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    cafelatte261

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    cafelatte261

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    転生夏五
    多重人格傑×精神科医悟(記憶なし)
    出来ている所まであげます
    少しでも賑やかしになれば幸いです
    特定の疾患や職種が出てきますが全てフィクション、なんでも許せる人向けです

    「五条、カンファレンス中だぞ」
    「ぐッ」
    横から小突かれて意識が浮上した。窓ガラスを雨が叩く音が聞こえる。薄暗い室内にスクリーンの光だけがぼんやりと淡い形を作っていた。
    週に一度の合同カンファレンス。病棟の医師だけでなく看護師や臨床心理士も参加することもある。狭い室内に大人数がぎゅうぎゅうになって押し込まれているため、僕の長い足は小さく縮こめる必要があった。二酸化炭素濃度増加による酸欠と、ここ最近不眠気味のためまだ頭がぼんやりする。オマケに合同カンファは週に一度しかなく、現在入院中の患者情報を全て共有する必要があり普段の倍以上時間がかかる。長時間だらだらとプレゼンする声を大人しく聞いているだけでは、自然と落ちてくる瞼の重力には抗えそうもなかった。
    もう少しお金があればこのカンファ室だって改修できるだろうに。残念ながら常に貧乏な大学病院では、修繕に回せる費用は泌尿器科や眼科などいかにも金が潤沢にありそうな科からで、中でも末席な精神科にそんな余裕はなかった。
    「寝るなバカ。これから回診だぞ。」
    日下部はそう声をかけると、立ち上がっておじいちゃん教授の方に近付いていった。同時にパッと室内が明るくなり、眩しさに思わず目を瞬かせた。どうやら、いつの間にか長時間のカンファレンスは終わっていたらしい。
    僕はマスクの下で欠伸を噛み殺しながら、教授を先頭に部屋を出ていく長蛇列に加わった。雨の日の水曜日だった。
    いつものごとく回診を進めて患者を診ていく。とは言っても、医師達の人数が多く病室に入り切らないので、専らベッドサイドまで訪れるのは教授と担当患者の医師、その他数人くらいだった。最後に大部屋にてうつ病のおばあちゃんの様子を確認し、医局に帰ろうとしたところを日下部に素早く見つかってしまった。
    「おい五条、何帰ろうとしてんだ」
    「え〜?患者はこれで終わりでしょ」
    「馬鹿、さっき昨日入った新患の話をしてただろ。個室で隔離されている俺の担当患者」
    「あ〜、あいつね」
    正直爆睡していたので記憶の欠片にもなかったが、それを言うと本気で減給されかねないのでわかった振りをした。
    「でも隔離されてんなら、担当医師しか入れないんじゃないですか?」
    「お前にも診てもらうからな。滅多に見られるもんじゃねーし」
    「はあ…」
    いまいち釈然としないまま教授と准教授、日下部の後について行く。
    近年、不景気が続き精神疾患患者の数は年々増加傾向にある。うつ病、統合失調症、認知症などの患者は入院でも外来でも日常茶飯事だ。滅多に見られないというのであれば、精神疾患の他に、稀な器質的疾患を合併しているのだろうか。
    日下部に促されて病室に入り、まず目に入ったのは幽霊だった。訂正、幽霊のような男だった。貞子の如く伸びた髪を、前にも後ろにも振り乱しその顔は見えない。病院着から覗く肌には生々しい自傷の跡が見えていた。歳の頃は高校生くらいだろうか。僕ほどでは無いが身長も大きく見える。

