「ファウスト様、お茶を淹れ直してきますので少しお待ちください」
「ああ、ありがとう」
席を立ったレノックスを目で追い、ふと振り返ると、淡い紫色をした空から金色の光が差し込んでいるのが見えた。
「もうこんな時間か。外が暗くなってきてる」
「本当ですね。そろそろ夕食の時間かもしれません。……あっという間でした」
「ああ。きみの話を聞けてよかった」
今日は昼過ぎからレノックスの部屋を訪れ、彼の話を聞いていた。口下手なレノが、ゆっくりと、時には沈黙しつつも丁寧に紡いでゆく彼の物語は、どれもとても温かなものだった。
湯が沸くのを待ちながらお茶の準備をしてくれている彼の後ろ姿は、草原を優しく撫でる風のように穏やかで、すべてを包み込む海のように力強い。
そんなことを考えながらぼうっと見つめていると、急にレノが振り返って目が合った。若干の照れ臭さを隠したくて、思いついたままに口を開く。
「そ……それにしても、僕の誕生日にきみからおねだりされるとは思っていなかったな」
「おねだり」
レノは目をぱちくりとさせた。
「確かにそうですね」
今度お話しする機会をいただけませんか、とレノに言われたのは、僕の誕生日の朝のことだった。
ちなみに正確にはただおねだりされただけではなく、プレゼントもちゃんと貰っている。とはいえ正直レノからの誘いの方が印象が強く、そのときの彼の声はまるで昨日のことのように耳に残っている。
「めずらしいよな。きみがそういうことを言うのは」
「そうでしょうか。俺は結構欲張りですよ。たぶん、あなたが思っているよりも」
「そう……か」
心当たりがないとは言えない。でも、彼がそれを口に出したことは一度しかなかったから、何と答えていいか分からずに口を噤んだ。窓から差していた黄金の光は、もうすぐ消えそうなほど弱々しくなっていた。
レノは沸いたお湯をポットに注ぎ、テーブルの上へ静かに置いた。
「……俺があなたにお話ししたのは、あなたに知ってほしかったからです」
ゆっくりと椅子に座ったレノはまっすぐに僕を見つめて言った。その瞳があまりに力強くて、思わず目をそらしてしまう。レノは続けた。
「あなたと再会できたことが、俺にとってどんなに嬉しく、奇跡のような出来事だと思っているか……」
ハーブがガラスのポットの中で踊っていた。
「あなたは、俺があなたを探すのに四百年という時間を費やしたことを、気に病んでおられるように思えたので」
「……っ」
弾かれたように目を上げると、先ほどと変わらない瞳が僕を見つめ続けていた。心を見透かされたようで、かあっと頬が熱くなる。それでもレノは表情を変えることなく、静かな声で言った。
「確かにあなたを救えなかったという後悔はあります。……ですが、だからといって俺が不幸になったというわけではなく、四百年をただ空虚に生きたわけでもありません」
普段通りの朴訥とした声がわずかに熱を帯びたように聞こえたのは、きっと気のせいではない。
「それでも、俺はあなたを見つけたかったんです。あなたにどう思われていたとしても。俺は俺の心の声に従いました。……ただ、それだけです」
レノはテーブルの上で握りしめていた両手をほどき、僕のカップにお茶を注いでくれた。どことなくすっきりとした表情で。
「……勝手な……」
「はい。だから、あなたが負い目を感じる必要はないんです」
僕を見つめる眼鏡の奥の赤い瞳、いつもは一直線に閉じられた口元が、かすかに緩む。
「俺は、あなたと再び出会うことができて、本当に嬉しいのです。それを伝えたくて」
「……」
熱くなった頬がさらに熱くなってようやく、僕は顔を隠していなかったことに気がついた。レノが渡してくれたカップを受け取りながら、やっとのことでその視線から逃げるように下を向く。気の利いた返事みたいなものは何も思い浮かばなかった。
「……そうか」
「これで、あのとき俺が言ったことも少しはお分かりいただけたでしょうか?」
どきんと心臓が跳ねて、危うくカップを取り落とすところだった。
彼の言う通りだ。あのときの彼の言葉の意味を僕は正確には理解できていなかったのだと、今ならわかる。
「……お前は本当に頑固だな」
「ええ。よくご存知のはずです」
ふっ、と思わず笑みが溢れた。ようやく口にしたお茶は爽やかですっきりとしていて、それでいてほのかな甘味が心地よい。とても優しい味がした。
「……食えない男だ」