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    オンリーに出す小説の第一話(※第一稿加筆予定有)ですオラァッ!!!
    五話構成の予定です!!!!

    進捗 ──どうしてこうなった。
     頭を抱えてしゃがみこむ男の脳内には、昔懐かしいアスキーアートがヤケクソ気味に踊り狂っている。

     気が遠くなるほどの数の没を食らったのちにようやく通った企画は、最近流行りのホラーモキュメンタリー小説。今日はそのための取材旅行であった。
     確かに。思い返せば道中、な〜んかおかしいなぁと思うことはあったのだ。
     だって到着するまでの道筋で、カーナビは挙動がおかしかったし、スマホの地図アプリもバグり散らかしてたし。
     とはいえ車種が古く、スマホも年単位で使い込んでいる壊れかけのマイナー機種で、よくあることっちゃよくあることだったから。だんだん険しく細くなる道だって、カーステレオとデュエットしながら走ることができた。
     なんかやたらトンネル多いなあとか、結構アクセル踏まなきゃスピード出ないなあとかいう違和感も、まあ山道だし傾斜あるしな、と納得してスルーしてしまっていた。

     某所郊外にある自宅から車を飛ばして数時間のドライブの果て、ようやっと辿り着いたのは、想定以上に辺鄙な村落。事前の情報よりかなり昔ながらというか、どこか懐かしさをさえ覚えるような風情がある。
     さりとて今は現代、令和も令和である。電柱だって立ってるし、水道だって通っている。電波も弱いが、アンテナはかろうじて二本ほど立っているのでスマホでの通信も可能。この場所だって、しゃんと地図に載っている村だ。
     おかしな迷信や変な風習に塗れた因習村なんてフィクションにのみ存在する概念であるし、安易に現実に持ち込んじゃ地方差別にもなりかねない。そういうバランス感覚も持ってなきゃ、今の世の中で作家なんて商売やってらんねえのだ。いくら取材と言えども、そのへんの分別はキチンとつけなくちゃあならない。
     そのはずだったのだ。



    「これ以上は……車じゃ入れそうにないなあ」

     運転席でひとり、男はつぶやいた。
     地図が合っていれば、このトンネルが村への入り口のはずである。しかし、そこには車両の通行を阻むように杭が数本打たれており、徒歩でしか入れなくなっていた。
     端にどうにか駐車できそうなスペースがあったので、取り敢えずここに停めておくこととする。男はエンジンを切ってドアを開けた。途端、冷たい空気に眉を顰める。標高はそれほど高くないはずだが、日暮れ時、山は冷えるのだ。
     トンネルの中へ入ってみると、あまり整備がされていないのか、中の電灯が所々消えている。なるほどこれじゃ車は危なかろう。視界が暗く、事故でも起こされたら困る。
     男はスマホのライトをつけ、足元を照らしながら歩いた。トカゲか虫でもいるのか、たまに、かさかさと何かうごめく音や、耳元に羽音が聞こえる。まあ、山の中なのでそんくらいはいるだろう。
     だが、数分も歩いていると、ふっと、なんと言えばいいのか、空気が変わる感じがした。先ほどまで乾いたような空気だったのが、うっすらと生ぬるく、湿り気を帯びたような。人が住む場所に入ったからだろうか。
     しかし、そうこうしているうちにトンネルも終わりが見えてきた。男はスマホのライトを消して、ゆっくりと出口まで歩く。
     出ると、途端に景色が開けた。トンネルは坂の上に位置していたらしく、おおよそ村落の全景が見渡せる。
     小さな村だ。田畑が多く、民家もちらほら。一番奥の方にあるのが村長の屋敷だろうか。
     しかし、やけに静かだ。ゆるやかな坂を下るようにして、村の最奥にある村長の家へと赴く道すがら、人っ子一人とも出会うことはなかった。元より人口減少の著しい所で、高齢化も進んでいるとのことだから、別に変なことじゃないかもしれないけれど。点々と並ぶ民家には灯りがついており、中には人の気配もあった。

     目的地の家に到着すると、事前にアポを取っていたため、スムーズに迎え入れられた。明朗闊達な村長と丁重な挨拶を交わしたあと、男はその家の中に足を踏み入れた。
     なるほど田舎の金持ち然とした広く大きな屋敷である。気になったのは、見た目こそ立派だが、床を歩いた時や、扉を開けた時などに軋む音がやけに大きく耳障りだったことだ。
     特に男が案内された和室はそうだった。
     そこそこ狭いが、部屋にある調度品や設えは一級品で、まるで立派な茶室のようだ。だが、ひどく空気が澱んでいるような、息苦しさを覚えるような感じ。

