野良化した貴公子拾ってみた⚫︎月×日
執行官との交戦により深傷を負った観察対象を保護した。真っ白な雪の中、血だけでなく赤黒い固形物までぶちまけられていた気がするが、あの状態でよく一命を取り留めたものだ。
⚫︎月×日
メンバーの一人である医者によると、油断ならない状態は過ぎたが目覚めるまでには時間がかかるだろう、とのこと。傷もそうだが、日々の食事も睡眠も充分とは言えない生活をしていたんだ、無理もないだろう。
⚫︎月×日
観察対象の枕元に、毎日果物や木の実が置かれている。きっと健気な相棒の仕業なのだろう。ただ、連日自分の栄養はまともに摂らず、ずっと主人に寄り添っているのは気掛かりだった。 主人が起きた時に元気でなければ心配されるぞと言えば、賢い鷹はなんとなく理解したようだ。
⚫︎月×日
最近になって時々呻き声のような寝言のような声が聞こえるようになった。苦しそうな時もあるが、傷の方はむしろ回復してきていると言っていいだろう。
⚫︎月×日
観察対象が目を覚ました。想定より随分早い。覚ましたというか、外出から帰ってきたら起きていた。最初は訝しんでいたが、相棒が俺を警戒しないのを見て敵ではないと判断したようだ。そして大まかな経緯を伝えると、意外にも素直に礼を述べてきた。どれだけ荒んだ旅路を歩んでいてもお坊ちゃんはお坊ちゃんのようだ。
⚫︎月×日
昨日はまたすぐに眠ってしまったが、今日は意識がよりはっきりしていたので簡単なリゾットを持ってきた。これまた意外とすんなり口に入れたので驚いた。毒でも疑われるかと思って頭の中で練ってきた説得の使い道がなくなったが、楽に越したことはない。曰く「僕を殺す気ならとっくにそうしているだろう」とのことだ。
合理的な思考は嫌いではない。
⚫︎月×日
病室という病室がないので俺の部屋で療養させているが、質問攻めが凄まじい。ここはどういう場所なのかとか、なぜ助けたのかだとか。動けなくて暇なのはわかるが幼児のなぜなぜ期かの如く投げかけてくるのは勘弁してほしい。ひとまずは傷を治すことに専念してほしいものだ。
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あいつを治療した凄腕の医者でさえドン引きするほどの生命力と回復力で、あいつの傷はどんどん塞がりつつある。それはあの不吉なガラス玉の作用というわけでもなく、正真正銘本人のものらしい。現にあのガラス玉は俺が預かっている。
⚫︎月×日
まだまだ療養が必要とはいえ、じっとしているのも性に合わないようなので、書斎で書物を確認するくらいならいいと伝えた。
警戒は解いてくれたようだがまだ我々を信用したわけではない。書斎はいろんなやつが出入りするし、活動資料も山ほどある。そこで自分の目で見て判断してほしいと思ってのことだ。
⚫︎月×日
文献を読み漁るのは結構だが、本を机の上に積み、また新しい本をとりにいくのはやめてほしい。どうやら片付けはてんでダメなようだ。そもそも片付けという概念がこのお坊ちゃんにあるのだろうか。ここは使用人のいる家ではないというのに。
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あいつが目を覚まして数週間、「ここでの生き方を教えろ」との申し出があった。そろそろ話す頃かと思っていたがまさか向こうから来るとは。
どうやら連日取り入れた情報に価値を見出したようだ。こちらとしてもあいつの並外れた戦闘力、合理的と判断すれば手段を選ばない行動力を欲していたので願ってもないことだ。尤も、最初からこうなることはわかっていたからこそ書斎に入れたのだが。
目立つ赤毛は交流をした一部のメンバーからはすでに新入りとして認識されているし、改めて歓迎することにした。
⚫︎月×日
ここはテイワット中の情報を集めて扱っている場所であり、所属しているメンバーの中にはいろんなやつがいて、元騎士、貴族、はたまた元ファデュイだっているが、誰も身分なんて気にしちゃいない。お前もここにいる間はただの拾われた少年なのだと伝えた。今まで常に何かの肩書きを持っていたあいつにはなかなかしっくりこない感覚かもな。
⚫︎月×日
あの坊主の店を新たな窓口として使わせてもらえることになったが、条件として「一般人には怪しまれないように、しかし察しのいい人間には少しの違和感を覚えさせるような振る舞いをしてくれ」などという難解かつピンポイント極まりない要望を承った。ノートの切れ端でも落としておくか?その辺は利用する予定のある者たちに任せるとしよう。
伝えたいことがあるなら自分で手紙を返せばいいだろうに。
⚫︎月×日
身体の傷はだいぶ治ってきて、もう拠点内を自由に動き回れるようになった。ただ口数はかなり乏しくて表情も硬い。精神的な方はまだ時間がかかるだろう。
