わるい奴らの言うことは 耳を傾ける価値もないのだから、聞くのはやめよう。真剣になる必要なんか、微塵もないのだ。そう何度もなんども繰り返し決意しているはずなのに、吉影は、いつだって、結局、DIOの言うことを聞いてしまうのであった。あれをしろ、これをしろ、それはなんだ、これを持ってこい、指図や要望となれば、無限に湧いてきて、自分は部下でも執事でもしもべでもないと啖呵を切ったこともあったけれども、友人として頼んでいるんだよ、なんて、いけしゃあしゃあ言われて、吉影が動かなければ、だだをこねる子どものように梃子でも動かぬ姿勢なので、渋々、世話をしてやっているのだった。世話という言葉を使うのを、DIOはいやがったけれど、吉影の心持ちとしては、そう形容するのがぴったりであったし、なにより、DIOがそうしていやがるのが愉快で、吉影はわざとその言葉を使うのであった。
「僕は、君のお母さんでもなんでもないんだけどね。」
きりきり舞い、八面六臂の家事の最中、ちくりと足蹴の小言をひとつ。吉影はDIOに頼まれた入浴剤を、市内の百貨店まで購入しに行っていたのだった。
「本当に世話の焼ける子どもだな。」
帰宅すれば、ほとんど関白様みたいに、一条の光も入らぬようにと暗幕垂らした居間の真ん中、どっしりあぐらをかいて座っているDIOである。この暗幕やら遮光カーテンやらだって、DIOの注文で購入した品なのだ。自らを吸血鬼だと称する彼は、日光をきらい、吉影に対策とるように言い渡したのだった。突然、そんなことを言われた吉影、雨戸を閉めることでやり過ごそうと考えたけれど、それでは、どうも、この大きな子どものお気に召さなかったらしく、わあわあ騒がれ、腐心。どうやら、新しくなにかものを買わなければ気が済まないようなのだ。金は、と吉影のほうが騒ぎ立てると、意外にも財力のあるらしき大きな子どもから、ずいっと札束押しつけられて、どうにかして来いと急かされる始末。いっそのこと、スーパーマーケットが提供している空き段ボール箱でも持って帰ってやろうかと、いじわるの気持ちが芽生えたけれども、そうすると倍のいやがらせされるので、吉影は仕方なく、カーテン探して駆け回っては、とぼとぼ帰るのだった。今日だって、自分のこだわりの入浴剤が欲しいと、散々喚き散らかして、吉影を折れさせて、わざわざ市内まで繰り出させたのだ。そうして、自分は、堂々と家の中でくつろいでいる。
「私は子どもじゃあない。」
「わがまま放題のガキじゃないか。」
「ガキじゃあないッ!」
非難するようなことを言えば、途端、かっとなって反論する様は、どうにも癇癪を起こす子どもに見えるのだけれども、もちろん、本人は不服であるらしい。レーザービームのような視線で、ぎりりと睨み上げられる。吹き飛ばされてしまいそうなひと睨みであるけれど、わがまま癇癪よりは可愛いものである。その火薬か爆薬かという視線を遮り、吉影は戦果の紙袋を掲げてみせた。
「頼まれていたものだよ。これで満足かい。」
すると、ぱちくり、鋭い視線を柔らかくして、満更でもなさそうに鼻を鳴らすDIOである。
「入浴剤に関しては満足だが、この家の風呂は狭すぎる。」
勝手に居候として収まっているくせに、不満の文句は無尽蔵なのだから、腹立たしい。
「僕にとっては狭くない。君の図体が大きすぎるんだ。」
「その貧相なからだであれば、どこでも満足できるだろうな。」
「まったく、減らず口をたたくのだけは一人前だな。」
「なんだと。」
売り言葉に買い言葉、ついつい舌戦繰り広げてしまうのだけれども、それだけでは済まなくなるのが、このふたり。子どもの前では、努めておとなでいようと心がける吉影であるが、ちょちょいと挑発されれば、それに乗せられて冷静でいられなくなるのだ。
