ライチルがただ冷スパを食べるだけの話「チルチャック、ヨーグルトも買うのか?」
買い物かごの中に少し値を張る良いヨーグルトを放り込めば、なんだか意外だとでも云いたげな声が頭上から降ってきた。
「んー……まだ玉ねぎ残ってっから冷スパにでもしようかと思ってなぁ」
これだけ暑いと台所に立つのも億劫だし、冷たいモンが食いたい。できるだけ火を使わずに、身体に籠った熱を冷ますようなメニューを。
まだ若く夏でも関係なくモリモリ食べられるライオスとは違い、見た目は子どものようでもいい歳をしたオッサンであるチルチャックは夏は暑さで食欲が落ちる。けれど食べなければバテる。そんな中で、楽をしつつなんとか食べられるようあれこれ考えたのがヨーグルトソースの冷製パスタであった。
ハーフフットは他種族より地面との距離が近く、照り返しや土いきれやらでバテやすい。例に漏れず元妻も娘たちも夏場は食欲が落ちていたから、チルチャックが家族のためにこのメニューを作る頻度は意外と高かった。
だから。
「え、ヨーグルトでパスタを?」
ライオスにさも驚いたというような顔をされるとは思ってもなくて。
「うん?」
お互い動きを止めて暫し見つめ合う。
ライオスの顔には、パスタにヨーグルトだって? まったく味の想像ができない、と隠されることなく書いてあった。
(もしかしてコイツ、ヨーグルトは甘いモンだと思ってたりする?)
ヨーグルトってのはしょっぱいモンだろ?
つーか、それよりも。
「ゲテ喰いなのにヨーグルト嫌がんのかよ……お前、乳製品好きなんじゃねーの?」
家族以外に食べさせたことがなかったためあまり気にしたことはなかったが、珍しい組み合わせなんだろうか? ヨーグルトとパスタってのは。
(俺ん家、パスタだけじゃなくて素麺もヨーグルトソースで食うなんて云ったらコイツどんな顔すんだろ……)
ついでに云えば、ガスパチョもパスタや素麺のソースにする。素麺に至っては冷や汁もだ。夏はそうでもしないとやってられないからな、なんて。そんなことを考えてたら。
「ヨーグルトは嫌いじゃないし、嫌がってもいないよ。ただ、どうしてもパスタとヨーグルトを同時に口に入れた時の想像ができないだけで……その、」
サッパリしてるのか、もったりしてるのか、それともチーズにも似た風味になるのか、今ざっと何パターンか想像をしてみたんだけれどイマイチ要領を得なくて……と思ってたよりノリ気な返事がライオスから返ってきた。
そうだよ。コイツはこういうやつだよ。好奇心には抗えないタイプだったよ。良くも悪くも、な。
ハハ、とチルチャックは溜息ともとれる笑いを一つこぼす。
「んじゃ、今日の昼飯は俺特製ヨーグルトソースレシピで行くか」
単純な好みの問題だが、チルチャックはパスタや素麺だけじゃなくコールスローにもヨーグルトを使う。どうにもマヨネーズだけではくどく感じてしまうから。
なので。
せっかくだから──というか、お付き合いをはじめて暫く経つし、この際夏のティムズ家の味をライオスに教えてやるのも悪くないだろう。
そう。お付き合いを、ひいては同棲をしているのだから。
ポイポイとかごの中に使うものを入れていき、ついでに鶏むね肉とキュウリも入れる。とてもじゃないが冷製パスタだけでライオスの腹が満たされるとは思っていないから。
(カッペリーニ、もう一袋買っとくか?)
