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    oooosatou3

    @oooosatou3

    好き勝手

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    oooosatou3

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    ゲゲちゃんの話かけました

    ゲゲちゃん
    【お疲れ様です。山田です。新作が数点完成いたしましたので、小物のチェック、修正とモデル業務を依頼します。全て合わせて半日程度お時間いただけたらと思います。報酬も前回と同様──】
     

     淡々と綴られた仕事の依頼を携帯端末で確認するようになるとは、自分も随分俗世に慣れたものだなぁ。そんなことを思いながら鬼太郎は端末をちゃぶ台に伏せた。ひがな一日、父親とごろごろ床に転がっていたから窓から見える景色はすっかり夕暮れに染まっている。現在の棲家に定めているのは珍しく高層のマンション、その7階だ。昔から平屋か、良くて二階建てのアパートに住んでいた父子にとって高層から見える景色は未だに物珍しい。住む人間住む人間、その殆ど全てが飛び降りては死んでいる事故物件は令和とは思えぬ程の格安家賃で貸しに出されていたが、鬼太郎たちにとってはなんということもない、ただのサービスのようなものである。飛び降りを誘う幽霊も今では父の茶飲み友達となっている。
     窓からの景色を特に気に入っているのは、父だ。彼は住み始めて数年経った今も、朝焼けや夕暮れ、星空や雨模様、様々な天候をベランダから眺めてはうっとりと酒を飲んでいる。鬼太郎はそんな父の姿をまだまだ見ていたい、せめて怪しまれるまであと10年程……と考えているのだが、それには困ったことがひとつだけ。
     確かに事故物件の家賃は格安だ。しかし時代は令和である。格安の感覚が違うのだ。人間が支払うべき税やなんやかんや、その辺りはまだどうにか誤魔化せている。ただ、家賃に関してはそうもいかない。加えて現在居を構えているこのマンションは地方都市に位置しているから、何せ物価が高い。様々な伝手を頼ってアルバイトに勤しんではいるものの、満足に暮らせているかというとそうもいかないのが現状だ。父子は、いつも困窮していた。

     そんな生活の救いになったのが、先程鬼太郎のスマートフォンに連絡を入れた相手。山田という人物だった。
     基本的に人間社会に紛れながらも深く関わる事のない父子と山田を繋いだのは、いつもの如くねずみ男だった。残飯を漁っては路地裏で眠っているくせにふと気付けば怪しいビジネスで一儲けして豪遊し、最後にはまた無一文で残飯を漁るという生き方は昭和の頃から変わらない彼のスタンスだ。そんなねずみ男が『貧乏おやじに丁度いい仕事を恵んでやる』と紹介してきた仕事。それが山田という人物が展開する商品の【新作】の【チェック】ならびに【モデル業務】なのである。



    「父さん、山田さんから連絡がきましたよ」
    「おお、山田か!忙しい男じゃのう、ついこの間新作を撮ったばかりじゃというのに」
    「父さんと仕事をするようになってから、創作意欲に溢れているとかこの間言ってましたからね。そろそろ夏ですし、水着とかですかね」
    「ふむ……うむ、うん」
    「父さんに似合う色だといいなあ。ビキニかワンピースか、僕は結構大胆なハイレグとかも好きなんですけど、父さんにはちょっと可愛らしいフリルのついたものの方が似合いそうだなあ」
    「鬼太郎、お前、語彙が増えたのう……」

     居心地が良いからと髪の中に入り込んでいた父がわざわざ外に這い出して、器用に目玉で顰め面を作って見せる。鬼太郎はそれに笑って返し、着々と増えていく小さな衣装を収めたクッキー缶を取り出した。

    「せっかくだし、着てくださいよ。どれにします?夜だしちょっとえっちなやつにしようかな。ベビードールとかどうです?」
    「なんで家で迄着ねばならんのじゃ!あれは仕事じゃから着るのであってだな」
    「まあそう言わずに。下着も出しちゃおう、紐のやつ」
    「やめなさい鬼太郎や、衣装はまだしも下着は。汚したのを洗うのがどれだけ恥ずかしいか」
    「汚す気なんだあ」
    「くう……」

     真っ赤になった父がぽかりと殴りつけてくるのをあやしながら、鬼太郎は片手で小さな下着を缶の中から摘まみ上げた。小指の爪ほどしかないような小さな布だというのに、その意匠は驚くほど細かい。縫い付けられたレースの襞の部分など、目を凝らしても見えないほどだ。山田という男は本当に変態的だ。無論、良い意味で、である。


