記憶のない俺たち「これが列車での暮らし方だ」
「……」
なんとなく、頷いた。宇宙ステーションの事が落ち着いて列車に乗車した俺は、ここでの暮らし方を丹恒に教えて貰っていた。
「何か質問はあるか?」
「……」
「ないならいい、後は適当に見て回れ。俺は資料室にいるから、何かわからないことがあればいつでも聞きに来い」
「わかった」
最初に会った時みたいに、彼は頷いてからドアの向こうへと行ってしまった。資料室への道は前側、後ろ側の階段があるドアにはキッチン……うん、大丈夫そうだ。
「……」
どうしようかと後ろを振り返って改めて列車を観察する。赤くて長いソファ、それと手前と奥側に数人座れそうな茶色い机とテーブルがあった。左右に大きな窓があって宇宙……が見える。たくさんの星が目にいっぱい広がって綺麗だ。あとは……そう、クジラの照明が泳いでいるように見えて少し楽しい。ここは列車ラウンジという場所。全部、丹恒から教わった。
彼は怖くない。怖いかと思ってたけど、話すのを見ていたら時々柔らかい雰囲気を感じた。だから、きっと良い人……なんだと思う。仲良くなれるかな。
「それじゃあ、後はよろしくね。三月ちゃん」
「わかったよー姫子!」
「あら、ちょうどいたわよ。彼」
資料室のある右側のドアが開いて三月と姫子が来た。俺に気付いた二人は笑みを浮かべながらこっちにやってくる。
「丹恒から一通り聞いたかしら?」
軽く頷くと、三月が一歩前へと出る。
「それなら、後はうちに任せて! 部屋に行こ」
ぐい、と腕を引かれて何が何だかわからないままに、彼女の部屋へと引きずり込まれていった。
「ここがうちの部屋」
「……」
列車の雰囲気ではなく、どこか可愛らしい部屋だった。パムに似たぬいぐるみや実際に着せられそうな服があったり、宇宙ステーションで撮ったかもしれない写真がいくつか隣の画面に映し出されている。他にも細かな写真があって、極めつけは部屋に入った時から視線を感じるクマのぬいぐるみ。その前にある机の上には、食べかけなのかお菓子が置いてあった。こっち、と手招きされてクマのぬいぐるみがあるカーペットの上に適当に座る。
「お尻痛いでしょ、黄色い花のクッションがあるからそれに座るといいよ」
「これか?」
食べかけのある机の下に、黄色い花のようなクッションを見つけた。引っ張り出してその上に座ると、確かにお尻の骨が当たらなくて座りやすい。これはいい。
「気に入った?」
「ああ」
「良かった。これからも部屋に来ていいからね、たくさん写真撮ったりしてあげる」
「……いいのか?」
うん、と満足そうに彼女は頷く。でもその後、何か思い出したかのように一瞬目を見開いた。
「三月?」
「えっと……丹恒がね、いつも異性を軽々しく部屋に連れ込むなって言うの」
「異性」
「そう。うちは女の子で穹は男の子でしょ?」
「……駄目、なのか?」
「そうみたい。でも、うちはそういうの気にしないから、アンタも気にしなくていいよ。ただ、丹恒のこと悪く思わないであげてね」
少し聞くと、どうやら彼女のことが心配で丹恒は口うるさく言っているらしい。何が心配かまではわからないようで俺も首を傾げた。彼は本当にいろんなことを知っているから、その一環なんだろうと彼女はそう理解しているようだった。
他にも話を聞きながらなぜ、どうしてを繰り返して少しずつ“今”を理解していく。当たり前に思うことも今の俺には何一つわからないのに、三月は嫌な顔をせずに教えてくれた。物の名前はなんとなくわかっても、星の名前や星神、なぜ俺の中に星核があるのか……そもそも星核というものすらわからないのに、皆は俺を列車に招いてくれた。聞いてる様子だときっとあまり良くない物だろうという予想はしてる。星核が暴走した時に見た大きな男や知らないはずの映像も星核のせいかもしれない。本当にこのまま一緒にいて大丈夫なのかと、頭を押さえてため息のような深呼吸をした。
「大丈夫?」
「……ああ」
考え込んでいたのを察していたのか、三月は俺を見つめながらも話しを持ち出すことはなかった。軽く頭を振って話を聞こうと目を合わせると心配そうな表情をしながらも、彼女は口を開いた。
