紆余曲折押し問答ハッピーエンド前途多難好きの反対は嫌いではなく無関心だと人は言う。
メネラは全くその通りだと思って生きてきたが、限りなく無に近かった関心がほんの少しでもこちらを向いて、最初は喉を鳴らすような微かな笑い声でも自分の話で笑ってくれて、自分の目を見て話を聞いてくれて、自分が話す時に手を止めてくれて、自分が話したことを覚えていてくれて、徐々にメネラの存在を身近に置いておくことを許してくれるようになった。時には屋敷に泊めてくれるほどメネラを許容してくれているリァンに、より強く、一緒にいれば胸が高鳴って平常心ではいられないほどに強く惹かれていた。
具体的に言うならメネラが「好きだよ」と言えば以前なら「さようで」と一蹴されていた返事が「だから何です?」と挑発的な流し目でこちらの目を見るようになった。
リァンはメネラの返事に面白さを期待してくれるようになったのだ。
問われるたびに違う答えを返していれば「よくもまあそんなバリエーションが出てくるものですね」と呆れたように笑ってくれる。
さらに具体例を挙げるなら「付き合ってくれないか」と伝えれば「邪魔になるだけです。必要ありません」とキッパリ断られていたのに「どこに?」とこちらを少し小馬鹿にしたような揶揄いを含んだ眼差しで見ながらメネラの言葉を待つようになった。
メネラが恋愛的な意味で言っているのは百も承知の上で、メネラの返答を待っている。
これも問われるたびに頭をフル回転させてジョークを重ねたり、時にはストレートに伝えることで「今のは5点。ありきたりすぎる」「なかなか面白い。68点を差し上げます」と告白としての点数ではなくリァンが面白いと思った点数という厳しい採点基準ではあるものの、告白に点数をつけるという新しい遊びになって、楽しんでくれているようだった。
ちなみにまだ100点はとったことがない。
メネラが思うに、リァンの態度が少しずつ柔らかくなっていることにきっとリァン自身は気がついていないのだろう。
彼はメネラに忖度するような人ではなく、自分の思うがままに振る舞う人であることを理解しているから、より一層嬉しくて、胸がじんわりと暖かくなった。
メネラの心も頭も今しかない、と完全に覚悟を決めた。
「リァンさん、真面目な話があるんだけど」
「急に改まってなんです?」
「俺はリァンさんのためならいくらでも面白い回答を考えるし、100点の告白ができるように頑張るけど……今何年間これを続けてるか覚えてる?」
「そうですね……50年ほどでしょうか」
少し考えるようなフリをして、すぐに正解の数字を出す。
リァンは案外一見彼にとって些細などうでも良いことでも覚えていることがある。その記憶力に驚くほどに。
「覚えててくれたんだ……約50年間、リァンさんはずっと俺が隣にいることを許してくれたよね、ありがとう。すっごく嬉しいよ」
リァンはメネラが何が言いたいのか察せず、眉根を寄せて理解不能であることを隠さずにいる。
以前のリァンであればこの時点で「言いたいことがあるならはっきり仰っていただけます?」と言葉を急かしていたことだろう。
メネラはリァンが無言で続きを促していることを確認してから続ける。
「この50年間、リァンさんと話をすればするほど好きになって、リァンさんと一緒に人生を楽しめたらって何回も想像したんだ。いい歳の男がさ、ベッドに入るたびにリァンさんのことばっかり頭に浮かんで、次いつ会いに行こうか、何をプレゼントしようかって考えるのが楽しいんだ。俺にとってもうリァンさんはいないと生きていけない存在、だと思うんだ」
「……続けて?」
リァンは興味なさげにテーブルに頬杖は付いているものの、メネラの真剣な告白をちゃんと目を見て聞いていた。
いままでとは違うことを察し、メネラの本気を真面目に受け取ってくれていることがもうすでに嬉しかったが、普段と違う雰囲気を帯びたオリエンタルブルーの瞳に見つめられると、言いたかった言葉が逃げていく。