     彼の作る衣装はその繊細さやデザイン性の高さからかなり高額で販売されているが、評価も高くそれなりに商売として成り立っているそうだ。鬼太郎自身は世俗のことは知らないが、ねずみ男曰く「なんだかんだそれだけで食えている」のは相当であるらしい。山田の作品は人間の商品でいうところのハイブランド、のような扱いになっているそうだ。それ故にねずみ男は彼に目を付けたのだろう。
     ねずみ男から父に持ちかけられたのは衣装制作のアシスタント業務だった。父があの小さな身体で器用に繕い物をこなすのは鬼太郎も良く知るところだ。当初ねずみ男は顔が広く統率力もある父をリーダーとして身体の小さな妖怪たちを働かせ、山田の衣装ブランド事業を拡大し金を儲ける算段をしていたようだったが、当の山田がそれを望まなかった為その目論見はすぐに潰えた。自らの手で拘り抜いてこそ良い作品が作れるのだ、と熱弁する山田の話をねずみ男と一緒に半分意識を失いかけながら聞いていた鬼太郎であったが、一緒に居た父は山田の弁にいたく感動したらしい。ドール用の衣装の細かい縫製をまじまじと眺め、父は山田は良い職人じゃと褒めそやしたのだった。しかし、この辺りの縫い付けはどうしても人間の手では大雑把になってしまうのう、貸してみなさい、少し直してみよう、と言って父は小さなポケットを縫い直した。結果、山田は殆ど土下座でもしかねない勢いで「私に力を貸してください」と父に言ったのだった。大量生産をするつもりはないが、制作した衣装の細かい部分のチェックや手直しを父に任せたい、そうすればもっともっと良い衣装が作れる筈だから、と。
     それから、と当時の山田は言葉を続けた。目玉おやじ先生に、もうひとつ、仕事をお願いしたい——。

     そうして、父は変態的情熱を持つドール衣装デザイナー兼製作者、山田の展開するブランドの専属モデルとなったのだった。

     鬼太郎はサンプルとして譲り受けたいくつかの衣装を父にあてがい、山田の熱の入った演説を思い出す。
     ドール衣装のモデルとして父がどれほど優れていて、個性的で、愛らしくも不気味で、魅力的なのか。目玉の姿の父が鬼太郎にとって他に替えのない魅力があるのはもはや疑いの余地すらない事実であるが、人間がそんな風に父の外見を評価したのは意外だった。現に山田が今までモデルとして起用していたドール達は、全て可愛らしい顔立ちと豊かな髪を持った少女の姿をしている。目玉に幼児のような肉体を持った父とは真逆と言ってもいい。しかし、確かに、と納得もしたのだ。
     鬼太郎にとっての父は物心ついた頃から変わらない、少し口煩くはあるが子煩悩で酒と煙草を嗜むようなよく居る昭和の父親である。父親、つまり男性だ。だから鬼太郎は父が妖力を取り戻し、人の姿になった時もなんの違和感も持たなかった。想像していたよりずっと美しい人だったなとは思ったけれど。
     ただ、確かに山田の言う通りでもあるのだ。目玉についた身体は丸々としていて柔らかく、筋肉の浮く場所は一切なく。いつでも丸裸なのに男性のシンボルが揺れる事もない。今の父は脚の間に小さな小さな切れ目があり、そこに可愛らしいモノがしまわれてはいるが──それを知っているのは散々舐めまわした鬼太郎だけで。
     つまり、父の身体に性別が判断できる材料はない。山田の愛する人形とほど近い姿をしているのだ。女性の服を着せて、可愛らしいポーズのひとつでもとればそれはもう、女の子のお人形、なのである。目玉おやじならぬ目玉娘だ。目玉でいいのか、とは思うが実際それなりに人気もでているのでいいのだろう。人間の性癖は千差万別──とは山田の談である。

    「まあ僕はこうして父さんに可愛い服を着せて、恥ずかしがる姿を見られて、ついでにいやらしいこともできているので大変満足なんですけど」
    「父親としてはいい歳した倅が人形遊びなど大変情けないぞ……」
    「今どき性別でどうのこうのなんか流行りませんョォ」
    「ああ言えばこう言う、誰に似たのやらわからんわい、ふぅ」

     こんな風に言いながらも、父も鬼太郎が小さな下着を自分に履かせるのを手伝っているのだから同罪である。よじれたレースを直す仕草も手慣れたものだ。少女趣味の上下揃いの下着を着せたら、次は丈の短いフレンチメイド用の黒いワンピース。背中のマジックテープを留めて、フリルのついたエプロンを着せて完成だ。腰のリボンを後ろ手に結ぶ姿に、鬼太郎の頬が緩む。だって可愛いのだ。