    「起きてたか、夏油傑くん」
    日下部は近くの椅子を引き寄せ患者の前に座った。
    夏油傑…なぜだかその名前に惹かれた。昔どこかで聞いたことがあるような、そんな気がした。
    「今日は少しお話を聞かせてもらうために先生を呼んでいるが構わないか?」
    彼は黙ったまま答えようとはしなかったが、僅かに頭を頷かせたように見えた。教授達の自己紹介終わった後、僕も続いて彼に近付いた。
    「こんにちは夏油くん。僕は精神科医の五条悟です」
    僕の名前を聞いた彼はピクッと身じろきしてわずかに顔を上げた。しかし依然として喋ろうとはしない。僕は後ろへ下がり、再び日下部が話し始めた。
    「調子はどうだ。昨日はよく眠れたか?」
    夏油傑は長い髪を引き摺ってこくりと頷いた。
    「飯は食えたか?」
    またこくりと頷く。
    「変なもの見たり聞いたりしたか?」
    すると、彼はふるふると頭を横に振った。
    「今、君の中にいるのは誰だ?」
    「……すぐる」
    そこで初めて、彼は口を開いた。掠れた耳心地の良い少年の声だった。
    「そうかい、ありがとう。邪魔してごめんな。ゆっくり休めよ」
    そう日下部は声をかけると、腰を上げて病室を出ていった。一体、今のは何だったのだろう。気になりつつも、日下部に続いて歩き出す教授にならって、僕も病室を出ようと足を踏み出した。
    「さとる……」
    一瞬、彼に名前を呼ばれた気がして動きを止めた。
    「そうだよ、五条悟。これからよろしくね」
    振り返りニコッと人好きのする笑みを向けると、そこで初めて、長い髪の奥の瞳と目が合った。しかし、墨を流したような黒い闇の奥に光る目は、猛禽類のように猛々しく、どことなく恐怖を感じた。すぐにまたね、と声をかけると病室を出た。
    おじいちゃん教授や他の医師は医局へ戻ってしまい、病室前の廊下には僕と日下部だけが取り残された。
    「お前はどう思う?五条」
    「わかったも何も……情報が少なすぎて…」
    見たところ目立った器質的疾患の類は見られなかったので、自傷による医療保護入院といったところだろうか。彼は眉をしかめて頭をかきながら言った。
    「一応、診断としては統合失調症ってことになってるんだが……恐らく解離性同一症だ」
    「解離性同一症……」
    解離性同一症、いわゆる多重人格障害( Multiple Personality Disorder)。交代して現れる複数のパーソナリティ状態を特徴とする解離症の一種である。この疾患の症状には日常の出来事、重要な個人情報、心的外傷的出来事、ストレスの強い出来事などを想起できないことが含まれ、それらはどれも通常のもの忘れでは典型的には失われない記憶である。患者は発話、感情、および行動に突然の侵入的な不連続性を経験することがある。この疾患は小児期早期から晩年まで、あらゆる年齢で発症する。日本ではビリー・ミリガン事件や、創作ではジキルとハイドによって広まったことで有名だろう。
    「今日からお前の担当でもあるんだから、しっかり診察しろよ。俺もたまに様子見るけど、パパーと治してやれ」
    「んな無茶な……あんたの担当患者でしょ」
    「これも経験だって。若いもの同士、話合うでしょ」
    「僕もうすぐ28ですよ。今どきの高校生とは話が合いませんよ」
    サボり癖という意味では日下部を超えるものはいない。なぜなら、定番な内科や花形な外科と比べて地味なこの精神科という職種も、楽がしたかったからと公言するような男である。ろくな医者では無い。しかし、新米である僕はなにぶん容量が良く仕事が出来る奴だったので、これ幸いと良いようにこき使われていた。新米医師にとって、上級医の指示は絶対なのだ。

    「でも、多重人格なんて初めて見ますし、臨床心理士やカウンセラーに任せた方が良くないですか?」
    「お前、やっぱりさっきのカンファ聞いてなかったな?」
    日下部はジロリとこちらを睨む。当直明けなのだから、少しくらい大目に見て欲しい。だが、いくら寝不足だったとはいえ居眠りをしてしまったことは事実なので、黙って彼について行った。カンファ室に戻ると、日下部は先程カンファで使用したカルテ内容が記載された紙束を突き出した。
    「夏油傑、17歳男性。半年前に男を刺して措置入院の既往がある。今回は任意入院だ」
    なるほど、基本的に寛解状態にある患者を多く受け持つうちの病院にしては、珍しく手のかかりそうな患者だった。
    「さっきはあんな状態だったが、昨日、入院手続きのため会った時は全然違ったんだよ。普通の子供だった。普通より少し大人びて、とても真面目そうな子だったよ。とりあえず、俺は外来入ってるから、ちゃんとカルテ読んどけ」
    そう言うと、鳴り止まないピッチを胸元から取り出しながら、日下部はカンファ室から出て行った。
    残された僕は、そのまま適当な椅子に長い足を組んで座り、厚みのあるカルテを捲った。

