その魔法使いはワルプルギスの虜囚「あの………リァンさんはお弟子さん、とらないんですか?」
いつも立入禁止区域である森にある私の屋敷へ気軽に遊びにくる少女は、重たげに口を開いておずおずと問うた。
弟子。
魔法使いを夢見る人間がこぞってなりたがるもの。
魔法使いになるために、ならなくてはならないもの。
別に何か理由や主義があって取らないわけではないが、私は弟子を取ったことはない。
人付き合いが嫌いなのが大部分の理由だが、自分の研究や魔法の技術などを後世に残そう、誰かに託そうという気が一切ないので弟子を取ろうと思ったことがないだけだ。
それに、世間はいくら魔法使いになれるからと言っても私の弟子など死んでも御免だろう。
「取ったことないですね。わざわざ、よりにもよってワルプルギスの虜囚に弟子入りする人間はいませんから」
「その、ワルプルギスの虜囚…ってなんなんですか?」
人間の少女は恐れを知らない。
スイーツを作る時に次の材料を聞いてくる声と同じトーンで、今まで聞いてこなかった私の過去を問うてくる。
好奇心は猫をも殺す、というが彼女は失恋をした上で更に失望、恐怖、嫌悪感を感じることになるかもしれないというのに、今まで触れてこなかった部分に簡単に触れてくる。
「この森は人間は立ち入り禁止だと言われているほど、危険な生物や植物で溢れているのはご存知ですよね?そういう場所であるが故に、罪人を隔離しておくのに使われるのです。虜囚って意味、わかりますか?要は囚われている人です」
「り、リァンさんはこの森に囚われているんですか?なにを…してそうなったのか、聞いてもいいですか……?」
「もう自由の身ではありますがね。構いませんよ。長くなりますし、お茶にでもしましょうか」
「あ、は、はい!準備します!」
万が一、彼女が私に弟子入りを夢見ているのであればどうせいつかはしなければならない話だ。
席を立ち、キッチンに向かう私を彼女は小走りに追いかけてくる。
昨日作ったホールのレモンパイを切り分けて二人分プレートに出し、いつもと同じ銘柄の紅茶を淹れる。
手に取った茶缶からはサラサラと軽い茶葉の音が鳴った。
もうそろそろ食料品の補充をしに街に行かなければならない。
レモンパイの乗ったトレイは彼女に手渡し、私はティーセットの乗ったトレイを手に明かり取りの大きな窓のあるダイニングへ向かう。
それぞれの前にプレートとフォーク、カップとティースプーンを置いたら準備は完了だ。
紅茶を一口飲み、喉を潤してからレモンパイを口に運ぶ。程よい酸味が今の気分にちょうど良かった。
「さて、私の事について……ですか」
対面に座る少女は、聞く準備は万端だと言わんばかりに大きな丸い目でジッとこちらをみつめている。
そういえばこの手の話は少し前にしたばかりだな。
弟子もどきや、アレに話した時ほど何でもかんでも話して良い相手ではない。
「その前に聞いておきますけれど…貴女、私に弟子入りしたいんですか?」
「…あたし、魔法を教わるならリァンさんから教えてもらいたいです」
「変わってますね、今に始まった話ではありませんが」
えへへ、と頬をかく少女は、事の重大さを理解していないように見えた。
おそらく本当に理解していないのだろう。
一呼吸おいて、口を開く。
「単刀直入に言えば、人を殺しすぎたんですよ。魔法使い狩りでね。正確な数は私も魔法省もわからないほど。
しかし、これが仲間を守る正義という大義名分のためであれば私はこうはなっていない。
最終的に、私の殺人は大半が快楽目的とみなされ、極刑は免れたものの貴女には想像もつかないくらい長い間この森から出るな、と命じられていたわけです。
