コノエが艦を離れて、五日が経った。
ミレニアムの帰港に合わせて組まれたラメント議長や議員たちとの会合のために、コノエは単身でプラント最高評議会に赴いている。本来ならば准将であるキラも同行するべきなのだろうが、「ラメントとは旧知の間柄ですから、私一人で構わないでしょう」と事を進められてしまった。
――おそらくは、キラを守るために。
ラメント議長はキラに対して比較的友好ではあるが、他の議員、特にザフト軍関係者の中には遺恨を残している者もいるだろう。不躾な視線を向けられるだけであればまだ良いが、剥き出しの憎悪をぶつけられる可能性もある。
そういった悪意がにキラが晒されないよう、一人で請け負ってくれたのだろう。コノエ本人が何を言う訳もないが、察せられないほどキラは周囲に対して鈍感ではない。
そう、わかっているのだ。わかっては、いるのだけど――
「一回も通信がないなんて……」
ぽつりと呟いて、キラは抱えた膝をぎゅうと抱きしめた。
会合の期間、コノエはコンパス本部内の宿舎で寝泊まりしている。港のミレニアムに戻るよりも近く、その分身体を休めることができるため、それ自体に否やはない。
そしてその宿舎から、毎日定刻に報告のメールが届く。要点が整理されて簡潔にまとめられており、非の打ちどころがなくさすがの一言に尽きる。これについても、問題はない。
だが、これだけなのだ。コノエからの連絡は、これしかない。
「これ以上放置されると、拗ねちゃいますよ……」
理不尽だとわかっていても、つい不満がこぼれる。
しかし宥める声もやさしく触れてくれる手もなくて、コノエがここにいないことをより実感してしまう。
「……声、聴きたい」
業務メールに私情を持ち込むことはできない。それは理解しているし、逆の立場であったならキラも同じようにするだろう。
ならば報告とは別に、私用の連絡をしてくれても良いのではないか。会合の予定は流動的なためキラから連絡を取るのは難しく、コノエのタイミングを待つしかない。
「……顔、見たい」
ミレニアムの運用を開始してから、そして恋仲となってから、コノエと離れて過ごすことはほとんどなかった。当たり前に艦橋にいて、キラたち前線のパイロットの支援をして、見守ってくれていた。
たった五日、その眼差しがないだけでこんなにもさみしく思うだなんて、キラ自身想像もしていなかった。
どうして連絡をくれないのだろう。業務報告のおかげで事件に巻き込まれた等の心配はないけれど、だからこそ何故という気持ちが膨れ上がる。
こんな風に焦がれているのは、自分だけなのだろうか。コノエは大人だから、仕事だから仕方がないと割り切っているのだろうか。こんな子どもじみた感情は、迷惑だろうか。
でも、それでも――
「――会いたい」
――プシュゥッ。
「っ!」
呟くと同時、部屋の扉が開く音がして、キラはびくりと肩を跳ねさせた。
入口に背を向けて座り込んでいるため、そちらの様子は窺えない。コツ、コツ、とゆったりとした靴音が響き、誰かが室内に入ってきた事実だけがキラにわかることだった。
しかし状況を把握するには、それだけで十分だった。主が不在のこの部屋に何の断りもなく足を踏み入れることができるのは、恋人兼上官であるキラの他に一人しかいない。
「ああ、いらしていたのですね、准将」
コツリ。靴音がキラの背後で止んだ。次いで、ギシ、とスプリングが軋む音がして、キラの身体が揺れて僅かに後ろへ傾ぐ。
「格納庫や執務室に寄らずに、真っ直ぐ戻ればよかった」
「どう、して」
会合は一週間の予定であったと記憶している。だからあと二日は、コノエは戻ってこないはずだ。
だからキラは、この部屋にいたというのに。
膝を抱えたまま絞り出すように訊ねると、空気がやわらかく揺れる気配がした。
「早く帰りたくて、予定を詰めてしまいました。ラメントには少々、苦い顔をされましたが」
「……どう、して」
膝に額を擦り付けて、また訊ねる。
まさか、だって、そんな。都合の良い答えを期待して心臓が早鐘を打つ。
「決まってるでしょう」
ギシとまたスプリングが軋んで、あたたかな気配が近づく。
首筋に、吐息がかかった。
「キラに、会いたかったから」
そっと触れたやわらかな感触に、ぞくりと肌が粟立つ。思わず湿った吐息が漏れそうになり、既の所で押し殺した。
芳醇な声と香りが五感から染み渡り、かさついた心を潤していく。端的なコノエの言葉はしかし何よりも雄弁で、焦がれていたのは自分だけではなかったのだと歓喜で顔に熱が集まる。
そのうれしさの一方、自分の狭小さが身に染みてキラはより身体を縮こまらせた。連絡がなかったのもきっと、帰艦を早めるために苦心していたからなのだろう。
それなのに自分は、膝を抱えているだけで。連絡がないことを、拗ねるばかりで。
「顔、見せてくださいませんか」
首筋から伝わる振動に、全身の熱が増す。請う声音は、どこか飢えた響きを持ってキラの心臓を叩く。
しかしキラは首を横に振った。まるで聞き分けのない子どもだと、抱えた膝の中で自嘲する。けれどきっとみっともない顔をしているであろう自分を、コノエには見られたくなかった。
「……僕、拗ねると面倒くさいですからね」