    「山田も衣装がこんな風に使われるとは思っておらんのではないかのう」
    「どうでしょうねえ、薄々察してそうではありますけど」

     メイド衣装の父を手のひらの上に乗せて、横から下から眺めながら鬼太郎は答えた。山田は寛容な男だから、ふたりがこんな風に遊んでいても何も言わないのではないだろうか。寛容、というよりおそらく興味がないのだろうけれど。

    「ぱんつ脱がせていいですか父さん」
    「今履いたばかりじゃ!」
    「脱がせるために履かせたのに?というか父さんがもうびっしょり濡らしてるのに?」

     顔を赤らめた父が自然と内股になるのに、鬼太郎は笑ってしまった。足の裏まで濡らしてるくせに。本当に助平なのは、絶対に父さんの方でしょ?とは、一応、言わないようにした。






     半月ぶりに訪れた山田のアパートは相変わらず雑然としていた。作品に使用される布類や小物だけは綺麗に整頓されているが、その他は散らかし放題といった様相だ。聞けば即売会が近いのだという。

    「基本はネット販売ですけど、即売会なら実物を見てもらえますからね。皆さんの連れている子たちにあてがってもらえたら八割売れます、可愛いですから」
    「そんなもんですか」
    「そんなもんです」

     山田はどこか誇らしげに語る。目の下には大層濃い隈がこびりついているのに、眼球だけはギラギラと輝いている姿は少しばかり気味悪い。本人が楽しいのなら、と鬼太郎は口を噤んだ。

    「山田よ、これを見よ!」

     人間ってやっぱり不思議だ、と遠い目をする鬼太郎の髪から飛び出した父が背負っていた小さな包を広げた。キラリと光るそれを山田はしばらく見つめてからルーペを取り出した。改めて拡大して眺め、ああ!と声を上げる。

    「針ですか!」
    「そうじゃ、知り合いの妖怪が繕いものをするならとわしにも扱い易いものを作ってくれてのう。人の扱う糸を通す故少しばかり太さはあるが、山田の針を借り受けるよりよっぽど使いやすいのじゃ!」
    「可愛い!可愛いですね、先生!」
    「うむ、これで百人力じゃよ」

     小さいとはいえ自身の腕程はある長さの針を掲げ、眼球だけでも誇らしげな表情で頬を赤らめる父は確かに可愛らしい、と鬼太郎は心の中だけで同意した。声に出さなかったのは、山田が可愛いと称したのは父ではなく手に持っている針だとわかっているからだ。山田は少女趣味全開の衣装に身を包んだ《ゲゲちゃん》の事は本心から可愛い、愛しいと思っているようだが、その本体である目玉おやじのことはなんとも思っていない。先生、と呼び慕うがそれ以上の感情は一切抱かないという不思議な性質を持つ人物だ。近くも遠くもない距離感を持つこの男は、鬼太郎にとって実はかなり貴重な存在だった。ただでさえ父は其処此処で人間を狂わせるので。

    「して山田よ、新しい衣装は?」
    「こちらです先生!今回は夏のイベントなので夏らしく、つるぺたに似合うタイプのフリルビキニと少し大人っぽいオーガンジー素材のワンピース、これには色に合わせたセットの下着が透けるデザインになってます。あとは先生に着てもらうには少し珍しいですが、マリンルックのセットアップは膝丈のパンツスタイルにしてみました。こちらが先生に合わせたサイズ、同じイメージのデザインでもう少し大きな子に合わせたものを3サイズほど製作する予定です」
    「フ……?オー?……きたろぅ、全然わからんぞ」
    「あー、ふりふりのついたエロい水着と、エロ下着付きのスケスケ服と、エロくない水兵さんの服です」
    「流石じゃ!鬼太郎!」
    「イエイエ」

     父子のズレた会話にもニコニコと相槌を打つ山田が、では先生さっそく細かい部分を見ていただいても良いですかと声をかけた。びよん、と跳躍した父が作業机に飛び乗り、2人して小さな衣装を眺めはじめるのを見届け、鬼太郎はさて、と辺りを見回した。

    「じゃあ僕は少し出てきますね、山田さん、何か買ってきましょうか?」
    「すみません、毎度鬼太郎さんにもお手数をおかけして……お金は出しますので昼食になるものを何か買ってきていただいてもいいですか?」
    「わかりました、適当に見てきます」
    「気をつけて行くんじゃよ鬼太郎」
    「はい父さん。じゃあ山田さん、父さんをよろしく」