    カルテ
    ×××総合病院から解離性同一性症の疑いで紹介。
    幼少期の発達に問題なし。しかし、幼少期に父親から虐待されており、3歳の時に離婚している。5歳の時、一時山で失踪していたが、1週間後、突如家に帰ってきたらしい。(詳細不明)母親からは、一人称を私と強制され優等生であることを求められていた。また、性的虐待の疑いあり。
    中学まで学校の成績は良く、対人関係も問題なかった。しかし、高校から不思議な発言が増える。情緒不安定になり、突然教室で叫び出したり、呪霊が見えると幻覚や幻聴を訴える。夏頃から自傷が増え始める。
    20××年3月20日、親戚の男と揉めて殺傷沙汰となる。夏油は男を刺したが、男が被害届を出さなかったことと、目撃情報と状況証拠から正当防衛と判断され処理された。××総合病院にて措置入院となり、精神療法と薬物療法が行われる。退院後は週に1度の受診と薬物療法を行っていたが、20××年9月初め頃から度々意識消失を起こし、会話の辻褄が合わなくなる。9月15日、××高等学校で暴行を起こし、9月29日任意入院となる。

    どうやら、中々に複雑な病歴らしい。彼が隔離されていたのも納得だった。
    2枚目を捲ると様々な検査結果が書いてあった。血液検査、CT、MRIとどれも器質的疾患を疑うものはない。3枚目を捲ると、様々な心理検査の結果が載っていた。簡易精神症状評価尺度、Minnesota多面人格検査、成人知能検査、ロールシャッハテスト、文章完成法テスト(SCT)、うつ病評価尺度、バウムテストなど、半年に渡って記録されていた。
    解離性同一症の原因は、ほとんどが小児期の圧倒的な心的外傷である。診断は病歴に基づくが、ときに催眠法、または薬剤を使用する面接法も併用する。治療は長期の精神療法であり、ときに併存する抑うつや不安に対する薬物療法を併用する。
    治療方針を立てるためにも、ひとまずカルテを作らなければならない。医局に戻った僕は、相変わらず立ち上がりが遅いパソコンを立ち上げながら、これからの不安にため息をついた。


    午前中の雨雲は北上し、午後は真っ青な秋晴れだった。いわし雲が遠くの山に浮かんでいるのを、廊下の窓から眺める。相変わらず寝覚めが悪く、マスクの下で大きくあくびをした。季節の変わり目だからか、それとも年のせいだろうか。
    2段階に施錠された精神科病棟に入る。今では慣れたものだが、相変わらず閉鎖的で息が詰まる場所だった。共有スペースでは数人の患者が看護師に付き添われて作業療法を行っていた。
    午前中に訪れたばかりの病室の扉の前に立った。正直、少しだけ緊張していた。多重人格の患者なんて初めてだ。扱い方が分からない。先程の彼の様子はどう考えても健常とは言い難く、万が一暴れられでもしたら肉体面では問題ないが、インシデントレポートを出さずに収められる自信はなかった。
    コンコンコンと控えめにノックをする。
    「失礼します」
    「どうぞ」
    すぐに落ち着いた声が帰ってきた。数時間前に聞いたものより明るく丁寧なものだ。意を決してカーテンを払い中に入ると、彼は身体を起こして読書をしていた。僕は彼に声をかけようとしたが、その姿を見て驚いた。先程の少年は長い髪がボサボサのまま、服もヨレヨレで覇気がなく、抑うつ気味な様子であった。しかしそれがどうだ。身だしなみは長い髪を後頭部で一つにまとめ、服は真っ白なTシャツと清潔で落ち着いており、少し大人びた顔をしていた。とても先程の人物と同一人物とは思えなかった。

    「こんにちは。調子はどう?」
    「……悟?」
    「僕のこと覚えてくれてたんだ?嬉しいよ。様子を見に来たんだけど、さっきより元気そうだね」
    「え、ええ……」

    夏油は僕の姿を見て、驚いたように目を見開き僕を迎えた。どうやら僕のことは覚えているようだが、さっきの様子を考えると違和感が拭えない。

    「確認のため、君のお名前と生年月日を教えて貰えるかな?」
    「夏油傑、20××年2月3日生まれです」
    「ここはどこか分かる?」
    「大学病院ですよね。昨日入院手続きをしました」
    「君はなんで今入院しているかも分かる?」
    「私が頼んだんです。このままだと、周囲を巻き込んでしまうかもしれないと思ったから…」

    驚いた。さっきは何を聞いても沈黙しか返ってこなかったのに、人当たりのいい笑みで饒舌に話すではないか。きっと、日下部が話していた昨日の夏油というのがこちらだろう。確かにこれは、別人格を疑われても仕方が無いだろう。