「ここに呼んだのはね、アンタの記憶がどれぐらいあるのか調べて欲しいって姫子に頼まれたからなんだ。でも、今の様子だと宇宙ステーションにいた時と同じな感じがする」
「名前は、わかる」
「うん、他には?」
「……物の名前、ぐらい」
何か思い出せないかと目を閉じてみても、数年前……いや昨日のことすら抜け落ちていた。今からが俺の記憶になる、そう言われているかのようで少し体が震える。
「えーと、うちもよくわかってないんだけど、普通の記憶喪失だと物事はある程度覚えてるみたいなの。全部忘れる人もいれば一部だけ忘れてる人もいる、とかなんとか……その分思い出せる確率が高いみたい」
「俺も、そうなのか?」
「ううん。アンタは多分うちと一緒。名前とか物事、もちろん過去のことは一切覚えてなくて、生まれて誰かに育てられてるはずなのにまるで今からがスタートだっていうような感覚……? 宇宙ステーションに一緒にいた時の表情とか、仕草とかでうちと一緒かもってヨウおじちゃんと丹恒が言ってたんだ」
三月は氷付けのまま宇宙を彷徨っていた所を、保護されて今に至るらしい。俺と同じく記憶もなく、自分の名前さえわからないままだったという。
「ごめん、うちも難しくてよくわかってなくて。でも普通の記憶喪失とは違うことは覚えておいて欲しいの」
この様子だと、思い出せる確率が低いんだとなんとなく理解する。物の名前がわかっても付随する記憶や思い出がないからいつまでも思い出せないままなんだと。今後、関わりのある星にたどり着いた時にでも、思い出せるといいんだけどな。
「……わかった」
「それじゃ、暗い話は一旦終わり! ちょっと待ってて」
彼女は立ち上がり、クローゼットへと向かっていく。くぐもった声を上げながら何かを探しているようで、ごとごとと音を響かせている。しばらく待ってみても、見つからないのかクローゼットから離れない様子に俺も手伝おうかと立とうとした瞬間、あったと嬉しそうな声が聞こえた。
「やっと見つけたよ~!」
彼女は四角い何かを持って戻って来る。苦労して見つけた物を見ても俺はそれが何かはわからなかった。
「穹は文字書ける?」
「……わからない」
「じゃあこれ、触ってみて」
カチ、と音がした後に細長いものとその四角いのを渡された。なんだろうと首を傾げる。
「ここを押すと……」
『あ』
「っ」
突然の誰かの声に、驚いてびくりと肩が跳ねた。同時に何か文字が浮かぶ上がる。
「これ、文字が書けない人や読めない人用に作られた機械なんだって。今画面に映ってるのが『あ』だよ」
「あ」
「うん。渡したペンでなぞってみて」
言う通りにペンでなぞってみると別の文字へと変化した。彼女がまたボタンを押す。
『い』
「……い」
「そうそう!」
ふと目が合ってお互いに笑みを浮かべた。嬉しい、たくさん教えてくれる。
『う』
「う」
なんとなく言いながらペンを動かすのも楽しい。五十音が終わるまでずっと三月は隣にいてくれた。
「三月は、どう書くんだ?」
「んーちょっと難しいかもしれないけど書いてみよっか!」
こう書くんだよ、と今までよりも少しだけ複雑な文字に眉を寄せる。
「『三月』……こう、か?」
今まで丸く書いていた文字が今度は直線が多くなって難しく感じる。彼女の書いた字を見ては書いてを繰り返し、なんとか出来た文字を見せれば目を見開いて驚いていた。
「上手! 最初のうちより全然書けてるよ!」
「……良かった」
嬉しい。俺の字で喜んでくれるなんて。
「漢字大変なのに! 偉い偉い」
他にも、いろんな文字を書いていく。書いていれば何故だかすらすらとペンが勝手に進む。自分で動かしているはずなのに、その感覚がないかのようだった。
「……これが、アンタの名前?」
ペンが書いたものは、今書けるはずのない一つの字。
「『穹』。俺の、名前」
どうして書けたのかはわからない。思わず手を見ても記憶が戻ることはなく、書いた名前を見ても何も起こらなかった。
「すごく難しい字。よく書けたね」
「……」
