ながら、横に座るハサウェイに話した。ケネスは軍服で、ハサウェイはフードのついた紺のウィンドブレーカー、カーキのカーゴパンツで、膝丈の長靴を履いていた。
「あのガラス玉の中は文化施設になる予定だ。アナハイムの広告塔だな。博物館や美術館が入る」
グリプス戦役時、ジオン残党狩りの特殊部隊ティターンズに、地下にあった核爆弾が爆破され壊滅した。しかし、宇宙世紀百年を過ぎて、軍とアナハイムの共同施設へと生まれ変わるのだ。ケネスはマフティー討伐が主な任務だが、ジャブローの計画にも関わっていた。飛行機はガラス玉の上空を旋回し、共用の滑走路に向けて高度を下げた。着陸し、飛行機から降りると、四駆車に乗って荒れた道を走った。道の周辺の地下は、要塞の廃墟がまだそのままにされていた。
「残留放射能は心配ない。森がここまで回復したのは、アナハイムの技術力のお陰だな」
車から降り、ジャングルへ入ると、二人は足元に張り巡らされた、たくましい樹木の根の起伏に気をつけた。湿気が顔にまとわりつく。背の高いヤシの木に見下ろされ、硬く鋭い葉に行く手を阻まれながら進む。どこからか猿や鳥の鳴き声が聞こえ、枝が揺れた。ハサウェイは植物を観察し始めた。葉を撫で、木の幹に触り、土をすくってみる。かぶれたり、病気に感染したりすることもあるので、作業用手袋をはめていた。人が住むのに最適化されたコロニーにはないことだ。心地良さはなく、拒絶さえ感じる。記録を取っていると、ひらひらと一羽の蝶が目の前に現れ、橙と黒と白の模様を見て驚いた。
「オオカバマダラ? 前世紀に絶滅したはずでは」
その蝶に導かれるように後をついていった。絶滅種の群れがいるのなら、どんなところで生息しているのか知りたかった。
「あんまり遠くへ行くなよ。迷うと大変だぞ」
ケネスが注意したが、ハサウェイは森の奥へ入っていった。蝶は大きな地下通路の中へ姿を消した。その中へ進むと、大部分の装甲が熱で溶け、損壊したモビルスーツがあった。見上げると、大きな穴があり、そこから光が差し込んでいた。
ハサウェイは警戒しながら、開いたハッチを覗き込んだが、誰もいなかった。遅れてきたケネスが訝しげな顔をした。
「何だ、そのモビルスーツは。うちのじゃないな」
「宇宙から落下してきたのかもな。随分古いザクか何かのようだが」
「ハウンゼンのテロリストの対応に追われて後回しにしていたが、ジャブローに機体らしきものが墜落したようだと報告は受けたな。調査しようとしたが、書類手続きに時間がかかっていると。アナハイムと一緒になってからというもの、そればかりだ」
ケネスが外観を見回してから、開いたハッチを覗き込もうとしたとき、後ろから「何をしている。近寄るな」と聞こえ、短髪で前髪をピンク色にした一人の青年が銃をこちらに向けていた。ジオン系の組織のものによく似たパイロットスーツを着ていたが、具体的な所属や階級は分からなかった。そのスーツは継接ぎだらけで、あちこちテープで補修されていた。
「それから離れろ」
ケネスが納得した笑みを浮かべ、自分に銃を向ける相手に話しかけた。
「そういうことか。帰投したパイロットが最後の一機だけ苦戦したと話していたよ。記録映像を見たが、ベテランにあそこまで迫るのは大したもんだ。大気圏で消えたかと思ったが、上手くやったようだな」
「離れろといっている。さもなくば撃つ」
「撃てばいいさ。マフティーとして処刑場へ送ってやろう。お前らのせいでこっちは三機失ったぞ」
「おい、大佐、どうするつもりなんだ。刺激しない方が」
ハサウェイは青年を視界の端に入れ、目を合わせないようにした。ケネスは心配ないと呟いた。
「取引しないか。マフティーについて話し、こちらに手を貸すなら、お前を面倒見よう。おそらくまともなものなんか食ってないはずだ。飲料水も底をついてるだろう。一番近い街まで五百キロはある。このモビルスーツでは動けまい。どうする?」
ハサウェイは緊張した。一切面識のないこの青年は、マフティーとどう関係しているのか。ハイジャック犯の仲間ならば、油断はできない。しかし、銃身が震え、銃口が下を向いている。青年はしばらく沈黙した後、恐る恐る話し出した。
「俺を逮捕はしないのか」
「お前次第だ。お前がいい子にするのなら、自由にしたっていい」
青年は銃をゆっくり下ろした。その動きが焦りに駆られて急変しないかどうか、ハサウェイは息を飲む。
「取引成立だな」
ケネスは青年に近づき、銃をあっけなく取り上げると、慣れた手つきでさっと手錠をかけた。青年は驚き、ケネスに食ってかかった。
「話が違うぞ」
「一時的な拘束さ。逮捕じゃない」
「約束を守る気はあるのか」
「逆に聞きたいな。なぜ約束を守られる立場だと思っているんだ? 自分がテロリストなのを忘れたか」
青年は途端に大人しくなった。現実の重さに勝てずに、手錠につながれた両手首を力なく下げた。
夕日に染まる空の中、飛行機はマナウスへ立った。青年は頭から布をかぶされ、顔もパイロットスーツも見えないように座り、兵士に囲まれていた。施設に間違って入り込んだ民間人だとケネスは部下に説明し、暴れた場合は射殺許可を出していた。
「どうするつもりなんだ、あいつ」
ハサウェイは頭を深く下げた青年を見ながら、ケネスを含めた周囲の動向を探った。
「マフティーをおびき出すのに使うつもりさ」
「おびき出せるほどの立場には見えないが。どちらかといえば、使い捨ての末端だろう」
「しばらく様子を見て、向こうが動かないようなら、監獄送りだ。テロに加担していたのは間違いないからな」
青年の身がどうなろうと関係ないが、連邦のスパイになるようなら黙ってはいられない。何も見えないその顔を、ケネスに悟られないよう睨んでいた。
ガラス玉は巨大なスクリーンとなり、暗くなり始めた辺りを背景にして、燦然と輝いた。「ウェルカム・トゥ・ジャブロー 命ココから キラめく 新しく アナハイム・エレクトロニクス」という宣伝が流れた後、「ハッピー・バースデー!」と飾り文字が描かれ、クラッカーを鳴らすアニメーションが流れ、知らない誰かを祝っていた。