    「ほぉ。この部屋は、雰囲気がありますねぇ」
    「ははは! いいやぁ、すみませんねえ、普段は誰も使っておりませんで」
    「ああ、そうなんですか。いやぁありがとうございます、今日のためにわざわざ整えてくださって」
    「いぃえいぃえぇ」

     家主の老人は、やけに明るく、口数が多い。事前にアポを取るために通話した際には、どちらかというと物静かなお爺さんという印象が強かったのだが。電話口より対面の方が話しやすいタイプとか、そういうことか?
     細く高い、掠れた声は、ともすれば女のそれのようにも聞こえる。
     男は愛想笑いを繕って、会話を続ける。

    「ところで、ご家族の方はどちらに? ⚫︎⚫︎さんにお話を聞くのは明日の予定ですが、一応今日のうちにご挨拶をしておきたく」
    「⚫︎⚫︎……あぁあ! すみません、今日は皆、出ているんですよぉ。明日には帰りますからねぇ」
    「皆? そうなんですね。では明日改めて……しかし、じゃあ今日はお一人で?」
    「そろそろお食事を準備しましょうかね。用意ができるまで、このお部屋でお待ちくださいませ」
    「え、? あー、はい、ありがとうございます……そうだ、よければ私も何かお手伝いを」
    「結構!」被せるように、老人は言った。「それまで、この部屋からは、絶対出ないでくださいね」

     男はちょっと面食らったが、結局、「承知しました」と頷いた。
     老人は笑みを微塵も崩さぬままに部屋を出、襖を閉めた。途端に、静けさがこの場を支配する。
     なんだか強張っていた体の力がようやく抜けて、はぁあ、と男は大きなため息を吐いた。
     ……やっぱり、な〜んか、変だ。話があまり噛み合わなかった気がする。『この部屋からは、絶対出ないで』。あの言葉も、意味深だ。しかも、客人を迎えるときに家族が全員家を出るというのは、かなり不自然ではなかろうか。しかも男になんの連絡も入れぬまま。明日には帰るとの話だが、なら尚更、先に電話なりメールなりで教えてくれたっていいような気がするが……。
     にこやかな笑顔の裏で、もしかしてめちゃくちゃ迷惑がられてたりするのしらん、と一人で肩をすくめながら、男は机の上に持参のノートPCを広げた。けど、変なら変で好都合。それでネタが増えるなら儲け物だ。取材OKはしてくれてるわけだし、その辺は図々しくいったって構わんだろう……そんなことを考えながら、手持ち無沙汰にカタカタとキーボードを打っていたところだった。
     断続的に聞こえる、ぎしぎし、と天井が軋む音に、集中力が途切れる。
     なんだ。村長の言葉が本当ならば、この屋敷に男以外の人物はあの老人しかいないはず。まさか厨房が二階にあるのか? いやまずもって、この屋敷は平家(ひらや)だ。
     しかも、ぎしっ、ぎしっ、と鳴る音は、足音とも、単なる家鳴りとも、どこか違う気がする。しかも、その音が聞こえ始めたタイミングは、この部屋から村長が出て行ってすぐのことだ。会話している最中には、まるで無音だった。
     ……やはりこの家には、何か、ある。男は、ばたんとノートPCを閉じた。
     よっしゃ、部屋出て調べよう。そう決めるまで逡巡はほぼなかった。元より男は好奇心に従順な性質である。見つかって怒られたら怒られたで、便所を探していたとかなんとかで言い訳して謝ればいい。せっかくホラー小説の取材に来たのだ、こんなネタになりそうなモン放っとくなんて勿体なさすぎる。