     渡された万札をポケットに入れ、鬼太郎は山田の部屋を後にする。近所にコンビニがあるから買い物はそこでするとして、あとはまだ開店していないが居酒屋の軒下にはまだスタンド灰皿が置いてある筈だからそこで一服して時間を潰すのが良いだろう。少し昔は携帯灰皿さえ持っていれば歩き煙草も自由だったが今はどこもかしこも禁煙モードだ。喫煙所以外で吸おうものなら何を言われるかわかったものではない。生きづらい世の中である。
     亡き養父が好んでいた煙草を、父も鬼太郎もまだ吸っている。拘りがないからそうなるのか、何か思い出を一緒に取り込んでいるのか未だに鬼太郎にはわからないが、なんとなく種類を変える気にはならなかった。
     目当てのスタンド灰皿に辿り着いた鬼太郎は甘く重い煙を深く肺に取り込み、父の事を考える。最近の父は山田との出会いもあって、毎日楽しそうにしている。長く2人でいて、おそらく父も、鬼太郎も変容してしまった。だから誰かを交えて過ごすこんな日々は、実は久しぶりだ。
     
     父が好きだ。愛している。多分生まれた時からそうで、死ぬ時までそうなのだと思う。妖怪だろうが幽霊だろうが血を分けた親子で同性で、なんなら体格差もこれだけあって。普通じゃないのはわかっている。けれど、それでも愛しているのだ。
     父がどんな気持ちで鬼太郎の想いに応えたのか、鬼太郎には分からない。ただ、鬼太郎が生まれた時に父が違う気持ちでいたのは確かだ。
     それでも。父は今、鬼太郎のものだ。過去のことはどうにもならないけれど、今、それから未来はずっと、ずっと、2人が朽ち果てるまでずっと。2人きりで、ずっと。
     
     父が山田を気に入っているのは見ていればわかる。彼が人間だからだ。短い命を燃やし、懸命に生きる人間だからだ。鬼太郎とて彼の事は好ましい人物だと思っているが、父のそれは違った。山田の向こうにあの人を見ている。父の愛したあの人のように、鬼太郎が山田を好ましく思えばよい、と本気で思っているのだ。勘弁してくれ、変態趣味の中年男性をあの人のように思うなんて、父があの人を愛し慈しんだように山田と過ごすなんてごめんだ。鬼太郎の心からの想いに、父は気付かない。

     あの人は、あの人でしかない。もうあの人は現れないのだ。鬼太郎のたったひとりの、人間。父の愛した人間。父を変えてしまった人。
     いつだって鬼太郎の心の中にはあの人がいる。暖かくて優しくて、不器用で、正しくて、たったひとりの人間。お父さん。
     鬼太郎は彼になれず、父も彼になれず、もちろん山田も彼になれない。誰ひとり彼になれない。だから鬼太郎と父はこれからずっとふたりきりだ。けれど、父はずっとあの人を待っている。自分を変えた人間が再び現れ、息子を愛するのを待っている。自分があの人にそうされたように。
     ふたりきりになってから、たくさんの人間があの人の《候補》になった。人間を嫌っていた、など嘘だろうと鬼太郎が思う程父は人間に構う。出会い、触れ、交流し、信じ、裏切られ、そしてその結果父は人間を壊してしまう。あの人の候補にされた人間は自身の持つ限界量以上の何かを父に注がれ、壊れてしまうのだ。
     当たり前だ、だって父の注ぐそれはあの人のためのものだから。父もきっと気付いているのに、まだ諦めきれないらしい。
     父をそんな風に変えてしまったのは、あの人だった。
     全部お父さんのせい。
     でも、父が鬼太郎をこうして愛してくれているのも、あの人が父をそう変えてくれたから。
     全部お父さんのおかげ。
     ごめんなさい、お父さん、ほんと勘弁して。

     短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、ふとすぐ近くに人がいることに気がついた。顔をあげると、スーツ姿の男。少し驚く程に痩せていて、背が高い。着ているスーツはかなり拠れて皺塗れになっている。男はスマホの画面を見ながら煙草の箱を取り出した。

    「……またブロックだ」
    「……?」
    「なんで……でも、仕方ない、仕方ない……だってそれなら……仕方ない……」

     ブツブツと呟きながら男は乱暴な仕草で煙草に火をつける。なんとなくそれを見つめながら鬼太郎も2本目を咥えた。男は噛み砕かんばかりに煙草に歯を立て、その奥でまだ何か呟いているようで喉の方から唸り声のようなものが漏れていた。相当追い詰められていて、背中にどす黒い影を背負っていた。妖怪や霊が取り憑いている様子はないから、純粋に本人が何か背負い込んでいるだけらしい。

     (人間は大変だなあ)

