交友関係のあれそれについて昼食を取る店を探して飲食店が立ち並ぶ繁華街を歩いていた和泉は、遠くからでも目立つ赤髪のポニーテールを見かけて、見知った人間の背中に向かって歩みを進めた。
近づいてみると、どうやら誰かと相席して話をしているらしい。
相手がいるならここは引き下がろうと思った時、向かい側に座っている男が自分の恋人である燗流であることに気が付き、引き下がろうという考えは頭からすっぽ抜けて行ったのだった。
かわりに出たのは驚嘆の声。
「え!なんで燗流と紅華が一緒にいんの!?知り合い!?」
「和泉か、こんにちは。端的に言えばそうだな」
「い、和泉!?どうしてここに?奇遇だね…」
突然大きな声を出した和泉に動じることなく、挨拶と疑問に対する返答を述べる紅華に対し、和泉の恋人の燗流の方が慌てていた。
とはいえ和泉は燗流が本当に和泉がいきなり声をかけてきたのに驚いただけであることは理解している。
「俺?俺は飯食いに来ただけ。え、いつから知り合い?全然知らなかった、言ってくれよな水くさい……」
「ご、ごめん。タイミングがなくて…」
「知り合ったのは大学の頃だ。彼は後輩でね、最近はまあ色々と相談に乗ったりしていた」
「そうなんだ」
燗流と紅華は医療系の大学の先輩と後輩であり、専攻は違えど縁があって仲良くしていた。
生真面目でお堅い紅華だが、大学に入学してから人間不信が加速していた燗流にとっては言葉に裏表がなく、思ったことをはっきり言ってくれる紅華はかけがえのない友人の一人だった。
もちろん和泉は別格だが。
「えーなんか世間って案外狭いのな、でもなんか嬉しいよ。あ、そうだ。せっかくだったら昼飯一緒にどう?もう食べちゃった?」
「ううん、まだだよ」
「じゃあ白杏も呼んでさ、皆んなで──」
飯食おうよ、と言おうとしたところで紅華のスマートフォンに着信が入る。
「すまない」と一言入れて席を立った紅華は3分ほどで戻ってきた。
「悪いが急な仕事が入った。燗流との話は終わっているから、和泉が望むならその席で昼食を取ると良い。ここのパスタは美味いぞ」
「おー、いいねパスタ。休みかと思ったら仕事かぁ。大変だな、行ってらっしゃい」
「あ、あの、紅華、話聞いてくれてありがとう……!」
「ああ、二人ともありがとう。楽しい昼食を」
和泉は晩鐘閣の方向へと向かって人混みへ消えていく紅華を見送り、目の前の燗流に向き直る。
「白杏呼ぶ感じでは……ないよな?」
「できれば……その、せっかくだし、二人で食べたいな」
「ん、じゃあ何にする?俺紅華が言ってたパスタにする。ペペロンチーノがいいな」
「俺もパスタで……ボンゴレかな、でもペペロンチーノも美味しそう…」
「食べたかったら一口やるよ」
「いいの?じゃあボンゴレにしようかな」
メニューを見てから店員を呼び、注文を済ませるとあまり待つことなくホカホカと湯気を立てたパスタとカトラリーが目の前にコトリと置かれる。
いただきます、と食前の挨拶を済ませてから食事に手をつける。
これは確かに美味い、と食べ進める和泉はクルクルと器用にパスタを巻きつけたフォークを唐突に燗流に差し出す。
「はい、一口」
「え?えと…その」
「あーん」
「あ、ありがとう…」
燗流は公衆の面前でいわゆるイチャイチャをすることにすこし気恥ずかしさを覚えたが、このチャンスを逃すわけにはいかないので少し体を前のめりにして、差し出されたペペロンチーノをぱくっと食べる。
辛味調味料で辛さが倍増されているがペペロンチーノ自体は美味しい、美味しいのだけれど、燗流は間接キスと恋人からのあーん♡で頭がいっぱいでどんな味だったのか正直よくわからなかった。
心の中でなんとなく紅華ごめん…!と謝っておく。
「んで、なんで紅華と会ってたの?何の話?」
「え?うーん、色々相談に乗ってもらってたからそのお礼をどうしようかなって。昔から紅華にはよく助けてもらってたんだ」
「へー、その大学時代の話詳しく聞きたい!俺燗流と大学違ったからよく知らないし!」
「いいよ、あんまり面白くはないと思うけど……」
「いーの、聞かせてくれよ!」
和泉はペペロンチーノを食べ進めながら、燗流の話に耳を傾ける。
