冬至休みにて 領主代行という形で今もアイザックはエリン領の領地を任され、仕事をしていた。
勿論『フェリクス』の時と同じ様にはいかないがそれでもなんとかこなしている。月の半分はサザンドールのモニカの所にいたとはいえ、領地の仕事を任されていたからというのは確かだが国王陛下の温情もあったがそれだけの理由でやっていたわけでもない。
——今でもエリン領での執務をしている理由の一つに対水竜用の索敵魔導具を搭載した船の研究で使う港等をエリン領が用意すると、ウェズリー・アンダーソンとの契約があったからだ。エリン公であった『フェリクス』が死亡したと国から正式に公表され、そして現在領主代行をアイザックが務めていると知って尚、アンダーソン氏は契約通りサザンドールとエリン領で研究を続けろと言うのだ。もしかすると何かしら察しているのだろうか。
領主代行にしても国王陛下から『どうしたいか』と、訊ねられた上で選択をしたまでだ。ルイス・ミラーは『あの男に甘すぎるのではないですか?』等と言っていたらしいがアイザック自身もそう思っている。
そんな冬至休みも直前のある日の事、エリン領にいたアイザックのもとをサイラスが訪れた。
サイラスがエリン領まで来るのは珍しい事ではない。だが、事前に連絡がないのは初めての事だ。
サイラスの訪問を受け、アイザックが階下に降りると、まだ玄関先で立ったままだった。サイラスに近づきどうしたのかと訊ねるよりも先にサイラスが口を開く。
「帰るぞ」
「……うん?」
この兄貴分は時々思い込みが激しいだけでなく、言葉をとても端折って話す。帰る……とは?
「……もうすぐ冬至休みだろ」
「そうだね」
素っ気ないアイザックの返事にサイラスは眉間に皺をよせ、痛みを堪える様な表情をみせる。
「サイラス兄さん?」
「……冬至休みは家族で過ごすもんだろ」
「うん」
「だから、冬至休みをルガロアで過ごすのにお前を誘いに来たんだよ」
成る程、冬至休み前に片付けなければいけない仕事は確かに沢山あるがそれでも後回しでも良いような案件も含まれていた。もうエリン公でもなければ『フェリクス』でもない。爵位もないので年始に王都の王城に行く必要もない。ならその時間を使って仕事を片付ける事も魔術研究をしていても良いかなどと考えていたのだが、何故か膨大な仕事量だった。
そしてこの兄貴分自身も忙しい筈なのにこうして誘う為にまだ慣れないであろう仕事も全部片付けたに違いない。
(……それだけじゃないな)
アイザックを連れ出そうとするのだからきっと他の人達にも声をかけて相談してそして根回しをしたに違いない。なにせアイザックの周りはお節介やきが多いのだから。
——貴方に言われたくありません。と、声が聞こえた気がしたがきっと気のせいだろう。
気配を感じ、そちらの方を見れば使用人の一人が既に旅支度を整えた鞄を手にし、その隣にはウィルディアヌが『わたくしは何も存じ上げませんが?』と言いたげな目をしてアイザックを見ている。
「…………わあ」
まさかここまで外堀が埋められているとは流石のアイザックも思っていなかった。サイラスが誰に一体何処まで話したのかは分からないが、そこから更に話が広がったのは間違いない。しかし己の相棒——契約精霊までもが契約主に今日まで秘密裏に事を進めていたなんて!