     襖にぴたりと耳を当て、向こう側に人の気配がないのを確認してから、ソッと静かに襖を開けた。床が軋みやすいということがネックだが、男には抜き足差し足、気配を消して歩くのがすこぶる上手いという特殊技能があった。小さい頃から、鬼ごっこや隠れんぼで見つかったことはほぼほぼない。
     さて、一階建ての天井から音が聞こえるということは、天井裏に何かあるということである。しかも恐らく、かなり広い。この屋敷は外観に比べて、天井が低かった。180センチと少しの背丈の男の頭がぎりぎりぶつかりそうになるくらいには。屋根裏は恐らく、高さ的にかなりのスペースがある。ギリギリ部屋をも作れるくらいに。
     男は広い屋敷を慎重に歩き回った。外からぐるりと一回りするように歩けば、地図がなくともだいたいの間取りはわかった。
     そしてしばらく、秘密を見つけた。
     屋敷の端。一見して壁と変わらない板、だが床との間にわずかな隙間があり、そこから空気が出入りしている。
     男はしゃがみこんで、そのわずかな隙間に指を突っ込んでその板を掴み、ゆっくりと慎重に自分の方へと引いた。途端、きぃ、とか細い音が鳴る。
     ビンゴ。男は、思わずほくそ笑んだ。
     やはり、扉だった。そしてその向こうにあったのは、階段だ。
     天井裏に繋がってるのか、あるいは普通に、二階があるのか。少なくとも、隠されていたことは確かだ。なんのために? 老人はこの扉に気づかせないために、男にああ言い含めたのか?
     だが、せっかく見つけたこんな面白い場所を放って帰るだなんて選択肢はなかった。男は迷わずその階段に足をかけた。もちろん、周りをキョロキョロ確認し、音を立てぬよう扉を閉めてから。

     そうすると、辺りはほとんど真っ暗になった。スマホのライトで照らすことも考えたが、光が外に漏れることを懸念し、目が慣れるのを待った。階段は狭く、しかもものすごく急で、どのみち這うようにして登らなければならなかったし。
     そして、上に上がれば上がるほど、カビ臭さがつんと鼻をつくようになってきた。まあ、普段誰も使ってないんならそりゃそうだ。そんなことを考えながら、男はまったく躊躇わず足を進めていく。しかし、やけに長い。こんなに高さがあるものか? 暗いせいで、空間感覚がおかしくなっているのだろうか。
     しかも、さっきからなんか、変な音が聞こえる。
     カサカサ、カサカサカサ、みたいな。
     虫でもいるのか? まあゴキブリくらいいたっておかしかないが、それにしても。
     わからないのだ。音が、近くにいるのか、それとも遠くで響いているのか。
     だのに、その音は、だんだんと大きくなっていく。
     カサカサカサカサ……カサカサカサ……カサカサカサカサカサカサカサカサ、と。
     この村に入るとき、トンネルで聞いたのと、同じ?
     男はわずかに進むスピードを速めた。音は、一定のリズムをもって近づいたり遠のいたりする──まるで何かがこちらを探っているかのように。だが真っ暗闇のせいで、何も視認することができない。ただ視界の端、何か塊ようなものがちらりと掠める。ような気がする。
     もちろん錯覚かもしれない。知らず知らずの間に湧いた不安が見せた錯覚。だが振り向くことはせずただ前に進んだ。嫌な予感がしたのだ。
     もしかして、追われている?
     何に?
     この先に出口はあるのか? 追い詰められているのではないのか? 自分は罠に誘い込まれたのか?
     誘い込まれたとして──だから、何に。
     だが、後悔することはなかった。むしろ男の口元には笑みが浮かんでいた。だってこういう展開オカ板や洒落怖で死ぬほど見た。フィクションみたいな出来事が今、自分の身に起きている! この先には何がある? あの老人の正体は? 突き止めずに帰るわけにいかない! わかってるのだ、多分、異常な状態に置かれたために脳内麻薬がむちゃくちゃ出ている。けど、これからどうなっちゃうのだろうか、そんなことを考えたら、進む以外に道はなかった。カサカサカサカサ言ってる音は相変わらず鳴り止む気配がない。関係なかった。ガンガン進んだ。心臓がばくばく鳴っていた。そのときだった。

     階段が、突然消えた。
     違う。そこで途切れたのだ。

     まずい、と思ったが、崩れたバランスを立て直すことは叶わなかった。
     踏み外した右足から体ごと真っ逆さまに落ちる。
     フワリ、と浮遊感が体を襲う。そのとき初めて本能的な恐怖に襲われた。ヒュッと心臓が縮む。
     そして、バタンッ、と、床に強かに体を打ちつけた。

    「ッ、痛ゥ……」

     衝撃と痛み。思わず体を丸めて顔を顰め、打ちつけたところをさする。

     だが、そこまでの高さでもなかったらしい。ハッと気づいたら、さっきまで聞こえていた虫の這うような音は消えていた。
     それどころか、辺りは、薄ぼんやりと明るくなっている。
     男が落ちたのは、小部屋だった。が、目の前には、柵のようなものが立っていた。あるいは牢屋の鉄格子。そこかしこに、乱雑に、べたべたと、お札のようなものが貼ってある。
     灯りがともっていたのはその向こう側だった。
     そして、その奥には、人影があった。
     こちらからは逆光でよく見えないが、髪が長いことはわかった。

     ──自分を誘い込んだのは、これだったのか?

