俺の初恋がマブの番!プロローグ
大学の講義を終えて、行きつけの古びた喫茶店に入ると人目のつかない一番奥の席へと向かう。ここの店は珈琲を一杯注文しただけで何時間居ても文句を言われないからよく利用する。注文を聞きに来た年老いた店主が「いつものですか?」と訊ねてきたので頷いた。ノートパソコンを開いて株の動きをチェックしているとポケットに入れていたスマートフォンが振動し、取り出せば表示されている名前にうげっ、と思わず声を漏らした。
出たくないが出なかったらあとが面倒。仕方なく、通話をタップした。
「もしもし、何」
『あっ、一。久しぶりね、元気にしてた?』
「何だよ、要件あんなら早く言えよ」
『ホントにもう…、母さんの声聞けて嬉しいとか言って欲しいわ』
「聞き飽きてるので、要件ねぇなら切るぞ」
『要件あるから電話したんでしょうが。一に頼みがあるのよ』
嫌な予感しかしねぇからなんだよとは聞きたくなかった。けれど電話に出てしまったぶん逃げ場はない。
「面倒事は断る」
『先手打って来るんじゃないわよ。どうせ、株やらなんやらでバイトしてないんでしょう?
母さんの幼馴染の子の家庭教師頼みたいのよ』
「断る」
『可愛い子よ、青い目の大きな!』
可愛いというか美人という類は俺のマブだけで十分見慣れてるわ。そんな事でホイホイつられて面倒事引き受けるわけがねぇだろう。
「じゃぁ、…」と、電話を切ろうとした時だった。電話の向こうから話し声と物音がしたかと思った途端『もしもし?』と、聞きなれない声がした。
『あっ!私、花垣って言います。一くん?お母さんから、武道の家庭教師引き受けてくれるって聞いたんだけど、本当に良いの?
うちの子、ほんとに勉強ダメで。そのクセ、夢はでっかくてほんとに申し訳ないって言ったんだけど……』
は?
せ、先手打ってんのはテメェの方じゃねぇか!断りたい、断りたいが相手の申し訳なさそうな声色にいつもなら平気で言える無理という言葉が出ない。何故かこの話を断ってはいけない気がするような、そんな胸騒ぎすらする。
「…い、…いい、です」
『ほ、ほんとに?!ありがとう、一くん!』
嬉々と息子の番号です、後日連絡させますからと告げられる携帯番号を紙ナプキンにメモしてプツリと通話を切る。
「くっそ、面倒…」
運ばれてきた珈琲とホットサンドを食べながら、紙ナプキンに並んだ数字を携帯の新規連絡先に入力する。
名前、タケミチって言ってたか。よく分からねぇから『生徒』とでもしておくかと取り敢えず、登録をタップした。
◇◇◇
その夜。
仕事を終えたマブのイヌピーが両手に買い物袋を携えてやってきた。イヌピーこと乾青宗。イヌピーは所謂、幼馴染という関係で数年前まではこいつの憧れているという族に所属してヤンチャしたもんだ。
「真一郎くんに明日休み貰ったから、呑む」
ん、と差し出された買い物袋の中には缶ビールや酎ハイがゴロゴロと入っていた。
「俺の好きなビール有るじゃん」
「ツマミも適当に買ってきた」
「サンキュー」
家に帰ってからずっとパソコン画面しか見ておらず時間も気にしていなかった。時計を見遣れば夕飯を食べる時間を回っている。
「ココ?なんか携帯鳴ってるぞ」
携帯、そう言えばリビングのソファーの上に投げたままだった。
ディスプレイを見れば『生徒』の表示。マジで電話してきやがった。家庭教師なんて嫌だろうに。
「『生徒』?何だそれ」
「話せば長く…はならねぇが親に押し付けられたんだよ。家庭教師」
「へぇ、ココが家庭教師なんて珍しいな」
「やりたくてやったわけじゃねぇよ。よっぽど不出来なんだろうよ。相手の親から直々に頼まれちまったもんから断れなかったんだ」
通話をタップして「もしもし」と、出れば『あっ、俺っ!花垣武道と言います!』とデケェ声で返された。
耳いてぇ。
「あぁ、話は聞いてる。九井一だ」
『あの、なんかウチの親がすいません』
「引き受けちまったんだ、ちゃんと責務は果たす。
で、どこ狙ってんだ」
『○大…です』
○大学っつーたら、そんなレベルの高い大学ではなかった筈だ。それなのに俺を家庭教師させてまで合格させたいって余っ程の成績なのか?
