この世界に来てから、しばらくの時間が経った。
いろんな事件にも巻き込まれたが、そんなことは日常茶飯事。
むしろ、死者が出ていないあたり実に平和だと思う。
そういう日常に慣れてしまうのも、ちょっと、いやかなり、よくないことなのだろうが。
それでも、自分は「戦うことを生業とする者」であるので、仕方のないことだろう。
そんなことを考えてしまうのは、やはり夜だからだろうか。
静かに寝息を立てている相棒をちらりと見て、やっぱり眠ることができずに身を起こした。
……少しだけ、夜更かしでもしようか。
この世界にいる間だけは、戦いから遠い場所に身を置いている。
肩を並べて勉強して、くだらない話で笑いあって、時折授業をサボって昼寝して。
ぬるま湯につかっているような平穏だ。
今も戦っているであろう仲間を思うと、ただただ、胸が痛い。
今にも走り出してしまわないと、この焦燥は消えやしない。
どこに?
どこでもいい。
此処ではないどこかへ。
「おや、監督生さん」
走り出して少ししたとき、声がかけられた。
そこには、銀髪の青年がいた。
アズール先輩だ。
「どうも、こんばんは」
当たり障りのない挨拶を返した。……返せたはずだ。
そもそも、夜道で出会った際の普通の返答とは?
自分にはわからない。戦うこと以外は、ほとんど。
「はい、こんばんは」
ひとまず、あっていたらしい。
アズール先輩はにこやかに挨拶を返すと、足を止めた私の前に立った。背が高い。
「こんな時間にどうされました?」
「少し、走りたくなりまして」
「……こんな時間に?」
「おかしいと思います?」
「ええ」
実に正直な先輩だ。
眼鏡をくい、と上げて、静かにこちらを見つめている。
だが、確かにそうだ。
こんな深夜に、走り出してしまうのは、普通ではない……らしい。
「焦ってるんです」
「焦り、ですか」
「仲間はみんな、寝る間もなく戦ってます」
「……」
「眠れないんです。自分だけがこうして平穏の中にいるので」
苛立ちと、焦りと、その他諸々。
しっかりと抱えていたものを、少しだけ放してしまった気分だ。
「変な話でした。忘れてください」
だからこそ、拾いなおしていつものように笑った。
笑えただろうか。きっと笑えただろう。わからない。
「帰ります」
「送りましょう」
「紳士ですね」
「慈悲の精神です」
ふい、と踵を返せば、先輩は隣に来た。
並んでオンボロ寮までの道をゆっくりと歩き始める。
思えば、遠くまで来てしまったものだ。
オンボロ寮からも、元の世界からも。
「アズール先輩は、何をしていたんです?」
「仕事ですよ」
「なるほど」
「そのうち、貴方にも手伝ってもらいましょう」
「戦闘沙汰ならお任せですよ」