     やっと先客である鬼太郎に気付いた男は、咄嗟に取り繕う様に笑う。それに応えてヘラリと笑い、大変そうですねとでも声をかけるべきか少し考え──鬼太郎は沈黙を選んだ。他人に優しくする心は持っておくべきだが、必要以上には関わるべからず。妖怪関連でないのなら尚更。これは養父の教えである。
     男はすぐに目を逸らし、スマートフォンを指先で叩く。誰かにメールでも打っているのだろう。そしてまだ長い煙草をぐちゃぐちゃと灰皿に押し付け、今度はこちらを見向きせずに去っていった。
     さて。と鬼太郎は自らのスマートフォンで時間を確認する。午前11時35分。山田と父はまだまだ仕事に邁進するのだろうから、昼休憩はもうしばらく後になる。コンビニに寄るのはやめて、少し足を伸ばして駅前の本屋かパチンコ屋にでも行こう。帰りに弁当と甘味でも買っていけばちょっとばかりの寄り道は許される筈だ。
     煙草の火を消して、ゆっくりと歩き出す。草臥れたスニーカーがカランと音を立てる妄想をして、鬼太郎は少し笑った。





    「やっぱり先生の縫製は丁寧だなあ!最初はレースの縫い付けなんて、と仰ってましたけど今やこの素晴らしい出来、流石です!」
    「そんなに褒められると照れるのう。鬼太郎は可愛いですやら似合いますやらは良く言うが、渾身の作を見せてもハァやらヘェやら言うだけじゃから、やり甲斐がなくての」
    「まあ拘る方が狂ってる、みたいな世界ですからね。先生が衣装を着ている姿が好きと言ってくれるなら、それは充分嬉しいことですよ」

     ルーペを覗き込みながら早口で語る山田に、鬼太郎の父親は衣装を試着しながら答える。下着だろうが水着だろうが、男同士で照れることなどなにもないと淡々とこなす姿も慣れたものだ。

     「先生は、鬼太郎さんを本当に愛しておられるんですね」
    「そりゃあ父じゃからのう、あの子の為にこうして目玉だけになっても生き長らえるくらいには愛しておるよ。山田はどうじゃ?お主も年頃の男なら好いた女のひとりやふたりおらんのか」
    「いませんよ、いつか出会うのかもしれないけど、今は興味がありません。先生、今はあんまりそういうの言っちゃいけないんですよ」
    「鬼太郎にもよく言われるのう!気をつけてはおるんじゃが、ついの、すまぬ」
    「気にしてませんよ、本当に興味がないだけですし」

     鬼太郎の父親は、山田のこんなところが気に入っている。よく気がつき、優しい男だ。人形遊びの趣味もここまで極めれば職人として真っ当であるし、自分にはわからないイマドキの価値観とやらも鬼太郎と共有しているようだ。きっとこれからも鬼太郎のよき友となってくれる。友、というものは良い。大した力もない父親では与えられない、生きる為に必要な彩りを与え、与えてもらう存在だ。
     鬼太郎の父親にとっての最初の彩りは妻であった。彼女は何も知らず、何も信じず、人を嫌い妖怪をも遠ざけていたかつての自分に愛を与えた。彼女と出会い、世界が初めて色付いた。愛し愛され、信じ、関わり合うことで生まれる彩りを知った。しかし、彼女は去ってしまった。彼女を失い、また世界は色を失った。愛は、失われることを知った。
     妻を亡くし、次に世界に彩りを加えたのが鬼太郎であった。そしてそこに、彼もいたのだ。愛しいわが子と、かけがえのない友がゆっくりと世界に色をつけていく、あの切なくも愛しい数年のことを生涯忘れることはないだろう。
     
     友もまた、去った。しかし世界は色を失わなかった。それは、鬼太郎が傍にいてくれるからだけではなかった。友は想い出を残して去ったのだ。世界には友の残した彩りがそこかしこにある。そしてかつて失ったと思い込んだ、妻のもたらした彩りも、本当は残っていたのだ。想い出はいつまでも残る。彼らが去ってしまった後も。

     鬼太郎にもそう在ってほしい。
     たとえ友が去ってしまっても。
     たとえ自分が去ってしまっても。

     彩りは失われるものではないのだと、知ってほしい。長くふたりきりであったから、鬼太郎の世界にいるのは自分だけだと、父親だからわかっている。もし自分が、鬼太郎を残して去ってしまう時がきたら。
     そうしたら、息子の世界は。養父である友が残した彩りにさえ、気付けなくなってしまうかもしれない。
     父は、ずっとそれを恐れている。


    「山田よ」
    「はい、先生」
    「友はおるか?」
    「ううん、まあ少ないですが、いますよ。友達」
    「……大切にするんじゃぞ、友は、かけがえのないものだからの」