    「さっきも僕は君と会ったんだけど、その時のことは覚えてる?」
    「……まぁ、はい」

    夏油は耳朶に触れて言った。よく見ると、彼の大きな耳朶には、大きなピアス穴が空いていることに気が付いてぎょっとした。これだけ大きな穴であれば拡張ピアスだろうか。優等生のような今の彼の姿からは想像もつかないが、特段意外ではなかった。なぜなら、過剰なピアスやタトゥーは「自殺以外の目的から自分の身体を傷つける行為」である自傷の定義を満たすからである。既に、手首から前腕にかけて自傷跡が残る身体であるならば、他にも様々な形で顕れていると考えた方が自然だ。
    また、深層心理として会話中に耳を触る人は、その会話に集中していなかったりその話題を苦手に感じていることが多い。

    「さっき言った、周囲を巻き込んでしまうかもしれない……というのは、どういう意味かな?」
    夏油は少し俯き、顔を曇らせた。
    「……たまに、自分が自分じゃ無くなるような感覚があるんです。意識のすみに追いやられて、たまに記憶がなくなったりして、その間トラブルになっていることもあって」
    「さっき僕と会った時の君は、意識はあったのかい?」
    「そうですね、ぼんやりとは」
    「答えづらかったら申し訳ないんだけど、君はその時の自分を、別の人格として認識しているのかな?」
    「……はい」
    「その人格に名前はついてるかな?」
    「……すぐる、です」
    元の名前と同じ名前なのか。多重人格における別人格は、ほぼ他人であるため新たな名前がつくことが多いと聞くのだが。
    「漢字だとどう書くのかな?」
    「………分かりません」
    そういうと、夏油は口を噤んでしまった。ほぼ初対面みたいなものだし、今日はこんな所だろうか。
    「とりあえず今日は、簡単な検査をしてもらおうかな。何か質問とかある?」
    「いえ……。あの、悟……なんですよね」
    「ん?そうだよ」
    「悟って呼んでいいですか?」
    「君面白いね〜!別にいいよ」
    「私のことも『すぐる』って呼んでよ」
    「分かったよ、傑」
    そう声をかけると、夏油は嬉しそうに笑った。

    早速、臨床心理士と共に様々な精神評価テストを行った。ロールシャッハテスト、文章完成法テスト(SCT)、Minnesota多面人格検査、成人知能検査、簡易精神症状評価尺度、うつ病評価尺度、バウムテスト……
    IQは130とそこそこ高い。うつ病評価尺度は軽度抑うつ傾向を認める。
    中でも特に目を引いたのは。
    「これは……中々すごいね」
    「そうですかね……」
    A4用紙のど真ん中に描かれた大きな木。しかし、初めに木と言われなければ園児の落書きと解釈しただろう。かろうじて分かる木の幹から枝に至るまで、鉛筆で縦横無尽に黒い線が引かれていた。枝の上の方には、何やら大きな実のようなものが描かれてある。夏油は照れくさそうに頭をかいている。別に褒めているわけではないのだが。
    「この絵について説明してもらえるかな?」
    「これはガジュマルです」
    「ガジュマルか……」
    ガジュマル、亜熱帯から熱帯地方に分布する常緑高木だ。幹は多数分岐して繁茂し、囲から褐色の気根を多数地面に伸ばす。つまりこの異様な木は、垂れ下がった気根が土台や自分の幹に複雑にからみつき、派手な姿になっている様子だったのだ。
    「実はどこに書いたのかな?」
    「ここです」
    夏油の指さしたところには、気の根元になにか黒い物体が描かれていた。
    「じゃあこの実は?」
    「これはキムジナーですよ。やだなぁ」
    なるほど、言われれば人の形に見えるような気もする。バウムテストで、鳥や巣箱をかける人はいたが、流石にキムジナーを描く人は初めて見た。そもそも、ガジュマルを描く人さえ中々いない。
    「マングローブカヤックの時に見たのが印象的で。ガジュマルの上にはキムジナーがいて、願い事を叶えてくれるっていう伝説があるんです。だから、木を傷つけたりしてキムジナーを怒らせては絶対いけないんです」
    「へ〜!僕、沖縄行ったことないから初めて知ったよ。傑は物知りだね」
    楽しげに語り出した夏油に相槌をうつ。
    「傑は沖縄が好きなの?」
    「中学の時、修学旅行で行ったんです。その時の印象が強くて」
    「沖縄ってどこ行くの?やっぱり美ら海水族館とか?」
    「……うん。沖縄の自然や伝統文化、戦争について学びに行ったから、首里城やひめゆりの塔にも行きました。ガマではちょっと倒れかけてしまったけど、その後食べたソーキそばは美味しかったです」
    「あ〜、本当に気分悪くなるんだね。でもいいなぁ沖縄。僕の中学の時はスキー研修だったから、寒くて冷たくて散々だったよ」
    中学の頃、ロマンスの神様が永遠に流れるスキー場で、カップルを蹴散らしながら爆走し、担任に雪の上で正座させられたのはいい思い出だ。
    「悟の髪、真っ白だから雪と見分けがつかなくなりそうだね」
    「そうそう。よく雪だるまと間違われ……るわけねーだろ!」
    実際、小学校でのあだ名はケセランパサランだったのだが。
    「やだなぁ、雪のように綺麗って意味だよ」
    そう言って夏油は右手で僕の髪に触れた。
    「……今どきの子ってすごいね。さらりとそんなかっこいい台詞が言えるなんて、夏油くんモテるでしょ」
    「傑って呼んでよ」
    やんわり夏油の手を掴んで離そうとすると、今度はその手を左手で包み込んできた。大きくて温かい、血の通った手だ。
    「ねぇ悟、今度一緒に沖縄に行こうよ」
    「そうだね、君が大人になったらまた誘ってよ」
    夏油はその言葉に、少し寂しそうな顔で微笑んだ。