     恐怖と困惑より先に、正体を確かめたいという好奇心が勝った。もしかすると、名状しがたき悍ましい存在であったかも、目にしただけで気が触れるようなグロテスクな生き物であったかも、そんな懸念がふと鎌首をもたげたが、それより先に、檻の方へと近づいてしまっていた。
     男が何か言葉をかけようとしたその瞬間、その髪が微かに震えた。
     ゆっくりと振り向いた顔は、しかし予想を外して、驚くほど整った男の顔だった。
     え、と虚を突かれる。
     相手の方も同じく、びっくりしたようにこちらを見ていた。その表情には化け物っぽい感じなど微塵もない、普通に普通のヒトのそれだった。
     そしてその顔には、やけに既視感があった。どこかで見たことがあるような。最近じゃない。ずっと昔。そんなことを思った瞬間。

    「──あれ。もしかして、楠木殿?」

     声も。知らないはずなのに、聞いたことがある。まるで記憶の奥底に沈んでいたものが、ふっと浮かび上がってきたみたいに。
     だけど自分はそんな名前じゃ……

    「楠木正成殿ですよね!」

     彼は、身を乗り出すようにして鉄格子を握り、確信に満ちた声でそう呼んだ。がちゃん、と金属音が鳴り、辺りに響き渡る。
     ──その溌剌とした声に、とうとうすべてを思い出した。
     男は呆気に取られたような顔で、

    「……足利、尊氏……」

     自分の掠れた声が、考えるより先に、その名前を呼んでいた。
     だが、間違えようがない。枝毛ひとつない艶やかな黒髪、凛々しい太眉、人懐っこい垂れ目、通った鼻筋、両端の持ち上がった厚い唇、緑がかった黒目の中に、時折赤みの差す虹彩。
     正成は思った。

     水⚫︎ウか?

    「わーっ。お久しぶりです! お会いできて嬉しい!」

     檻の中で、以前と変わらぬ屈託のない声音でそう言いながら、尊氏はちょっと困ったように笑った。

    「そして出会って早々不躾で申し訳ない、水か何かお持ちではありませんか? 今、ものすごく喉が渇いていて」

     正成はくらっと眩暈を覚えた。あまりに非現実的な状況に頭が追いつきそうになかったのだ。
     だが、目の前で微笑んでいるその男と自分が、かつて殺し合った仲であるということは、確かに本当のことだった。



     そして、冒頭のAAのくだりに至る。
     実に数百年ぶりの再会である。
     正成は頭を抱えた。今の今まで全部忘れてたのに、このタイミングで突然全部を思い出したのだ。
     一旦整理するために時間が欲しかったが、目の前でニコニコ笑っているこの男の顔を見ると、その思考も端から馬鹿らしくなっていくようだった。
     湊川の戦い。殺し合って、負けた相手。そんで、七度生まれ変わっても殺しに行くと約束した男。
     ──言いたいことは色々あるが、とりあえず。

    「……喉渇いてるって、待て、そなたここにどれくらい閉じ込められてるんだ?」
    「ここ時計がないので体感ですが、まあ……少なくとも二日は経ってるかも」
    「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」

     正成は身につけていたウエストポーチから即座にペットボトルを取り出し、鉄格子の隙間からねじ込んだ。麦茶が半分くらい残ってるはずだ。尊氏はかたじけないと断りを入れ、二日何も飲んでいないという言葉は嘘でなかったのだろう、心底美味そうにそれを一気飲みし、喉を潤した。
     ぷはっ、と息を吐いてから、

    「いやあ、助かった! 楠木殿が来てくれなかったらどうなってたことやら」
    「本当に奇跡みたいなタイミングでござるな……」

     ポロッとござる口調までもがまろび出た。以前の自分なら絶対使わなかったような言葉が自然に出てきて、またもや頭がおかしくなりそうになった。
     だがその困惑を振り切って、まじまじと尊氏の様子を観察する。服装は至って現代的、チャラめの二十代男性て感じだ。髪の長さは、いつか京で宴席を設けた際にしていたのと同じくらい。髪や肌艶は健康そうで、本当にここに囚われてからそれほど時間は経っていなさそう。
     とはいえ二日飲まず食わずというのは相当キツいはず。しかもこのモノに恵まれた現代社会で。かつて籠城戦でさんざ兵糧攻め食らったことのある正成はよくわかる。思考の時間軸がものすごい勢いで行ったり来たりしていた。

