デイドリーム・ビリーバー(サンプル)「居住許可証を見せろ」
ケネスが威圧した。軍服を着た部下が一人の青年に銃を向けていた。その青年は恐る恐る両手を上げた。画像が荒い監視カメラ越しに見ていたよりも、端正な顔だった。薄褐色の肌とピンク色の前髪に映える青い瞳がこちらを睨む。身体が妙に焦った。緩みそうになった態度を厳しく立て直し、もう一度居住許可証を見せろと怒鳴った。昼前で、じわじわと気温が上昇していた。もう十分暑く、まとわりつく湿気に苛立ちが増した。
「そんなものは持ってない」
声を低くして落ち着こうとしているが、語尾に震えがにじみ出た。
ダバオの市街地で、近くの店先にひっかけていたラジカセのボリュームを誰かが調節したのか、キーンと鼓膜を突き刺す音が辺りに響いた。その一瞬の隙をつき、青年は逃げた。ケネスは大声を張り上げた。
「追え! 逃すな! マフティーに違いないんだからな!」
すぐに捕まると思ったが、持久力があり、いつまでも逃げるスピードが落ちない。スラム街に入ったところで発砲した。周囲から叫び声が上がった。身体能力が末端の兵士よりは上だったようだ。ようやく誰もいない狭い路地裏に追い込んだと思ったら、待ち伏せされていた。青年は体格が大きく、パワーがあり、しかも機敏だった。急に目の前に迫られた兵士はひるみ、持っていたマシンガンを押えられ、銃口を下に向けさせられた。マシンガンをスリングで肩に掛けていたため、兵士は身体を引っ張られ、前につんのめった。青年はそこに長い足で蹴りを入れて、壁に叩きつけ、ケネスに向かって銃を向けた。そのハンドガンは呻いている兵士の腰から抜き取ったものだ。「速い」とケネスは舌を巻く。一人で形勢逆転した。
しかし、そこからがダメだった。勝つ気がない。
「軍人になれなかった人間の集まりだな。マフティーってのは」
ケネスは馬用鞭を軽く遊ばせながら、青年に近づいた。息が荒く、引き金に掛けられた指は、引かなくていい理由を探し続けている。ケネスは鞭でその美しい顔の耳から唇まで、輪郭を撫でた。銃身が小刻みに揺れた。
「やめておけ。罪を作るな。悪いようにはしない」
ケネスは優しく語りながら、青年の手首を撫でると、強く握り、骨を折る寸前まで力を込めた。悲鳴が上がり、銃が落ちた。
「連れて行け! 徹底的に調べ上げるぞ!」
公的記録は何も出てこなかった。案の定、地球居住許可証も持っていなかった。この世界に生まれたことがない人間のようだった。連行時に名前を問うと、ボブと名乗ったが、取調室で偽名だと白状した。本名と所属を聞くと、支離滅裂だ。嘘をつくにしても、こちらが何かこじつけられるものにして欲しい。病院から逃げてきた可能性を疑い、関連の病院の患者情報を調べてみたが、それらしい人物は確認できなかった。不思議なのは、妄想に取り憑かれているようには見えなかったことだ。論理的に、冷静に、狂っているのだった。
「全くすごいものだな、マフティーというやつは。過去をこんなに”きれい”にできるとは。どんな手を使ったんだ?」
「だから、そのマフティーって何ですか。俺、そんな名前聞いたこともないし、関わったこともない」
「お前がハサウェイと接触していたことは、市内の監視カメラから明らかだ。ハサウェイがマフティーである線が濃い。随分長く一緒に過ごしていたな。何を計画してた?」
「何も計画してません。ハサウェイさんとお話はしましたけど、大したことじゃないです」
「タイトルが同じであるだけで全く別作品の映画」の話をしているようだった。かみ合わない。それら映画の登場人物を演じている共通の俳優が、ハサウェイ・ノアだった。
「何を話した?」
「……小さなことです。ペンギンの話とか……」
「ペンギン?」
黒いパーカーを着て、俯く姿にはまだ幼さが残る。容赦せず力技を使って問い詰めようとすると、少佐が取調室の扉を開けて、手招きした。ケネスは奥に引っ込むと、天井につけられた監視カメラの映像を見ながら、退官間際の顧問役の少佐に叫んだ。
