グラいちオムニバス第肆話 戦姫 暖かい風が吹いていた。まるで何かのアニメのコスプレのような古風な格好の男は、大きく息を吸った。
「春だな……」
優しい日の光を浴びて男、カラ松の顔は思わずほころんだ。こんな天気の日は気分が良い。近くの和菓子屋で団子でも買おうかと思ったその時、カラ松の前に何かが立ち塞がった。人ではない。カラ松の三倍くらいの大きさをした、何か。一つ目でこちらを睨んでいる。ドブのような色で鼻をつく臭いがする。思わず後ずさる。何だこの化け物は。化け物が歩いた後にはヘドロのようなどろどろした何かが湯気を立てて残っていた。背中に壁が当たる。しまった。もう逃げ場が。化け物が迫る。オレの旅もここまでか。これまでの思い出が蘇る。道を間違え正反対の方角へ歩いたこと。何もない所でバランスを崩し、かなり派手に転んだこと。『あなたに心奪われました』と言われ……たことは無かった。カラ松の旅先の子は皆内気だったのだろう。様々な思い出が走馬灯となって流れていく。不思議と後悔は湧かなかった。ただ今は、流れゆく記憶の欠片に思いをはせていた。あの世とは、どんな所なのだろうか。悪人はいるのだろうか。化け物がカラ松のすぐ側まで来た。カラ松は何も抵抗しなかった。化け物の頭部だけがずる、と伸びてくる。恐怖はもう無かった。カラ松が手を伸ばす。その時だった。
「はあっ!!」
紫の光が化け物を切り裂いた。カラ松は我に帰る。何故オレは今化け物に向かって……?光は化け物の意識を引いている。
「アンタさあ、人間様に迷惑かけんじゃないよ……その存在が邪魔だって分かんないの?」
カラ松が光だと思ったもの、それは、魔法少女だった。長い髪を頭の下の方で二つに分けていて、その細い体では持ち上げるのも大変そうな大鎌を構えている。カラ松は魔法少女に声をかけようとするが、その前に制された。
「お兄さん、今のうちに逃げて。コイツはアタシがやる」
少し低めで掠れ気味の声だった。カラ松は逃げられなかった。あの少女に目を奪われていた。呆けた顔で少女を見やる。サングラスが無ければカラ松はとんだ阿呆面を晒していた。少女はそこに重力などなかったかのように跳ね上がる。大きく二振り。それだけであの化け物はじゅわじゅわと溶けていった。少女は表情一つ変えずそれを見つめている。カラ松は駆け寄る。
「あ、あの!」
「え、ああ、さっきの。逃げてって言いませんでした?」
存外この子は人間にも辛辣らしい。だがこの程度でカラ松は折れない。
「助かった。是非お礼がしたいのだが」
「いや、そういうのいいんで。じゃ」
「あっ」
少女は猫のように去って行った。人を巻くことに慣れている動き方だ。しかし今回は相手が悪かった。カラ松、人呼んでグラサン風来坊が尾行を経験したのは一度や二度ではない。時には警備の人間がついている人間だって追いかけた。その辺のストーカーと一緒にしないでくれ。カラ松は軽やかに少女の後を追った。
人気のない路地裏。少女はかなり周りを警戒しながら先を急いでいた。左右を見渡してじめじめとした路地に入る。カラ松は少し離れた所からそれを見ていた。固唾を飲んで少女が出てくるのを待つ。その時だった。辺りが眩い光に包まれた。光が消える。何があったんだ?カラ松は恐る恐る路地へと近づいて行った。熱気が立ち込めている。煙のような靄が流れている。息を潜めて少女の行った先を覗いてみると、そこには白い学ランを着た少年が立っていた。少年はだんだんとこちらに近づいてくる。まずい、そう思った時にはもう遅かった。
「あっ」
少年とカラ松の目がばっちり合った。少年の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。唇をわなわなと震わせ、少年は叫んだ。
「てめぇっ!見てたのかよ!?」
カラ松は慌てて首を振る。