いいんですか、と小さく付け加える。大人のコノエの隣にいるのが、こんな子どもの自分で本当に良いのか。
そう言外に含めたものの、訊ねた後で怖くなって、キラは制服を握りしめた。皺になってしまうと一瞬よぎったけれど、そんなものは瑣末なことだ。
もし、否定されてしまったら。
もし、呆れられて嫌われてしまったら。
考えるほどに怖くなって、ますますキラは顔を俯ける。
少しの沈黙の後、背中から温もりが離れる気配がして、キラは唇を噛みしめた。ああ、やはり――そう覚悟するキラの耳に、ふむ、と思案する声が届いた。
「どう、面倒くさいのですか?」
「……え」
予想外の言葉に、キラは顔を俯けたまま目を瞬いた。コノエの真意がわからず、恐る恐る顔を上げて後ろを振り仰ぐ。
とても顔など見せられない――そう思っていたのに、コノエの姿を認めた途端、それこそ瑣末なものになってしまった。
やわらかな錫色が真っ直ぐに、やさしくキラを見つめていたから。
「え……っと、その」
きっとコノエは、すべてを理解している。キラの歓喜も、子どもじみた感情も、すべてを理解してなお、錫色を細めてキラを見つめている。
それがわかるくらいには、キラもコノエを見つめてともに過ごしてきた。
それなら――と、キラはそっと視線を逸らして制服の裾を握りしめた。
それなら、このまま子どもでいても、いいだろうか。
「……だ、抱きしめてくれないと、許しません」
「そうですか、お安い御用です」
ふわりとまた気配が近づいて、腕の中に閉じ込められる。年齢にそぐわず逞しい胸板に顔を埋めると、より強い芳香が鼻を擽った。
思わず吐息を漏らすと、どこか楽しそうな声が頭上から降ってきた。
「許していただけますかな?」
我儘を許容するようなその声音は、キラをさらに子どもにしていく。
「……だめ、です」
「おや、困りましたね」
ふうむ、と然程困っていなさそうにコノエが首を捻る。その背中に腕を回して、キラはぎゅうと身を寄せた。
「頭、撫でてくれないと……機嫌、直りません」
「なるほど。では、失礼して」
ぽふ、と大きな手がキラの頭に乗る。そしてゆっくりと、まるで形を確かめるようにゆっくりと撫で下ろしていく。頭頂から後頭へ、時折耳の後ろを掠めてキラを慈しむ。
あたたかな手はやさしく心地好く、そして触れた箇所から小さな熱を灯していく。この手に撫でられるだけで、キラの思考はとろりととろけてしまう。
「機嫌、直してくださいますか?」
「……いやです」
おや、とやはり楽しそうにコノエが肩を竦める。わかっているくせに、とキラは頬を擦り寄せた。
数日ぶりの逢瀬で、焦がれていた温もりに包まれたら、止まれるはずがないのだ。
「キス、してくれないと、やです」
「……それは大変だ」
頭を撫でていた手がするりと降りてきて、頬に触れる。やさしい手付きで、けれど些か性急に顔を上向かせられたと同時、降ってきた唇が重なる。
薄い皮膚から伝わる熱にくらりと眩暈がして、それが心地好くて、キラも伸び上がって唇を押しつける。
一度離れて視線を交わして、角度を変えてまた重ねる。戯れのような口付けは幸せだけれど次第に物足りなくなって、どちらからともなく唇を開いた。
「ん……っふ、ぅ……」
薄い唇に反して肉厚な舌がキラの口内に入り込み、差し出した舌を絡め取る。擦り合わせた粘膜から甘い痺れが広がって、じわじわと背筋を侵食していく。
「ぁ、ン、んう……っ」
くちゅ、と聴覚を犯す淫らな水音が欲を加速させて、お互い夢中で唾液を貪る。舌を吸われ上顎をなぞられて、その度に身体が跳ねる。
徐々に力が抜ける身体を支えようと広い背中に縋りつくと、コノエもキラの背を支えるために抱きしめた腕に力を込めた。ぐっと身体の距離が近づいて、厚い舌に奥まで蹂躙される。
「ぁふ……ん、んッ……あ……」
酸欠と快感で視界が霞んできた頃、濃厚なキスから一転、ちゅっとかわいらしいリップ音を立ててコノエが離れた。不足していた酸素を取り込みながら、厚い胸板にくたりと身を預ける。
「いかがですかな?」
薄く笑んだコノエが、頬に唇を落とす。肌を淡く啄みながら、いつの間にか溢れていた生理的な涙を吸い取っていく。
その刺激に身体を震わせながら、キラは錫色を見つめた。
「……まだ、だめです」
背中に縋っていた手を、今度はするりと首に回す。
「これだけじゃ、五日分になんてなりません」
だから、もっと。
そう視線で強請ると刹那錫色が見開かれて、すぐにしんなりと細められる。常に穏やかなはずのそこに宿った獰猛な色を隠さずに、コノエはくつくつと笑った。
「本当に、面倒くさいお方だ」
仰せのままに、と続けたコノエの唇が再び重ねられる。戯れは終わりだとばかりに直様舌が侵入してきて、上顎を擽られる。
甘い痺れも芳香も増して、けれどもっと欲しくて、キラは首に回した腕に力を込めて引き寄せた。同時に腰を抱き寄せられて、熱を持った身体がぴたりと密着する。
まるで子どもが甘えることを許すように。それでいて、大人が子どもを閉じ込めるように。一切の隙間を許さぬよう、口も身体も重ね合わせて擦り寄せる。
激しくなる口付けに追随するように傾いでいくコノエの身体に任せて、キラはその身をシーツに沈めた。