いちごタルトに完敗「何故…………」
ワイナー・リァンはその日珍しく街に出掛けており、気に入っていたカフェに足を運んでいた。
ただし、中には入らず未だ店頭に置いてある黒板を睨みつけ続けて早10分ほどになる。
自分の腰丈よりも低いメニュー看板を睨みつけているため、中腰で眉間に皺を寄せて唸る不審人物になっている事はもうリァンの中ではどうでも良いことになっていた。
リァンが唸っているのはたった一つの文章についてだった。
【カップル限定メニュー ハート型いちごタルト 数量限定】
このカフェのメニューは全制覇していたのだが、ここにきて新メニューが登場した。しかも“カップル限定メニュー”という制限付きで。
どうやら数を多く作れないため人数制限をかけ、ハート型の2人前仕様にしたことでカップル客を引き入れる作戦らしい。
当然、全メニュー制覇していた店の新商品となれば気にならないわけがない。
それなのに、人付き合いを嫌うリァンには恋人はおろか、スイーツのために一芝居打ってくれるような友人などいないのだった。
自称リァンの弟子であるリリアイディスに頼んだとしても一言で断られるか、よしんば引き受けてくれたとしても笑われて一生弄られ続けること間違いないだろう。
そんなわけで、リァンは悩んでいた。
「あれ、リァンさん。なにしてるんだい?」
「げっ………………」
「げって、酷いなあ。俺が見るに、そのカップル限定メニューのスイーツが気になってるんだろう?」
「だったらなんだと言うのです。貴方に何ができるわけでもなし、関係ないでしょう」
自分の欲しいものが思うように手に入らないことに苛立ち始めていたリァンは、たまたま見かけて声をかけてくれたメネラの的確な指摘にすら噛み付かんばかりの勢いで不機嫌だった。
そんな八つ当たりに近い態度を取られてもメネラは気にする素振りも見せずに話を続けた。
相変わらず肝が据わった男だと苛立ちながらも感心する。
「あのさ、提案なんだけど。俺を利用するって形で使えばいいんじゃないか?」
「利用?貴方とカップルですと偽って入店しろと?」
「うん。さっき入って行ったカップルは恋人でーすって言うだけで大丈夫だったみたいだし。証明しろとまでは言われないみたいだよ」
メネラにも見てわかるほど、リァンの思考がぐらりと傾く。嘘をつく事自体にはなんの抵抗もない。
ただ、このスイーツが食べたいがためだけにこの男に借りを作るのがとてつもなく嫌なのだ。
しかし今頼れる者がメネラしかいない事実も揺るがないので、余計癪に触るのだ。
考えに考えぬき、考えつかれたところでギ…と歯を食いしばって苛立ちを飲み込み、やっと中腰からゆらりと立ち上がる。
「この借りはいつか必ず倍にして返してやりますから要求を考えておいてくださいね……」
「借りだなんて。要求なんて別にいいのに。まあでも考えておくよ。ほら、限定が売り切れないうちに行こう」
「この程度で私に優位を取れたと思わないことですよ!」
「思ってないって!」
妙にニコニコしているメネラに何を企んでいるのか聞きたくあったが、下手に刺激してこのチャンスを逃すのも惜しい。
恨み節のような捨て台詞を吐いて店の中に入ることを決めたリァンは、あれだけ悩んでいたのが嘘のように店員にはスムーズに注文を伝え「恋人です」と顔色ひとつ変えずすらすらと嘘をついた。
「タルトは私1人で食べますから」
「わかってるよ」
スイーツへの食い意地だけは人一倍強いのだった。
*
しばらくして提供された件のいちごタルトは綺麗なハート型で、真っ赤に熟れて艶々の美味しそうなイチゴがたっぷり使われた贅沢で見事なタルトだった。
リァンはテーブルの中央に置かれた皿をずい、と自分の方に引き寄せる。
置かれた2セットのカトラリーのうち1セットだけを手にとり、綺麗なナイフ捌きでハートのタルトを真っ二つに割っていく。
あっという間に失恋したハートの出来上がりだ。
一口大に切ったタルトを丁寧に咀嚼する。
パイ生地はサクサクとやわらかく食感が良い。使われているカスタードクリームと生クリームの比率や甘味の塩梅もちょうどよく、いちごのほのかな酸味とあわさってとにかく美味しかった。
「んー…さすが美味しい。シンプルながらこだわり抜いたタルトですね」
「そうなんだ。このお店はお気に入りなのかい?」
「ええ、まあ。何回か店主が変わりましたが今が一番美味しいと思います」
「へえ、俺も食べよ」
スイーツに関しては並々ならぬこだわりを持つリァンに認められるほどのケーキが気になり、メネラも頼んでいたチーズケーキにナイフを差し込み、口に運んだ。
しばらく咀嚼し、続けて紅茶を一口飲む。
リァンはなんとなくその一部始終を眺めていた。
「ん!確かに美味しい」
「でしょう。まあ、私の作るものには敵わないと思いますがね」
「そうだね、リァンさんがつくるチーズケーキの方が好きかも」
