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    mhyk359

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    mhyk359

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    前厄災の話が見たすぎて勝手に書いた。
    捏造しかない。
    誤字脱字、推敲もろもろ足りてない。

    ぜつぼうかぶれチリチリと、砂埃が夜空を舞う。

    二十一時、四十三分。本日は快晴。
    雲ひとつない夜の空が広がる中で、二十一人と一人が見つめる視線の先はたった一つの満月に向かう。
    ぴん、と張り詰めた空気と共に突風が吹き荒れ、小さな砂が白い頬に掠ってはかすかな傷をなぞって消えていく。怯える己を揶揄するような強い風に飛ばされそうになりながらヒースクリフは汗で湿った自分の手を握りしめ、鼓舞をした。

    年に一度行われる、二十一人の賢者の魔法使いによる厄災戦。
    その厄災を初めて自身のまなこで見ることになったヒースクリフでさえ明らかに異様だと悟ってしまうほど、今日の厄災はかつて無いほどに恐怖と絶望と焦りに満ちたものであった。

    ……さて、今から語るはヒースクリフをはじめとする賢者の魔法使いが『月を踏みつけるまで』の長い長い物語なのだが、これはほんの数ページにも満たないプロローグの一編だ。

    どれほど功績を上げる英雄も、先駆者も、大体の話はなんだって躓くところから始まるだろう?だから結構、それでいい。そう、東の国の武家の名門、ブランシェット家が嫡男ヒースクリフによる厄災戦の初陣は、目も当てられないほどの大敗であった。

    伸びた手足、ブロンドの細い髪、視界に入られて仕舞えば魅入ってしまう青の瞳、陶器のような白い肌、薔薇色の頬に薄い唇、柔らかい心臓はいつだって人を思う薄い絹のような繊細さ編み込まれているのだろう。神様が作り出した最高傑作の一人に違いない。ヒースクリフは造形の整った少年だ。
    そんな誰もが目を奪われてしまうような整った容姿でありながら、いずれは家長を継ぐであろう家のしがらみから逃げたことなど一度もなかった。彼は努力を続けられる子供であったし武芸の才覚は日に日に芽を出している。
    弱気だと言われたことはあるけれど、覚悟を決めれば足を踏み出せる。
    ヒースクリフは決して弱い子供ではなかった。
    それでも厄災という敵を前にして動けなかったのだ。

    おそろしかったから?そうだけど、違う。
    弱かったから?全然違う。

    彼の力不足が敗因であったかというと、全くもって違うのだ。なんせ、たった二人だけで厄災と対峙して追い返したという年長者達さえ敵わなかったのだから。さらに言えば世界最強の魔法使いさえも敵わなかったのだ。
    まるで大木のように年輪を重ねた魔法使い達さえも敵わなかったのだから、齢十七のヒースクリフが勝てるはずもない。だからほら、仕方がないよ。そんな慰めがなんになる? 

    ヒースクリフは忘れないだろう。自身の弱さが色濃く残った敗戦の夜のことを。

    『これまでもそうだったんだ。油断せず、真面目にやればきっと負けないさ』

    厄災戦前に魔法舎の裏庭でそう口にしたのは賢者の魔法使いの中で初めて友人となったカインであった。

    カインは魔法使いであることを隠していたが、とある事件によりそのことが公になって騎士団長という座を降りたらしい。しかしそんな過去があるようには思えないほどからりとした笑顔が印象的な、陽の元で生きる好青年だ。

    誰か困っていれば、当然のように声をかける。
    おおよその相手が彼にとっては隣人なのだろう。年齢も性別も身分の垣根も容易く超え、分け隔てなく誰にでも話しかける人懐こく明るい性格はきっと生来からのものに違いない。
    そして親しみやすさと同時に誠実な人柄である彼がそう言ったのは、きっと強がりではなく事実であったのだろう。初陣に緊張するヒースクリフに向けて、彼はまるでこれから飛び立つ弟子に語りかけるみたいにそう口にしたのだ。
    赤胴色の束ねた髪を揺らし、握り拳を作った右腕はヒースの胸元を軽く叩く。大丈夫、とそう語りかけるように。

    『いざとなったら隠れてりゃいいさ。俺が守るよ』

    揶揄まじりに言ったその言葉にほんの少しだけ救われたのは本当。だって、大丈夫だと言われても知らない恐怖に立ち向かうのは怖いだろう?

