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    《スズ》

    @0o0suzu0o0

    好きなものを好きなだけ好きなように描くところ。ただし愛と敬意をもって。

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    《スズ》

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    記憶喪失なお嬢様と付き添うたゆさんのお話。
    (お嬢様視点ver.)

    孤独ごっこの夕焼け空目覚めたら、見知らぬ天井だった。
    享楽の脳裏をよぎっていったのは、もはや使い古されて慣用表現と錯覚しそうなフレーズだった。
    清潔感と無機質さが滲むベッドから身を起こし、冷静に辺りを観察する。
    やはり見覚えがない。
    並んでいるベッドや、仕切り用と思われるカーテン。ほのかに消毒液と薬品の香り。
    おそらく医療的な空間であろう。
    では、何故そんなところに?
    目覚める以前の記憶を手繰ろうと、すぅと目を細め思考に沈むことにした。
    そうして、すぐに押し寄せてきた巨大な喪失感に、思わず瞬きを数度繰り返す。
    驚いた。
    何故ここにいるかどころではない。
    自分の名前も、思い出せない。

    「…………」

    足元が抜けて落ちていくような、とても居心地の悪い空間に押し込まれたような、そんな未知の感覚に襲われて、心拍数が上がっていくのがわかる。
    それを静かに息を吐き出すことで収める努力をしながら、天井の灯りが反射するリノリウムの床を見つめた。
    ここで取り乱すのは得策ではない。それくらいは分かる。
    ベッドの横に揃えられていたブーツを見つけ、ゆっくりと立ち上がってみた。
    目眩や気分の悪さ等の身体症状はない。
    何も思い出せない、というとても不愉快で寒々しい感覚があるだけだ。
    ガラス戸のついた棚の前に立ち、そこに映る自らの姿を確認してみる。
    切り揃えられた前髪と背中に流れる長い黒髪、つり目がちな瞳は顔全体をやや険のある印象に仕立てているが、頬のまろやかさや大人になりきれていない骨格を見るに、10代半ばといったところだろう。
    着ているのは軍服だろうか。
    触れるだけで分かる厚みのある生地。履いているブーツも含め、機能性を優先しつつも統一性を持って纏うことを目的とされた衣服に思える。
    ということは、なんらかの集団、組織に属している身と考えていいはずだ。
    軽く動いてみて、動作や運動機能に良くも悪くも異常は感じない。運動神経は良いのだろうが、常識の範囲だ。
    服を捲って見える範囲に傷や故障の跡はなかった、指や手も綺麗なものだ。体を酷使するような労働ないし作業を強要される環境ではなさそうだ。

    「さて……」

    このまま推測を進めてもいいのだが、部屋から出てなにかしらの存在とコンタクトを図った方が情報は得やすいだろう。
    出入り口と思われる扉に向かうと、足音が聞こえてきた。
    こちらへ向かってくる。
    出ていくまでもなかったようだ。僥倖、と呼べる展開であればよいが。
    ベッドに戻り享楽が腰を下ろしたのと、扉が開いたのは同時だった。

    「お目覚めですの?きょらりん」

    楚々と口元に手を添えて、雅やかな所作で入室してきた少女が、享楽の返答を待たずに続ける。

    「それで、ご自分のことは覚えておりまして?」

    核心を突いた問いに一瞬言葉を選ぶべきか迷うが、少女の後ろから入室してきた白衣の人物を眺め、なるほど、と心中でため息を吐いた。

    「いいえ、全く」
    「ならばまずは診察を受けていただきますの。欲しいであろう説明は、その後に」
    「そのようね。ところで、貴方は?」
    「濃姫家雪と申します。のんのん、と。きょらりんにはそう呼ばれておりますの」