「……わかったよ」
ここまでされて帰らない訳にはいくまい。勿論誘われた時点で断るつもりも無かったのだが。アイザックの返事にサイラスだけでなくその場にいた使用人もウィルディアヌもホッとしたように息を吐いた。
アイザックはウィルディアヌの方を向き、手を伸ばす。
「ウィル、ウィルディアヌ、君も一緒においで」
「」
黒竜セオドアとの一件があって以来、ウィルディアヌはアイザックの側を離れたがらない。心配を沢山かけたのが原因なのはアイザックも重々承知している。『フェリクス』だった頃はエリン領で留守を任せてばかりいたが、今は何処か出かけるとなると無言でついてくるようになった。
だが、こうやってアイザックの方から一緒に。と、声をかけるのは初めてだ。
「君を僕の故郷に連れて行ったことがなかったからね。……見て欲しいんだ」
竜害があった。ずっと離れていたから変化した部分もある。だがそれでも生まれた場所である事には違いない。
ウィルディアヌは目を見開き、暫し固まっていた。
「はい、はい! ありがとうございますマスター……」
差し出された手を両手で握り、ウィルディアヌは震えながら頭を下げる姿に「大げさだなぁ」とアイザクは困ったように眉を下げながら口にするのだった。
******
西部に位置するエリン領から東部は真逆に位置する為に矢張り移動には時間が掛かったがそれは致し方のない事だが、道中は共同研究の話を中心に他愛もない話もして退屈をすることはなかった。特にルガロアで過ごしていた日々の話にはウィルディアヌも興味津々で聞き、サイラスが嬉々として話す姿にアイザックは苦笑いを浮かべていた。
それでも東部地方に入り、ルガロアが近づくにつれてどちらからともなく口数は減り、外の景色を眺める事が多くなった。
「一度この辺で止めてくれぇねか」
サイラスが御者に声をかけ、馬車をとめさせた。そして花束を手にして先に馬車から降り、続いてアイザックも降りる。無言で歩いていくサイラスの後をアイザックがついていく。距離的にはほんの少し、そこでサイラスは足を止める。
「……サイラス兄さん?」
「……この辺りの筈だ」
その一言だけで何を言いたいのか理解した。
アイザックと母親と弟が乗った馬車は途中で地竜に襲われ、そこで生き残ったのは——。
「…………」
もう十五年以上経過している。辺りにはその傷跡も残骸など何も残されてはいないがそれでも辺りにはうすら寂しい気配が漂っている。
吐き出される息は白く、アイザックは暫くの間ぼぅとその場の風景を眺め、目を閉じる。未だにあの日の光景は脳裏にそして瞼の裏に強く焼き付いている。悲しみも完全に消える事は、ない……。それでも絶望感や無力感は薄らいだ……偉大な〈沈黙の魔女〉のお陰で。
サイラスから花束を受け取り、アイザックは地面に置き、そしてまた無言で風景を眺める。サイラスもウィルディアヌも黙ったまま、アイザックを見守る。
「…………っ」
アイザックの目に涙が自然と溢れ、頬を伝う。顔を下に向け目元を手の甲で拭うが涙は止まることはない。肩を震わせ、せめて声だけは漏らさないようにと歯を食いしばる。
「マスター……」
気遣うように肩に乗った白いトカゲ姿のウィルディアヌが短い手を必死に伸ばし、アイザックの肌に触れる。
サイラスは無言でいつもとは違い、ただアイザックの頭の上に手を乗せ軽くポンと頭を叩き、弟分の涙が止まるまでその姿勢を保つ。
風が強く吹き、花束はその場から転げ、そして花弁が空を舞い踊った。
****
ルガロアの町に着き、慰霊碑の前にも花を供える。
「ここがマスターの生まれた町なんですね」
「そうだよ」
修繕された町並みを肩の上からきょろきょろと見渡しながら訊ねるウィルディアヌにアイザックは短く答える。以前、アイザックが訪れた時は時はゆっくり町並みを見渡す余裕は無かった。時間もなかったが心の余裕的にもそうだった、あの時の己はまだ一つの事の為に他の全てを諦めようとしてたのだから。
実の所、今だって不安が何もないかと言えば嘘になる。故郷なのに足を踏み入れ、歩くことに様々な感情が込み上げてくる。
やがて居住区へと足を踏み入れサイラスの家が見えて来た時、サイラスが小さく「……あ」と呟いた。
家の入り口には男性と女性の姿が——あれはサイラスの両親だとアイザックは直ぐにわかった記憶の中よりも当然年齢を重ねているが面影はきちんとある。
「親父! おふくろも! ……家の中で待ってろって手紙に書いただろ!」
両親に聞こえるように大声で怒鳴るが、そこには『風邪引いたらどうするんだ』という気持ちも含まれている事にアイザックは気付いている。そしてどうやら連れて帰る旨を両親にも伝えていたらしいという事にも。一体いつから待ってたんだよと悪態をつきながら少し速度と歩幅を広げ歩いていき、アイザックもそれに続く。サイラスの両親がサイラスの姿と、そしてアイザックの姿を捉えたのがわかった。
家の前に着き足を止め、サイラスは旅の荷物袋を下ろす。