つまり貴女は今、殺人鬼の魔法使いに弟子入りしようとしているのです。
貴女は確かご両親は健在でしたね、親を悲しませたくなければやめておいた方が賢明ですよ」
彼女はケーキも紅茶も目の前にあるのを忘れたかのように、静かに私の話を聞いていた。
時折変わる表情から、何を言わずとも考えていることを察するのは容易だった。
私はこの少女と初めて出会った時のように、彼女を突き放す言葉を紡ぐ。
アレが私を口説き落とす時も似たような事をしたが、アレに向けて言った言葉の鋭さをそのまま彼女に向けるわけにはいかないので、加減が必要な分突き放すことすらやりづらい。
「人間の目にはわからないでしょうけれど、魔法使いなんて他にもたくさんいます。
私の知っている顔など碌な奴ではありませんが、必要であれば弟子を探している魔法使いを紹介するくらいならできます。
私を選ぶのはお目が高いですが、その分いろんなリスクもついて回ります。
もう一度言いますが、世間はきっと貴女を魔法使いの弟子ではなく“ワルプルギスの虜囚の弟子”として見るでしょう」
「そうなんですね……でも、紹介はいらないです。ありがとうございます」
「それでは……」
「それでも!あたし、リァンさんのこといい人だと思います。他の人がどう思ってても、あたしはそう思いますから、リァンさんに魔法を教えて欲しいんです!」
諦めてくれたんですね、と続くはずの言葉は少女の力強い意志で遮ぎられた。
この程度で諦めてくれるとは思っていなかったが、やはり一筋縄では行かなかったか。
私が言いたいのは、彼女がどう思っていても世間は悪者として扱うのだから云々という話なのだが、イマイチ伝わっていないのか何なのか。
少し頭が痛くなってくる。
堂々巡りしているのは気のせいだろうか。
「……紅茶、冷めてしまいましたね。温め直しましょうか」
「あ、はい!ありがとうございます」
ティーカップに手をかざして、微弱な炎魔法で適温まで温め直す。味は落ちるが、冷たくて渋い紅茶を飲むよりマシなはずだ。
彼女は私が先ほど話した暗い歴史の話など忘れたかのように、目の前で披露される魔法に目を輝かせている。
駄目だな、全然理解していないし効いていない。
「とりあえず話の続きをする前に、ケーキを食べてしまいましょう。もったいないですし」
「そうですね」
その間に私はどうやって彼女を諦めさせるか、もう一度脳内で方法を考える。
いやもう無理では?
目の前の人間は殺人鬼であると告げたのに態度を変えず、それでも弟子入りしようとする人間を止める術など私でも知らない。
そもそも、話程度で彼女を止められるのであればこの家に通い続けるのを許していないのだ。
幻影とはいえ魔獣に襲われた経験を持ってしてもこの森に入り込んでいるのだから。
しばらくダイニングにはカトラリーとプレートのぶつかる音と、パイ生地のさくさくとした咀嚼音のみが鳴っていた。
閑話休題。
「本題に戻りましょう。そもそも貴女は私に弟子入りして何を学びたいのですか?」
「あたし、月の国でも花を咲かせたいんです。綺麗な花で花畑を作れたら、それを見た人も嬉しくなると思って」
植物魔法か……せめて炎魔法や雷魔法を使いたいと言われたら、私が得意分野ではないと突っぱねることもできたのに、気候の違う場所での植物の栽培はかなり私の得意分野に相当する。
なんなら品種改良でひと財産築いているし、今食べていたパイのレモンも私の独自開発品種だ。
彼女の審美眼は間違っていない。
間違っていないが故に、諦めさせる道が一つ途絶えた。
「そうですか。理論的には可能です、とだけお答えしておきます。しかし、貴女……16歳でしたっけ?人間の成人年齢はわかりませんが、まだ子供でしょう?