     山田は少し笑い、頷いた。

     目玉と中年、ふたりで小さな布切れをいじくり回しはじめて数時間、山田がぁ、と唸り、大きく伸びをした。随分長い間集中していたから目の疲れが限界に達したらしい。鬼太郎の父親も自分用の針を投げ出し、立ち上がる。凝り固まった全身がピキピキと音を立てる。

    「疲れましたね、先生。少し休憩しましょうよ」
    「ふぃー、腕がぱんぱんじゃわい。帰ったら鬼太郎に熱い風呂に入れてもらわねば」
    「お風呂入るんですね!本物の水着だったら着て撮影できるのになぁ」
    「風呂に水着?妙なことを言うの」

     軽口を叩きながら時計を見る。鬼太郎が出ていってからゆうに数時間、もう昼過ぎである。昼食を買いに行くだけでは時間は潰せないとパチンコ屋にでも寄っているのだろう。

    「お茶でも入れましょう、先生サイズの湯のみは用意できなかったんですが、ドール用の小さめのティーカップがあるのでそれに注ぎますよ」
    「すまんの、鬼太郎もそろそろ帰るじゃろうし……」

     言いかけた所で、部屋のインターフォンが音を鳴らす。山田が首を傾げた。

    「鬼太郎さん?鍵を渡したはずなんですが……荷物が多い、とかかな?少し見てきますね」
    「うむ?妙じゃな」

     山田の後ろ姿を見送りながら、ふと忘れかけた嫌な直感が脳内の花を揺らす感覚を覚え、思わず声を上げた。

    「待て山田!」
    「え?」

     追いかけて、ズボンを掴みよじ登ろうとする時にはもう山田はドアを開いていた。



     
    「ゲゲちゃんを、譲ってください」





     痩せぎすの、背の高い、皺塗れのスーツの男が山田の腕を掴む。咄嗟に山田が鬼太郎の父を掴んで後ろに投げる。振り向いた必死の顔が、逃げろ!と声を出さずに口を動かす。
     山田の影に隠された目玉は慌てて布切れの山に潜り込んだ。一体何が起きている。まだ鬼太郎の気配はない。

    「ど、どちらさまですか」
    「何回もDMしました、ゲゲちゃんを譲ってください、何回も。でも貴方、ゲゲちゃんを独り占めするためにずっとブロックして私とろくに会話もしなかったじゃないですか!」
    「あのDMの……!最初に言った通り、彼……彼女のオーナーは私ではないんです!知人の大切なドールをモデルにさせてもらってるだけだって!」
    「ではその知人に会わせてくださいよ、どうせ適当なことを言ってるだけでしょう!それに知人のドールなら私がオーナーになったって貴方は困らないじゃないですか、私が彼女のオーナーになって貴方は私のゲゲちゃんをモデルにするといい」
    「アンタもドール好きならそんな風にモノみたいにやり取りするような存在じゃないってわかるでしょう!」
    「関係ない!私は彼女が欲しいだけだ、彼女だけが、彼女の居る人生が欲しいだけだ!初めて彼女を見た時、私がどれだけ感動したかわかりますか、ずっと何も無かった世界に、彼女が色を与えてくれた!天使だと思いました、あんなに無垢で、愛らしく、この世のは楽園だとでも言わんばかりに幸せそうな、ねえ本当に困ってるんです、彼女がいなければもう死ぬしかない」
    「こっちが困るよ、警察呼びますからね!……あっ!」

     バタバタと揉み合うような音がしたかと思うと山田の短い悲鳴が聞こえる。続けてドサ、と重い音。山田の唸り声。慌てて布切れの山から飛び出すと、ワンルームの玄関口に山田が蹲っている背中が見える。
     男はゆっくりと山田を跨いで部屋の中に入り、鍵をかける。山田の背中に向かって、男が腕をふりあげた。その先にギラリと光るものが見えた。包丁だ。その先に赤黒いものが付着している。

    「や、山田!」

     思わず声を上げると、男は振り返った。

     目が、合う。


    「……ゲゲちゃん?」

     後退る。男は驚いたように目を見開き、足音を立てて近付いてくる。

    「ゲゲちゃん、ゲゲちゃん!!まさか、君、生きているのか、まさか本当に……?生きているような美しさだと思っていたけれど、本当に!」
    「寄るでない、人間よ」
    「そんな声なんだ、思ってたのと少し違うな、でも可愛いね、似合ってるよ……そうか、ゲゲちゃんは生きていたんだ。だからコイツは君を隠そうとしていたんだね、辛かったね、もう大丈夫だよ、私と一緒に行こう……ゲゲちゃん」
    「お主……山田を殺したのか?」
    「まだ息はあるよ、優しいね、ゲゲちゃん。でも大丈夫、ちゃんと殺すから、君を閉じ込める悪いヤツは私が殺すからね」
    「ならぬ!殺すなど、人間同士で愚かなことをするでない」
    「ああゲゲちゃん……君は人間じゃないんだね、本当に……」