和泉も紅華とはそこそこ付き合いのある仲の良い友人であるし、疑ったり嫉妬なんてしないけれど、少しだけ、自分の知らない燗流を知っている紅華が羨ましかったのだ。
燗流は少し恥ずかしそうにしながらも、大学時代について話し始めた。
「えっと、俺が入学してしばらく経った頃なんだけど、尸の研究のために晩鐘閣の人たちの討伐任務に同行させてもらったんだ」
「へえ、大学の頃からそんなことするんだ。訓練積んでたら別だけど、危なくね?」
「うん、それはその通りだよ。晩鐘閣の人たちはちゃんと気を配ってくれてたけど、アクシデントで尸が俺の方に向かってきちゃって……慌てて逃げたら足を挫いて」
「あー……今ここにいるってことは大丈夫だったってことだけど、肝が冷えただろうな。それでも研究続けてるんだからすごいな、燗流は」
自分の昔話をしているつもりが、いつのまにか褒められていたことに燗流は少し照れた微笑みを浮かべる。
和泉は言外に、その一件がトラウマになって研究を辞めてもおかしくないと言いたかったのだろう。
燗流としては研究がまだまだ進んでいない尸相手では、何が起こるかわからないのがデフォルトであるためある程度のアクシデントは想定内だった。それに自分が対応できるかは別として。
「そうだね、晩鐘閣の職員さんのおかげで足の捻挫だけで済んだよ。本当に運が良かったと思う」
「これからはそういう危ないことしないでくれよ?」
「うん、もちろん。和泉もね」
「わかってるよ。で、その捻挫が紅華とどう繋がるの?」
和泉はピッチャーからグラスに水を注ぎながら燗流に話の続きを促す。
何も言わなくとも燗流のグラスにも水を注いでくれていた。いつもあまり話さない燗流のことだから、たくさん話せば喉が渇くだろうと思ったのだ。
「えっと、その一件があった帰りに大学校内を歩いてたら、突然声をかけられたんだ」
*
燗流は歩く度に鈍い痛みが走る足を引き摺りながら大学校内を歩いていた。
少しズキズキするけれど医者に見せるほどでもないかな、人に見られるの嫌だし、もし晩鐘閣の人たちに責任がどうとか問題になったらもっと嫌だ。
とにかく大学の図書館で今日のことをまとめようと思っていた時、後ろから凛とした芯の通った声が聞こえた気がした。
「君、長身白髪のそこの君だ」
また知らない人に絡まれたとあってはせっかく実践を目の前で見せてもらった経験をまとめる機会を損なってしまうし、なるべく人とは関わりたくない。
こんな風に声をかけてくる知り合いなんていないし、聞こえていないふりをして通り過ぎようとしたが、相手はそれを許してくれなかった。
燗流の肩に控えめに手が置かれる。
「君だ。聞こえていなかったか?」
「ひっ……な、なんでしょうか……その、俺、何かしましたか……」
「君、足を怪我しているだろう?保健管理センターには診てもらったか?」
どうやったらこの人から早く離れることができるかで頭の中がいっぱいだった燗流には、一瞬彼が何を言っているのかわからず、しばし無言の時間が流れた。
「えと、診せて、ない、です……」
一方、相手の彼も燗流が自分に対して訝しく思っていることを理解したらしく、怯える燗流を宥めるように一度距離を空けた。
「突然声をかけて驚かせてしまったみたいだな、すまない。俺は医学部の紅華。君がどう見ても捻挫を庇う歩き方をしていたものだから、つい声をかけてしまった」
「あ……その、仙尸学科の花 燗流、です」
「どうも。話を元に戻すが、たかが捻挫と思っていないか?捻挫は確かに放っておいても治るが、きちんとした治療をしないとその部位はまた捻挫しやすくなる。君も将来尸の討伐に携わるのであれば、保健管理センターで適切な処置をしてもらうべきだよ」
紅華の理路整然とした説明に燗流は圧倒されていた。ここ最近顔を合わせていない和泉以外とこんなに会話する機会はそうそうなかったため、半ば混乱していたと言っても過言ではない。
ただし、流石の燗流でもこの紅華と名乗った青年に悪意がないことは理解できた。
「そうなんだ……わかったよ、この後保健管理センターに行ってくる」