お勉強も兼ねてここ数日簡単な仕事を手伝わせていたが、そろそろ外の任務にも連れて行ってやった方が気分転換になるかもしれない。
⚫︎月×日
せっかく戦闘リスクの低い任務を用意したのに、坊主ときたらすぐ敵陣に突っ込んでいく。拠点待機中、誰かしらに手合わせを頼んでいたから身体を動かすに支障はない、などと言うが、その期間中はまだ激しい運動を禁じていたはずだ。恩人の言うことくらい聞いてほしいもんだ。
⚫︎月×日
昨日の件についてちょっくら詰問したところ、俺がいない間に稲妻出身の剣士やらフォンテーヌ出身の銃士やらに自分の知らない戦術を教わりに行っていたそうだ。礼儀もあって物覚えが良い若者は教えたがり共を引き寄せ、ありとあらゆる「手札」を身につけているらしい。
言いつけを破ったことはさておき、詳しく調べることを条件に預かっているガラス玉の代わりに使える手段が多いに越した事はないのだが……
本を片付けるということも覚えてくれないか
⚫︎月×日
ここに所属している奴らはみな表向きの顔を持っていて、自分の家がある。だがあの坊主は訳アリだ。だから拠点内の部屋を一つ空けてやった。まだまだ思い悩むこともあるだろう、一人になれる時間は大事にすべきだ。
⚫︎月×日
もうあいつの店で演技をする必要はないと告げられた。どうやら相手には伝わったことが確認できたそうだ。
手紙もやっと返すことにしたようだが、これについては俺があまり言うべきではないな。
⚫︎月×日
部屋を分けて数日、仕事の兼ね合いで顔を見ない日も増えたが、それでもあいつ関連のクレームはたまに俺に入ってくる。元騎士の無尽蔵な体力について行けなかった後方の中年メンバーに「あの坊ちゃんに憐れみの目を向けられた」と泣きつかれた時はどう反応していいかわからなかった。
⚫︎月×日
坊主が加入してしばらく経った。表情が乏しかった時とはうって変わって、最近は感情的になりすぎる事がある。頭に血が上るとやりすぎてしまったり、かと思えばひどく落ち込んでたまに目元を赤くしていることさえある。本人も自覚があるようで、精神安定に効く薬草をとってきては調合してもらっているらしい。
長い間怒り任せに生きていた反動かもしれない。
⚫︎月×日
坊主が負傷して帰ってきた。本人に聞いても「僕のミスだ」としか言わないものだから同行者に話を聞いたが、馬車に乗って移動する際魔物の襲撃に遭い、乗り合わせた一般人を庇ったとのこと。
普段から生傷は絶えないが今回はなかなか深手を負ったようで、拾ってきた時以来の療養となった。
⚫︎月×日
夜中、相棒の鷹に呼ばれて坊主の部屋に行けば、あいつはひどくうなされていて、熱も上がっているようだった。
相当酷い悪夢を見ていたのか、起こした後もしばらく身体を丸め込んでしゃくり上げていた。意識が朦朧として理性も効いていなかったんだろう。とはいえ、あんなあいつは初めて見た。
落ち着いてきた頃に薬を飲ませておいたが、いつまた容態が変わるかわからないためしばらくは隣の部屋で待機することにした。何かあれば鷹が呼びにくるだろう。
⚫︎月×日
あれから数日、回復してきたあいつは先日の記憶がバッチリ残っているらしく、気まずさからかポツポツ話してくれた。
以前までならこの程度の傷で動けなくなることはなかったし、こんなに感情的になることもなかったのに、と。本人はそれがたまらなくもどかしいようだが、怒りで麻痺させていた感覚が戻ってきただけのように思える。
こればかりは本人が落とし所をつけて制御するしかないため、手助けくらいはできると告げておいた。時間はある、自分が納得できるまで悩めばいい。
ただ一つ確実に言えるのは、横腹に穴が開くのを一般的には「この程度の傷」とは言わないってことだ。
⚫︎月×日
今まで精神安定の薬草も痛み止めも、心身を楽にするためというよりも不調を誤魔化して動き続けるために飲んでいたことがバレて医者にこっぴどく叱られていた。荒野を渡り歩いていた頃のようにはいかないと今回の一件で身に染みただろうから流石に改めるだろう。
⚫︎月×日
坊主の快気祝い…ではなくたまたまタイミングが被っただけだが、ちょっとした飲み会に連れてきた。だがどうやらあいつは少し前に情報収集のために入った酒場で、自分が酒を飲めない体質であることに気づいたらしい。ショックを受けていたとは同行人の証言だが、いずれ継ぐ家業のことを思うと無理もない。
それでも、実家のワインへの賞賛を声を聞けばあいつは少し嬉しそうな顔をしていた。あのような顔ができるようになったのはいい変化だと思う。
⚫︎月×日
ひとたび戦闘になれば苛烈さを見せるが、日常においてはかなり落ち着いてきたようだ。むしろ少々朴訥としてしまったようにも見えなくもないが、あいつは0か100しかないのか?
