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    Uru

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    Uru

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    『ヒュプノス』:『タナトス(死の神)』の双子の兄弟で、眠りを司る神。古代ギリシャでは、死と眠りがどちらも安らぎを与えるものだと考えられてきた、という話に萌えて書いた超短編。オタさんの死生観。
    オタさんの杖の神の捏造あり。(ギリシャ神話とエジプト神話ごちゃ混ぜなのはご容赦)

    ヒュプノス〈side O〉


    筋張った大きな手が、髪をそっと撫でる。

    普段の所作からは想像もできないような、繊細なタッチ。地肌に触れるか触れないかの、まるで羽が触れるかのような手つき。頭頂部から首筋までゆっくりとその指先が滑り落ちるたび、水が流れるように、胸の内の澱が洗い流されていく気がする。

    その手が頭や耳、首筋を行き来する心地よさに、いつしか意識はふわりと手放され、眠りに落ちる。眠りと覚醒の狭間をたゆたいながら、時々こんな考えがよぎる。
    ──このままもう二度と、目覚めることはないかもしれないと。

    死と眠りは兄弟だ。
    この男の手は、どこか私を冥界へと誘う手のようだ。

    この男の傍にいると、死は安寧をもたらすものに思える。まるでそっと手のひらで包んで蝋燭の炎を消すように、安らかに生の終わりを迎えられる気がする。

    「お前が、私を冥土に連れて行くのかもな…」

    思わず呟いた言葉に、レナトスの手がわずかに止まる。沈黙のあと、彼が静かに応える。

    「……そうして欲しいのか?」

    低く穏やかな彼の言葉に、どうなのかと自問する。
    死に憧れるようなことは、今まで一度もなかった。だが私の奥底にはずっと失われたままの場所があって、それは埋まることがない。ただいつまでもぽっかりと穴が空いていて、無意識にそれを触ろうとするたび、見えない指が私を遠くに引っ張っていく。

    その行き先が冥界なのかもしれないと思うと、何故か少しだけ、心が揺れた。

    死は生の一部だ。どう死ぬかはどう生きるかを選ぶことと同義だ。心のどこかで死に安寧を希む私は、やはり怠惰な人間なのだろう。

    (誰かの遺志を借りなければ、立ってもいられないような…)

    所詮三文芝居だとしても、全てが終わるまでは自分の足で歩いていきたい。幕引きは自分で選びたい。
    けれど、レナトスの指が髪を撫でるたびに、その指先から広がる闇に、少しずつ引き込まれていく気がする。その闇はどこか懐かしく、暖かく、自分を包み込む。

    この手に引かれていつか──。それはとても甘美な誘惑だった。

    きっと訪れはしない甘い夢に、知らずに微かに口元が綻ぶ。ゆっくりと目を閉じて答える。

    「ああ、いつか私が役目を終えたら……この手で眠らせてくれ」
    「…分かった」

    レナトスの指先が再び髪を梳く。何も聞かない。その労わるような手つきが、言葉以上にすべてを物語っている。私の中の空虚も、矛盾も、自己欺瞞も、いずれこの手が静かに閉じればいい。

    今、この夜の間だけは、すべてが正しい場所にあるように感じる。彼の腕の中にいることが、世界で最も自然で、最も温かいことのように。

    明日がどうなろうと知らない。今だけは、この手に身を委ねたいと思った。





    ***






    〈side R〉


    「はぁ…、はぁ…っ」

    激しい呼吸音に目を覚ます。隣で寝ていたはずのオーターが、苦しそうに胸を浅く上下させていた。呼吸が速くなり、肺が限界まで空気を求めてもがいているかのようだ。

    (またか…)

    オーターが眠っている間に過呼吸を起こすのは、もう何度も見てきた。オーターの中には未だに消化しきれない過去があり、そのせいで夢見が悪いのだろう。

    (お前も難儀な性格だなァ)

    未だにこんな風に過去を生傷のまま抱えているなんて。かさぶたを自分で抉って、律儀なことだ。
    そっと肩に手を置いてみると、オーターの体がびくりと震えた。かすかに目を開いたが、その瞳はどこか焦点が合わず、まだ遠い闇の中を彷徨っているようだった。

    「大丈夫だ。オレがいる」

    静かに囁きながら、乱れる呼吸を続ける彼の顔を自分の胸にそっと押し付ける。喘ぐように暴れて空気を欲しがるが、必要なのは酸素よりも二酸化炭素だ。オーターを落ち着かせるため、ゆっくりと、少しずつ自分のぬくもりを伝えるように包み込んだ。

    少し呼吸が落ち着いてきたのを感じてから、オーターの頭を撫でる。ゆっくりと、指先が触れるか触れないかの柔らかいタッチで。
    この触れ方がこいつを一番安らがせることを知っている。何も言わず、ただ静かに、その呼吸が落ち着きを取り戻すまで、繰り返した。

    数分もすると、オーターの呼吸が安らかになってくる。そのまま寝てしまうこともあれば、ゆっくりと意識が浮上することもある。

    今夜は後者だった。
    オーターが小さく身じろぎ、その身をすり寄せて来る。胸の中に満ちてくる充足感に、思わず微笑みがこぼれる。
    そのまま髪をすき続けていると、まだ夢の中にいるような、もやのかかった目でオーターがこちらを見た。

    「お前が、私を冥土に連れて行くのかもな…」

    彼の口から唐突にこぼれた、らしくない言葉に目を開く。

    「……そうして欲しいのか?」

    聞き返すと、オーターは静かに黙った。自分の心に問いかけているようだ。

    今では規律と秩序の見本のように言われているオーターだが、生来のこいつは違う。

    ──渾沌と破壊。
    それが砂の神に愛されたオーターの本質だ。圧倒的な魔力と、すべてを砂塵へと帰す荒々しさ。他者に迎合しない、孤独で誇り高い精神。秩序の対極にあるもの。

    しかし、ある時からオーターは生き方を変えた。内なる声に蓋をし、秩序と規律の中に組み込まれることを選んだ。それは昇華というより、自分を殺すことだった。

    (もっと、素直に生きればいいのになぁ)

    その内に抱えた矛盾の中で、もがき続けるこいつが愛おしい。その弱さも、強さも、すべてが痛いほどにオレの心に刺さる。

    『お前が、私を冥土に連れて行くのかもな…』
    さっきの言葉を反芻する。
    それはきっと違う、と直感的に思う。

    (お前は、誰かのためにその命を使うよ)

    亡き後輩のために自らを捨てた男だ。自分の安寧を求めるような最期が似合うとは思えない。
    だがそれでも、誰も見ていない夜の間だけは、そんな甘い夢を見てもいいだろう。

    しばらくしてオーターが口を開いた。その顔はどこか親に甘える子供のような安心が満ちていた。

    「ああ…いつか私が役目を終えたら……この手で眠らせてくれ」

    "役目"を終えたら。それがどこまでを指すのかは分からないが、それが覚悟を決めたオーターの精一杯の妥協点のようだった。

    「…分かった。……おいで」
    オレはそう応えて、オーターの背を優しく抱き寄せる。

    いつか、オレの腕の中で、安らかに息を引き取る日がもし来るのならば。それが彼にとっての救いであるように。この男が、その心の影から解放される時が、穏やかな眠りと共に訪れるように。

    今夜は、ただこの胸の中で眠らせてやろう。



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