『あ、の…ですね。多分、親から聞いて無い事かもしれませんが俺…』
言いにくそうに口篭る花垣。いいから言えよと催促すれば小さい声で『…っす』と、何やら呟いた。
「聞こえねぇぞ?」
『俺、Ωだから!人一倍頑張らないと入学出来ないんすよ!』
と、叫んだ。
おめが?誰が、こいつが。
「はぁ?!」
いやいや、待て待て。
この世には男や女という性の他に第二の性が存在する。α、β、そしてΩ。
俺はα、序にイヌピーもαだ。αは知能が高く、エリート体質。大抵の者はβで一般的。Ωは男女問わず、妊娠が出来て定期的にくるヒートにより周囲を誘惑する時期が来る。その為、定職に就くことが困難で冷遇されやすい。大学も入れない事は無いが特別枠が用意されていてかなりの競争率だと聞く。
だが問題はそこではなくて。
「お前、ウチの親から聞いてねぇのか?」
『え?』
「俺、αなんだけど」
『き、聞いてます!俺の周期安定してるからちゃんと時期が来たら勉強会はお休みするんで。
九井さんは凄く頭がいいって聞いてます!お願いします!』
何故か電話の向こうでまだ顔も見ぬこの男が頭を下げている光景が目に浮かんだ。必死になって余程将来の為に通いたいのか。そう言えばこいつの親も言ってたな。デケェ夢があると。
「分かった、明日は平気か」
『は、はい!大丈夫です』
「後でメッセージを送るから指定の場所に来い」
『分かりました。その、九井さんありがとうございました。俺、必ず受かってみせるんでよろしくお願いいたします』
「まぁ、それはお前の努力次第だ。頑張れよ。じゃあまた明日」
プツリと通話を切って大きな溜息を漏らす。
「まぁ、ココ…大変そうだけど頑張れよ」
「だりぃ…。まさかΩだったとはな」
「用心棒で付いててやろうか?」
「なんの用心棒だよ」
「いや、もしかしたらΩが発情して襲ってくるかもしれねぇだろ?ぶん殴ってやる」
ブンブンと腕を振るマブにさすがにやめれと思う。
元ヤンのイヌピーの拳食らったら間違いなく馬鹿が余計馬鹿になっちまうよ。
「ま、ちゃんと自衛すっから大丈夫だ。勉強は行き付けの喫茶店でやろうと思ってるし。周りの目もあれば平気だろう。
イヌピーも仕事あるんだし」
「そう言うなら、分かった」
「まあ、とりあえず飲もうぜ」
イヌピーが持ってきた買い物袋から気に入りのビール缶を取り出すとプルトップを開ける。
くぴくぴと喉を潤しながら、スマホを操作して簡潔な文章で明日の時間と場所を指定したメッセージを花垣に送信すればすぐさま了承の返事が来た。
「まぁ?適当にやるさ。受からなくても俺のせいじゃねぇし」
「気を付けろよ」
「あぁ」
明日。
俺と花垣、そしてイヌピーの運命が動き出す事を。
この時の俺は知る由もなかった。
第一話 コレはまさかの恋だろうか。
翌日は日曜日。
約束の行き付けの喫茶店へ早めに行き、今日は珈琲だけを注文する。
約束まであと三十分あった。
流石にまだ来まいと思っていたが珈琲が俺の元に来ると同時に店の来客を知らせるドアベルがカラカラと鳴った。
「いらっしゃいませ」
中に入ってきたのは黒のふわふわのくせ毛、大きな瞳の…少年?えらく小柄だな。アレ、高校生か?