    美しい簡略式カーテシーと共に名乗られ、その姿に感心したのも束の間、その後はあれよあれよと診察が進められたのであった。




    ***********




    診察の結果、身体的な異常はなし、とされた。
    症状といえば失われた記憶のみ、となるわけだが、記憶障害というにはどうにも不可解である。
    通常、記憶障害というのは、物の使い方や一般常識といったものまでごっそりと欠損するか、特定の期間の記憶が穴が空いたように失われるものだ。
    だというのに、享楽が陥っている状態は、一般常識等は保たれたままパーソナリティに関わる記憶だけが綺麗に抜け落ちている。自分の名前や年齢、家族や友人の存在、今まで歩んだ人生の過程、そういったものが思い出せず、まるで人格だけダルマ落としの要領で飛んでいってしまったかのようだ。
    そんな納得のいかない状況を、家雪は「ご都合記憶喪失というらしいですの」という誰かから伝聞した言葉でバッサリと結論付けて、もうその辺について言及する価値はないと言わんばかりに話を進めていった。
    つまり、享楽についての基本的な情報である。
    名前、年齢、所属するクラス、全寮制の学園で生活していること、目の前の家雪とは幼馴染であること。そういうことを、端的に並べられた。

    「暗号学園、というのね、ここは」
    「そうですの」
    「そう、教育機関だったのね。いえ、養成機関かしら」
    「そちらの方が正確でしょう。他に知りたい事は?と問う場面ですけれど、どうやら適任が現れたようですの」

    伏せられた瞳が保健室の扉へと向けられる気配を察し、つられて扉を見つめる。
    数秒前から聞こえていた靴音のことを言っているらしい。なかなかのスピードでこちらに向かってくるそれは扉の前で止まる、と同時に少々乱雑に扉が開かれた。

    「ちょうど診察が終わったところですの。たゆたん」

    飛び込んできた、という表現がふさわしい足取りで姿を現したのは、高い位置で結われた髪と夕焼け色の瞳が印象的な少女だ。
    挨拶もそこそこに、気遣う言葉と共に真っ直ぐ享楽に駆け寄ってくる。
    しかし、悲しいかな。覚えのない身としては静かに見つめ返すしかない。
    そんな享楽の姿から瞬時に違和感を感じとり停止した少女は、家雪からごくごく手短な説明を受けて状況を理解したようだ。
    理解はしたが納得はしがたい、そんな顔だったが。
    家雪が付け加えた情報では、享楽のようなケースが学園内で時折発生している状況なのだそうだ。ご都合、と名に冠されたようにみな一日程度で回復するものらしい。
    そんなものが存在するのか、創作の世界じゃあるまいし。そう呟きそうになった唇を、キュッと引き締めることで言葉を飲み込んだ。

    「あとは、たゆたんにお任せしましょう」

    授業があるから、と家雪は実に迅速に颯爽と去っていった。
    享楽の事情は問題なく教師側にも伝達されるようで、今日一日は休んで経過観察となるらしい。
    付き添いとして適役だから、という理由で巻き込まれた少女と、保健室に二人きりである。
    三步ほど先で揺れる太陽色の髪を見上げながら、考える。
    幼馴染であるという家雪よりも適任なのであれば、きっと親しい仲に違いない。急いで駆けつけてくれたことや、すぐに自分の異常に気がついたことも鑑みて、少なくとも友人以上の関係であることは間違いないはず。
    「えーと……」と言葉を探す相手に、享楽はこちらからコミュニケーションを図ることにした。

    「たゆたん、というのね。私のお友達でいいのかしら?」
    「…………っ」

    おそらく肯定されるであろうという期待と共に発した言葉には、わずかな動揺が返された。
    不快に感じたようではないが、不意を打たれたような反応だ。
    何か、間違えてしまっただろうか。

    「変なことを言ったかしら?」
    「いえ……」

    曖昧に言葉を濁したまま、少女は「多夕です。夕方多夕。たゆたん、で構いません」と短い自己紹介を投げてきた。

    「ともかく寮に移動しましょう。案内します」

    ほんの少し急かすように手を差し伸べられ、享楽は腑に落ちない気持ちを抱えながらも、その手をとった。
    聞きたいことはたくさんあるけれど、今日一日は共にいてくれるのだから、ゆっくり尋ねてみればいい。
    もしかして友人関係ではないの?
    とか。
    どうして敬語を使っているの?(敬語キャラという可能性もあるけれど)
    とか。
    どうしてそんな瞳で見てくるの?
    とか……。




    **********





    多夕から簡単な解説を受けながら校舎を横断し、広大な敷地に建てられた学園であることを把握しながら、寮である建物を目指した。
    あまり口数が多い方ではないのか、享楽が道中思いつくままに投げかけた質問の多さは、多夕をいささか困らせたようだ。