    どれほど武芸に秀でても、学んでも、いずれは自身が前線に立つ日が来るとしても、ヒースクリフは少しだけ役目に怯えていた。いつだって強さの真価が発揮されるのは自分を好きでいられる時。そして、臆病者だと笑われたとしても、傷つけるより直すほうが得意な自分の方がきっと好きだ。
    それでも賢者の魔法使いとして厄災に立ち向かおうと決めたのは守るべき相手がいるからだった。魔法使いである自分を目一杯大事にしてくれた両親や、家の使用人たち、同じ魔法使いで小間使いで親友のシノ、彼らのためならどれだけ大きな嵐の前だとしても足を踏ん張って逃げずに戦える。
    彼らと平和に生きていく為なら、傷だって厭わない。そう思っていたのに――蓋を開けてみればどうだ。

    「はっ、は、はっ、はっ、」

    あたりの音が喧しくて自分の声すら捉え損ねそうになる世界の中、ヒースクリフは瞳を目一杯開いて辺りを見回した。
    瓦礫の山が四散したボロボロの地上と裏腹に月はゾッとするほどに眩しい。
    自分の中に熱がこもって排出できず、思考はまともに働かない。状況の整理も覚束ないまま、じわりじわりと自分の心を夜が侵食するみたいにして一つだけ確信したことがある。

    今日、世界が終わる。

    漠然と、だけど決定事項なのだろうと、そう思った。
    いつも笑っているスノウとホワイトが笑みを形取るのをやめ、普段表情の変わらないオズの眉間に皺が寄り、魔法使い達は姿を消した。
    虎だと思っていたものが、まさかドラゴンだなんて思わなかったんだ。誰もが想定外だと思うほど、厄災は圧倒的に強かった。
    真面目にやったからどうなるという希望さえせせら笑い、打ち砕き、まるで力の差を見せ付けるようにしてほんのわずかな時間の間に厄災は容易く魔法使い達を薙ぎ倒し、殺してしまっていたのだ。

    ほんの昼までいたはずの魔法使いたちはどうして姿が見えなくなっている?
    会うたびにこやかに挨拶をして、食事を振舞ってくれたあの南の魔法使いたちはどうして誰一人いない?
    かろうじて生きている魔法使い達を探すことさえも現状はままならなくて、遠くの方から微かに響く鋭い音と硝煙の臭いがして北の魔法使いであるブラッドリーが生きているのだけが分かった。
    有名な犯罪者である恐ろしい北の魔法使いなのに、今に限ってはその生存さえも安堵する。
    それほどまでに現状は悲惨としか言いようがなかったのだ。

    「はっ、は、っ…うぐ、ゔぇっ」

    かつての師匠だったジャックは目の前で石になった。
    人には耐えきれないような光が熱光線となって降り注ぎ、急所に触れればたちまちほんのわずかな間で生き物を死へと至らしめる。

    そして、その光線は今、ヒースクリフに向けて矢のように放たれようとしていた。

    魔法使いが死ぬと石になる。
    たった今まで熱を持ち、手足が動き、意思を持っていた生き物が何の思考もしない鉱石へと変わるのだ。月に反射してキラキラと恐ろしく眩い石ばかりがそこかしこに散らばっていて、それら全てが『自分と同じ魔法使いだったもの』なのだと理解するたび吐き気と眩暈で喉に込み上げてくる胃液を何とか飲み下す。

    どうして、月の脅威は一向に衰えない?
    どうして、なんの勝機も見えてこない?

    何とかなると心に油断があったわけでも無い。
    少なくとも、ヒースクリフは油断した記憶がないのだ。なんせカインが『油断しなければきっと負けない』と言ったのだ。だったら、彼の言葉通り神経を尖らせ、彼の役目を果たしていた。
    なのに、どうして?

    『走れ』『逃げろ』『危ない』『助けて』

    魔法使いたちの怒号が飛び込んで、耳にきんと響き渡る。もはや遠くで響く断末魔が誰の声かすら判断がつかないほど、ヒースクリフの脳は混乱と恐怖で支配されていた。
    息ができないのだってその所為なのだろう、さっきからずっと混乱しているから、落ち着かなければと先程からずっと息を吸ってるのに、吸って、吸って、吸って、吸って、吸って、……吸ってるのにどうしてこんなに息苦しいの?

