攫ってください(鴉🗡️)「……よう、すけさん。洋介さん……」
うわ言のように繰り返し名前を呟きながら、縋り付くように抱き着いた。
ゆるやかに背に手を回され、やがて優しくするりと撫でられる感覚に、じわりと視界が滲んでいく。
「……ッ洋介さん。俺の事、攫っちまおうかって……言ってましたよね」
「お、おいッ、九龍?」
思わず声が震える。俺は今、とんでもない事を口走ってしまおうとしている。
ひょっとしたら拒絶されるのかもしれない。
一度断っておいて、今更と思われるかもしれない。————でも、あなたになら。
「攫ってください、洋介さん」
背中を撫でていた手がぴたりと止まり、洋介さんが息を呑むのが抱き着いた胸から伝わってくる。
怖い。拒絶されるのではないか、この手を振り払われるのではないかと、負の思考ばかりが脳内を占めていき、洋介さんに縋り着いた手に力を込めた。
じゃあな、早く脱出しろ——そう笑った、甲太郎の顔が頭を過ぎる。ずきずきと頭が痛み、父の死に際の姿がちかちかとフラッシュバックする。
「洋介さん……ッ。置いて行かないで……俺を、見捨てないでください……ッ」
あなたにまでこの手を振り払われたら、俺は——
「九龍、お前……あの遺跡で何があった?」
洋介さんが発したのは、拒絶の言葉ではなかった。思わずがばりと顔を上げるも、両目からはとめどなく涙が溢れ、彼の顔はよく見えない。
洋介さんの顔は見えないのに、俺の泣き顔は見られているのが急に気恥ずかしくなり、腕で顔を隠そうとするも、両腕をがしりと掴まれ阻止された。
「……話せ、九龍。お前にそんな顔をさせたのは誰だ」
「ッい、言いたく、ありません……」
いつもより乱雑な口調と、怒気を孕んだ声音に、なぜだか責められているような気持ちになり、口を噤んだ。
「はァ〜……悪い悪い。ムキになっちまった。……だからそんなに怯えるなって。なッ?」
掴まれていた手がパッと離され、代わりにぐいと涙を拭われた。
視界が晴れ、ぼやけていた洋介さんの顔がはっきりと見える。先程までの剣呑さはもう窺えず、安心させるような笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
「皆守クンだろ?原因」
言い当てられ、思わずびくりと肩が跳ねる。
聡いこの人に隠し立ては無用だと悟り、こくりと頷いた。
「……はい。あの、」
「いいって、もう何も言わなくていい。……辛かったんだろ?忘れちまえ、辛いことなんざ。……それとも、オニーサンが忘れさせてやろうか?」
「忘れさせてくれるんですか?洋介さん」
クリスマスの時のように、なんてなと誤魔化されてたまるかという意趣返しを込めて、にこりと笑い被せるように言葉を連ねると、今度は洋介さんがめいっぱい目を見開く番だった。
「なッ……。ッかぁ〜ッ、マセガキが……」
「ガキって。俺はもう二十一ですけど」
怒ったように眉を険しくさせた洋介さんに、くすくすと笑っていると、突如ベッドから起こしていた上体が勢いよく後ろに沈む。
「……えッ?」
洋介さんに、押し倒されている……?