    「すまん、今食べ物は持ち合わせてないので何も渡せないが」
    「いえいえ十分です」

     尊氏はひらひらと手を振って微笑んだ。
     んん、と咳払いし、正成は口を開く。

    「……聞きたいことは色々あるが、まず……そなた、何? どうした? 封印でもされてるのか? 鉄格子にむちゃくちゃお札的なものが貼られてるが」
    「封印云々はわかりませんが……ここに閉じ込められたのは、はい。宿泊のため訪れたのですが、食事を頂いてから気を失い、気づいたらここに」
    「どうやって……いやもう、手段なんかは考えるだけ無駄か」

     尊氏の方も、事情はよくわかっていないのだろうか。

    「ていうか、そもそもなんでこんなとこ来たんだ?」
    「それはこっちの台詞なんですが……」尊氏はやや苦笑してから、「旅行の途中にフラッと寄ったんです。史跡巡りが趣味でして。特にこの辺は面白い場所が多くて……いつも宿とか決めず、いい感じの民家に交渉して泊めてもらってたんですが、今回はとんでもないハズレくじを引いちゃったみたいですねあははは」
    「あはははじゃないが」

     ンなことやってたのかこいつ。さすがのコミュ力である。まあこんな顔も声もいい奴に愛想良く頼まれりゃ大抵の人間は無碍にできないだろうが……。

    「それで、楠木殿の方は? なぜこんなところに?」
    「作家を生業としていてな。取材旅行のはずだったんだが、様子がおかしいのが気になって。屋敷の主人の目を盗んで歩き回ってたらここまで辿り着いたわけでござる」
    「なるほど。ていうかそもそもここどこなんですか?」
    「屋敷の屋根裏……の筈なんだが階段が途切れて落ちたんだよなぁ。隠し部屋かなんかなんだろうか」

     上を向くと、おぼろげにだが正成が登ってきた階段が見える。そこまでの高さはないし、鉄格子を足掛かりにして、あそこまでよじ登ることもできなくはなさそうだ。

    「よし……ともかく、ここから出るでござるよ。いつまでもこうしちゃおれん、拙者も仕事とかあるし」
    「まあ、出たいのは山々ですが……この牢内側から開けらんなくて」
    「それは問題ない。多分こん中にここの鍵もあるでござろ」

     ちゃり、とポケットから鍵束を取り出す。
     『絶対に部屋から出るな』という言葉が引っかかっていた。老人が部屋から出ていく前に、懐に入ってるのが見えてたので、咄嗟にくすねておいたのである。
     遅かれ早かれバレてたろうし、だからこそ部屋の外に出る気にもなったのだが……平気な顔で牢の鍵穴に片っ端から鍵を差し込む正成に、尊氏は目を丸くし、やがてふっと相合を崩した。

    「貴方変わってないですねぇ楠木殿」
    「そなたもな、尊氏殿」

     耳障りな金属音を響かせ、やっと開いた鉄格子の扉。伸ばされた手を取り、引っ張り上げるようにして、正成は尊氏を立たせた。



     滑り降りるようにして階段を降りる。相変わらずカサカサと虫の這うような音は聞こえていたが、二人だったからだろうか、近づいてくる気配はなかった。
     扉の外の気配を慎重に確かめつつ、

    「三十六計逃げるに如かず、こんなとことっととトンズラするでござる」
    「屋敷から村の出口まではそれほど距離はありませんしね。他の住人とここの村長が共犯であるのか否かが気になりますが」
    「話したのか? 他の住人と」
    「少しだけ。様子は普通でしたよ。やけに陽気なのが気にかかりましたが」
    「ん〜、な〜んか村全体がおかしそうなんだよなぁ雰囲気的に……」正成はげんなりとした顔で、「まぁご老体なれども、勝手に人を閉じ込めるような輩に遠慮は要るまい。見つかっちまったら最悪ボコボコにして帰るでござる」
    「倫理観が700年前に戻っちゃってますよ楠木殿」尊氏は苦笑し、「一応実在してる村のはずでしょう。法的にまずいのでは?」
    「尊氏殿に法を説かれる日が来ようとは思わなかったな……まあ、見つかったら多分大事(おおごと)だろうし、バレないように逃げきるのが最優先でござるが」