「忘れたくなかったのかも。ねえ、穹」
彼女は、優しく微笑んで俺を見る。
「少しでもいいから、思い出したら教えて欲しいな。うちもアンタのこと知りたいし」
うん、と頷いた。
「じゃあ、うちら今日から友達!」
「とも、だち」
「うん! なんか特別みたいでしょ? 一緒に遊んだりするの! うちも丹恒もみんな穹と友達」
三月が嬉しそうにするからと、よくわからないままに頷いた。きっと、俺にとっても良いことなんだろうと思う。
「後は……そうだ、あだ名で呼んだりするって姫子から聞いたよ」
「あだ名?」
「うん。名前を少し変えて呼んだらなんか距離近くなったと思わない? アンタの分も考えないとだね!」
「……」
それなら、三月のも考えたいな。名前……彼女は三月なのか。丹恒は三月、姫子は三月ちゃん。ヴェルトはなのか呼びだった気がする。三月、なのか。俺は指を口元に持ってきて考えた。どうせなら俺だけのもの、そして呼びやすいものがいい。でもあまり名前から離れると誰だかわからなくなる。うーん、何がいいだろう。
「うーん、うちは穹でいいかな。きゅーちゃんだとちょっと子供っぽいし」
「……なの」
「え?」
「なの、にする」
彼女の名前であり、呼びやすいもの。咄嗟の時にも呼べるあだ名だ。我ながら天才かもしれないと胸を張る。なのは少しだけ顔を赤くしながらも嬉しそうに頷いてくれた。
「可愛いあだ名! うちもそれがいい!」
「なのは可愛いから。美少女名乗ってるだけある」
「でしょ? 穹も綺麗な顔してるからうちと同じく美少女になれるよ!」
なのも俺も美人で美少女だと二人で胸を張って主張したら、なんだか楽しくなってきた。もしかしたらこれも友達だから出来ることなのかもしれない。彼女との友達はきっと明るくて楽しいものだろうな。
「字の練習は時々でもいいからしておいてね。開拓の旅をするときに必要になるから」
「わかった」
「漢字とか数字もあるからその時は丹恒先生のところに行こう」
丹恒先生ももしかしたらあだ名の一種なのかもしれない。俺も彼のあだ名を考えてみようと思いながら頷いた。
「あとは……そうだな、まだわからないことがいっぱいあると思うの。ふとした時に寂しくなったり、不安になったりすることもあるはず」
「寂しい、不安?」
「わかんないよね。うちも最初はわからなかった。えっと、一人が嫌だなって思った時がどっちかなんだって。そんな時は、誰かの部屋に行くようにすること」
「なのも、行ったことがあるのか?」
眉を下げて、でも笑いながら彼女は頷く。明るい表情じゃなくて段々と悲しそうにしていく様子に、俺もなんだか悲しくなってくる。
「うん。皆、一緒に居てくれたよ。暗い自分でも受け入れてくれたし、またおいでって言ってくれた。だからうちも穹が同じ思いしてたら助けてあげたい」
そう言って顔を上げたなのは、強い意思を持っているように見えた。さっきの悲しくて辛そうな表情を他の皆が助けたから、今の彼女がいる。
「……ありがとう、なの。一人が嫌になったら行く」
「うん! 来てくれたらアルバムとか写真見せてあげる。記憶は今もないけど、列車で作った思い出は話せるからいつでもおいで」
わかったと頷くと、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。首を傾げてドアを覗くと姫子が顔を出した。
「二人とも、そろそろ休憩にしましょう。ヴェルトがお菓子を買ってきたそうよ」
「本当!?」
「ええ。今キッチンで分けているから、行くなら行ってきなさい」
「行こう、穹!」
手を引っ張られて、足でバランスを取りながら立ち上がって軽く走る。姫子はふふ、と笑いながらすれ違った俺たちを見送った。
記憶がない気持ちをわかってくれる彼女は、今後もいろんなことを教えてくれるだろう。一人が嫌になった時は彼女の部屋に行って、字が上手く書けた時には褒めてもらおう。美少女な俺たちならきっと、これからも楽しい友達でいられるはずだ。
記憶が戻っても、このまま手を引いて旅を続けて欲しい。そう思いながら俺は彼女の裾をそっと掴んだ。