「このDIOに向かって、その口の利き方はなんだ。」
牙を剥きだして色をなしたDIOが、今にも掴みかからん勢いで、腰を浮かせる。DIOもDIOで、皮肉やわるぐちなんかには敏感に反応し、きっと眦を決してメラメラ怒りに燃えるので、ふたり、よくない相乗効果でどこまでも応酬が続いてしまうのだ。特に、DIOは、頭に来るとなると、すぐに手が出る。普段は、静かな文化人ぶって、なにやら厚い本読みふけっていたり、ああだこうだ、吉影に自論披露したり、見せつけてくれるのだけれども、その化けの皮剥がれれば、文化人なんてとんでもない、ただのちんぴらである。吉影よりもひと回りもふた回りも体格の大きい彼が、力に任せて当たり散らかすのだ。吉影だって、ただでやられるつもりはないけれど、パンチ一発、柱の折れるおそれ、あり。ついこの間も、畳や襖の張り替えをして、いらぬ出費をしたばかりなのだ。そのことに思い至った吉影、喉まで出かかったいやみの仕返しをぐっと堪えて、おとなの対応、
「すまなかったね。」
と、謝れば、謝罪の手前、それ以上DIOもつっかかることができず、むっとした表情のまま、腰を下ろした。たいてい、我慢するのは吉影のほうである。この男にも我慢というものを覚えさせてやりたいと心に誓う吉影であるが、この男に忍耐なんて美徳があるのかどうか、些か疑問である。バリバリと包装を剥いで、入浴剤の現物を確認する様子は、まさしくプレゼントを貰った子どものようで、ちらり、先ほど獣の吠えるかのように剥きだしにされた牙が、今度は微笑みのために唇から覗いている。赤色、白色、この男の色彩はどこまでもはっきりとしている。吉影は、赤色の合間に現れた白色に、ついと視線をやりながら、ぽつり、
「それだけど、」
落とされた声に、機敏な反応、さっと顔を上げるDIOである。
「毎日はだめだぞ。」
「なぜだ。」
「毎日入浴剤使われたら、残り湯を洗濯に利用できなくなるだろう。」
いまだ独身、外車や高級ブランドのスーツを買い、自分だけのための出費を思う存分重ねてきた吉影だけれども、最近、この厄介者が増えたことで、節約、なんてものを始めているのだった。できるところから、と、自分の生活を見直し、電気を点けたままにしないだとか、冷蔵庫の扉の開け閉めを減らすだとか、細かなところからあれやこれや奮闘し、近頃はサンジェルマンのパンさえ買っていない。そうして切り詰めてゆくと、毎度まいど結局は、この図体どころか、態度まで大きな男がいなければ済むことという結論に達し、ひとり肩を落とすのだった。どれだけ吉影があくせく倹約しようとも、この男は自分の通り道すべての電灯を点けてゆくし、風呂など湯を出しっぱなしにして浸かっているし、勝手に吉影の財布からカードを抜きとり、ワインやシャンパンなど、意気揚々、買って帰ってきたりするのだ。薄ぎたないこそ泥。恥を知れ。びしっと怒鳴りつけたこともあるけれど、当の本人、にやにや笑いを浮かべて、
「こそ泥なんて、殺人鬼に比べたらかわいいものじゃあないか。」
暖簾に腕押しの吉影である。その殺人鬼が、平凡普通の暮らしをしようと努力しているのだから、こそ泥風情も、それに従い静かな生活を送ってほしいものだけれど、それこそ、怒るだけ無駄なのであった。無駄遣い厳禁、無駄遣い厳禁、口を酸っぱくして言い聞かせても、金など、自然に湧いて出てくるとでも思っているらしき男には馬耳東風、今も、入浴剤の使用を制限されて、ご立腹、じろりと吉影を睨み上げている。
「風呂は狭いわ、毎日使うのもだめだわ、なんにも自由がないではないか!」
「君は自由すぎだ!」