     二人で歩くと、どれだけ気をつけたってギシギシと床の軋む音が鳴る。バレるのは時間の問題として、部屋の荷物は諦め一刻も早く外に出るべきだろう。隠密より、玄関までの最短距離を選んで突っ切るべきだ。正成の主張に、尊氏も否やは言わなかった。靴を履けないのはしんどいが、捕まるよりはマシである。
     扉を開けるや否や、二人は踏み込み、走り出す。すると、ギギギギギギギ! と床が尋常じゃない音を上げ始め、ああこれ本当に時間との勝負だと悟る。
     だが幸いなことに見つからず、玄関までたどり着いた。扉に手をかけると、手応えは軽かった。しめた、開いている。正成は、そのままスパンと勢いよく扉を開けた。

     その目の前には、老人が立っていた。
     陽気な微笑みは見る影もなく、青白い顔には欠片の表情もない。
     ただ大きく見開かれた真っ黒な黒目が、ジッとこちらを向いていた。
     
     まずい。
     生理的な忌避感が襲い、咄嗟にぶわりと鳥肌が立つ。

    「あっ……いや……これは……」

     もごもごと言い訳を口にしようとする正成の顔を見ながら、老人は出し抜けにニタリと笑った。
     唇の両端が吊り上がり、そしてびりびりと裂け始める。
     その隙間から、ぼろぼろと、拳大の黒い塊が落ちていく。べたっ、べたっ、と落ちた塊は、ひとりでに動き出し、がさがさと這い回る。
     虫のようだった。だが虫ではない。
     ──人間の一部だ。
     目玉が。手首が。ヒトの頭べちょべちょと落ちて、蠢きながら這い寄ってくる。

     正成と尊氏はきゅっと唇を引き結んでパッと目を合わせ、それからそれぞれ逆方向へと脱兎のごとく駆け出した。

     ──やっぱ化け物じゃねえか!!!!

     向かうのは村の出口のトンネル方向。尊氏もそれをわかっていたのだろう、道すがらすぐに合流した。だが何も解決してない。かろうじて老人は置き去りにできたが、目玉や手足が大群になって二人を追ってくることに変わりはない。

    「相変わらずの逃げ足ですな楠木殿」
    「言うとる場合か尊氏殿ァッ!!」

     走りながら二人は言葉を交わす。通り抜ける民家の中からも、逃がしてなるものかというように同じような塊が雪崩れるように出てきては、二人を先回りするように阻んでくる。

    「ボコボコにするとかいうレベルじゃなくなってきたぞ、どうすんだこれ」
    「我らがトンネル側を目指すことは向こうも予測しているようですしね」
    「だが出口はあそこしかないぞ、囲まれる前に出なくては……」
     尊氏は黙りこくって考えていたが、ついには口を開いた。
    「対抗手段がないではありませんが」
    「そうなのか?」
     よくよく考えてみれば、尊氏は最初っからなんだかやけに落ち着いて見える。こういう事態に慣れていたのか?
    「楠木殿なら使えるかもしれません。我が力を譲渡すれば」
    「我が力?」
    「覚えてますか? 我らが最後に戦ったときのこと」
     忘れるはずもない。
     いや、今日尊氏と会うまでは、スッカリ忘れていたっちゃそうなのだが。
    「あの人ならざる力がまだそなたに残っていると?」
    「大正解!」ぱちん! と指を鳴らし、にこっ!と笑う。「貴方が亡くなった後の話になるのですが。ある幼女に力の一部を分け与えたところ、その人ならざる力をかなり強い威力で使用することができたという例がありまして。誰でも使えるというわけではないっぽいのが難しいのですが」
    「自分では使えないのか?」
    「恐らく」
    「ンまぁ……そういうことなら、試してみるのも悪くはないが」

     状況が状況である。詳しいことを聞き出すような時間的余裕はないし、話がオカルトオカルトしてきたことにもいい加減順応してしまった。正成は微妙な顔をしつつも頷き、

    「して、その譲渡方法は?」
    「我の涎飲んでもらいます(*^ω^*)」
    「断ッッ固拒否でござる!!!!!(; ゚д゚)」
     いきなりな〜にを言い出したんじゃこいつは。
     ゼッテー嫌だしこの男と唾液交換などたまったもんじゃないし、
    「つーかそれだと幼女に力を譲渡した云々の話が一気に犯罪の香りしてくるのだが!? それ合意の上だったんだろうな!?」
    「時代時代♪」
    「非合意じゃねえか!!」
     ていうか合意でもアウトである。とうとうござる口調も取れた。
     尊氏はちょっとまずかったかなーくらいに思ってるのか、ややばつが悪そうに頬を掻き描きし、
    「まあ、父親に頼まれてのことだし……ちょっと無理やり飲ませただけで手は出してないしそもそも我幼女守備範囲外ですし」
    「そういう問題じゃねえッ!!」
     まあ拙者も人身売買やらかしてた男と組んで倒幕やってたわけだから人のこと言えないけど……!