「い、いや!?そんなことないさ!それにしても驚いたなあ、あの光の正体がキミだったなんて」
「バッチリ見てんじゃねえか!」
少年の拳が飛んでくるが、カラ松は軽々と避ける。連撃に備えようとしたら、急に少年がしゃがみこんだ。
「ああもう終わりだ……今まで誰にもばれずに魔法少女やってたのに……男子高校生が魔法少女ってだから嫌って言ったんだよ……おい!クソ坊主!」
「カラ松だ」
「……クソ松、折角助けてやったのに恩を仇で返しすぎじゃない?魔法少女は何処からともなく現れて去っていくからかっこいいんでしょうが」
「その秘密の向こう側を覗きたいと思ったんだ」
「そういう奴がいるからこっちは迷惑してんだよ」
少年はナイフを取り出した。自分で蒔いた種だ、仕方ない。カラ松は刀を手に取る。少年はニヒルに笑い、そのナイフを自分に向けた。
「……!?」
「残念だったね。もう生きてける気がしないから魔法少女一松ちゃんは今日で店仕舞い」
「やめろっ!」
一松がナイフを振り上げる。と同時にカラ松が刀を振った。刀はナイフを弾き、遠くへ飛ばした。
「な……」
「すまない!!!!」
カラ松は地面に頭をこすりつける。
「助けに来てくれたキミがとても美しかったから、もっと知りたいと、そう思ってしまったんだ。素性を隠していることは知らなかった。本当なんだ。オレはあの時のキミに心を奪われて、近づきたいと思ったんだ」
「はっ……アンタ何言ってるか分かってんの?アンタが惚れた魔法少女はただの卑屈な男子高校生だよ?」
「オレが見た目に惚れたとでも思っているのか?オレは姿じゃない。お前の心に惚れたんだ。窮地のオレを助けるその勇気、常人なら持っちゃいないさ」
「ああつまりおれは変人ってことですね」
「違あう!何故自分を卑下するんだ自信を持て!」
「……んなこと言われてもな」
一松が目を反らす。視線の向こうの看板がかたかたと揺れていた。可笑しいな。風は吹いていないはずだが。その隣の建物の窓もびりびりと震えている。これは、まさか。
「カラ松!身を隠せ!」
言い終わるか終わらないか、大きな地鳴りが起こり、わらわらと化け物が湧き出てきた。大小様々。色や形も個性に溢れている。そして空からタキシードに身を包んだ男が下りてくる。
「久しぶりです。一松さん」
「クソがっ……!」
カラ松は全く話についていけなかった。今は人間も空を飛べるのか。でもよく見ると男の肌は青紫色をしていて、眼球も真っ黒だ。おそらく、化け物側だ。
「今日はあなたの息の根を止めようと思いましてね。百戦錬磨の紫閃といえど、この数には敵わないでしょう?」
化け物はくつくつと笑う。一松は歯ぎしりしていた。カラ松は辺りを観察する。先程一松は大鎌で化け物を切り裂いていた。幸いオレにも武器がある。
「さあ、変身しなさい。無様に負けゆく様を見届けてやりますから」
「……」
一松がポケットから何か取り出す。と同時に、一松の半径三メートル以内の敵が全て吹っ飛んだ。
「一松さん!?いつも変身の間は私待機しているじゃないですか!」
「違う、おれじゃない……」
「じゃあ誰がっ」
風が吹いた。春の暖かさに混じる、冷たく、鋭い風。坊主頭に特徴的なサングラス。舞うように刀を振っていくその姿。
「あ、あなたは一体?」
カラ松は一度化け物を切るのをやめた。そして空に向かい名乗りを上げる。
「オレは松野カラ松。風の行くままに旅をしている。人呼んで、グラサン風来坊だ」
「グラサン風来坊!?」
男が驚いたような顔をする。実はグラサン風来坊、悪人達の間ではかなり有名だった。彼に出会って助かった奴はいない。故に名前や噂話が独り歩きしていたが、まさかここまでとは。化け物は通常、サイズや強さに関わらず魔法少女にしか倒すことができない。それを契約も変身もなしに、刀一振りで。名乗りを上げた後もカラ松は黙々と化け物を葬っていく。その顔はとても数分前未知の生命体に怯えていたとは思えない。