    「は、は、は、は、」

    吸って吐くことさえままならなく、グローブを嵌めた手はすでに汗で湿っていて、酷い不快感だった。

    走らないと、逃げないと、自分の身を守らないと――次は自分が足元に転がる石のようになる番がやってきてしまう!
    頭が真っ白になって、思考すら覚束ない、どこかが熱くてどこか冷たい。心臓が痛い、何とかしなければと思うのに、手足が麻痺したみたいに動けない。

    戦わなければ、守らなければ、だって負けたら全部終わる。こわい、父母を、屋敷の者を、シノを、守らないと、俺が、俺が。

    立ち上がって、足を動かせばいい。
    魔法じゃなくたってできる筈だよ、なのにどうして、どうしてそんなことさえも出来ないの。

    「ひ、ッ」

    喉に引っ付くような微かな悲鳴はもう、誰の耳にも届かないと、そう思っていた。

    夜の光景が一面無情の白色へと視界いっぱいに広がり、そのまま熱光線はヒースクリフの体を貫き、肉も骨も細胞も溶かすかと思われたわずか数秒前。一面に薄い膜のようなものがヒースクリフを取り囲んだのだ。
    その膜はヒースクリフに放たれた熱光線を遮って、そのまま勢いガラスが膨らんでから大破したように、よく膜はぱあん!と目の前で大きな音を立ててひびが入って粉々になって消えていく。

    こんなに近い距離なのにかけらの一つも届かなかったところを見るとこれはきっと物理的に造られた物じゃない。おそらく、自分はまだ知らない魔法――結界だったのだろう。
    目の前で起きた月との攻防戦に首元から汗が沸々と流れ出す。ヒースクリフの首の皮一枚は誰かの手によって繋げられた。

    「おい!呆けるな!!」

    明らかに自分へと向けられた怒号が鼓膜を通って、ほんの一瞬で全身にわずかな電気でも送ったようにびりっと体が震えた。
    まるでその言葉が合図のように呪縛のように動けなくなった体が軽くなる。肺から深く呼吸が漏れて、ヒースクリフの肺はようやく酸素と窒素で満たされた。
    脳に酸素が行き渡り、自分に向けて吐き出した声の主はたしかに聞き覚えのある者だと脳がゆっくり処理をしていく前に、ヒースクリフの腕が力強く握られる。

    「ファ…」
    「立て!お前も石になる!」

    帽子のてっぺんからブーツのつま先までほとんどが真っ黒に衣装と表情を覆い隠す眼鏡を着けているにも関わらず、ヒースクリフの先生となったファウストの表情が明らかに切羽詰まったものであることは間違いなかった。帽子のつばに裂けたような傷がみられたが、本人の顔にはまだ傷一つないことにどうしようもない安堵が芽生える。
    それでもケープやカソックの裾は砂埃で色が変色していたけれど。
    先生、そんな大きな声を出せるんですね。なんてほんの一分ほど前に死にかけた者が浮かべるとしては大層ズレた感想が頭に浮かんだまま、深い青の眼はかすかに熱のこもりはじめて赤く染まる紫色の瞳を眺めている。
    誰とも連まなかった孤独な魔法使いが、どことなく石となった彼らへの追悼と共に彼らを絶命へと追いやった元凶と、守れなかった自分自身に苛立ちを携えているような気がした。

    「あの、み、みんなは……」
    「……分からない」
    「っ先生……あの、さっきは……」

    あしでまといになってしまって、すみませんでした。
    そう口にすることを理解していたのか、華奢な外見からは想像できないほど強い力でヒースの腕を掴んで立ち上がらせたファウストは相手の言葉を聞く前にゆるりも首を振って、いつものような夜の海みたく静かな声で『君が無事で良かった』と。
    それだけ告げると年下の生徒を庇うように一歩先を歩き出した。

    ……ヒースクリフが知っている『ファウスト先生』は、物静かな男だ。
    ごくたまに魔法者に現れる時は晴れの日だって真っ黒い服で身を包み、いつも俯いて、無愛想に唇を結んで、よく分からない禍々しげな怪しい道具を手にするか分厚そうな本を読んでいる姿ばかりがここ数ヶ月彼を見てきた中でヒースクリフにとって記憶に残っている。
    職業は、呪い屋。喋り方もカインと違ってもっとぼそぼそと話す。けれど、彼は間違いなくヒースクリフの先生で、無愛想でこそあったものの、決してヒースクリフに向かって薄情な態度はとらなかったし『魔法を習いたい』とほとんど無理やり頼み込んだ時でさえ、本人はうんざりとした面持ちだったけれど、やはり悪態をつくことはなかった。多分だけど、優しい人なんだろう。
    初めて魔法を見せた時、見込みがないと捨てられるのが怖くて普段は出来るはずのシュガー一つさえ粉々になって青ざめたヒースクリフに向かって、彼は落胆の色一つ見せずに「何度出来なくても構わないから、やってみなさい」と感情の上下さえわからない、静かな夜の海みたくそう告げたのだ。