必死で散りそうになった言葉の尻尾を掴んで脳内で組み立て直す。
まずい、見つめ返されると緊張する。
「リァンさんは自分は自分のものって言ってたけど、それはもちろんそうで──ただ、リァンさんさえ良ければ、リァンさんの人生の隣に、恋人って形で俺のことを置いて欲しい。逆に、俺はリァンさんのものになっても全く構わないから!」
「つまり?」
「真剣に恋人として付き合ってくれませんか……?」
告白なんてこのあっという間に過ぎ去った50年で何百回したか覚えていない。
その何百回を合わせても、この1回の緊張と胸の高鳴りには届かない。
この時ばかりは時計の秒針の音も鳴らない無音の屋敷が憎らしく思った。
緊張からごくりと生唾を飲む音も、心臓が飛び出そうなほどドキドキしている心音まで聞こえているんじゃないかと心配になる。
リァンはゆっくりとメネラから目線を外し、小さく息を吐いた。
リァンがため息をつく時は、大抵その後に悪い言葉が続くため、メネラはああ、今回もダメかと心が折れそうになった時──
「856回」
「え?」
「貴方がここ5年ほどで好きだの付き合ってくれだの言った回数」
「お、覚え…っ数えてたのかい!!?!」
「何回目で心が折れるのかと思ってみていましたが、ついぞ折れませんでしたね」
「だって、リァンさんみたいな人……今後絶対に出会えないから、俺は絶対にリァンさんが良いんだ。絶対に他の人に取られたくないし、取られるくらいならいっそ……とか考えたこともあるくらい。リァンさんには勝てっこないけど」
「そんな事まで考えていたんですか?馬鹿な人。フフ……私も甘くなったものだ。たまには本音で話して差し上げますよ」
リァンは話を聞く体制から話しやすいように頬杖をつき直す。
途中、指先で髪を払う動作がやけに目について、メネラはこれから先何を話されるのか全く予想を立てることすらできなくなった。
「正直、貴方と話すのは暇つぶしの中では悪くない。貴方、人の顔色を伺って生きてきたんでしょうね、不愉快にならないラインを弁えている。そんな中でのやり取りが面白く、心地よく感じ始めていたのは認めましょう」
リァンが話し始めた途端、振られるのかと緊張して濡れてしょぼくれた犬のようだったメネラの顔が、みるみるうちに明るく希望に満ちていくのがわかりやすくて、また少し笑ってしまう。
これで霧雨の森では通行人に悪戯をするようなミステリアスな男で噂だったというのだからリァンには信じられない。
「次、私が何を言おうとしたか当てて見せたら、付き合って差し上げても良いですよ」
「えっ……ほ、本当に!?じ、時間をもらっても良いかい…??」
「30秒で」
「30秒で!?す、少なすぎる……」
「29、28、27………」
「ま、待って待って… ええ!?」
リァンの正確な体内時計から出る30秒間のカウントダウンはずっと聞いていたかったが、声に集中していては突然振られた無茶振りに脳みそがついていかない。
メネラは内心ああくそ、と悔しさを募らせる。
まさかこのタイミングでクイズが振られるとは思わなかった。
リァンはよく質問や雑学のクイズを出してくるが、今回だけは外すわけにはいかない。
そのくせ30秒しかないなんて、少し前の脳みそが機能停止しかかっていた自分を責めたくなった。
「……3、2、1。ハイ、回答は?」
「あ……う、ッ……その………ッ!」
無理だ。
少し前まではメネラのことを褒めてくれていたことは覚えているが、そこから次の話題に飛ぶのか、誉めてくれた話を続けるのか、さっぱりわからない。かと言って秒数を気にしすぎてリァンのことを考えもしないで雑に答えるなんてメネラがメネラを許さない。
30秒をすぎた後も多少猶予をくれているリァンに感謝しながらもう少しだけ考えて考えて考え抜く。
メネラはこの時、リァンが薄く唇を開いて口角を上げて面白そうに笑っていたことに気がついていなかった。
正直に言えば本当にわからない。