「一松!オレがこいつらを引き付けている間に変身するんだ!」
「え……あぁ……ありがと」
本当はその気遣い要らないんだけど。というか引き付けてるんじゃなくて殺してんじゃん。色々な言葉を飲み込んで一松はポーズをとる。
「変身」
一松の周りが光に包まれた。
目を開けると、化け物の数が半分くらいになっていた。それでもカラ松の息は一つも上がっていない。それどころかどんどん力を増しているように感じられる。カラ松は光が消えたのを感じ取ったのか、一松の方は向かずに声だけかけた。
「一松!こいつらはオレ一人で行けそうだ!あの浮かんでる奴を頼む」
「……!了解」
嘘でしょあいつ。あんな数一人でなんて、ぼくにはできない。一松は地面を蹴り、空高く跳び上がる。鎌を振りかぶり男に襲い掛かる。男はゆっくりと手を伸ばした。何か波動のようなものが放たれる。一松は防御することもできず、意識を失った。
一松の目の前には蛸のような触手を持った化け物がいた。触手には小さい女の子が捕まっている。一松はすぐにその化け物を倒した。女の子が解放される。女の子の母親とおぼしき人物が一松に駆け寄ってくる。そして一松の横っ面を引っぱたいた。
「……え?」
「今まで何をしてたのよ!あんたがもっと早く来ててくれれば、この子が捕まることも無かったわ!」
「そんな」
こと言われても、言いかけた時、自分の周りに人が集まっているのを感じていた。まずい。変身が解けてしまう。何処かへ、早く。そう思った矢先、背中に衝撃を感じた。一松は前に倒れこむ。
「いっつもピンチの時にしか来ねえよな、本当はビビってる俺達を見て面白がってるんじゃねえのか?」
「そんなことっ」
「大体私達の味方なら危険の芽事前に摘んどくくらいしなさいよ」
「使えねえよなあ」
「……痛っ」
何処からか空き缶が投げられた。それを合図に周りの人達が一松を蹴り始める。
「や、なんで?」
蹴りは容赦が無かった。一松を見る人達の目は何よりも冷たかった。
「謝れよ」
「そうよ謝りなさい」
なんで。ちゃんと皆のこと、助けてるよ。きっともっと安心して暮らしたいんだろうけどさ、ぼくだって魔法少女の前に人間なんだよ。できることとできないことがある。だんだんと一松の心に黒い靄がかかる。なんでこんな人達のこと必死で守ってたんだろう。こんな、非道なことをする人達を。一松はゆっくりと目を閉じた。
雨の匂いがする。目を開けるとそこは一松が通う高校の教室だった。どうやら自分の机で突っ伏して寝ていたらしい。学ランに涎は垂れていないようで安心した。もう放課後だ。体を伸ばし帰ろうとすると、背後から声をかけられた。
「松野君ちょっといい?」
振り向くとクラスメイトの男子がいた。
「えと……どうしたの?」
クラスメイトはスマホ画面を見せる。
「これ、君だよね?」
「っえ?」
画面には魔法少女姿の一松が映っていた。
「その反応はやっぱりそうかー……ねえ松野君」
クラスメイトは一松の机に手をつく。自然と一松は背中を反らす体制になる。クラスメイトは冷たい笑みを浮かべていた。
「恥ずかしくないの?」
「……ぁ」
「もう高校生なのにさ、こんな戦隊の真似事。しかも女装って。驚いたよ、松野君学校では大人しいからさ」
一松の目に涙が浮かぶ。クラスメイトはそんなことを気にも留めない。
「まさかこんな趣味があったなんてね。人前ではやめた方がいいんじゃない?気持ち悪いよ」
「……っ」
一松はクラスメイトを突き飛ばした。そのまま走って教室を出ようとする、が、ぶつかった。他のクラスメイトがぞろぞろと入って来たのだ。
「あ……あぁ……っ」
一松はその場に崩れ落ちた。クラスメイトは色々な目をしていた。好奇、軽蔑、侮辱。これから何をされるのか。一松の目からは涙が零れた。
『キィンッ!』
刀の音に一松は我に帰る。あれ、今ぼくは、あれ?