だがごく稀にではあるが笑うようにもなった。これは以前までは見られなかったものだ。自分の感情に振り回されていた頃からしたらマシになっているのかもしれない。
⚫︎月×日
坊主がここにきてからそれなりに時が経った。あいつは武闘派連中によって荒波に揉まれ、狸どもに巧みな話術を仕込まれ、そのほとんどを真摯な態度で吸収して、気づけば俺と近い地位にまで登りつめた。実力はもちろんのこと元々向上心と探究心が高くて真面目な奴だったから、異例の早さの出世にもみな納得しているようだ。
⚫︎月×日
時間の流れとは早いもんだと、感慨に耽ることがある。年寄りでもないのにな。今のあいつは無謀に敵陣に突っ込んでいくこともないし、自分の感情と折り合いがつけられずに泣いたりしない。
最初のうちはカエルだのトカゲだのを獲ってきたこともあったな。野生の抜けない猫かと思った覚えがある。
ここのメンバーのほとんどは利害の一致で集まってるようなもんだが、若者の成長を喜ばしいと思う情は俺にもあったようだ。
いつまで経っても本は片付けないがな。
⚫︎月×日
ここでの任務を遂行する傍ら長い間悩んでいたことがあったようだが、やっと考えがまとまったようだ。
坊主は次の任務を最後に、モンドに帰り家業を継ぐとの事だった。
とはいえ今後もここを情報網として利用するつもりらしいから、なにも今生の別れというわけではない。他の連中と同じで「表の仕事」に就くだけだ。
⚫︎月×日
あいつがモンドに帰れば、早々に父の仇であるファデュイと対峙することになるだろう。だから、できる限りの情報を与えておいた。餞別のつもりはないが、きっと役に立つだろう。それと、できることなら使わずにいて欲しいところだが、例のガラス玉も返すことにした。残念ながらあいつ自身が知っていること以上の情報は得られなかったが、それも予見していたようで、特に思うことはなさそうだった。
⚫︎月×日
先日最後の任務を無事終えたあいつがここを出る日が来た。今後は資金的な補助をしてくれるそうだ。まぁ正直なところそういった面での下心がなかったわけでもないが、まさか向こうから言ってくれるとは。
流石にあいつも数年ぶりに家に帰るってのは緊張するらしく、少し手が震えていた。それでも一歩踏み出した時にはそんな面影は一切見せず、振り返ることもなく旅路についた。
自由の国の民ディルックに、風神の加護があらんことを。
⚫︎月×日
時の流れとは本当に早いもので、ディルックが帰ってから数ヶ月が経つ。早々に「黒焔事件」に巻き込まれてファデュイに連行されたと聞いた時はどうしたもんかと思ったが、心配はいらなかった。ここにいる時に覚えた縄抜けが役に立ったか、はたまた強引に抜けたか。帰ってからも波乱に満ちた奴だ。
⚫︎月×日
過去のアビスによる地脈異常の一件もそうだが、”闇夜の英雄”といい、単独行動が多いのが気がかりだったが、最近信頼できる協力者を得たらしい。突如として現れた異国の旅人を最初は警戒していたものの、共に龍災を乗り越えて親しくなったようだ。久しぶりに直接顔を見せたあいつは随分と穏やかな顔立ちになっており、少し安心した。
だがあいつの道はこれからも長く険しい。これまでたくさんの命を手にかけ闇の中で戦い続けるあいつに真の平穏が訪れることはないのかもしれない。それでも、いつか夜明けが訪れた時、あいつ自身もそこに居てほしいと願わずには居られない。そのために、仲間の存在は必要不可欠になるだろう。
──手記はここで終わっている。きっと今後も書き足されていくのだろうが、それがいつになるのかはこの手記の持ち主の気分だろう。