本音で話す、と言っていた手前その延長線なのだろうが、リァンの本音などメネラが1番知りたかったことなのだ。それをメネラが考えたところでわかるはずもない。
メネラの中での選択は最早リァンの口から出そうな話題を考えることより、わからなかったことを素直に伝えるか、わからないなりに捻り出した答えを言うかの二つだった。
「回答は?」
リァンが最後通告を出す。
焦り散らかしたメネラはこの時ようやくリァンの顔を見てピンときた。
あ、これ、簡単な問題だったんだ。
「リァンさん、俺のこと焦らせて楽しんでたんだね?」
「ハハ!及第点ですね、たかが50年話をしていただけの人間に私の思考が完全にトレースされたらそれはそれで問題ですから。
私は何より、貴方が試行錯誤してそうやってクルクル表情を変えるのを見ているのが面白かった。
おや、及第点を与えてしまっては付き合わなくてはいけなくなってしまいましたね……」
「ほ、本当かい!?ホントに!?」
「ああ、でも残念ですね今ここには貴方と私だけ。口約束は契約で1番許してはいけないこと」
リァンは指先を振って空に長方形の四角をなぞると無地の羊皮紙を取り出してみせる。
「貴方も事業主であるなら、チャンスは紙に書いて言質を取っておかないと。このように不意にされてしまいますよ」
リァンの手のひらにあった羊皮紙は言葉と共にみるみる燃えて姿を消してしまった。
つまりメネラはまた弄ばれたということを理解し、ガックリと肩を落とす。
「そ、そんな……」
「流石に心折れました?」
バッキバキに折れかけている。
今までは直球に断られることが多かっただけに、こうやって自然な流れで上げて落とされると本当にベッコベコに凹む。
最後の一本諦めない気持ちだけは折れていないけれど、メネラはまたシャンプー終わりのびしょびしょの犬のようにしょぼくれてしまった。
「ふふっ…アハハッ!だから貴方はいつも詰めが甘いと!この50年で何度か伝えた気がしますが?」
「楽しそうで何よりだよ……」
目を細めて無邪気に笑う顔は可愛いけれど、心を弄ばれてボロボロの身では皮肉にもなりきっていない中途半端な言葉しか返せなかった。
これがワルプルギスの虜囚のやることか。
さっきの胸の高鳴りとは別の方向で胸が痛い。
リァンの前だがこればっかりは耐えられず、机に上半身ごと突っ伏した。
物理的にも精神的にも、リァンの目を見ることができなかった。
「フフフ、楽しませてもらいました。ええ、それはもう、これだけベコベコに凹んでいる成人済み男性を見れることはなかなかない」
人を振っておいて酷い言い草だが、メネラがリァンを責めることはなく、自分が約束を確かなものにしておかなかったのが悪い。
本当だ、霧雨の森でイタズラを仕掛けていた頃の自分であれば他人の言葉を信じすぎず、きっとすぐに書面か呪いの類で契約を締結させていただろう。
リァンを自分の物にしたいのに、リァンの前では余裕があるフリしかできなくていつも手からすり抜けられてばかりだ。
それを追いかけるのが楽しいのは否定しないけれど。
「もういいですよ」
成人男性がベッコベコに凹んでいるところは見飽きたんだろうか。
興味の対象がコロコロと移り変わる彼なら確かにもうそろそろ飽きる頃合いだろう。
モソモソと鈍い動きで上半身を元に戻してリァンを見やれば、先ほどと同じで機嫌の良い顔をしている。
メネラは予想していなかった展開に、また頭が真っ白になった。
「えっと……何?」
「だから、この50年もここで終わりにしましょうと」
「ああ、うん……そう、そうだね……最後に特大のチャンスをくれてありがとう……」
「は?付き合わなくて良いんですか?」
「え?」
椅子から腰を上げて玄関に向かおうとした時に、聞き捨てならないセリフが聞こえてくる。
あわてて体を捻ってリァンを見れば、可愛いニヤけ顔から本当に理解できない、と言う顔になっていたので嘘ではなさそうだ。
いやもうどれが嘘だ?