「一松。落ち着いて聞いてくれ。一松は敵の攻撃を受けたんだ。騙されるんじゃない。今までお前が見ていたものはアイツが創り出した幻覚だ」
「へ、なんで知って……」
「アイツがぺらぺら話してくれたさ」
カラ松は寂しげに笑う。
「生憎オレの刀じゃアイツは切れないみたいだ」
それでも物理的な打撃はダメージとして入っていたらしく、男は息が上がっていた。この人本当になんなの。一松は大鎌をしっかりと握る。
「……んで」
「どうした?」
「なんで守ってくれたの」
「なんだそんなことか」
カラ松は爽やかに笑った。
「惚れた分くらい、体で返させてくれ。それだけだ」
一松は目を大きく開いた。
「さあ一松。アイツにとどめを刺すんだ。また攻撃されたらオレが覚ましてやる」
「……うん!」
一松は駆けだした。男の動きはかなり鈍くなっていた。これなら、いける。一松は思い切り鎌を振った。刃が入り込み男の体を真っ二つにする。
「グラサン風来坊……噂通りの男でしたね。次に会う時は今回のようにいかないと思ってくださいね」
男の体は煙となって消えていった。
「もう会わなくていいっつーの」
一松が光に包まれ、白い学ラン姿に戻る。カラ松は一松に駆け寄った。
「大丈夫だったか?怪我とかはないか?」
「大丈夫だよ。てかおれよりアンタの方が戦ってんじゃん」
「そうだったか……?」
「そうだよ。おれ最後の奴しか倒してないもん」
うーん、と頭をかくカラ松に一松は笑った。
「……ありがと」
「うん?」
「おれ、今までずっと一人で戦ってた。正体がばれるの怖くて、高校でも一人でいた。おれにこんなすり寄ってきてるのってアンタくらいだよ」
「そうだったのか……」
「今日もしもおれ一人だったら、やられてたかもしれない。仮に雑魚を片付けられたとして、アイツの攻撃から自力では抜け出せなかったと思う。……おれはどんくらい寝てたの?」
「ふむ……確か……」
カラ松は腕を組んで空を見上げる。青空はどこまでも伸びていた。
「精々十分とかそこらじゃないか?」
「なっが!」
そんな時間こいつは一人でアイツを相手してたというのか。その刀じゃあ攻撃できないのに。
「アイツはオレにも一松と同じ攻撃をしてこようとしたんだ。しかしあれは催眠の一種みたいなものらしくてな、オレはサングラスをかけているからアイツも攻撃しにくかったみたいだ」
「ふーん……」
サングラスをかけていても表情は丸わかりなのにね。あの敵は意外と抜けているのかもしれない。
「なあ一松」
「何?」
カラ松は一松の手を取る。
「大丈夫だからな。誰も一松を恨んでなんかいない。町の衆はきっと感謝してるさ!もし正体がばれたって気にすることないぞ。お前は町のヒーローなんだからな」
「どうしたの、急に」
カラ松はぱっと手を離す。
「すまない、気にしていなければいいんだが」
「気にするって……何で知ってるの?」
カラ松は気まずそうに目を反らす。
「言ったろ……アイツがぺらぺらと話していたと。その度に虫唾が走って切れもしないのに斬りかかっていた」
どうも魔法少女への攻撃が成功したことでかなり調子に乗っていたらしい。一松が体験した幻想の風景を事細かにカラ松に喋っていたのだとか。カラ松が空を仰ぐ。
「さて、オレはそろそろ行くかな」
「行くって……何処に?」
「風の向こうさ」
一松は寂しさをおぼえた。変な話だ、今日出会ったばかりの相手だというのに。
「この町にいないの?おれに惚れたって」
「だからさ」
カラ松はサングラスを外す。そこには優しげな眼があった。
「このまま町に居座っていたら、お前をもっと好きになってきっといつまでも旅に出られない」
「それでいいじゃん」
「いや、オレは旅に生きると決めたのさ」
「……もうこの町には戻って来ないの?」
意図せず声が震えた。カラ松はゆっくりと首を振った。
「すまない。それはオレにも分からないな。風の赴くまま、もしかしたら再び会えるかもしれないし、今生の別れかもしれない」
「おれのこと忘れない?」
「忘れるもんか!絶対に忘れない。約束する」
「本当だよ?」
「もちろんだ!」
カラ松は元気よく頷く。そして、サングラスをかけた。
「気を付けてね」
一松が言う。
「ああ、一松もな」
風来坊は歩いていく。ゆっくり、ゆっくりと踏みしめるように歩みを進めていく。愛は簡単に人を変えてしまう。縋ったり、頼ったり、捕えたり。人を傷つけてしまうこともある。それでも、大切な人を守ることのできる力もまた、愛なのだ。さあ行け。風来坊。その恋心と共に。