「ああ、是非そうしてくれ。驚かせて悪かった」
それでは、とその場を去ろうとする紅華を燗流は必死の思いで呼び止める。
「あの!ほ、紅華さん!」
「ん?まだ何か?」
「その、良かったら、お礼がしたくて…この後すぐは無理だけど……」
「気にしなくて良いさ。とはいえそれでは君の気が収まらないということかな?」
「えっと、そう、ですね……」
「じゃあ君さえ良ければ連絡先を交換しておこう。俺は君が一刻も早く治療を受けてくれた方が
嬉しいよ」
「ご、ごめん…!これが終わったらすぐいくよ」
スマートフォンを取り出し、メッセージアプリでお互いの連絡先を交換した。プロフィール欄を見るに、かなり先輩だったらしい。めちゃくちゃタメ口で話しちゃったよ…!と燗流は一瞬で青ざめる。
「あ、あの、せ、先輩だったの!?……ですね!?」
「ああ、そうだが堅苦しいのはあんまり好きじゃないんだ。学科も違うし、無理に敬語を使わなくても構わないよ。ホラ、早く治療を受けに行って」
「あ、ありがとう!また連絡するね……!」
紅華は燗流の言葉にヒラヒラと手を振って大学の門の外へと歩いていった。帰るところだったのに、わざわざ燗流に治療を受けた方が良いというために時間を割いてくれたらしい。
すごくいい人だ…!と燗流はこの大学に入学して以来初めて人間関係で感動した。
知らなかったとはいえ先輩相手に敬語を使わなかったのも気にするなと言ってくれて、このサッパリとした雰囲気にほんの少しだけ想い人の面影を見た気がした。
燗流は紅華の忠告に従い、保健管理センターで湿布とテーピングをしてもらい、しばらく安静にというお決まりの言葉をもらった。
その後、図書館で今日の討伐に同行してわかったこと、気がついたことをまとめ終えた後、あまり遅くなる前に家に帰ることにした。
気がつけば捻挫した足首は図書館に来る前より痛みが和らいでいて、紅華の言葉に従っておいて良かったとホッと胸を撫で下ろす。
きっと言われなければ保健管理センターに行くという思考すら思いつかなかったかもしれない。
帰宅後の夜、20時ごろに交換したばかりの紅華の連絡先にメッセージを送った。
ところがそのメッセージを送るまでに、これではカジュアルすぎるか?ああでもビジネス文書みたいに硬くなりすぎてもどうかと思うし、会った時はタメ口で話してたのにメッセージでは敬語?とか思われるかな!?とかれこれ数十分悩みに悩み抜いて送ったメッセージであった。
『こんばんは、燗流です。今日はわざわざ声をかけてくれてありがとう。捻挫はちゃんと治療してもらったよ。良ければ今度お礼をさせて欲しいけれど、空いている日はある?』
緊張を抑えてえいやっ!と目をつぶって送信ボタンを押した。
すると、既読の文字は案外すぐついて数分後にはポコンと返信の通知が届いた。
『こんばんは、ちゃんと治療を受けてくれてよかったよ。本当に気にしなくて良いんだが、一応明日は4限で終わるよ。明後日も5限までだから君の都合が合う方で』
ただ文字を読んでいるだけなのに、昼間に聞いたあの凜とした声が頭の中で再生されるようだった。そうしてお礼の予定はとんとん拍子に決まり、大学構内のカフェでランチを奢ることになった。
その後も燗流と紅華は連絡を取り合い、紅華は授業の効率的な進め方や学内の暗黙の了解についてなど、さまざまなことを燗流に教えてくれた。
とはいえ偉そうに知識をひけらかすわけでも、燗流を甘く見てなんでも口出しするわけでもなく、燗流が本当に困っていたり、気がついていなさそうなことだけをしれっと教えてくれるのだ。
大学で和泉と進路が分かれて、入学早々いろいろと災難に揉まれた燗流にとっては、頼れる先輩が友人─といっていいのか燗流にはまだわからない─になってくれて本当に良かったと思っている。
*
「──って感じでね、後輩が先輩から資料とかもらうのが暗黙の了解っていうか、恒例になってる授業でわざわざ声をかけて教えてくれたり、参考文献とか貸してくれたり、本当にお世話になったんだよ」
「へぇ〜紅華って医学系だったんだ。道理で。人の世話焼いてるのも今とあんま変わんないな、最初怖くなかった?」
