出雲に行く『則宗、寒くはないか』
ヘルメットのスピーカー越しに聞こえる音声に則宗は正直に寒いと答えた。今、一文字則宗は早朝四時から主たる鬼の審神者のバイクに二人乗りをして出雲へと向かっている。鎮西から本州へは海峡にかかる橋を渡った。そこからずっと身体が冷えっぱなしだ。トンネルもあるのに、鬼の審神者はなぜか海を渡った。生憎の天気で普段なら美しかろう景色など見ることも出来ず、ただただ凍えるだけだった。
出雲に行くことになったのは、蔵から出てきたとある手紙が見つかったからである。
かつて小さくとも土地を守ったことのある土地神としての一面があったらしい鬼の審神者は、こうやって毎年出雲から手紙が来るのだという。鬼の審神者は、自分は神ではないと言い張っていつもさぼろうとするのだそうだ。もっとも、陸奥守もこの手紙に気付いたのは一昨年らしいが。
気付いたからには行けと言わざるを得ない。何故なら、手紙の主は……というやつだ。そんな格上も格上な存在からの招待の手紙をこっそり処分する度胸には感服する。
とはいえ流されるように出雲に行くことになってしまったのだが、則宗は実のところ引け目を感じていた。本尊が行くのはわかる。だが、分霊が行くのはどうなのだ。本当に格上も格上の存在と会うことは少ないと鬼は言っているが、それでも百年以上世に生きている自力で化生した付喪神もたくさん来ているであろうことは何となくわかるのだ。
刀剣男士も付喪神という括りではあるが、それなりに調整というものがされている。審神者の刀となり戦うのだから、扱いにくくては困るのだ。全員が狐面の付喪神のような存在であるわけではない。八百万の神の中には当然、まつろわぬものたちも含まれている。悶々と考えていると、鬼の審神者の声が則宗を引き戻してきた。
『昔馴染みは少なくなってくる。当然な』
寂しいと鬼の審神者も感じるのだろうか。鬼の審神者はポツンと話した。
『去年までいた奴が今年はいない。サボりかそうでないかなど、誰も言わんがなんとなく分かる。俺たちというものはそういうものだ』
死んだ、というわけではない。正確にはそういう言い方をしないのだろう。初めから生きているのか、という話になってくるわけだ。いなくなった、隠れた、遠くへいった、そういう言い方の方が相応しいのかもしれない。
『俺はまだいい方だ。話として成立し、恐れとはほど遠くともそういうものとして人の世に在ることが出来る。お前たちからの認識も』
「忘れられたらお前さんも同じようになるのかい」
思わず聞いてしまった。不安になっただとかそういう理由ではなく単純に気になったのだ。恐らく、人から生まれた物の怪も誰かからの認識、逸話というものが重要で、それがなくなると跡形もなく消えてしまうのか、と。
『さて、どうなるやら。俺には考えも及ばぬ。ただ……、いや、言うまい。少なくとも数百年は大丈夫であろうよ』
鬼の審神者はそういった。お前には教えてやらないという響きではない。この審神者は長く生きているが刹那的な考え方も併せ持っている。鬼という性質がそうさせるのだろうか。見る事すら出来ない未来を案じ続けても仕方がないというのだろう。
「そうかい」
則宗はそれしか答えられなかった。数百年、刀の身であればそれしきの時間、あっという間に過ぎるのだろうが、人の身にはあまりにも永過ぎる途方もない時間に違いなかった。
しばらくお互いに黙っていたが、長い道のりだ。鬼の審神者は適当に話を振ってくる。他愛もない話だ。猫の様子も尋ねてきたから、いつも可愛らしいとだけ答えておいた。
『猫に言っておけ。取って食わぬから顔でも見せろ。あと部屋に籠り通しだと太るぞと』