空腹なライオスほど厄介なものはない。そうでなくてもライオスは色々厄介なのだから、これ以上厄介なことになってもらったら困る。
心の中で一つ頷いて、カッペリーニもかごに入れた。
そうして会計を済ませて部屋に戻ると、慣れた仕草で自分用の踏み台を持ち出し、手を洗う。
そして、カッペリーニを茹でるために鍋を火にかけ、ライオスにキャベツとニンジンの千切りと玉ねぎのみじん切りをそれぞれ頼む。
チルチャックは買ってきた鶏むね肉を取り出してフォークで穴を開け、耐熱皿に入れて塩をふり酒をかけた。ふんわりとラップをしてレンジに入れ三分加熱し、裏返して更に二分、その後はそのまま余熱で火を通す。
その間に沸騰した湯に三人前のカッペリーニと塩を入れて、キャベツとニンジン、玉ねぎを切り終えたライオスに次の仕事として鍋の番を頼む。
キャベツには塩をふってしばらく置き、キュウリを千切りにしながらそういえばトマトもあったなと思い出し、半分にしてから薄切りにしていく。酢とすりごまと味噌とゴマ油、豆板醤を混ぜてタレを作ると、鶏肉を手で裂いて蒸し汁くぐらせる。涼し気なガラスの器にトマトとキュウリ、裂いた鶏むねを盛り付け、タレを回しかけた。
棒棒鶏が完成すると、キャベツの水気をギュッと絞り、朝食で使った残りのハムを細切りに。ボウルにマヨネーズ、ヨーグルト、酢、砂糖を入れて混ぜ合わせ、そこにキャベツ、ニンジン、ハム、コーンを入れてよく和え、味をみつつ足りなければ塩コショウをすればコールスローも完成だ。
コールスローをボウルから大皿に移していると、隣でライオスが茹で上がったカッペリーニを冷水にとり、水を加えながら手早く冷ましている。ザルに上げて水気をしっかりと切っているのを確認すると、みじん切りにされた生玉ねぎにヨマヨネーズとヨーグルトを入れて混ぜた。
「おっし、だいたいこんなもんか」
ライオスの皿には二人前、チルチャックの皿に一人前のカッペリーニを盛り、その上からヨーグルトソースをかけると冷スパも完成である。味が足りなければお好みでブラックペッパーを挽くのもいいだろう。
ミル付きの瓶を食卓の中央に置き、パスタ、コールスロー、棒棒鶏を並べ、合わせてコールスローと棒棒鶏用の取り皿を用意し、最後にカトラリーとキンキンに冷えたウーロン茶を冷蔵庫から出せば完璧だ。
「さてさて、お前さんの口に合えばいいんだがね」
ついつい自分の好みで良いヨーグルトを買って作ったが、ヨーグルトもどきで作った方が若干乳臭くチーズのような風味になるため、ライオスにはそっちの方がよかったかもしれないなんて今になって思ったが……まあ、それはそれということで。
揃って手を合わせ、いただきますをする。
チルチャックは、興味津々といった表情でフォークにパスタを巻き付けソースを絡めるライオスを恋人というよりは親のような心境で眺めた。
ぱくりと食み、もぐもぐと咀嚼するライオスの視線は左上から右上へ流れる。口角が上がっているから苦手な味ではないのだろう。それを確認すると、棒棒鶏とコールスローをそれぞれ取り分けてライオスの前に並べてやる。そして、ライオスの喉がごくんと口の中のものを飲み込んでしまうのを待ってから、お味はどうよ? と問うた。
「うまい! 生玉ねぎのシャキシャキ感とマヨネーズがタルタルソースを思わせるかと思いきや、ヨーグルトの酸味もあるからか想像以上にサッパリといける」
「そりゃ良かった。ちなみに生乳じゃない乳製品から作られる『ヨーグルトもどき』を使うと、もうちっとチーズっぽい風味になる」
「そうなのか! 興味深いな。そっちもいつか食べてみたい」
「じゃあ次はそうしよう」
好評だったことに安堵し、チルチャックもパスタを食み答える。
所謂『家庭の味』を家族以外に披露するという状況に少なからず緊張していたんだろう。ライオスに限って、とは思ったが食の好みや作法は同じ時間を過ごしていく上ではとても重要なことだから。
受け入れられて良かった、と胸を撫でおろす。
そんなチルチャックの想いをよそに、ライオスは「タルタルソースほどくどくもないし、鶏の竜田揚げとかに乗せても美味しいかもしれない」と棒棒鶏を口に運びながら、閃いたとばかりに云う。ピコン、と古典的な豆電球を頭上に浮かべながら。
「分かった分かった。それも次、な」
食に貪欲である彼に苦笑しながらまた振舞う約束をすれば。
「これで俺も君の『家族』の仲間入りができたと思ってもいいのかな?」
そんな風に嬉しそうに笑うのだからタチが悪い。
「~~~~ッ、おまっ、たった一品食ったくらいで『家族』だなんて、随分安上がりなんじゃねぇの?」
空気も人の心の機微も読めないライオスが今チルチャックが何を考えていたのかをちゃんと理解しているなんて思ってなかったから、不意打ちを喰らった気分だった。
頬が焼けるように熱くなっていくのを感じる。それを見られたくなくて、ふいと横を向く。
「えーー……そりゃないよチル、俺はこんなにも君のことが好きなのに」
するとライオスの少し残念そうな声が聞こえてきて良心の呵責──とまでは行かないかもしれないが──に苛まれる。
だから。
「老い先短いオッサンは何ごとも慎重に考えてーの。まだまだ他にもあんだから、全部食ってそれでもっつーなら考えてやるよ」
いつも通りの決まり文句を唇に乗せ──……
「何を?」
その後に飴も与える。
「お前との再婚?」
とびきり甘い、蕩けるようなやつを。
「チル!!」
次の瞬間、ガタンと椅子を蹴って食卓を回ったライオスにぎゅうぎゅうと抱きしめられ、ぐぇ、と踏まれたカエルのような声が喉から出たが、ライオスがあまりにも嬉しそうな顔をしていたから。
(ああ、俺、今幸せかも)
チルチャックは己の胸にじんわりと広がる想いをしっかりと噛みしめた。