エリオットとフェリクスは『相手を心底嫌いにならないと出られない部屋』に入ってしまいました。 エリオットはできるだけ避けている事がひとつある。それはとある人物と二人っきりになる状況だ。
周りに人がいる時なら構わない。なんなら廊下でエリオットの方から声をかける事だってある。生徒会室で共にいる事が多いのは確かだから絶対には無理だ。
でも、できるだけ、そう、できるだけ個室でフェリクス・アーク・リディルと二人っきりになるのは避けたい——と、思っている。
何故?
答えは簡単だ。
……あの日の事を鮮明に思い出してしまうから。
できるだけ避けたいと思っていても同じ生徒会役員だ。当然それぞれ用件の為に席を外していて、その状況に陥ることもある。今日だってそうだ、冬至休み前という事もあり、休み前に片付けておかなければいけない案件や休み明けの案件などは多々ある。
その為に今日は運悪く、エリオットはフェリクスと二人っきりで生徒会室にて雑務をこなしていた。早く誰か戻ってこい、この際シリルで構わないからとエリオットは内心イライラしていたが、きっとこんな思いすらあいつはお見通しなのだろう……そう思うと余計に腹立たしい。
仕方ない何かしら理由をつけ、この場から一時的にでも避難しようと思い、エリオットが立ちあがったその時、それは突然起こる。
ぐらりと地面が揺れたかと思うと、ぐにゃりと空間が歪み、眩暈がした。
眩暈が少し収まりエリオットが辺りを見回すと生徒会室にいた筈が、四方が白い壁に囲われた空間にいた。
窓や扉だけではなくそれまであったはずの机や椅子、本棚などもなく、空間にはエリオットとフェリクスの二人だけが居る状況だった。
「……んだよ、一体」
まだ少しばかりグラグラする頭を押さえてエリオットは悪態をつく。
フェリクスを見れば白い壁の一角を凝視して思案している様子だった。
「でん…」
殿下、と言い終えるよりも先にフェリクスはエリオットを一瞥し、凝視していた白い壁を指さす。なんだよ……と思いながらフェリクスの隣まで移動し、白い壁を見るとエリオットがいた位置からでは見えなかったが文字がぼんやりと刻まれているのがわかる。
「……はぁ?」
その刻まれた文字を読み、エリオットの眉間に皺がよった。
「なんだよ、これ。それ以前にここは一体……」
「おそらくだけど、この間、ヘイムズ=ナリア図書館から寄贈された蔵書の中にそういった類の書物でも紛れ込んでいたんじゃないのかな」
寄贈された蔵書のリストを思い浮かべるも何故この様な状況になったのかまでは分からない。ただ、壁の文字の指示に従えばここから出られるという確信はあった。この空間の時間の流れと外の——元いた場所との時間の流れが同じなのか、それとも違うのかも判断はつけられない以上早急になんとかした方がいいだろう。
「……困ったな」
なんだよ、と思いながらエリオットはフェリクスを見る。
「この内容を実行すれば出られると言うなら、既に出られてもいい筈なのだけれどもね?」
腹立たしい位に美しい顔はエリオットの方に向けられ、目尻を下げ困った様に微笑むが、穏やかな声で言っている内容はかなり失礼なものである。しかしエリオット自身も同じ事を思っている為にそんな事を指摘したりはしない。
「……奇遇だな、殿下。間違いなく俺も同じ事を思っている」
代わりに努めて冷静に、しかし嫌味はたっぷりと含めて口にする。
そう、本当にこの馬鹿げた内容を実行すれば出られるというなら、この文字を見つける前に出られている筈なのだ。
なのに、この部屋から出られないのはどうしたものか。
なら、それは相手の方に問題があるからだ。と互いに直接、口には出さずに伝えているのだ。
お前が悪い——と。
刻まれた文字、そこには……。
<相手を心底嫌いにならないと出られない>
そう書かれていた。
これは誰も知らない事、エリオットだけが知っている事だが、この誰にでも優しく完璧な王子様は決して誰にでも優しい訳ではない。エリオットはフェリクスに嫌われている事を知っているし、エリオット自身もこの、隣にいるフェリクスの事を嫌っている。
それを隠し、気付かれぬ様にして今までやってきたのだ。だって自分は傍観者なのだから。
一体誰の所為で、ずっとこんな感情を抱き続けなければいけないと思っている。その苛立ちを自覚してしまえばもう止まれない。
「どう考えても、あんたの方に原因があるだろう」
「ふぅん? それはどう言う意味かな?」
フェリクスの目が細められ、それだけで威圧感が増す。
——ああ、そうだ。今、ここには二人だけしかいないのだ。誰にも見られてないのだから言いたい事を言っても構わないだろう。
エリオットはフェリクスの胸ぐらを掴む。頭がつく位まで顔を寄せて
「だってそうだろう! だってお前が心底嫌っているのは——」
ガチッと歯を嚙合わせる音が聞こえた気がした。向けられる視線は取り繕うことを止めた冷たい眼差し。そして、そこに込められた負の感情はエリオットに向けられる。
——瞬間、また、あの眩暈の様なものが二人を襲った。
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ボテボテボテと鈍い足音が遠くの方から聞こえる。それは部屋の前で止まり、扉が勢いよく開かれた。
「で、でででん、殿下ッ! ご、ご無事で、ひゅか⁉」
ぜぃぜぃと息切れをさせながら入ってきたのはモニカだ。理由はわからないが急いでやってきたのだろう、生徒会室に辿り着いたとたんにその場に座り込み、まだぜぃぜぃと苦しそうにしている為に、フェリクスとエリオットの事は目に入っていない。
この状況その方がフェリクスとエリオット、二人にとって都合が良かった。
フェリクスはエリオットの手を振り払い、モニカの傍まで行き、片膝をつく。
「どう見ても無事で無いのは君の方なのだけど、そんなに急いでどうしたのかな? それに頼んだ用件を終わらせて戻ってきたとは思えない口振りだね?」
コテリと首を傾げながらモニカに掛けられる言葉も声色も“いつもの”優しい王子様だ。その切り替えの早さだけは感心すると、エリオットは内心ため息をつく。
「い、いぇ、あのぅ、そのぅ……」
モニカの目が左右に泳ぎ、いつも以上に口をモゴモゴさせている。しかもここに辿り着いた第一声が「殿下、ご無事ですか?」だ。
きっと何かあって戻ってきたのは明白だがどうやって訊きだそうかとフェリクスが口を開くよりも先にモニカがおずおずと問う。
「……あのぅ、殿下とハワード様、ここで何かありましたか?」
モニカは先程の光景を見たわけではなく、生徒会室に急いでやってきたそれによるものだろう。だが、今の二人にとってその質問は触れられたくない事である。
「別に? 何もなかったよ?」
「……別に、何もなかったけど?」
フェリクスは変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、思わず重なってしまった声にエリオットは髪をかき上げ、舌打ちする。
二人の態度にモニカは不思議に思いながら「はぁ……」とだけ返事をし、<何事もなかった>ことに密かに胸を撫でおろすのだった。
相手を心底嫌いにならないと出られない部屋。
心底嫌えずにいたのは果たしてどちら?