     こんなカスのやりとりをしている間にも、追ってくる塊は増えている。追いつかれるギリギリのタイミングで、とうとうトンネルにまで辿り着いたが、
    「おいおいおい……」
     トンネルの中からも、数は多くないが、背後から迫ってくるのと同じ目玉やら腕やら足やらヒトの頭部やらがうぞうぞと出てきている。一部は奇妙に重なり合い、ツギハギの人間のような形をなしてさえいる。
     その化け物はぐちゅっ、と粘ついた血液を垂らしながら唇を笑みの形に歪めた。

    「……あれですかね。捕まったら我らもアレにバラバラにされて仲間になっちゃうとかそういう」
    「ヒェ〜グロすぎでござる〜」

     冷や汗をかきながら現実逃避気味な軽口を交わすが、そうしている間にも出口は塞がらんとしている。四方八方から囲まれ、もはやほとんど万事休すである現実を認めたくないだけだ。
     口の端を引き攣らせながら、隙を窺う。だが、迂闊に突破なんてことして、失敗したら? リスクが大きすぎる。それに包囲を抜けられたとして、そのままトンネルの真ん中を突っ切った先、出口が塞がれていたら完全に詰み。袋小路に自ら向かうような愚策である。しかもトンネルの中は狭い、両側から飛びつかれて容易く取り込まれてしまうやも。
     だが、逃げ道は一つしかない。
     正成はしばらく黙って唇を噛んでいたが、やがて、とうとう口を開いた。

    「……ぃんだな?」
    「え?」

     聞き返してくる尊氏に向かい、ひどく平坦な声音で、

    「そなたの唾液。飲めばいいんだな?」

     尊氏はしばらくぱちぱちと瞬きを繰り返したが、最終的にはこくっと頷いた。
     その途端である。
     正成は尊氏の顎をがばっとヒッ掴み、無理やり引き寄せ口の中に舌を捩じ込んだ。

    「ンむッ!?」

     突然のことに慌てた尊氏は咄嗟に抵抗しようとするも、正成に空いた片手で後頭部をガッツリ掴まれ身動きが取れない。

    「ん、んん……ぅ、ふっ」

     驚きと狼狽は、しかし徐々に薄れゆき、尊氏の体は、意に反して徐々に弛緩していく。意識してないのに勝手に声が漏れ、時折びくっ、と肩が震え、背中がしなる。手は自然に正成の服を掴み、ぎゅう、と指に力がこもっていく。
     絡められるその舌遣いは激しいばかりではなく、時として甘やかすように優しく、内側を翻弄する。ぢぅ、とわざと音を立てて舌が吸われ、尊氏の口から咄嗟に「ッ」と声が漏れた。

     ──この男、キスが上手すぎる!!!!

    「ンぐ、ッ、待ッ……んぅ、ん、ぅ♡」

     ぐちゅ、ちゅぷ、ぢゅう、と水音はやまない。尖った舌先に口の中の敏感なところを擦られ、僅かに空いた口の隙間からツゥと涎が垂れていく。ややあって、正成の喉仏が、ゴクッ、と音を立てて上下した。

     緊急事態にとんでもないことを始めた男たちに面食らったのか、二人を囲う化け物たちは困惑したように動きを止めていた。ツギハギ人間のうちの一人なんかはキャーッみたいな仕草で顔を隠して固まっている。

     ぷはッ、とようやく尊氏の唇から口を離した正成は、険しい顔で雑に口元をぬぐう。な〜んで拙者がこんなことせにゃならんのだ。
     しかし、自分の身体の変化に気づいた正成は、ふっと目を瞬かせ、おお、と感嘆の声を上げた。

    「確かに、なんかなんとなく変わった感じがする。行けそうでござる。っし、やるぞ尊氏殿」
    「ま、待ってくすのきどの我立てない」
    「えぇ〜? も〜」

     完全に腰が砕けて、へにゃへにゃとしゃがみこんじゃった尊氏の手を無理やり引っ張り上げながら、正成は前方を見つめた。
     さて、自家用車を停めてるトンネルの出口。そこがゴールだ。辿り着くためには、どうにかして化け物共を蹴散らし、向こう側まで駆け抜けなければならない。
     尊氏の涎を飲んでから、言葉で説明するのは難しいが、神経が限界を超えて鋭敏になった感覚があった。自己が、肉体の外側にまで拡張したような。指先の先、そのもう少し向こうにまで、物事を操れるような感覚。
     少年の時代……いや、もっと遡った昔、数百倍の戦力差を前に笑顔を浮かべて戦えていたときみたいに、はちきれんばかりの気力が満ちている。
     正成は頷き、尊氏に向かって告げた。