則宗は少し笑い、伝えておくよと答える。全く部屋から出ず、本丸の中を歩き回りもしない猫について気にしていたらしい。則宗が寝る前に軽く遊んで運動をするが、それでも足りないと言っているのだ。そうして、不在中は南泉一文字が様子を見てくれることも話した。少し前に修行へ出て、たくましくなって帰ってきたばかりだ。南泉が忙しいときは、陸奥守吉行、肥前忠広、南海太郎朝尊の三振り、五虎退と包丁藤四郎も気に掛けてくれると言っていた。ハロウィンで訪れた予想外の来客で、彼らははっきり猫又の姿を見た。だから、猫又も彼らの時は隠れずに姿を見せてくれるようになっている。則宗の部屋には、南泉か政府所属時代に親しかった山姥切長義、水心子正秀くらいしか頻繁に遊びには来なかったが、猫又という存在のおかげてやや賑わうようになったのだ。
話をしているとすっかり寒さを忘れていた。海峡を渡る橋もとっくに通り過ぎて、今は陸地をずっと走っている。
『まあ、萩から海側に出てそれに沿って進む。途中休憩を挟んでだが、昼前には到着予定だ。無理かもしれぬが、寝てもいいぞ』
「いや眠れんよ、この体勢で」
『ははは、おんぶ紐でも持ってくるべきであったな。陸奥守は器用に寝たものだが』
その想像をしてやや笑いそうになったが何とか堪える。陸奥守は慣れているのだろう。たまに、行先を告げず呼びつけ、どこかに一緒に出掛けているのも知っている。則宗はまだバイクに慣れない。原付でも取ろうかくらいは思っているが、なかなか暇もないのだ。
「お前さん、寒くないのか」
『寒い』
当たり前の返答が返ってきた。鬼でも寒さは当然感じる。しかし、後ろに座っているだけの則宗も当然冷えてくる。暖かい恰好をしてきたはずだし、カイロも持っているのだが、風を切る寒さがそれを上回っているのだ。
『朝飯は適当にどこかで食うつもりだが、何か希望はあるか』
「暖かければどこでもいい」
寒さを思い出すと無限に寒い。やや回している腕に力が入る。則宗の返答には不満だったようで、ほう、と全く了承していない声が聞こえてきた。
『朝からカツカレーや焼き肉でも文句はいうなよ』
「分った、僕が悪かったよ。少し軽めの和食がいい。味噌汁も飲みたい」
聞き入れたのか分からないが、フンと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。雨の中、バイクで駆け抜けたときは戦いに行くこともあって気にもしなかった。気温が全く違うが、結構なスピードで駆け抜けていることは変わらない。鬼の審神者は何か、ふふ、と笑ったようだったが何に笑ったのか言わなかった。
――ふと、バイクが止まった。則宗の腕をぽんぽんと叩く。
『朝飯を食うのであろう。降りろ』
どうやら、寝ていたらしいことを則宗は把握した。眠れないと思っていたが妙に暖かかったのは、がっちりと抱き着くような感じになっていたらしい、ということも理解した。
「お前もやはり寝たな」
ヘルメットを外し則宗に話しかけてきた。結っている黒髪が見える。一般人が多く住まう場所に出るときは、擬態をしていると得意げに言っていたのを思い出した。
「俺も温いので助かる。来い則宗、腹が減ってかなわぬ」
にやり、と悪役じみた笑みを浮かべ、跨っていたバイクから降りるとさっさと店に入っていく。則宗もヘルメットを外してそれに倣った。仰々しい口調ではなく、一般人向けの口調で店員とやり取りしているのを見る。店員は目の前の黒髪の人物が鬼だとは思いもしないのだろう。ほどなくして二人席に通される。人は疎ら。開店してからまださほど時間も経っていないのであろうが、則宗たち以外には、個人客がふたり別々の席に座って食事をとっていた。
どうやら、入り口のところでさっさと注文を言っていたらしい。則宗に希望も聞かずに、であろう。若干、カツカレーが出てきたらどうするか、と考えていたが、待つこと十分ほどでお盆に乗せられた料理が運ばれてきた。白米に味噌汁、焼き魚、卵焼きに、煮物、漬物とおひたし、熱めの緑茶という内容だ。ちゃんと聞き入れられていて、則宗はようやく安堵した。
「ここには立ち寄るのか」
則宗の問いかけに鬼の審神者は頷いた。