     すぐ側まで近付いてきた男の手をすり抜け、山田の元へ駆け寄る。蹲る顔は真っ青になっていて、息も荒いが意識はある様だ。胸から腹にかけて血が着いているが、よく見れば刺したのではなく切り付けられたように傷がついていた。浅い。死ぬ様な怪我ではない。

    「山田!しっかりせい!立て、逃げるんじゃ」
    「せ、せんせい……僕はもうダメです死にます……」
    「アホか!どう見ても死なんわ、じゃがこのままへたりこんでおれば次は刺されるぞ!立て山田!」

    「ゲゲちゃん……どうして」
    「先生だけでも逃げてください……故郷の婚約者にすまないと伝えて……」
    「何を言っとるんじゃ貴様はー!ふざけとる場合か!」

     勝手に死ぬつもりになっている山田と言い争っていると、ふいに身体を掴まれる。目の前に現れる大きな顔。男はニタリと笑った。

    「つかまえた、ゲゲちゃん……こいつを殺したら一緒に帰ろうね、結婚式をしよう。ウエディングドレスを作ったんだ……見よう見まねだけど、君にきっと似合うよ……ああゲゲちゃん、あったかい、生きてるんだね……」 
    「ひぃー!」

     人間の姿の時であれば時折こんな言動をする者もいたが、目玉の姿でここまで執着されたことはない。暴れても大きな手の中ではどうしようもなく、されるがままになってしまう。たかだか人間に!こんな目に合わされる筋合いはない!そう思ってもこの身体では何もできない。悔しさが溢れ、ぼたりと涙が落ちた。

    「あ、」

     そうして、ふと気付く。

    「……あまりやりたくはないが仕方ないの」

     身体を掴んでいる男にそっと触れた。そして、小さく息を吐く──。








     鬼太郎が三千円と駄菓子、それから結局コンビニで買った弁当とパックに入った小さなイチゴを袋に下げて部屋に戻ろうとすると辺りが騒然としていた。パトカーが何台も止まっているし、近所の人々も集まっている。事件現場もかくやという状況に首を傾げていると、クイとズボンの裾を引く小さな力。

    「父さん」

     父は、無言で鬼太郎の身体をよじ登り、髪の中にするりと入り込んだ。そのまま髪伝いに移動し、左の瞼を小さな手でむんずと掴み開いて、ずぽんと眼孔に潜っていってしまう。中のベッドで丸まっているのを感じ、鬼太郎は首を傾げた。山田と喧嘩でもしたのだろうか。

     (まあ、いいか)

     父が何か言うまでこのままにしておこう。そう判断し、鬼太郎は喧騒に背を向けた。辺りのこの様子では山田の部屋には辿り着けそうにもないし、今日はこのまま父を連れて帰ろう。弁当は後で食べればいい。山田の金と思いコンビニで買ったイチゴだが、この機嫌ではサクランボではないからと拗ねられてしまうかもしれないが……まあ食べはするだろう。眼孔の底で父がぐずぐずと鼻を鳴らしているのを感じながら、鬼太郎は少し首を傾げ──駅に向かって歩き出したのであった。
     




    「山田のやつ、わしを見てウゲエという顔をしたのじゃ」

     アパートに戻ってしばらく。入った時と同じようにのそのそと眼孔から這い出してきた父は、そう言って頬を膨らませた。随分と子供っぽい仕草である。それにしても山田が父に向かってウゲエという顔をする状況、が上手く想像できず鬼太郎は無言で茶碗に湯を注いだ。

    「わしは山田を助けてやらねばと思って人の姿を取ったというに、あやつめ……」
    「え?人になったんですか?!山田の前で?!何故です?!僕のいない所で変わらないでくださいって言いましたよね?!」
    「そう怒ってくれるな、緊急事態だったんじゃよ。妙な奴が山田の部屋に入ってきてのう、ゲゲちゃんをお嫁さんにするなど喚いておったからわしのフアンだったんじゃろうな。連れていかれそうになってしまったのよ」
    「はぁ?そんな変態山田がなんとかすりゃいいでしょ人間同士なんだから。わざわざ父さんが人の姿になって、犯されでもしたらどうするつもりだったんですか」
    「されんわい!……あやつ、刃物を持っておったんじゃ、山田はまんまと刺され……てはおらんな、かすり傷を負わされたんじゃが、あやつすっかり怯えてしもうて。このままじゃと山田が殺されわしも連れ去られると思い、人の姿を取ったという訳じゃよ」
    「なるほど……それなら、まあ仕方ないのかな、僕が傍に居なかったのも悪かったですし。それで?犯人はどうなったんです?」

