この苦しみを一時でも忘れられるなら何でも良かった。
普通の人間なら飲むことのないだろう禍々しい量の錠剤をせっせとシートから取り出す。
手に取り出された15錠を見つめた後、それを飲み干した。正直、楽に死ねるなどという情報は阿呆の戯言だと思っていた。だが、それに頼るしかなくなってしまったのは、誰のせいか、分かるだろう?
さて、薬が効いてくるまでは、遺書でも書き遺しておこうか。
おもむろにペンと紙を取り出し、文章を考える。
こういうときに限って、書きたいことは出てこないものだ。それでも必死に考え文章を書き連ねた。
書いている途中で、ふと喉の乾きが気になった。
水でも飲みに行こうかと椅子から立ち上がると、体全体がくらりとし、床に倒れ込んでしまった。
その瞬間、いよいよか、と全てを察した。
とりあえず、まだ頑張れば立てる状態にはあるので、壁を伝いながらなんとかキッチンに辿り着き、水の入ったコップを入手することに成功した。
その場で飲み干すことを考えたが、どうやら体が液体を拒むらしく、飲み込もうとする度に喉から押し戻されてしまう。水だけ部屋に持っていこうと、また壁に手を寄せ、歩き始める。
いつもならスタスタと歩を進める長ったらしい廊下だが、今は地獄の様に長く感じる。
そのとき、ようやく自室のドアを見つけた。
喜びに浸っていたそのとき、手に持っていたコップが激しい音を立て、落ちてしまった。
そのときに初めて、自分の体に起きている異常を見つめ直した。
耳の奥にあの硝子の割れる甲高い音が響いて五月蝿い。その所為か、密かにドクドクと囁いていた頭痛が更に酷くなり、割れるように痛い。吐き気もさっきより増して喉の奥で渦巻く。
もう自分にはどうしようもなく、ただただ地面にへたり込み、体の異常と向き合うしかなかった。
そのとき、聞き慣れたヒールのコツコツとした音が廊下の奥から聞こえてきて、それは段々とこちらへ近付いてきた。
Poe side
書斎で小説を書いていると、奥から硝子の割れるような音がした。
何かと思って急いで音のした方へ駆け寄ると、そこには液体の入っていたであろう割れたコップの破片と、そこに縮こまりながらヘタリと座る虫太郎くんの姿があった。
どうしたのかと聞いてみても、返事がない。
目線を合わせるように屈めると、息を荒くしながら泣いていることに気が付いた。
何があったのかさっぱりだが、とりあえず部屋のベッドで寝かせようと思い、肩に腕を回し、ふらつく足取りで部屋へ送る。
ドアを開いて初めに目に入ったのは、机の上に置かれたペンと紙。その次に入ったのは薬の箱と何個か穴の空いた錠剤のシートだった。
ここで何かを察さないほど馬鹿な人間ではない。
あの名探偵には及ばずとも推理力はあるはずだ。
ならばやるべきことは簡単だ。ベッドに寝かせ、部屋を出た。
おぐり side
何故こんな莫迦なことをしてしまったのだろう。正面を見つめると、天井、いや、目に見える空間全体がグラグラとして見える。
あいつは何をしに行ったのだろうか、はやく戻ってこないだろうか、と体の苦痛に耐えながら考える。
すると、待ち侘びていたドアのギギリと開く音が聞こえた。
起き上がってと言われたので、モゾモゾとゆっくり起き上がる。
まだ空きのあるベッドの隣にそいつは座る。それを見つめていると、空のゴミ箱を渡された。
片手には水の入ったコップ、そういうことか。
自分で飲めるかと聞かれたが、生憎手の力が弱まっている今じゃ、ベッドをビチャビチャに濡らすこと間違いなしだ。
それだけは嫌だと思い、仕方ないので飲ませてもらうことにした。
口にじわりと硝子特有のやわらかな冷たさが伝わる。コップが傾けられたので、応じるように中の水を飲む。
三分の一より少し上くらいの水が飲まれた頃に、一気に喉奥から駆け巡る吐き気に襲われた。
気持ち悪さに嘔吐くと、口からコップが離され、代わりに背中をさすられると、グワグワと強烈な吐き気が込み上げてくる。
喉の限界が来て、吃逆のようなものがグッとくると同時に出したかったものが全て腹の底から逆流する。
一気に出し終えると、吐き気は少しマシになった。
息を整えていると、身体全体に優しく圧がかけられる。何かと思うと、さっきまで隣にいた男に抱きしめられていた。
耳元から聞こえる呼吸音、じわりと伝わる生きている人間の体の温もり。全てが優しくて、いつの間にか身を寄せるように抱き返してしまった。
温かく、優しく、嬉しさに包まれながら眠りに落ちた。