「それはどうも」
スイーツを外で食べるのならこの店は本当に外れがない。初めてそれを人に話して、共感してもらえた事に少し喜んでしまった事実に気がついて少し居心地が悪くなる。
自分が作るものの方が良いと言われたことも、なぜか癪に触るのだった。
とはいえ、カップルの芝居に付き合ってもらった以上、強く当たるわけにもいかない。
リァンは残りのタルトもゆっくり味わいながら、目の前の男が一体何を要求してくるのかに考えを巡らせることにした。
メネラは今の所リァンに危害を加えた事はないが、腹の底が見えない男だ。
飄々としているが、元来そういう性格というよりは、そう振る舞っているだけのように見える。
にこやかなようで、その視線は少しの冷たさを感じさせることもある。
……いや今はそうでもないな。目をキョロキョロと泳がせては顔を赤くしている。
あれだけ自信たっぷりに恋人ロールプレイを提案してきたというのに、店に入ったら恥ずかしくなったのだろうか。
「顔、赤いですけど。暑いんですか?」
「え?あ、い、いやあ…そうみたいだ。悪いけど追加でアイスティー頼んでもいいかな?」
「構いませんけど」
メネラはさっと店員を呼び止めて注文を伝え、すぐに提供されたアイスティーを一気に1/3ほど流し込むように飲んでいた。
体躯が良いと基礎体温も高くなるのだろうか。
リァンにはよくわからないし、気にも留めなかった。
どうせここの支払いは私持ちであるし、アイスティー1つをケチるほどでもない。
「そういえば要求は決まりましたか?くれぐれも私に実現可能な範囲でお願いしますよ」
「勿論、相手に出来ない範囲を頼むほど捻くれてはいないさ。そうだな…また家を訪ねた時にチーズケーキを作ってくれないかな?」
リァンは点になりそうなほど目を丸くした。
1430年もの間を生きてきて、魔法であれば大抵のことはできるし、それ以外でも得意とする分野はたくさんあった。
今は禁止された即死魔法についてや、世界中の魔獣について、生物・人種ごとの魔力パターンの分析結果。門外不出というわけではないが、世間に公表していないが何かしらの役に立つであろう知識はたくさん持っている自負がある。
スイーツ作りもその中の一つではあるものの、まさかこのリァンを自由に使って良いという権利を与えられたというのに、命じることがただのスイーツ作りだとは思わなかったのだ。
相手が相手なら生殺与奪の権をよこせと言われてもおかしくないというのに。
「そんなことで良いんですか!?もっとこう…なんか、ほら…せっかくのチャンスなのに!?」
「せっかくのチャンスだからさ。さっきも言ったけど、俺リァンさんのチーズケーキ好きなんだ」
「あ、貴方がそう仰るなら構いませんが……本当によろしいのですか?あとから追加変更は受け付けませんよ?」
「ああ、大丈夫。それで頼むよ」
この男がそれほどまでにチーズケーキ好きだとは思わなかった。
このリァンになんでも頼めるとなれば人によっては法を侵させるような選択肢もあっただろうに。
腹黒そうに見えるが、実際近くにいるとそういう片鱗は見えてこない。
リァンは人間観察も得意分野の一つだったが、この男はやはり未だ読みきれないところがある。
しかし、そうと決まればやる事は一つだった。
「では帰りに材料を買って帰ります。礼を返すのは明後日あたりでいかがでしょうか」
「そんなにすぐ?俺は全然大丈夫だよ」
「わかりました、ではそのように準備いたします」
リァンはテーブルの伝票を手にとり、カウンターへ向かおうとする。
メネラは置いていかれまいと慌ててその後ろをついていく。途中天井の出っ張りにゴン、と頭をぶつけてしまっていたが、店員とやりとりしているリァンには気にすることでもなかった。
キャッシャーの前で支払いを済ませて、今まさに退店しようとしているリァンになんとか追いついた。
「ねえ、待ってよ。良かったら買い物も付き合うよ。荷物持ちにでも」
「貴方にこれ以上借りを作ってどうするのです?」
「借りとか貸しとか気にしなくていいからさ!ね?」
「はあ……好きにしてください」
その後、店を出たリァンはやたらと機嫌の良いメネラに違和感を感じながらもせっかく荷物持ちがいるのだからとスイーツの材料を買えるだけ買った。
ついでに本屋に寄って膨大な量の新書を買い漁ったところで、ようやくメネラを荷物持ちにしていると家まで着いてきてもらわなければならない事に気がついて、1人になれる時間はまだまだ先である事に大きなため息をついた。
なんで約束を明後日にしたんだろうか。
明日……いや今日の間に済ませてしまえたら楽なのに。
「さっきの約束ですけれど、今日に変更する事はできませんか?」
「え、流石に今日だけでそんなにたくさんのチーズケーキは食べられないかな」
「チッ……」
「今舌打ちした?」