     茶碗の風呂にぽちゃんと浸かった父は、事も無げに言う。

    「わしのことが好きだと言うわりに、人になった途端泡を吹いて倒れおったわ」
    「ああ、なんだ。まあそうか、変わる時の父さんってほら、結構、アレですしね」
    「ふん、情けない奴よ。それにしても山田じゃよ!刃物男が倒れた故に介抱してやろうとするとな、山田、わしを見てウゲエという顔をしたんじゃ!それに、本当に男だデカイ最悪と……最悪と言ったんじゃ!あんなに仲良うしておったと言うのに!」
    「山田は目の姿の父さんを好きでしたからね……性別が分からないのが良いとも言ってましたし、なんだかんだ実は美少女とでも思っていたのかもしれないですね」

     変わってはいるが、山田も人間だなあと思いながら、鬼太郎はぷりぷりと怒れる父の背中を指先で洗ってやる。目の姿だろうが人の姿だろうが、こんなに愛しく美しいのに、勿体ない。
     その時、畳に放り出したままの鬼太郎スマートフォンがぶるりと震えた。妖怪仲間で同じようにこの箱を持つものは少ないし、おそらく山田だろうと思い鬼太郎は画面を確認する。

    「……山田さん、かすり傷で一晩だけ入院だそうです。警察に色々聞かれてるから、僕らのことはドールとそのオーナーと話してるって。父さんのこと心配してますよ」
    「ふん!」
    「とう、さんは、お怒りですよ……と。送っときました」
    「怒ってはおらん」
    「訂正、すねて、ます」
    「送らんでよい」

     それにしても。鬼太郎は父にばれないように小さくため息を吐いた。目玉から人に変わる姿を見られて少なからずショックを受けているなんて、やはりあの男のことを相当気に入っているらしい。普段の父であれば人間にどう思われようと気にもしないし、なんなら妖怪らしく怯える姿に笑って見せるだろうに。現に山田の部屋に押し入ってきた変態相手にはなんの感情も抱いていない。自分を求めて来た人間だというのに、全く興味もないのだろう。だが、鬼太郎からすれば山田に拒絶されて拗ねている方がよっぽど珍しいのだ。もしかして父は本当に山田に養父を重ねているのだろうか。それともひょっとして、山田に、あらぬ感情を……。

    「浮気したら絶対許しませんから」
    「へぁ?」
    「山田を連れてきて新しい養父さんじゃよとか言ったらいくら父さんでも絶対許さないし向こう500年は僕の中に入れて出しませんからね。僕の頭の中で父さんがどろどろに溶けて欠片もなくなるまでずっと犯し続けてやる……」
    「ひいー」



     それから。
    山田の怪我も大事なく、楽しみにしていたイベントも無事に参加する事ができた。文字通り血と汗の滲む事となった彼の作品は事件がインターネット上で話題となったこともあり過去最高の売り上げを叩き出したそうだ。テーブル上に話題のドール、ゲゲちゃんがモデルとして座っていたことも大きいだろう。山田はそのドールをまるで生きているかのように丁寧に、丁重に、そしてどことなく申し訳なさげに扱っていたのが印象的であったと後に山田のブランドのファンは語り合ったのだという。
     山田の部屋に侵入した男は、心を病んで数年後に自ら命を絶った。残された部屋には、手のひらサイズのドール用の衣装と大柄な男性用のドレスが飾られていたそうだ。
     
     山田の展開するドール衣装は細く長く、それなりにファンを増やしながら販売され続けた。彼が老眼で引退するまでの長い間。
     雑誌に取り上げられることもあり、彼の専属モデルであった“ゲゲちゃん”も長く彼の世界を彩り続けていた。彼が引退を決めた時、周りの人間にはゲゲちゃんを今後どうするのかと聞かれたが、山田は笑って「ゲゲちゃんは友人の恋人だから」と結局誰にもそのドールを譲ることはなかった。
     山田は、その数年後に老衰でその生涯を終えた。その誠実で優しい人柄や、彼の作品を愛する人間たちはその死をひどく悼んだ。
     彼は生涯独身であり、その頃には身寄りもなかったが、彼の葬儀の喪主は彼の友人だという青年が務めた。その傍らには、黒いドレスに身を包んだ手のひらサイズの小さなドールが座っていたのだという。山田の作である黒いヴェールに隠されたその顔が目玉だけであったかは、誰も知らない。
     
     


    『ゲゲちゃん』
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