「忘れさせてやるよ、九龍」
「なッ、ちょ、洋介さ……ッ!?」
俺の上にのしかかったままの洋介さんが掛けていたサングラスを外すと、獲物を前にした猛禽類のような瞳が現れる。
吸い込まれるように瞳を見つめ返すと、ふっとその視線が柔らかくなった。
「……ははッ。なんてな。さすがに病み上がり相手に盛らないって」
「……え?あ、はは……ッ。ですよね……」
鼓動が早鐘のように脈打つのが分かる。胸がじくじくと痛み、なんだか息苦しい。
なんてことない顔で離れていく洋介さんの体温がどうしようもないくらいに恋しく感じて、思わず自分の左胸の辺りをぎゅっと握りしめた。
(ッくそ、なんだこれ……ッ。どきどきしてる……)
「——九龍?まさかお前……」
「わ……ッ」
再びずいっと眼前に洋介さんの顔が迫り、仰け反って距離を取ろうとする。だが、ベッドに沈んでいる身では後頭部を枕に押し付けただけで終わった。
洋介さんは俺の顔をじっと見つめた後、「まじかー……」と呟きがしがしと頭を搔いた。
「あ、あの、洋介さ、」
「九龍」
「ッは、い……?」
俺を見下ろす洋介さんの顔があまりにも真剣で、思わず声が裏返った。心臓の音は相変わらずどきどきと煩い。
「好きだ、九龍」
「すッ、ええ!?」
好き?洋介さんが、俺を?
突如投下された爆弾に頭が真っ白になる。好き?好きって何?洋介さんが俺を?
「くくッ、百面相」
「だ、って、え?ええ……?」
「九龍、返事は?」
「はい?返事?」
「告白の返事」
「こくはく」
こくはく。告白?洋介さんが俺に告白?
「わか、りません」
「おいおいッ。分かんないってお前、初恋じゃあるまいし……」
「初恋……」
初恋という言葉に、がつんと頭を殴られたかのような衝撃を覚え、ぽかんとおうむ返しをすると、さすがに洋介さんも面食らったような顔になった。
「お前、マジかッ。……いや、その顔見る限り、マジなんだろうな〜ッ」
「……お、俺、今、どんな顔してます?」
「ん〜ッ?マヌケ面でかわい〜顔」
「……か、からかわないでくださいってば!」
だいたい洋介さんはいつも——と続けようとした口が、柔らかなもので塞がれる。
何が起こったのか分からずぱちぱちと瞬くと、眼前には目を閉じた洋介さんの顔が見えた。
キスをされている?
思考停止した脳みそがその考えにようやく至った際にはゆっくりと唇が離れていくところだった。
「どうだ?」
「どう、って……む、胸が、痛い……?」
「……な〜んか、すごい悪いことした気分になってきちまったなァ。……嫌だったか?」
嫌?今のが?……確かに胸は痛い。息も苦しい。
でもこれは、決して不快なものではない——気がした。
「よ、洋介さん。……もういっかい」
「……九龍、俺が言うのもなんだけどさァ。そういうのって男を煽るぜ?」
声音には咎めるような響きが含まれていたが、視線はどこまでも優しくこちらを見詰め、やがて再び唇が合わさった。
今度はキスされたまま至近距離で見つめられ、気恥しさに思わず瞳を閉じると、目前の洋介さんが微笑む気配がして、じんわりと胸が温かくなった。——のも束の間、突如唇をぺろりと舐められ、咄嗟にベッドに投げ出していた膝を突き出した。
「んがッ!?」
「あッ、すいませ……ッ!」
勢いよくベッドから転がり落ちた洋介さんを、慌てて上体を起こして覗き込む。
「く、九龍〜ッ!!キスの最中に鳩尾に蹴り入れる奴があるかッ!?」
「つ、ついびっくりして……ッ」
「だ〜ッ!そんな可愛い顔したってなあ……」
(……あれ?)
洋介さんがごにょごにょと恨み節を言い出したのを尻目に、ふとさっきの事を思い出す。
(びっくりした、けど……嫌ではなかった、な?)
ふに、と自分の唇を思わず触り、続けて洋介さんの顔を見る。
「洋介さん」
「なんだよッ」
「あの……えっと。好き、です」
「…………お前なあ〜〜〜ッ!!!こういうのにはもっとムードってもんが……」
毒気を抜かれたようにぺしょりと床に倒れた洋介さんに、思わずくすくすと笑う。
「ムードも何も分かんないんですってば。……俺は、洋介さんが初恋なんですから。これから色々教えてくださいね?」
「……九龍、それわざとか?」
「何がですか」
「天然か〜ッ……」