賢者の世界で、『クリスマス』と呼ばれるらしい日の前の晩の、夜遅く。
シャイロックのバーには、『サンタクロース』としての任務を無事に完了した大人たちが集まっていた。
僕としては、いつも通り静かに飲んでいただけだったのだが。夜が更けるにつれて任務(?)を終えた各国の魔法使いたちが徐々に集まってきて、最終的には今日のパーティーの続きのような宴会になった。
「それにしても、トナカイ役は二人もいらなかったんじゃないか?」
「はい、ほとんど何もすることがありませんでした」
巻き込まれた宴会が少し落ち着いた頃合いを見て席を立ったところで、待っていたかのようにレノックスもバーを出てついてきた。お送りします、とか何とか、あってないような言い訳をつけて。
バーでは話していなかったから、部屋まで歩きながら南の魔法使いたちの『任務』の様子を聞いていた。
「ただ見守るのみではありましたが、ルチルの楽しそうな顔が見れましたよ」
「……なるほど。それはよかったな」
弟のために張り切るルチルの笑顔が目に浮かぶ。きっとトナカイ役のふたりが、今度はルチルの『サンタクロース』になってあげるのだろうなとふと思った。
「……あの」
「ん?」
階段を上ったところで突然立ち止まり、レノックスは僕をまっすぐに見て口を開いた。
「お渡ししたいものがあるので、俺の部屋に寄っていただけませんか」
「……え」
「夜に部屋に入られるのはお嫌かと思いまして」
そう返すレノは、至極当然のことを言っているというような顔をしている。
まさか自分相手にそうくるとは思っていなかったから、うんとか嫌だとかの前に思わず言葉がついて出ていた。
「こ……子ども扱いするんじゃない」
すると、レノはふっと笑みを浮かべた。
「賢者様によると、子どもに限らず大切な人たちに贈り物をする行事だそうですよ」
「……そうなのか」
思っていたよりも範囲が広かったらしい。何だか拗ねたようなことを言ってしまったことになる。これじゃあまるで子どもだ、と勝手にいたたまれない気持ちになって、隠れるように俯いた。
そうしているうちに、気付いたらレノの部屋の前についていた。そういえば、返事をするのも忘れていた。
観念して立ち止まると彼は静かにドアを開けて、どうぞ、と僕を部屋に招き入れた。
「それに……」
ゆっくりとした丁寧な動作でドアノブを回し、ドアを閉じてからレノは改めてこちらを向く。
「ファウスト様はこの一年、とってもいい子でしたので」
「おい」
やっぱり子ども扱いじゃないか。
「さては酔ってるな?」
レノは酔ってもほとんど顔に出ないから分かりづらい。酔ったら酔ったで、いつもより陽気になったり、歌い出したりといたって普通の酔い方をするのも面白い。
今夜はそこまでではないようだが、僕を揶揄うようなことを言うということはそれなりに飲んだのだろう。その証拠とばかりに、彼はぷっと吹き出して笑った。
「はは、どうでしょうか。酔っているというより、浮かれているのかもしれません」
「何かあったのか?」
レノがそう話すほど嬉しいことが、先ほど聞いた今夜のできごと以外に何かあったのだろうか。そう思って見上げると、彼の赤い瞳はまっすぐとこちらを見つめていた。
「ほんのひとときでも、ファウスト様を独り占めできて嬉しいんです。俺は」
柔らかな微笑みを浮かべたその瞳に射抜かれる。逃げるように目を逸らして、返す言葉を探し集めた。
「……お前、かなり酔ってるだろ」
「そうでしょうか?」
「うん。絶対そうだ」
「じゃあそうかもしれません」
そう笑ってから、ちょっとお待ちくださいと言って戸棚に向かった彼は、後ろ姿でも分かるほど明らかに機嫌が良い。
そんな様子を見ているうち、だんだんと頬が火照るのが分かった。レノがこちらを向くまでに直さなければと、せめてもの思いで冷えた両手を頬につけた。
「ファウスト様、メリークリスマス」
そう言ってレノが手渡してきたのは、思ったより大きな袋だった。巾着のようにリボンが結ばれていて、こんな大の男同士でやりとりするものとは思えない可愛らしさだ。
「よろしければ開けてみてください」
「ああ、ありがとう」
金糸が織り込まれているのか、灯りを反射してきらりと輝くリボンをほどき、中に手を入れるとふわふわとした何かがあった。取り出して広げると思っていたよりも長く、幅も広い。
「……マフラー?」
「はい。俺の羊たちの毛で作りました。撚りの少ない、太い毛糸にしたので柔らかいと思います」
確かに、今まで知っているどんな素材よりも柔らかい。まるで羊をそのまま撫でているような手触りだ。毛糸自体が太いだけでなく、わざわざふわふわにしているような気がする。
「これを……きみが?」
「はい」
ほんの少し恥ずかしげに、レノは目を伏せた。
「俺は羊飼いとはいえ、刈った毛は譲ったり売ったりするばかりでしたから……こうして何かを作るのは初めてでした」
