ヤタ兄(仮)7「結局二人の話、よく分からんかったんだけど」
悠仁が口を尖らせて頬を膨らますという器用なことをして見せた。
二人は五条が居る教室を出て、高専近くの山道を歩く。悠仁が脹相を家まで送りに来たのだ。
悠仁の膨らんだ頬を脹相が控えめにつついた。
「悠仁は分からなくても大丈夫なことだ」
「そうかもしれんけどさ」
悠仁は立ち止まり、ぎゅっと拳を握る。
「悠仁?」
「俺脹相がすごい決断をしなきゃならないことは分かってるよ、それを受け止めるくらいの覚悟、俺にもあるんだからな」
悠仁は大きな目で脹相を射抜く。顔立ちは未だ少年と青年の境目。先程まで膨れていた頬は見る角度により精悍さを兼ね備えつつある。幼き日に約束を交わしたときも同じ眼をしていた。
脹相は悠仁の握り拳を解き恋人繋ぎで両手を繋ぐ。高い位置から悠仁を見下ろし顔が近付いてきて悠仁は慌てて耳を塞いでやろうとするものの、繋がれた両手は解けなかった。
ちゅ、と可愛い音を立てて唇が離れる。
「脹相……」
脹相は僅かに悲し気な顔をし、次いで悠仁にだけ
分かるほどの微笑みを送った。
「俺も覚悟をしないといけないな」
3月20日。
二人は再び脹相のベッドの上で向き合っていた。
「…一応、耳栓、持ってきてみたんだけど、使う?」
「有難いが、悠仁の声が聴きたいから今回は使わないことにしよう」
「…大丈夫なん?たぶん、耳塞いでやる余裕無いと思う」
「いいんだ、…最後なんだから…」
一瞬、脹相の顔が泣き出しそうに歪むのを悠仁は見逃さなかった。俯きそうな顔を両手で掬い上げ耳を塞いで口付けをした。唇を啄むだけの優しいキスをしておでこ同士をくっつける。耳を覆っていた手を再び頬へ滑らせ悠仁の明朗な声が響く。
「好きだ、愛してる。人間になっても、ずっと一緒だから。俺ずっと大事にするから。俺のモノになってください」
神が脹相に気付かせようとしたこと、あれは選択を迫るモノだった。神か悠仁か、何れも選びきれなければ何時までも烏が死ぬのだ。おかげでずいぶんと同胞を殺してしまった、と脹相は悔いる。
だがもう迷いが無くなった。悠仁に全て明け渡し預け果ては泡と消えようと構いやしない。それくらいに彼を愛している。大きな海だ。暖かく凪いだ広大な海原のような、そういう愛情だ。
2000年生きてきて初めてだけどよく知った感情だ。博愛というには狭隘、恋情というには深すぎる。悠仁への気持ちを言葉にするにはあまりに難しい。ならばこの先の態度全てて伝えればよい。
「余すことなく悠仁にあげよう」