「正直にいうと怖かったけど、言葉とか態度に揶揄う感じがなかったからゆっくりだけど慣れたよ」
「そっか、良かったなホントに。紅華は今でも頼れる先輩だぞ」
「さっきまで頼ってたから知ってるよ」
「そういや相談に乗ってもらってたんだっけか」
ハハと笑う和泉に、燗流も微笑みで返した。
和泉にはあまり細かく話していないけれど、燗流は和泉と再会してから付き合うまで、何かあるたびに混乱して、何をどうして良いかわからないことだらけで、恋愛ごとについて相談できるのが紅華しかいなかったため、紅華には本当におんぶに抱っこ状態だったのである。
和泉の次に、燗流の良き友人だと胸を張って言える一人だった。
*
紅華はコツコツと控えめな早足の靴音を響かせてマンションのエントランスと玄関ホールを通り抜ける。
高層階行きのエレベーターに乗り込み、自宅の階層で降り、長年毎日繰り返したおかげで機械めいてきた動きで自宅まで辿り着きカードキーで電子錠を解錠する。
バタン、ガチャン。
重たい扉が閉まり電子錠がロックされた音を聞いて、ようやく紅華はほう、と息をつく。
ふと目線を上げると、広い玄関の大理石のタイルの縁に見慣れた靴が脱ぎ揃えられていた。
「白杏?来ているのか」
やたらと広いこの家では玄関から呼びかけたところで聞こえないだろうが、程なくして奥から返事が聞こえてくる。
「おかえり、上がらせてもらっているよ」
「ああ、ただいま。すまない、急な仕事で思ったより帰りが遅くなった」
本来であれば紅華は今日は休みだったため、午前中は友人である燗流の相談に付き合い、午後からは恋人である白杏を自宅に泊まりに来ないかと誘っていたのだった。
元から仕事人間の権化たる紅華だが、恋人が泊まりにくる予定があろうと仕事の重要度合いによっては仕事を優先してしまうことがあるのがワーカホリックと言われる所以である。
もちろん白杏には合鍵を渡してあるので、遅くなるから先に上がってくつろいでいてくれと連絡した上での遅刻だが。
「そのぐらい構わんさ、しかしいつもの事ながら晩鐘閣は大変だね。それで?相談とやらはどうだったのかね?」
「そう言ってもらえると助かるよ。燗流のことなら問題ない。終わらせたタイミングで和泉と鉢合わせて彼と合流させて置いてきた」
「そりゃ都合が良かったね」
「昼食の時間帯でな、俺を見て白杏も呼ぼうかと口に出していたがコレが遮ってしまった」
紅華はポケットから晩鐘閣から支給されたスマートフォンを取り出して仕事用のカバンにしまった。
念の為休日でも仕事用のスマートフォンを持ち歩くことにしているのだ。今日のようなパターンがあり得るから。
「残念だねぇ、一度紅華の後輩で和泉の同級生兼恋人を見てみたかったんだが、どうにもタイミングが合わないらしい」
「それに彼……燗流は極度の人間不信でね。とりあえず俺の恋人で和泉の知り合いの時点である程度、警戒は緩めてくれると思うよ」
「そらまた難儀な……」
白杏はおそらく出迎えるまで座ってたのであろうソファに再度腰を下ろした。紅華はとりあえず茶を淹れることにした。
いつもしていることではあるが、遅れたことに対するちょっとしたお詫びのつもりである。
紅華の家探しの8割は不動産任せだったが、内装と設備にはこだわっていて、それなりに気に入っている部屋だった。この国に伝わる古典的な建築スタイルと現代モダンが上手く組み合わさった、殺風景すぎず、派手すぎないがラグジュアリーな空間が居心地が良い。
眩しすぎない白い壁に、壁の格子構造の飾り枠や、テーブル、ソファの足などに濃い茶色などを取り入れて落ち着く空間に設計されている。
「大学の時から彼は色々と苦労していたからな、人間不信なのもまあ仕方がないと思ってしまう。初対面の人を警戒してしまう気持ちは白杏の方がよくわかるんじゃないか?」
「彼の事情をよく知らないから上手くはいえないがね、まあわからないとも言い切れないね」
「だろう。今は本当にタイミングが合わないだけで、和泉が白杏を呼ぼうかと言ったことに対しては嫌そうな顔はしていなかったから、そのうちまた声がかかるさ」
「そうだと嬉しいねぇ」