「編むのも?」
「ええ。クロエに教えてもらいました」
なるほど、と納得する。クロエなら編み物だってお手のものだろうし、快く、そして根気強く教えてくれるだろう。
「任務で寒冷地に向かうことも多いですし、魔法舎も冬場はそれなりに冷えますし……あたたかく過ごしてもらえたらと」
「きみが、このマフラーを」
手に持ったマフラーをふわふわと触りながら、ひとりごとのようにつぶやいた。触れるたびに指先から彼の優しさが伝わってくるようで、心臓をぎゅっと掴まれたような不思議な感覚になる。
基本的に大雑把な性格のレノックスだが、編み目を見るととても綺麗で整っている。初めての編み物に、どれだけ時間をかけてくれたのだろうか。その様子を思い浮かべると、思わず笑みが溢れてしまった。
「何か、おかしかったでしょうか……?」
さっきとは打って変わって、不安そうな表情を隠そうともしないレノに、大きく頭を振って言った。
「いや、大きなきみがちまちまと編み物をしていたところ、見てみたかったなと思って」
試しにとマフラーを巻きながら見上げると、レノはほっとしたように頬を緩めていた。
「もしお気に召していただけたのなら、他にも何か編みますよ。毛糸はまだありますから」
マフラーは二重にしてもまだ余るくらい長くて、とりあえず巻き付けたら首周りがぐるぐるのふわふわになった。
後ろで結んでいるとレノの大きい手が伸びてきて、落ちかけていた帽子を取ってくれた。マフラーの間に挟まった髪も整えてくれる。くすぐったくなくなったはずなのに、整えてもらう前よりもずっとくすぐったい。
「そうだな……本当にふかふかで暖かいな、ありがとう。もし暇があったら、頼む」
「……! はい」
ぱっと陽の光が差したように顔を輝かせて、レノは力強く頷いた。レノのこういう顔を見られるのは、何よりも嬉しい。そう思ったところで、自分が何も用意していなかったことを思い出した。
「あ……せっかく素敵なものをもらったのに、僕からは何もなくて申し訳ないな」
「俺の勝手でご用意したものなのでお気になさらないでください。それに、さっき申し上げたとおりあなたといられるだけで俺は嬉しいですから」
「それは……」
僕も同じだ、と心の中で付け加えた。
「……それにしても、贈り物をもらえるなんてクリスマスも悪くないな。僕はいい子でもいい大人でもないけど」
「……そう思っているのは、世界中でファウスト様だけだと思います」
「……」
何と返したらいいかわからなくなって黙り込む。
「でも、俺はファウスト様がいい子でも悪い子でも好きですよ」
「は……」
思わず見上げると、レノはさっきよりもさらに柔らかな微笑みを浮かべていた。もはや、甘いと言っても差し支えないくらいの。
思い出したようにまた火照りはじめた頬を隠すために帽子を傾けようとして、さっき取ってもらったことに気付く。それすらも微笑んで見守られていることが、無性に悔しかった。
「……お前、やっぱり酔ってるだろ」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「……そんなに酔うなんて、お前は悪い子だな」
「は……」
ちらりと視線を向けると、ぽかんと口を開けたレノがいた。
せめてもの反撃になればと言い返した言葉に、思っていたよりもいい反応が返ってきてどこか胸のすくような気持ちになる。
嬉しいこととはいえ、さっきからずっと一方的に僕ばかりどぎまぎさせられていたのだから、少しくらいはレノックスのうろたえているところを見たい。それこそ子どもの言い合いみたいだと思いつつも、勝手に動く口に任せて言葉を重ねた。
「僕もそろそろ悪い子になりたい気分だ。ほら、早く来い」
「……え?」
「帰りたくなくなった」
ぴし……と音が聞こえるくらいはっきりとレノの動きが止まる。息まで止めてるんじゃないかと思うほど固まった彼の前に、ん、と両腕を差しのべて言った。
「早く首以外もあっためてよ」
「は……はい」
やはり息も止めていたようで、ちょっと咳き込むようにしてから、差し出した腕を掬い上げるようにして僕の胴に腕を回した。
「……し、しつれいします」
「いちいち言わなくていい……さっきまでの威勢はどうしたんだよ」
ぎゅっと抱きしめると、あたたかいを通り越して熱いくらいだからちょっと笑ってしまった。
厚い胸板に頬を寄せると、びっくりするくらい激しく、ばくばくと心臓が脈打っている。そして、その音はひとつではない。
ごまかさなければと思った瞬間、勝手に口が動いていた。
「悪い子の僕も好きなんだろ?」
「はい」
黙られるかと思ったら即答されて、またちょっとだけ面食らってしまう。
その隙にレノは腕に込めた力をさらに強くする。骨がきしみそうなほど抱きしめられて、ちょっと苦しい。
彼は僕の巻いているマフラーに顔を埋めるようにして、そっとささやいた。
「……俺は幸せ者です」