ゆうべは おたのしみでしたね?『ウサギの背肉のローストが用意できないなら今夜は酒とツマミで我慢してやるから何か作って付き合え、後輩』
等と一人だけ異様に元気な先輩 -ネロが空気を読まずにそんなことを口にしたのは黒竜セオドアとの戦いを終えたその日の夜の事だった。報告や事後処理等もあるのは確かだが、作戦は早朝から始まったとはいえども最前線で戦いを繰り広げた者たちは当然の事、囮役として戦いを広げた皆が魔力も体力も使い果たしている。勿論その日のうちに済ませなければいけない事は済ませてその日はひとまず休息を優先する事となった。
そして冒頭の言葉である。
体力には自信があるが流石に今日は休ませて欲しいんだけどネロ先輩? と思いつつも、アイザック自身ここ一ヵ月はずっと忙しなく駆け回っていた為に飲んでいる時間もそして余裕もなかった。
—―故に、少しばかり付き合う事にしたのだ。
現在、貯蔵庫にあるものでとなると作れるものは限られてくるが、ツマミを作る位なら十分だ。
「……わたくしがエリン邸で留守を任されている間にマスターはこの様なこともしていたのですね」
ツマミを作り終え、テーブルに並べるとアイザックの肩の上にいるトカゲ姿のウィルディアヌがどこかムッとした口調で言い放つ。十分にとは言えないが人の姿になるだけは回復をしたがウィルディアヌは白いトカゲ姿のまま、アイザックの身体から離れようとしなかった。
「たまにだけどね」
苦笑いを浮かべながらアイザックは椅子を引き、席に着く。
「トカゲ、なんだったらお前も飲めばいいじゃねぇか」
既に飲み始めていたネロはにやりと哂い、椅子から立ち上がり棚からグラスを一つ取り出した後、座り直しお酒をどぼどぼと豪快に注ぎ空席のテーブルの前にドンと置く。勢いがあった為にテーブルにも少し零れた。
「いえ、わたくしは……」
ネロはアイザックの肩にいる白いトカゲをぎろりと睨みつけ、少し低めの声で唸るような声をウィルディアヌにぶつける。
「あぁん? オレ様の酒が飲めねぇってのか⁉」
ネロ先輩、それは完全に絡み酒というものだよ……という言葉を飲み込みアイザックはウィルディアヌに声をかける。
「味覚がなくても雰囲気を楽しむことは出来るよ?」
「…………」
しばし思案した後、ウィルディアヌはアイザックの肩の上から降り、そして人の姿へと変化するとグラスが置かれた席へと座る。だがグラスには手を触れずにじぃと見つめているだけだ。
「ウィル?」
「わたくし達、精霊は味覚もなければ酔うという感覚もわかりません。ですが人は酔うと口が軽くなるものだとお聞きしました」
「人によりけりだけど、そういう人もいるみたいだね」
事実、口を割らせるために酒を使うという手法はある。だが何故、今このタイミングでその話をするのだろうか? とアイザックが思案していると、ウィルディアヌはグラスを手にし、注がれた酒を一口飲み、グラスをテーブルに置いてから己の主人であるアイザックを見据えて口を開く。
「……ですので、酔ったと仮定しまして、普段マスターに言えずにいた事を口にしたいと思います」
「…………うん?」
酔わないけれど、そう仮定してと宣言する辺り本当に大真面目だなぁとアイザックは思ったが口にはしない。ずっと心配ばかりかけていたのは事実だ。随分と強かに辛辣になっていくなぁと感じていても根はいつまでも変わらずに心配性のままで、そしていつも気にかけてくれている。ならば吐き出したい気持ちがあるならそれを聞いて受け止める事は必要な事だ。
どうぞ? と促すようにアイザックは頷く。
「契約を交わした当時はセレンディア学園に在学中でその頃は常にマスターの傍にいました。……主に夜遊びをする為に幻術を使い他者の目を欺く時以外は……」
「……そうだね」
「ですがマスターの正体が露見してしまい……それでも国王陛下の温情によりエリン領の領主となってからは、わたくしは人の姿をすることが多くなりました。そして代役を任される事も……」
「…………」
後輩と後輩の相棒のやり取りを酒の肴にし、ネロは頬杖をつきながらもう片方の手で酒を煽る。勿論アイザックが作ったツマミも合間に食べる。
「マスターが〈沈黙の魔女〉様の元へ……サザンドールへ赴き、わたくしは留守を任されている日々を過ごす月日の間にふと、思ったのです」
「……何をかな?」
ウィルディアヌの視線は手にしたグラスを見据えたまま、ぽつりと呟く。
「……わたくしの動物の変化であるトカゲはトカゲではなく、もしや、ヤモリなのでは……と」
「…………」
ウィルディアヌは大真面目に悩んでいるのだ。ここで『ヤモリも爬虫類でトカゲの一種だよ?』なんて口にすればまた拗ねかねない。トカゲ姿でポケットから出てこないか、しっぽの動きが面白くなることは間違いない。
だがここで空気を読む気がない者が一人。
「どっちも似たようなものじゃね?」
ぼそっと呟かれたその言葉にアイザックはテーブルの下でネロの足を軽く蹴る。
なんだよと悪態をつかれ、睨まれるが知ったことではない。
ウィルディアヌの口から零れる今まで、溜め込んでいた思いをひとつずつ聞いては「……うん、うん。すまない……ごめんね?」とアイザックは相槌をうつ。
そうしているとニヤニヤと哂いながら今度はネロがアイザックの足を軽く蹴る、頬杖をついた方の手は握られ、親指だけが台所の扉を指している。
言わんとすることは解っている為に、返事代わりに足を蹴り返す。
扉の向こう側に気配がある。手洗いか喉が乾いて飲み物を取りに来たのかは分からないが、明かりがついているのと話し声で気になって様子を見に来たというところか……。
話し声はみっつ、ぼそぼそと何か言っているが今はそちらに気をやっている余裕はないが誰なのかはわかった。
「今日の事だってそうです。とっさの事とはいえ、放り投げられ……」
「あれは——」
それについては一言言わせてほしいとアイザックは謝罪以外の言葉を口にするが、すぐに遮られる。
「わかっているのです! けれどもマスターの気配を感じ取れなくたった時、わたくしがどれ程焦り不安になったか貴方は解っていない……そもそも——」
「……」
話はまだ終わらず、何故か契約する以前の頃まで遡っていく。
早々に扉の前の気配も消えていた。どこから聞いていたのかわからないが、後で問い詰めた方が良いのか頭の片隅で思案しつつ、アイザックはウィルディアヌの言葉に耳を傾けていた。
「——あの頃は背丈も含めて可愛らしかったのに」
「………………」
「………ぶっ」
思わず零れたその言葉に、空気は読めないネロ先輩だが、それでも流石にこの時間だ、声を出さないようにという配慮は出来る様で腹を抱えながら苦しそうに笑っている。
「後輩、お前の相棒面白れぇな」
ひぃひぃと息を整え揶揄いを含めたその言葉は二人に届いているのかは定かではないが、奇妙な組み合わせの人外と規格外の男の酒盛りの夜はこうして夜は更けていくのだった。