    それから幾度も魔法を習ったけれど、彼がヒースクリフをひどく叱咤したことはない。
    前の師匠であったジャックみたいに大声で怒鳴りつけることも、詰ることもなく、いつも静かに言葉を結んでいた。

    『心を乱すな。魔法が使えなくなる』

    何度も何度もそう言われていたあの言葉が頭の中で反芻する。まさにたった今現在自分に起きた事象に違いない。
    それと同時にあれほど物静かだったファウストが今、こんなにも大きな声で話していることこそが状況の悪さを物語っている。

    かける言葉も、尋ねる言葉も何一つ浮かばなくて、黙っていた二人の沈黙を埋めるようにして勢いよく革靴がレンガを踏み締める快活な音が響いてきた。
    それはだんだんと近くなり、やがて声と共に本人の姿が壁の向こうから覗かせる。

    「ファウスト!」
    「!カインか……オズは?」
    「生きてる!」
    「……そうか」

    最後の守りの兵士は生きている、けれど、今はまだ“それだけ”だ。
    世界一の魔法使いである彼の力を持ってしてもいまだに厄災は退けられていない。
    どれほど畏れ多くとも、彼さえ、オズさえいればこの厄災戦もきっと勝利を手にできるとそう信じていたのに、今ではその確固たる自信さえ揺らいでいる。
    しかし、彼までもが石となって消えれば本当の望みは断たれてしまうことだけは間違いないだろう。

    カインの言葉にファウストはそっと息を吐くと、柔らかくウェーブした髪を耳に掛けながら小さくボヤいた。

    「全く、どういうことだ。ここまで地獄絵図になるとは聞いていない」
    「俺もだよ。ヒースとアンタが生きててくれて心底ホッとした」
    「他は?誰が生きている?」
    「オーエンは間違いなく生きている」
    「……ミスラは消えた」
    「ミ……死んだのか?!」
    「死んでない。消えたんだ。他の魔法使い達は?」
    「分からない。……助けられなかった奴が多すぎる」

    そう言って、カインが小さく唇を噛み締めると俯いた。
    中央の国は、正義感が強くリーダーシップを持つ者が多いという。そしてカインは中央の国で騎士だったのだ。善を背負って生きるような男がどれほど助けようと手を伸ばして、目の前で人が石になったのだろう。

    「カ――」
    「カイン、頭を垂れるな。悔やむならまずこの夜を生きてからだ」

    ヒースクリフがかける言葉を探す前に小さく息を吐き出したファウストは、腕を組んでピシャリとカインに向かってそう告げる。
    何もそんなことを言わなくても、と少し驚いたヒースクリフとは裏腹に、落ち込んでいられる状況下ではないことをわかっていたカインは納得したように黙って頷いた。

    「僕もはっきりとは誰が生存しているのかは分からない。その辺に石が転がりすぎている。ただ、……生存している東の魔法使いは多分僕とヒースクリフだけしかいないだろうな」
    「道中で見た石も誰のものなのか、朝にならないとはっきりとは言えないが、皆を弔わないとな。……そうだ、さっき派手に打ち上げられた花火を見たんだ。ムルと、おそらくシャイロックもまだ生きていると思うが……」
    「この状況下で花火とは恐れ入る……。確かに死ななさそうな二人だな」

    軽口でも叩いてなければ状況の悪さに飲み込まれてしまうからだろうか、普段なら聞けないようなファウストのシニカルな笑い声が鼓膜を揺らす。

    しかし、今のヒースクリフには誰かの感情を先回りして察する余裕があまりにもなかった。
    これからどうしよう、この先どうなるのだろう、そればかりが頭を巡っては炭で塗りつぶされた未来を想像して息が詰まる。
    先程から黙ったきりで会話に入れずにいるヒースクリフの姿を見たカインは、一瞬ファウストの目を見た。