「だってさっき、チャンスを不意にしたって……」
「不意にはしましたよね」
「まあ……うん」
「だとしても恋人になっても良い、と言っているんですが。それも不意にするんですか?」
「しっ、ししし、しないよ!!!!するわけないだろ!!!本気だね!?今度こそ写しと原本2つにサインしてもらうからね!?」
「面倒臭いので書類は嫌ですが、流石にもうシラを切るつもりはありませんよ」
パッと魔法で紙を2枚とペンを取り出したメネラを見て、リァンはまたくふ、と噴き出すように笑う。
シラを切るつもりはないと言う言葉を聞いて、メネラは一旦落ち着いて紙とペンをしまう。
ゴホン、と咳払いをして誤魔化しているが、しょぼくれた犬がおやつに釣られて尻尾をブンブンに振り回す様子をリァンはバッチリ見ていた。
「ほ、本当にいいんだね?」
「構わないと言っています。もとより私が言い出した提案ですからね」
「もう……俺はリァンさんみたいに頭の回転が良くないから、そういうことされると混乱して困るよ……」
「でもそういうところがお好きなんでしょ?」
メネラはそういう時の何もかもを見透かしたようなリァンの瞳が大好きだった。
「好きだよ!大好きだよってずっと言ってきたよね、知らないわからないとは言わせないよ!」
「さすがの私も50年言われ続けると覚えるなという方が無理ですねえ」
「はぁ〜〜……これでようやくリァンさんの恋人になれたってこと!?信じられない……夢じゃないよね?」
「頬に風穴でも開けて差し上げましょうか?」
「つねる程度にとどめてほしいな……」
リァンは遠慮なく革手袋に包まれた人差し指をメネラの頬に突き刺した。
普通にめっちゃ痛い。革手袋がなかったらもっと痛かったと思う。
しかし、今のメネラはこの50年間水や肥料を与えて大切に大切に育て続けた木にようやく実がついた幸せ絶頂期だったため、そんな痛みは秒で忘れ去った。
「じゃ、じゃあこれからキスしたりハグしたりできるってこと!?」
「え?嫌ですけど」
「え?」
ちょっと待った。
これは舞い上がったメネラが悪い。
「あ、そうか。触れられるの嫌だって言ってたね」
「正確には皮膚接触が困難です。手袋越しでもできれば触りたくない」
メネラはでもさっき俺のほっぺたつついてたよね?という思いに頬が緩みそうになったが、ここは一旦我慢する。
「わかったよ、今は付き合ってくれただけで嬉しいから。ちなみにそれって……」
「治してほしいですか?」
「できれば……」
「こればっかりは1400年近くずっと続いてる物ですから、私にも治せるかわかりませんが……貴方が頑張れば治るかもしれませんね」
「リァンさんにその気があるなら何百年かけてでも治すの手伝うよ!手始めに、今日は泊まってもいいかい……?」
リァンはメネラをジッと見つめる。
その顔はもういつも通りのすまし顔に戻っており、メネラは幸せ満開から急に何か失言をしたのか不安になった。
今のメネラは舞い上がりすぎて色々判断が追いついていないが、当のリァンは普段通りの顔に戻っただけである。
リァンはリラックスしているほど無表情になるタイプである。
「まあ、良いでしょう」
「よ、よかったぁ……ありがとう!これから恋人として、改めてよろしくたのむよ!!」
「はいはい。相変わらず貴方はソファですけどね」
「全然良いよ!!!!」
側から見れば恋人になった同士だというのにメネラは普段の紳士的な部分が嬉しさで吹き飛んでおり、リァンは逆にいつも通りで大変温度差が激しいが、この50年間この温度差は常に存在していたし、メネラもリァンが恋愛を許容したとはいえいきなりバカップルのように色ボケし始める人間でないことは百も承知だ。
この双方の温度差は付き合って、触れ合えるようになって、重たい契約を交わして、一緒に暮らすようになって、結婚した後も全く埋まることはなかった。
*
今日も見知った魔力が探知に引っかかり、しばらくするとゴツゴツとドアノッカーが叩かれる。
「おや魔法省の」
「レイデだ。良い加減覚えろ」
「リァンさんはレイデの名前なんて覚えなくても良いよ♡」
「近い」
「何だその背筋が寒くなるような距離感は」
「恋人の距離感だよ、わからない?」
「わかりたくもない……」
「わからなくて良いと思います」
「お前はどっちの味方なんだ……」