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    sazanka_lake

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    sazanka_lake

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    全年齢

    記憶は秘色いろ 夕刻頃、鬼太郎がペタペタと歩いていると、古道具屋の店先で水木が店主と話し込んでいるのが見えた。その手に青い茶碗のようなものを持っているのを見て、鬼太郎は顔を歪ませた。
     □□なんだぁ、アイツ、また食器なんて買ってもらってるのか。
     南天柄の茶碗に杉材の椀、濃紺の箸。
     どれも水木が選んで、“ニセ鬼太郎”に与えた品だ。それだけでは無い。薄いが一揃えの寝具もどこからか借りてきたし、届くまでの間は毎夜自分の布団に彼も寝かせていた。
     その度に自分はチクリと文句を言い、水木と実父に嗜められていた。その間“ニセ鬼太郎”は、布団に潜り込んで知らんぷりだ。
     むしゃくしゃして、蛙の目玉でも食おうかと、河岸を探してみたが不漁だった。湿った足で下駄を履くのを厭い、手にブラブラと携えていると、水木を見掛けたのだ。
     いつものカランコロンという下駄の音が無いせいか、彼が鬼太郎に気づく様子はない。
     そのせいか、いつもより幾分穏やかな顔をしている。夕日の照り返しのせいか、地獄から帰ってからずっと青白かった顔も血色良く見え、鬼太郎はチェッと小さく舌打ちをした。
    □□なんだよ、あんな普通の人間みたいな顔をして!
     あんなふうに穏やかな顔をして、“ニセ鬼太郎”のような人間の子を育てて……。幽霊族という種族のことも、地獄とも縁遠いのが、水木にあるべき姿だ。
     なんとも面白くなくて、鬼太郎は無言でその場を後にした。そうして地獄に赴いて、その晩ねこやに帰ることはなかった。


     明朝、鬼太郎があくびをしながら襖を開けると、父がちゃぶ台の上に広げられた新聞を読んでいた。ただいま帰りました、と鬼太郎が挨拶すると、地獄に行ってきたのか、と返された。
    「一言残してから行きなさい。あんまり儂らを心配させるんじゃアないヨ」
    「……ハイ、わかりました」
     ツンと唇を尖らせていると、ふと父の近くにある見覚えの無い茶碗が目に入った。いつもの三色団子の描いてある、欠けた茶碗ではない。
     青磁の茶碗であった。
     ツルリとした、灰がかった青色の碗が朝日を浴びてぼうと光っているのがやけに眩しく、鬼太郎は目を瞬かせた。
    「なんですソレ」
     父に尋ねたその時、微かな床鳴りの音の後に襖が開いた。水木だ。身支度の途中なのか、濡れた前髪を額に垂らしている。彼は鬼太郎を認めると、いつものように養い子を諌める調子で「鬼太郎」と声を掛けた。
    「夜中出歩くなとは言わないが……親父さんをあまり困らせるなよ」
    「……」
     フン、と無視をした鬼太郎に、水木は言葉を重ねようと口を開きかけ、階下の柱時計がボンボンと八時を知らせる音に、慌てて窓の側に立て掛けた、くすんだ鏡に向かい髪を整え出した。
    「その茶碗」
     水木が鏡に向かって話し掛けた。鏡越しに鬼太郎に向かって声を掛けているのかもしれないが、鏡面の状態が悪いからか彼の視線を感じられない。
    「お前、その……新しい茶碗を欲しがってたろう」
    「エッ」
     いつもより丁寧に、前髪を弄りながら続ける。
    「彼の食器を拵えた時、随分文句を言っていたじゃないか。自分は欠けた茶碗を使っているのにと……あれも古物だが、悪くないだろう?」
     どうだったっけ。そんなやり取りをしていた事すら忘れていた。
     ようやく満足したのか、鏡から離れた水木が、上着を羽織って鞄を手に取り部屋を出た。廊下で立ち止まり、振り返った彼と目が合う。
     ねこやの煤けた廊下に立つ水木は、昨日の夕日に照らされた姿とまた違っていた。
     薄暗い場所に立っているせいか、彫りの深い顔立ちのせいか。目元の辺りは黒く影になり、頬も光の加減による錯覚かコケているようで不健康そうだ。顔色も悪く、この建物に薄く漂う黴臭さからか、生気が無く窶れているように見える。
     □□そうだ、これがこの男だ。
     穏やかに笑い、人間の家族を作って平穏に暮らすなんてとんでもない。幽霊族を恐れ、それでも離れられずに、顔を引き攣らせて側にいるのが水木という人間だ。
     地獄に落ちた時から、鬼太郎を育てると決心した時から……一番最初に、墓土から這い出た赤子を突き飛ばした時からそう決まっているのだ。
     昨日の不機嫌さはどこへやら。嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべ出した鬼太郎を気味悪がりながら、水木は鬼太郎に言った。
    「下の炊事場に麦飯と味噌汁を残してもらってるから……じゃあ、行ってくる。……“ニセ”の彼と、今日は喧嘩するんじゃないぞ」


     鬼太郎がその青磁の茶碗のことを思い出したのは、フラリと入ったラーメン屋のドンブリが、覚えのある青緑色をしていたからだ。漂白されたような色のLEDの灯りに照らされた、ツルリとした器を見ていると、ふと朝日の中にポツンと置かれた茶碗が脳裏を過ぎった。
     □□アァ、あの器は確か……
     ラーメンを啜りながら思い出す。結局暫くすると、困窮からコッペパンが主食になり、茶碗を使う機会も激減した。加えて水神の襲来で、ねこやも茶碗も跡形も無くなったはずだ。
     茶碗を与えた人物の顔も思い出せない。ただ古い鏡越しに、ぼんやりとけぶったように映る、こちらに向けられた眼差しが一瞬浮かんだ。浮かんだが、それだけだ。
     食べ終わって店に出て、側の喫煙所で煙草を吸い出した。夜空に掻き消える紫煙を見ながら、髪に隠れていた父と話し出す。父の茶碗が欠けていたので、話題は新しい茶碗の話になった。
     次は陶器製の茶碗が欲しいと言う彼の話に相槌を打っている内に、青磁の茶碗のことなど綺麗に忘れ、もう思い出すことはなかった。
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