慣れた手つきで茶を淹れ終えた紅華は自分の前と白杏の前に茶器を置く。
「今日は最高級の茶葉を、俺が持っているものの中でも歴史のある作家の茶器で淹れてみた」
「ほお、確かに香りも良いし美しい器だね。うーん、でもやっぱり私は猫が乗ったヤツが好きだな」
「お前のそれとは一生分かり合える気がせん。まあマイカップとして置いておきたいなら好きにしてくれ」
考えておくよ、と笑う白杏に、紅華は困ったように笑いながら茶に口をつける。
やはり良い茶葉は正しく淹れると美味い。
「燗流と出会った頃は学生だったからこんな良い茶葉や茶器を揃えるなんてことはできなかったな。本屋で図録を買って、美術品として眺めることしかできなかったのを思い出したよ」
「今は使い切れるかってほど収集しているのにかね?」
「ああ、仕送りは十分あったが無駄遣いはできないからな。誕生日にねだればワンセットくらい買ってくれたが……いや、アレは俺の注文の仕方が悪かったんだが、いわゆる高級ブランド品の茶器でね。悪くはないんだが…」
「あー……紅華の趣味は難しいんだろうよ、高尚な趣味というか。プレゼントには難易度が高そうだ」
紅華はふと、今までのコレクションを頭の中でざっと振り返る。いわゆるハイブランド品は親が買い与えてくれたそのワンセットくらいしかなく、後は大抵が何々焼きだの絵付けがどうだの説明書が必要なものばかりだ。それ以外だと白杏にもらった謎の猫が絵描かれたのがワンセット。
「難易度が高いと言いながら、お前も自分の趣味のものを贈ってきたろう」
「私にはその高尚な趣味の良し悪しなんてわからんからね、自分の気に入ったものを贈らせてもらったまでさ。あれもなかなかかわいいだろう?」
「否定はしないが、コレクションの中では浮きまくっているな。まあ、たまに使っているよ」
白杏は驚いた顔をした後に、ホッと胸を撫で下ろすかのような安心した表情を見せた。
きっと貰うだけ貰って収納の奥深くにしまったっきり日の目を浴びてなくてもおかしくないと思っていたのだろう。
茶器に並々ならぬこだわりがある紅華とはいえ、恋人が選んでくれたものはちゃんと思い入れがあるし、特別扱いしているのだ。
「ふふん、使ってくれているなら良いんだ。とはいえ2度目をチャレンジする気にはなれないな」
「2度目があるならお勉強が必要になってくるな」
「一旦持ち帰って前向きに検討しつつ善処して考えておくよ。紅華の話す茶器の歴史に興味がないわけじゃないんだがね…」
「わかっている、冗談だ」
弾んだ会話が落ち着いた時、再び紅華の私物のスマートフォンにポコンと通知音が鳴る。
白杏に目線で見て良いか、と確認すると頷いてくれたので、タップして開けば噂の燗流からだった。
『今日は相談に乗ってくれてありがそう。お礼はどこか好きなところでご飯なんてどうかな?和泉は白杏さんを紹介したがってるから、もし紅華と白杏さんが嫌でなければ4人で』
正直この文面を見て紅華は少し驚いた。
昔から律儀で何か手伝ったりするたびにお礼だなんだといろいろしてくれたが、まさか自分から白杏まで誘うとは思わなかった。
白杏への興味というよりは、和泉が紹介したがっているから、という理由の方が比重が大きいのかもしれないが、それでも一人で静かな環境を好む大学時代の彼と比べると確実に前進している変化だった。
「白杏」
「ん?なんだね」
「燗流と和泉が飯でもどうかと言っているが、来るか?」
「おお、もちろん行くよ!断る理由がないだろう?楽しそうだね」
「俺もお前に友人が増えると思うと嬉しいよ」
「キミはまたそういうことを言う……流石に友人の一人や二人作れるさ」
「誤解だ、俺の旧友と仲良くしてもらえるのは段違いに嬉しいってだけさ」
紅華は燗流に簡潔にまとめた承諾の返事を送り、白杏の頬に軽く手を添えて褐色肌の頬に触れるだけのキスを落とした。
目を覆い隠している前髪を払い避けて、白杏の変わった色味の瞳を見つめる。
「俺は歴史が好きというよりは、何かをきっかけに成長して変化していくものの変遷を見るのが好きなのかもしれないな」
「な、なんだね藪から棒に……」
「いや、思ったことを口に出しただけだ」