    「よし。いちにのさん、で走るぞ」
    「ぇ? あ、まだ息が」
    「走るぞ。いち、にのッ、さん!」

     途端に化け物たちが飛びかかってきた。
     だが、奴らの動きが、正成には物凄くユックリに見えた。
     正成はぐるりと相手を見据え、確かな予感と共に、腕を払うようにして振った。

     そのとき、ぶわりと強い風が吹いた。

     間違いなく正成の動きによって吹いた風は、そのまま地面を這っていたモノを巻き込むようにして竜巻のように渦を巻く。
     その隙を見た正成は尊氏の手首を掴んで地面を踏み込み駆け出した。なんだか心なしか足もちょっと速くなった気がする。
     胸がわくわくして、自然に口には笑みが浮かんでいた。上機嫌の正成は、並走する尊氏に向かってきゃっきゃと満面の笑みを浮かべながら、

    「すごいすごい!! 今の見たか尊氏殿! 手ぇ振っただけで竜巻ができたぞ!」
    「ほんとだすごい、こんなはしゃいでる楠木殿見るの初めて……」

     心なしかグタっとした顔の尊氏を気にも留めず、正成はそばに近寄ってくる指や目玉や髪の毛たちを触れもせぬまま跳ね除ける。人ならざる者には人ならざる力というわけか。しかし、以前の尊氏はこんなものを使いこなしていたのか。

     トンネルの向こう側まで抜け、そのまま運転席に乗り込む。尊氏も何も言われなくとも助手席に入った。ドアを閉めると、窓にドンッと叩きつけるような音が鳴る。追い縋ってきてるのだ。正成は迷わずエンジンをかけ、全力でアクセルを踏んだ。尊氏は流れるように上のアシストグリップを掴んでバランスを取った。山道を出しうる最高速度で駆け抜け、カーブを曲がって森を抜けたところで、ようやく諦めたのだろうか、とうとうサイドミラーを覗いても、黒い塊はどこにも見えなくなった。
     とかく、助かったのであろうか。後部座席の窓ついているべったりとした血の跡が、今までの出来事が夢ではないということを教えてくれている。
     そして、助手席に座っている尊氏の存在が。

    「はぁ……ふ、けど、楠木殿も使えたんですねぇアレ。ダメ元だったんですけど、まさか本当に扱えるとは我びっくり」
    「あれは忘れろ」

     すっかり余裕の笑みである。正成はゲッと顔をしかめて淡々とハンドルを回した。
     気づけば、行きにはバグり散らかしていたはずのカーナビが、正常な地図を表示している。本当に、あの異様な領域からは抜けたらしい。
     ふぅ、とようやく息を吐く。あんな体験初めてだ。そういえばノートPCの類を置いてきてしまっていた、なんて些細なことを思い出す。考えることはまだ山ほどあるというのに。

     わからないことが多すぎる。
     ──あの村はいったいなんだったんだ。正成は何故突然、あんなところに迷い込んだ。
     しかも、尊氏が訪れた二日後のタイミングで、だ。やはりこの男のせいなのか? それとも本当に偶然たまたま、何の関係もないのか? もしもそうなら、できすぎている。
     一瞬で以前の生のことを思い出したせいで、まだ思考と記憶に違和感があるし。尊氏はずっとこの記憶を持ちながら生きてきたのか?
     それに何より、あの力。まだ感覚が体の中に残っている。尊氏が持っている「これ」は結局なんなのだ。

     だが、当の本人はまったく呑気な顔で、
    「しかしあんな接吻久々だったな……まだ感覚残ってる。あんなことされたからには責任取ってもらわないと」
    「忘れろってーッ」正成は顔を引きつらせて声を荒げた。「不可抗力でござろ! 拙者は女の子(※成人済)が大好きッ」
    「そうなんですね、我は両方いけます。男児も大好き」
    「それ以上いらん情報を拙者に吹き込むなァッ!!」

     わちゃわちゃとやりとりをしながら、二人の乗る車は山道を降りていく。
     尊氏の楽しげな横顔をチラと眺めた正成は、はぁ、とわざとらしいため息を吐いた。まあ、情報量的にはこれでいっぱいいっぱいであるし。この先ゆっくり知っていけばいいか、と、そんなことを考えながら。
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