    「こんなに話すのは久しぶりです」
    「そうなの?」

    口調はとても柔らかいのに、合わされない視線や強張った表情が不思議で、よく見せてほしいと顔を覗き込めば、自然な仕草で避けられた。
    照れ屋さんなのかと思えば、解説と共に実に冷静な瞳が向けられることもある。
    不可思議な性格だ、うまく輪郭が掴めない。
    そんなことを思いながら、斜め前で揺れるポニーテールを眺めた。

    「もう少しで校舎を出ます。疲れてないですか?」
    「問題ないわ」

    途中クラスメイトという少年少女ともすれ違った。
    可愛らしい顔立ちをした少年も、どうやら記憶の一部を喪失しているらしい。小動物のような愛らしさを纏った少女に付き添われ、校医の元へ向かっているという。
    明るく気さくな対応に、きっと彼らも友人に違いない、と期待を込めて多夕に尋ねれば、即刻「クラスメイトですよ」と返ってきたのは残念だった。
    男子の友人がいるほど社交的な人間ではなかったらしい。
    とはいえ、ノートや課題を後から届けてくれる友人もいる、との情報は得ることができた。そう悲観することもないだろう。
    徐さん、と呼称されていた友人はどんな人物だろうか。後程会いにきてくれるというのを、心待ちにすることにした。

    「体調は変わりありませんか?」

    寮だという建物に到着し、多夕に導かれるまま並んだ扉をくぐり、勧められるまま部屋の奥のベッドに腰を下ろす。
    気遣いを絶やさない多夕に感謝の言葉を返してから、部屋を見回した。
    今のところ、見覚えのある景色はない。ここも自室と言われても、他人の部屋に侵入したようでいささか居心地の悪さを感じる。
    整頓された室内を見るに、ズボラな性格ではないようだ。いくつかの日用品に同じロゴが散見されるのは、お気に入りのメーカーだろうか。KAP。
    着替えて安静にしましょう、と迷いなく壁際の棚に向かう背中を見つめる。
    なるほど。
    ごく自然に享楽の私物の位置を把握している、そういう関係ではあるらしい。
    ここまでの道すがら、質問と共に多夕との距離感を測ってみたのだが、どうにも把握しかねている。
    親しい、のは確かだと思う。けれど、納得がいかない点も多い。
    例えば、頑なに享楽のことを呼称しようとしない、とか。
    苗字や名前で呼ばれているのか、ニックネームで呼ばれているのか、それが分かるだけでも随分と関係性への理解が進むと思ったのだが、ことごとく上手くいかなかった。
    享楽のことを主語にしなければ答えられないような質問を投げかけても、まさしく言葉巧みに都度返されてしまい、結局多夕がなんと呼んでくれているのかは不明なままだ。
    宙ぶらりんで形が見えないのは気持ち悪い。
    元来の性分なのか、相手が多夕だからなのか、享楽はなぜかこの疑問に明確な答えを出したいと思っていた。
    良いタイミングかもしれない。
    多夕の反応を見るに、二人きりの空間になってから投げかけた方が良いであろうと保留にしていた質問をしてみることにした。

    「ねえ、たゆたん」
    「はい」

    小さく息を吸い込んで、問いを吐き出す。

    「もしかして私たち、喧嘩をしている最中だったのかしら?」

    軽くなんでもない問いかけをするつもりが、存外責めるような鋭い口調になってしまったことに自分でも驚く。
    こんな口調では、多夕が気分を害してしまうかもしれない。
    なにか弁解を。
    そう思うのに、息をつめて戸惑うような瞳でこちらを振り返った姿に、何故だかひどく胸が痛んだ。
    心臓の裏側からモヤモヤとしたものが溢れて止められなかった。
    この抑えきれない情動はなんだろう。
    そんなつもりはないのに。
    別に、責める意図は、なかったのに。