「親父、おふくろ、ただいま。ほらちゃんとアイクも連れて帰ってきたぜ」
そう言ってサイラスはポンと軽くアイザックの背中を叩く。
サイラスの母はアイザックの姿をしばし眺めていたが両腕を伸ばしアイザックの背へとまわし、抱きしめた。小さくアイザックの名前を呼び、肩を震わせ泣いているのが伝わる。生きている事への、こうして再会できたことへの喜びを感じ取った。
家族は確かにいなくなってしまったが、こうして覚えてくれている人達は確かにいたのだ。
その喜びに、アイザックの眼に涙が少し滲んだ。
*****
ラウル・ローズバーグがサイラス・ペイジを見かけたのは冬のある日、王都の花屋の前だった。体格のいい姿で口を一文字に結びじっと真剣に眺めている姿は睨んでいる様にも見える。話しかけたら邪魔になるだろうか? しかし植物のことなら何か力になれるかもしれないとラウルは声をかける事にした。
「おーい! サイラスー!」
手をぶんぶんと振りながらラウルが声をかけるとサイラスは花から声をかけた主の方へと視線を移した。店員に一声かけてからラウルの方へと歩み寄る。
「茨の兄さん」
七賢人としてはラウルの方が先輩となる為かサイラスは律儀に頭を下げる。
「邪魔しちゃったかな?」
申し訳なさそうに振っていた方の手で頭をかく。
「いや、そんなことはねぇ」
サイラスが首を振り直ぐに否定すれば、ラウルはホッと胸を撫でおろす。
「それなら良かった。……でも珍しいな、サイラスがこんな所にいるなんて」
それは花屋の前にいるという意味ではなく、何かと忙しく動き回っていることが多いからだ。飛行魔術が使えるからというのも理由の一つでもあり、真面目な彼は新人という事もありルイスに代わり国内を駆け回る傍らで、独自の魔術研究にも精を出している。
「これから里帰りなんだよ、その前にちょっと……な」
「そっか、サイラスは東部出身だもんな」
冬至休みを東部の故郷で過ごし、新年の儀に間に合うように戻ってくるとなると、確かに早く出立した方がいいだろう。
——だが。
「サイラスは飛行魔術が使えるんだろ? だったらそこまで急ぐ必要はないんじゃないのか?」
それは素朴な疑問だったのだが、サイラスは眉間に皺をよせる。何か訊き方がまずかったのだろうかと内心焦り何か言おうとしたが、それよりも先にサイラスが口を開いた。
「俺、一人なら飛行魔術を使って帰るんだが、連れて帰りたい奴がいるんだよ。そいつの所に寄ってからになるから日程を早めたんだ」
「えっ?」
「だから! 無理やり引き摺ってでも連れて帰りたい奴がいるから飛行魔術は使えねぇんだ!」
どこかしらむっとした言い方に聞こえるのは気のせいか。
「……あーそれって、さっき花を見ていた事と関係するのか?」
ラウル自身、その手の事には疎いは自覚はあるが去年はレイとフリーダの婚約があった。自分が知らないだけで、もしかするとサイラスにもそういう人がいて両親に紹介でもしたいのだろうか? でも無理やり引き摺ってでもなんて言い方をするくらいだしなぁと思案する。
「……関係するって言えば、関係する」
これは、これ以上踏み込んでいい事なのだろうか。以前ならばお構いなしに訊ねていたが姉から、そして友人からも相手の事を考えて物を言えと窘められるのだ。どうすべきか、考えているとサイラスが先に口を開く。
「日持ちがして、手向けにできる花が欲しんだ」
冬の季節、寒さに強い植物もあるが基本的に花々は王都でも手に入りにくい上に、あったとしても当然値段は盛りの季節の何倍にもなる。そして気になるのはサイラスの言葉だ。
サイラスの故郷は東部のルガロアだということは面接の資料に記載されていたので知っている。そこで竜害があった事も。そしてもう一つ——。
「……訊いて問題ないなら答えて欲しんだけどさ、連れて帰りたい奴ってもしかして……」
「茨の兄さんが思ってる通りの奴だよ。アイク……アイザック・ウォーカーだ」
ラウルの言葉にサイラスは頷き、答える。やっぱりと小さく呟き、そして思いついたことをすぐさま口にする。
「それだったら……サイラス、まだ時間はあるよな?」
「あ? ……ああ」
「だったら、オレの家に来いよ! ローズバーグ邸の温室なら今の季節以外の花もあるし、手向け用の花も用意出来る。何より……魔力付与で日持ちするようにしてやるよ」
後半は少し小声で。あまり人に聞かれていい内容ではないからだ。
サイラスは同じ七賢人の仕事仲間で、アイザックは友人であるシリルやモニカの大事な人だ。友人の友人ならオレの友人だよな! という気持ちもある。
ラウルの言葉にサイラスは目を見開き、口を何度か開け閉めする。どう答えるべきかあぐねいているのだろうが、やや間を置きまたもや頭を深く下げる。
「お世話になりやす!」
その言葉にラウルは冬の寒さの中にも関わらず、大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべて「任せとけ」と自信に満ちた口調で告げるのだった。