いや、待て。それよりなんだ、あの独特のファッションは。胸元に、でっかい『努力家』の文字。どこで売ってるんだ、そんな服。いやまさか違うよな?あれが花垣なわけねぇ。然し『目の大きな!』と、電話で聞いたまんまの特徴の男。
視線を落として、冷静を装うように注文した珈琲を一口飲む。
「あの」
まぢかー…。
少年、もとい…花垣は俺の席に一目散にやってきた。
「九井さんですよね!」
はいそうです、九井です。ふうと、息を吐いて「あぁ」と返事をして花垣を見上げた。
「は…?」
まじまじと、その顔を見てゾワッと背筋が震えた。大きな青い瞳がキラキラと輝きを放ち俺を見詰めている。肌は白いというのに外の冷たい空気に充てられた頬が赤く彩られている。そして、仄かに漂うΩ独特の甘やかな香り。誘引されるようなレベルでは無いのに、目の前の男から視線を外すことが出来ない。
「九井さん?」
「…ん、あぁ」
ふと頭ん中に浮かんだ言葉にいやいやいやいやと頭を振った。
「九井一だ」
「花垣武道です、この度はありがとうございます」
ぺこっと頭を下げる様に「くそかわ」と、言葉が漏れた。
「はい?」
「なんでもねぇよ、座れ」
ぽんぽんと隣の席を叩く。
「お隣いいんですか?」
良いとはなんだ、傍に居ねぇと教えれねぇじゃないか。
「Ωだから密着されるの嫌かなと思いまして…あっ、俺は全然構わないんですけど!」
いつもは隣とか嫌がられるんで、離れたりとか斜め向かいとかと説明をつけてくる花垣に俺はもう一度隣の席を叩いた。
「座れ」
「あ、はい!」
ぶわっ!と、顔が綻び満面の笑顔になる花垣。そんなに嬉しいかよ。隣の席に座ったせいで香りが若干強くなったが不快では無い。深呼吸してもっと吸い込みたい気分だった。
なんなんだ、このなんとも言えないモヤモヤは。
「九井さんはαなのに優しいですね!俺、αの人にこんなに優しくしてもらったの初めてです」
「俺もΩとこんなに話したのは初めてだな」
取り敢えず、事前に花垣の狙う大学の過去問題を引っ張り出しておいた。
花垣の頭の出来がどの程度かはこれから聞くとして。
「花垣、どこの高校だ?」
「M高っす」
M高、そんなにレベルの悪い高校では無いな。Ωと言えば下の下の高校を選ぶのが多いんだが余程、夢を叶えたいのか。
「一つ、聞きたいんだが夢があると聞いた」
「あっ、母さんが言ったんっすね。恥ずかしいからあまり口外しないでって言ってるんだけど」
「嫌なら、良いが」
「いや、良いんですよ。俺、映画監督になりたいんです」
「映画監督…」
「俺、ちっちゃい頃から映画が大好きで冒険やアクション、恋愛やミステリーと色んなジャンルの映画を観て来たんです。賞をとる大作もあれば叩かれるB級もあるけれど俺から観ればどんな作品の役者さんもキラキラ輝いて演技してて映画監督が魅力を見出して存分にそれを引き出した賜物なんだろうなと思ったら、凄くカッコイイなぁって思って」
「めっちゃ、語るな」
「あっ、すいません!本当はもっと語れるんですけどこれくらいにしときます。幼馴染にも耳にタコが出来たって嫌がられちゃって」
へへっと、頭を掻いて照れたように笑う花垣にやはり見入ってしまう。
こいつ、もしかしてめちゃくちゃ可愛くねぇか?男のくせに、Ωなのにそう思ってならない。
「夢叶えたいなら努力するこった。とりあえずお前の成績はどうなんだ」
カバンの中から折りたたまれた白い紙を取り出し俺に手渡してきた。開けばそれは今期の成績で順位で言えば中の下。Ωなりに頑張っているのではないだろうか。
「定期的にくるヒートで何日か休んでしまうから、その間の授業が遅れがちになってしまって」
成程な。その間のフォローは学校も積極的にはやってはくれないのか。
「クラスメイトが休んだ間のノート見せてはくれるんだけどそれだけじゃやっぱりちょっと足らなくて」
「その部分を重点的に教えりゃ良いって感じか?」
「はい、あと苦手分野かな…」
「りょーかい」
今日は花垣がヒートで受けそこね理解が出来ていない部分の教科からの授業にした。元より、努力家なのか飲み込みは悪くない。
時折、何故そうなるといった答案を見せることはあるが根気よく説明すれば理解して答えを導き出してきた。
Ωじゃぁなきゃな。
生まれ持った性を覆すことは出来ない。
「九井さん、ここなんすけど」
「…なんか、九井さんっての?堅苦しくて、嫌だな」
「えっ、何て呼んだら?先生っすか?」
「余計堅苦しいわ」
「九井さんはどう呼ばれたいんです?」
ふっと横切ったのは、マブのイヌピーしか呼ばない名だった。
「ココ」
「えっ?!ココって…、ココさん?」
「さん、要らねぇ」
「九井さんは歳上な上に先生なのにそんな呼び捨てみたいなことできませんよ」
「俺、やる気失せる」
「…う、ぐっ…じゃぁ!ココくんは?」
「んー、及第点?」
「及第点って!これも勉強っすか!」
クスクスと笑う花垣の頭にぽんと掌を載せる。
「今日一日だけでも利口になって帰れよ?」
「ココくんの教え方、学校の先生よりも分かりやすいっすから!絶対、志望校に受かってみせます」
「期待はするけれど、まだまだミスが多いからな努力は怠るなよ」
そう言えば花垣は青い瞳を輝かせて、大きく頷いた。
続く
3月、発行予定です。よろしくお願いいたします🙇♀️