    「何故そう思ったか、わかる?」

    気がつけば詰問のような言葉を並べながら、動けないでいる多夕のそばへと歩み寄り、伏せるように目を逸らし続ける顔を覗き込んでいた。
    多夕の瞳が沈んでいるのが分かる。
    違うの。
    こんな言い方をしたいわけじゃないの。
    優しくしてくれて、気遣ってくれて、そばにいてくれるという事実が目の前にあるのだから、関係性なんてきっとなんでも構わないはずなのに。
    そんな、貴方に、たゆたんに、
    傷付いた顔をさせるつもりなんてなかったのに。

    「……………………」

    焦燥に焼かれた心情を、これっぽっちも反映しない表情筋に戸惑いながら、とにかく無理矢理にでもこの話題は終わらせてしまうことにした。

    「記憶のない身で、責めるような真似をして悪かったわ」

    俯きがちになった多夕の頭部をポンポンと軽く撫でて、非礼を詫びながらベッドへと踵を返す。
    腰を下ろすと共に、ポロリと言葉が溢れた。

    「もしかして私は性格が悪いのかしら」

    本音だった。
    私たち仲良しよね?なんていう子供みたいな確認作業に、何故あんな態度で臨んでしまったのか。照れ隠しだったとしても可愛げがなさすぎる。愛想を尽かされても文句は言えない。

    「いえ、それはないです」

    すぐに否定されたことに、そっと安堵した。
    そして、こんな優しいを通り越して甘い相手になんてことを……、と自己嫌悪がじわじわ深まってくる。
    しょんぼり、といったオノマトペを背負いたい心持ちなのだが、表情はピクリとも動いていなかった。
    衝動的な行動といい、仕事をしない表情筋といい、自分は一体どんな人間なのか。
    これは少ない情報で余計な推測を巡らせるのは良くないのかもしれない。
    幸いにして多夕はこれから一日そばにいてくれる。
    となれば、失っている自身のパーソナリティを、多夕からしっかり教えてもらったほうが良さそうだ。
    単純に、多夕から見てどんな人物なのか、ということも興味がある。
    その旨を依頼すれば、快く承諾してもらえた。
    長い話になるから、とお茶を用意してくれている背中をそっと見つめる。
    自然体でありながら軸の整った綺麗な後ろ姿だ。
    先ほどその背中を丸めるほど俯かせてしまったことへの罪悪感が、再度じわじわと喉の奥から迫り上がってくる。
    嫌な方向に思考が回転をはじめる。
    おそらく大丈夫だろうけれど、ここまでの対応を見るにあり得ないだろうけれど、だけれど万が一……あんな態度をとってしまったことで、少しでも嫌い、と思われてしまったら……。
    その心配は、想像以上の鋭利さで享楽の心臓を貫いた。経験があるかわからないが、失恋したかのような胸の痛みだった。
    なにか、言っておかなくては。
    だが、しかし、なんと言えばいいのだろう。
    嫌いにならないで?
    あまりにストレートすぎる。
    それでは本当に子供ではないか。今時幼児だってもう少し上手い言い回しをする。
    考えれば考えるほど、妙案からは遠ざかっていく気がした。
    夥しい数のイデオムが浮かんでは、却下されて消える。
    どうやらとても賢い頭のようなのに、ちっとも言葉が定まらない。

    「…………ねえ、たゆたん」
    「なんです?」

    ふと視線を向けると多夕の作業が完了しつつあることに急かされ、なんて言おうか結論が出ないまま呼びかけてしまった。
    迂闊。
    だが、すぐさま振り返り、向けられた澄んだ瞳に、出たとこ勝負で言葉を続けるしかなかった。

    「記憶が戻ったら、どうか仲直りしてちょうだいね」

    笑顔で、告げる。
    きっと、お友達には向けていたと思う、そんな表情ができた。やっと表情筋が仕事を始めたようだ。
    咄嗟の判断にしては、悪くなかったのでは。
    そう思ったのも束の間だった。

    「………………ええ」

    にっこり、と。
    返ってきたのは、こちらを安心させることのみを意図された笑顔だった。
    空っぽの、テクスチャを貼り付けただけの、そういう顔。
    途端に、鉛を飲み込んだように胃の腑が重くなる。
    だけれど、駟も舌に及ばず。
    吐き出してしまった言葉は、戻らない。



    ああ、どうやら『また』不正解を選んだようだ。





    〜終〜
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