貴女が私を良い人だと思っていても、きっと貴女のご両親はそうではないはず。いくら貴女が本当だと言っても、所詮は子供の戯言と一蹴されるか、私に洗脳されているかを疑うでしょうね。
私とて、親に黙って弟子入りなんて許すわけにはいきませんよ」
「両親…ですか?えっと、両親は多分、心配するかもしれません。でも、両親にもあたしちゃんと話します。リァンさんがいい人だって。あたしはそう思ってますから、きっと両親もわかってくれると思います」
希望的観測すぎる。
まともな親であれば、殺人鬼の元に自分の娘を弟子入りさせるなど絶対に許さないはずだ。
今のところ魔法省の目があるからここ数百年は殺人はしていないが、そんな事情を知らない一般人からすれば、自分の娘を殺されに差し出すようなものだろう。
ちゃんと話したところで絶対にわかってくれないと思うな、私は。
「どうだか。私も結構有名人なものでね、ご両親が余程の……世間知らずでなければ、そう簡単に子供の言うことを信じろというのは難しいと思いますよ」
「でも、リァンさんは以前あたしを助けてくれました。だから大丈夫だと思います。リァンさんがいろんな過去を持っていたとしても…あたしは、今のリァンさんの優しさを信じてますから」
ニコ、と無邪気に笑いかける少女はこの森と私には不釣り合いなほど清く、眩しいものだった。
その助けたのも、そもそも私が幻影をけしかけているからマッチポンプのようなものなのだけれど、彼女の中では私が助けた事になっているらしい。
今の私は以前に比べて優しくなったというより、ただ単に法に縛られているだけである。
少女の左右で色の違う瞳は、どちらもまっすぐに私の目を見て言葉を待っている。
ひょっとしてこの話し合いは、彼女に弟子は取らないのかと聞かれた時点で私の負けが確定していたのではないだろうか。
これだったらまだアレとの押し問答の方が勝機があったと言えるだろう。
はあ、と大きなため息をつく。
「………私は人に教えるの得意ではありませんよ」
「リァンさん、嘘が下手ですよ。あたし、いっぱいお菓子が上達しましたよ?」
「肝が座っているというか、怖いもの知らずというか…とりあえずご両親から了承の書類にサインでももぎ取ってこないと話になりません。
それに魔法使いに弟子入りするには手順と制約がありますから。またこの話はまた今度。ハイ、おしまい」
「分かりました!両親にはきちんと説明してきます!」
ダイニングにワッと響くほどの大きな良い返事で、この話題の勝者は決まった。
「魔法使いの弟子になるには手順とかそういうものがあるんですか?知らない文化です!」
「あるんですよ確か。私も細かくは把握していません」
「リァンさんに魔法を教わるの、楽しみです!あたし、魔法を使えるようになったらやりたい事がたくさんあるんです!」
「そのために今日は早く帰ってご両親を説得して来なさい。その際に私の身元は隠さないこと。必ずワルプルギスの森に住む、このワイナー・リァンに弟子入りすると伝えて、書面に貴女の弟子入りを許可する旨とサインを一筆かいてもらいなさい。あとの話は追々」
「わかりました!今日はこれで失礼します。また来ますね!」
「はいはい……」
元気よく玄関から帰って行った少女の背を見送る。
彼女に対して何度来なくて良いと思ったことか、もう覚えてないけれどきっと両親の返事がどちらであったとしてもまた来るのだろう。
たとえあの少女の家が言い合いで一家離散したとしても、私は一才責任を取るつもりはない。
むしろ勘当でもされると余計に弟子入りしやすくなってしまうな…頑張ってくれご両親。
シンクにまとめられた食器を魔法で片付け、ゆるりと席を立って2階へと赴く。
魔法使いへの弟子入り方法、確か花を育てることだけは覚えているが、細々としたものは全く思い出せない。
書架のどこかに書いてある本があるとは思うが、何に分類してどこにしまったか皆目見当もつかない。
2階に増設した角部屋の扉をノックし「私です」と一言声をかけた。
「今行くよ」の声と共に開けられた扉のドア枠に体重を預け、玄関口で話す姿勢を取る。
「あれ、あの子帰ったのかい?」
「帰らせました」
「そう、何か俺に用事?手伝いごと?」
「貴方、魔法使いの弟子の取り方ってわかります?」
「えっ、取ったことないからわからないなあ…契約とか必要なんじゃなかったっけ?……って、ひょっとしてあの子弟子にするのかい!?」
「私にその気はありませんが、彼女はすっかりその気ですね」
「あの子、やるなあ」
「押し問答は貴方より強いですね。人の話を全く聞かない」
「はは…やるなあ……」