「奴は絶対にマフティーの一味です。落として見せますよ」
「いや、逆だよ、ケネス大佐。釈放だ」
のらりくらりと意外な返答をされ、ケネスは呆気にとられた。
「なぜですか? ハサウェイ……マフティーと関わっているのは確かなんです」
「君は、あの青年が居住許可証を持ってないと検挙して、ここまで引っ張ってきたらしいが、何をしているのか理解できているかね。君が早く手柄を立てたいのは分かるが、不法滞在者の摘発は我々の任務ではないし、別件逮捕にあたる。ハンドリーが黙ってないぞ」
「何を今更。散々使ってきた手じゃないですか。マフティーを捕まえれば、そんな小さいこと問題じゃないですよ」
「証拠はあるのか? ハサウェイ・ノアは、あのブライト・ノア大佐の息子だ。しかも、ハサウェイは先日のマフティーの空襲に巻き込まれている。他の部隊との摩擦を作る気なのか」
さすが軍に長くいるだけの年寄男だった。自分よりも若く、早く出世されたので、嫉妬で邪魔するのだろう。責任逃れのためにはモビルスーツよりも早く動く。今回の逮捕も少佐には事後報告で済ませる予定だった。
ケネスは大きなため息をつき、もう一度、手錠につながれ、濡れた仔犬のような青年を映像で見た。
「ケネス君、彼が本当にマフティーの一員ならば、宇宙に早急に送るべきだと思うよ」
「なぜそう思われるのですか」
「穴が開いた服、疲れ切って、怯えた顔。過去が何もない。別に珍しくないじゃないか。そんな子供が世界中にどれだけいるか。マフティーは身寄りのない子供を引き入れて、捨て駒にする極悪非道な組織だとマスコミに伝えるんだ。わが軍はテロ組織から彼を保護し、手厚く宇宙の自立支援施設へ送り届けたと。先日の空襲で世論は変わってきたが、まだマフティーを正義だと思っている。ここで一気に流れを変えろ。子供絡みなら生理的嫌悪感を持つ人間も多い」
「具体的にどこに送るんですか? その後は?」
「フォン・ブラウンだ。監視をつけて、基本的な衣食住は保障するんだ」
「もしも、彼がマフティーと接触したら?」
「そのときは、誰かが『処置』するだろう。ダバオでないのなら、我々の管轄外だ」
少佐はモニターに映る相手に慈愛に満ちた目線を向け、理解ある態度を取りながら、無責任という冷酷さで、そこにいた部下を寒くさせた。一年戦争で負った傷がそのまま深い皺になった白髪の温和な顔だった。
ここにはもう留めておけなかった。前のめりになり過ぎたのも否めない。他人を説得できる証拠もないまま感情的に動く司令官と思われるのは避けたかった。しかし、自分は正しいと、軍人の勘が教えていた。
ケネスは取調室に入った。
「本当に何も知らないんだな」
「本当に何も知りません」
「釈放だ、ボブ」
相手を立たせ、足枷は外した。取調室から出す。
「この手錠はいつ外してくれるんですか」
「シャトルに乗って地球の外へ出るまでだ。お前を月の都に送るよ」
手続きをし、書類にサインをさせた。文字は書けるようだった。ケネスはボブと軍用車の後部座席に乗った。車が走り始め、広い軍の施設を出て、ダバオ市街に入っていく。
「海側のコテージへ。先日まで女性が一人いたところと同じだ」
「しかし大佐」
「俺がそうしろといったら、そうするんだ。あの年寄には『地球の外へ出て手錠を外した途端、暴れたため射殺した』と報告しろ。なあに、どうせ興味ないさ。引退まで逃げ切れればそれでいいんだからな。あんな軍人にはなりたくないもんだ」
ボブは引きつった顔をしてケネスを見つめていた。
「大丈夫さ。お前には何も残らない。そもそも記録に残せる場所がないからな」
「じゃあ、俺はどうなるんですか」
ケネスは鼻で笑うと、ボブの顎を軽く掴んで上げた。髪、顔、首筋まで舐めるように見て品定めをした。
「しばらく楽しめるな」
青く揺れる瞳を覗き込むと、ケネスはボブの唇に自分のそれを近づけて、喉を鳴らした。