    カインから見てもファウストは己の過去を語らない男だが、多分どこか戦禍にいたことがあるのではないだろうか、と今は少しだけそう思う。
    先程ファウスト叱咤された言葉が痛かったのは多分正論に他ならないから。死んだ者の弔いより今生きてる者を守る為。落ち込むのは今じゃないなんて、俺だって分かっていたのに。

    色んなイレギュラーが重なったせいか、今日はいつもより正しさとやらの方向性を見失っているような気がして、確認するようにカインはファウストへと視線を向けた。
    今から俺がやりたいことは、間違っていないだろうか、と確認するかのように。
    柔らかい髪が小さく頷くのを見届けた瞬間、カインは自分よりもまだ幼い、弟のような友人の肩をポンと叩いた。
    まるで、夕方の何も知らず厄災に立ち向かう無知だった頃の自分が鼓舞するような同じ力で、同じ相手に向かって。

    「、」
    「怖い思いをしたな。守ってやるって言ったのに近くにいてやれなくてすまなかった」
    「そんなことないよ、カインだって」

    痛かっただろう、怖かっただろう。仲間が居なくって、悲しかっただろう。それでも、カインは自分を安心させるように笑うと、『俺は騎士だから平気だよ』と。
    微かにこめかみが引き攣って、それでもなんとかなんでもない風を目一杯努めようとしたヒースクリフに向かって、一言一言を言い含んで聞かせるように、カインはゆっくりと唇を弓形に曲げ、夏の太陽みたいに鮮やかに笑った。

    戦いの場にいつかは身を置くかもしれないけれど、それはまだ今日までのことではなかった。
    ヒースクリフとカインは、少し境遇が似ているようで全然違う。だったら、今は俯く顔をなんとか少しでも上げさせてやりたいとカインは思った。
    戦を怖いと気持ちは、自分もよく分かっているから。

    「ここには俺もファウストもいる。もう大丈夫だ」
    「っ……」

    ――ヒースは、ヒースクリフは、“人を守るため”の魔法の使い方をまだ知らない。
    ほとんど人間と変わらないほど無知だったヒースクリフが数ヶ月の間にファウストから習った魔法は、そこまで数多くはない。
    物を移動させる魔法、浮かせる魔法、日常的に使う最低限のことから始まり、戦うための魔法はほとんどが攻撃魔法よりも相手から受けた魔法の反射や防護のためのもので、その対象は自分にのみ限られていたものだったからだ。
    対象が自分に限るもの、対象が人になるもの。
    近くにボールを投げるのと遠くにボールが投げるのとでは力の使い方が違うように同じ魔法でも力の使い方が違う。今はこれだけ覚えてごらんと、そう言ったファウストはきっと先を見据えていたのだろう。いつか戦線を走り抜く、まだ弱い雛鳥が生き延びるための最低限の術だけを。

    それを今体の芯から実感して、だからこそ、泣きたくなるほど歯痒くて、悔しい。
    仲間を石にした厄災に傷一つ負わせることができない非力さに。人を守るどころか自分さえも守れなかった弱さに。

    それでもファウストはヒースクリフを庇ってくれた。カインだって守ると言ってくれた。けれど、自分は何もできない。彼らより魔法の腕も、実務経験もあまりにも乏しいからだ。
    こんなにも死んでほしくない仲間達を、どうして守り切れる力すら持てないんだろう。

    「頭から出血している男が言ったところで何の説得力もないぞ」
    「おっと、悪い」

    こめかみから血を流すカインにファウストが手をかざすと、治癒魔法を使ったのか、傷が塞がり出血は止まっていた。

    「で、どうする?」
    「……生きてる魔法使いだけでも一度賢者のところに行った方がいいだろうな。この戦力差でバラけていては格好の餌食だろう」
    「そうだな、とにかく走ろう。……いけるか?ヒース」
    「、うん」

    気遣わしげなカインの視線をまっすぐ受けてヒースクリフは頷く。 

    生きなければ。

    生きて、厄災を超えた暁には今度こそ人を守る為の魔法を習おう。大切な家族や友達や仲間を自分の手で守ることができるように。

    ゆっくりと呼吸を整えて、ヒースは強く頷く。
    土だらけのブーツのつま先は前を向いて走り出した。

    絶望の夜はまだ終わらない。

    賢者が突然消えてしまい、困惑のうちに自分を庇ったファウストが瀕死の状態を負うのはこれからすぐ後のことなのだから。
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