気ままに暮らす 最近檸檬がおじさんと知り合いになったらしい。おじさんとは誰だと聞いたが、俺が知るかと返された。大抵家にいるからいつ行ったって会えるのだという情報から、定年を迎えた男か、それとも有閑階級かと想像していたが、実際に会ってみるとそれなりの老人であって、のんびりした様子であったから、そのどちらとも断定しかねた。
老人はぼさついた頭で、縁側で日向ぼっこをし、檸檬の挨拶が聞こえると老眼鏡を外しながら、およそ人前に出る格好ではない襦袢姿を恥じらいもせずに、こちらに近づいてくる。背の低い生垣越しに「昼間っから何をしてるんだ」と呆れたように言い放った。
「暇だったんだよ。ほら、これがダグラスだ」
「どう見ても日本人に見えるが」
「俺はダグラスじゃない」
思わず訂正してしまったが、余計にややこしくなったか、失敗したなと反省する。けれど老人はへえと言ったっきり、それじゃお名前はなんと、などとは聞き返してこず、それもこの老人のいでたちを見れば、社会通念に頓着しないのだろうな、とは想像に難くない。
「まあ、せっかく来たなら、茶でも出そうか」
「淹れたてで頼むぜ。出涸らしはごめんだからな」
二人は先ほどまで老人が陣取っていた縁側に腰掛けた。なんだか暇そうにしている、何をしているのだか分からないが毎日何かしている様子の気楽な生活が形をとったらこうなるのだろうな、と思えるような牧歌的な風景で、畳み掛けるように白っぽい猫まで入ってくるものだから、茶を入れに行っている老人は詐欺師で、この近辺に住む標的を騙すために絵に描いたような隠遁生活を送っているのだと言われた方がまだ納得できる。
猫は蜜柑の膝に乗りたがったが、毛がつくのが嫌で追っ払うと、ふてた態度で檸檬の膝へ飛び乗った。前足で丹念に腿の上を捏ねてから丸くなる。
「知ってる猫なのか」
「いや。名前でもつけるか?」
「別にいい」
間もなく老人が茶と、それに扇風機を持ってきたので、少し日差しが出るなと思っていたところに気が利くなと見ていたが、茶を置いた後に扇風機のカバーの隙間から、茶請けのように持ってきていたきゅうりを差し込むとスイッチを入れた。扇風機の羽が鋭く回転し、瞬く間にきゅうりが輪切りになっていく。そうして一口大になった、飛び散ったきゅうりを集めて、また元の茶請け盆に乗せると、爪楊枝に刺して食い始め、一つどうだと勧めてくる。茶だけで結構と断り、檸檬も猫が寝てるからいいと断ると、老人は黙々と残りを口に運ぶ。
「ナイフだとか、包丁だとか、持ってねえのか?余ってるから持ってきてやるぜ」
「これなら目がダメでも、指は切らねえからなあ」
目が悪い、と言っても十人並みの加齢による視力低下であろう。安全策を講じているというよりは、性格由来の代替策なのだ。
檸檬は時折猫のことを指でつつきながら、どうでもいい話を繰り返す。老人は楽しそうな様子でもなく、かといって退屈しているわけでもなさそうで、質問を交えながら一方的な会話に参加する。蜜柑がこの場で一番共感できる相手は檸檬の膝の上で、寝るにしては振動がうるさいだろうに辛抱強く丸さを保っている猫である。
暑くなってきたから扇風機でも付けようか、などという提案が持ち上がったタイミングで蜜柑は立ち上がり、背後からは、うわ何の汁が飛んできたという軽い悲鳴が上がった。蜜柑が柴戸から出て行こうとするよりも早く、猫が足元を駆け抜けていった。次いで、檸檬も追いついてきた。
「よくここへ来るのか。楽しいのか?」
「いや。暇な時に来るといつもいるから、たまに来てるだけだな」
酷い言い草だな、とも思ったし、それで平気でいる老人も老人である。