なまえでよんで「今夜はウサギの背肉のローストな」と偉大なネロ先輩から言われたが、当然ながら諸々の事後処理があり、その日の夜には作れなかったウサギの背肉のロースト——そもそも材料の調達があるのでその日のうちにというのは不可能だったのだが、『こっちは最前線で戦ったのよ! 少しは休ませなさいよ』というメリッサの言葉もあってサザンドールにいたメンバーは一日……とまではいかないが、ともかく少しばかり事後処理から解放された。
飛行魔術が使えるグレンやサイラスはそうも行かず王都とサザンドールの行き来をしているが、その際にグレンが絞めたばかりのウサギと仕上げに使う為の血も持って来てくれた為、今夜の夕食は漸くのそれに決定した。
アイザックが台所で調理を進め、保存庫から赤ワインを出すと「あっ」と小さな声が。
「それってお酒?」
声の主はシリルの契約竜トゥーレだ。
邪魔をしないから料理をしているところを見たい。出来ればお手伝いもしたい。と本人からの要望に応えて、ちょっとした手伝いをしてもらっている。——因みにシリルはというと相変わらず『殿下』呼びが時々出る為、敬語で傅いたら落ち込んでいる真っ最中であるーー
「そうだよ、赤ワイン。タレのベースに使うんだ」
そう言いながらアイザックはトゥーレの目の前に赤ワインのボトルを置く。
「お酒! 年に一度の捧げ物の中にもあったよ」
声がどことなく弾んでいるのは興味があるからなのか。
ネロもお酒と肉が好きだが竜種というのはそういうものなのだろうか……?
「君はお酒が好き?」
そう尋ねればトゥーレは首を縦に振る。
「眼帯さんは?」
「好きだよ。ネロと一緒に飲んだりしてる」
「シリルが飲んでいるところはみたことがない」
「そうだろうね、シリルは飲むと大変なことになるから……」
「そうなの?」
こてりと首を傾げるトゥーレにアイザックは頷く。
「そうなんだよ。僕も直接見た訳じゃないけどね」
その時はまだフェリクスとしてセレンディア学園に在学中だった。そのときは外交の仕事があり学園内にはいなかったが……。
シリルは知られまいと必死に隠している為にアイザックも知らない振りをしているが何故、知られていないと思っているのか。
「……」
鍋に赤ワインを注いでいるとトゥーレの目がボトルに釘付けとなっている。
「……そんなに気になるなら少し飲むかい?」
「 いいの?」
訊ね返すがその目はもうきらきらと輝いている。
「少しだけならね」
全部使うわけでもない。シリルに確認をとった方が良いかとも思ったが少しくらいなら構わないだろうとグラスに赤ワインを注ぐ。椅子を引き、トゥーレに座るように促す。「ありがとう」と礼を言い、トゥーレはグラスを手にし、赤ワインを一口飲み「ほぅ」と息を吐いた。頬が緩んで見えるのは久々に飲んだからなのか、それとも余程お酒が好きなのか。シリルに助言すべきかと考えながらアイザックは調理を進めていく。
「眼帯さんは飲まないの?」
ちびちびと大事そうに赤ワインを飲みながら尋ねるとアイザックは手を止めてトゥーレの方を見る。
「今はね。……ところで」
「?」
「僕はもう眼帯をしていないのだけれども」
アイザックの言葉にトゥーレは目を何度も瞬きさせる。
「シリルが『殿下』って呼んでたら眼帯さんシリルの事いじめてたよね? その呼び方も駄目?」
別にいじめていた訳ではないのだが……という言葉を飲み込む。
「僕はもう『殿下』じゃないからね」
アイザックの言葉にトゥーレは考え込んでしまう。考えて考えて他の人はなんて呼んでいただろうと考えて、浮かんだのはモニカの姿。
「モニカは『アイク』って呼んでいたけどそれなら『嬉しい』?」
「……そうだね。『嬉しい』かな」
どこかくすぐったそうな表情をするアイザックにトゥーレは顔を綻ばせる。
「じゃあ、アイクって呼ぶね」
「……ありがとう」
そんな会話をしている中、猫の姿のネロが台所に入ってくる。
「よぅ、後輩。ウサギの背肉のローストはできたのか?」
「まだ仕込みの途中だよ、ネロ先輩。……料理の名前は直ぐに覚えられるのにどうして人の名前は覚えてくれないのかな?」
恨みがましく睨みつけるがなんのその。ネロはそんな事お構いなしに人の姿になり、調理中の肉が入った鍋に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「うるせぇ、キラキラから後輩に昇格したんだから別に構わねぇだろうが」
「……もしかしてわざど呼んでなかったりするのかな?」
そんな筈ないかと冗談のつもりでいったのだがネロは動きをほんの一瞬だけ止め、そしてアイザックを見た。
「さぁ、どうだろうな?」
にやりと哂い、鍋から離れテーブルに乗ったまだ少しだけ赤ワインが残ったボトルを手に台所から出て行ってしまった。なんという手際の良さで何をしに来たのか……余程ウサギの背肉のローストが気になっていたのだろうか。
ネロの後姿を見送ったあとにトゥーレを見れば目があった。グラスは既に空っぽ。お互いにクスっと笑う。
「……グラスを洗ったら、少しお手伝いをしてくれるかな?」
「うん」
椅子から立ち上がり、トゥーレはアイザックのお手伝いをするのだった。