    「五条さん、五条さん」
    「んん……」
    瞼をあげると、机の横に眉根を寄せた事務員が立っていた。
    「ああ……伊地知」
    「大丈夫ですか?お疲れですか?」
    「いや大丈夫。それで何?」
    「ええ、臨床心理士の方から、五条さんに今すぐ診察室に来て欲しいと連絡を受けまして」
    胸元のピッチを見れば、確かに履歴が残っていた。どうやら、気付かなかったらしい。
    「最近、すぐに眠くなっちゃって怖いんだよね。過眠症かなぁ……」
    「夜はちゃんと寝た方がよろしいのでは?そういえば、今日はお弁当なんですね。健康に気を使うのは良いことです」
    普段は購買の菓子パンと牛乳という、男子高校生のような昼ごはんなのだが、今日は色とりどりの3色そぼろ丼だった。
    「そうなんだよ。身体にいいもの食べろって五月蝿くてさぁ。まぁ僕は完璧だから?自炊も完璧なんだけどね」
    そう言いながら、食べかけの弁当をカバンに戻した。昼ご飯が食べられないことは珍しくない。忙しい日であれば、下手すれば4時を回ることだってある。代わりに、コンビニで買った飲むソフトクリームを一口で飲むと立ち上がった。


    診察室をノックすると、やああって臨床心理士が出てきた。
    「五条!!何度もコールしたんだけど!」
    「あー…わりぃ歌姫。で、何があった?」
    「…まぁいいわ。とにかく、見てもらった方が早いから」
    そうして歌姫に案内されて診察室へ入ると、中央に置かれた椅子に夏油が座っていた。いつもの白いTシャツではなく、黒のスウェットを着ている。しかし、ひと目で雰囲気が異なるのを肌で感じた。いつもひとつにまとめられていた髪は、ハーフアップにまとめて、長い髪をざんばらに流している。さらに、いつもは礼儀正しく背筋を伸ばして手を膝に置いて座る彼だが、今は足を組んで頬杖をつき、こちらを見定めるように目を細め、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
    まるで、人が変わったように。

    「や、久しいね。悟」


    「心理検査が終わった後、カウンセリングを行っている途中に、突然、顔を顰めてこめかみを揉み始めたの」
    再度部屋を出て、歌姫は眉を寄せて言った。夏油傑が入院してから、4日目の金曜日。現段階では、診断をつけるための検査を行っているところだった。水曜での回診時以外では、夏油に特に変わった様子は見られず、穏やかな普通の高校生男子にしか思えなかった。それどころか、率先して挨拶したり、作業療法では他の患者とコミュニケーションを取り、看護師を手伝ったりしていた。気配りが出来てイケメンの彼は数日で多くの人を魅了し、密かに看護師の間でも噂になっているほどだ。
    今日も朝から足の悪い患者の補助をしているのを見かけたが、カウンセリング中に突然の頭痛に見舞われた彼は、数十秒後には様変わりしていたという。

    「こんにちは、お名前を教えてくれるかな?」
    「すぐるだよ。やだなぁ、水曜日に教えたじゃないですか。五条せんせ」

    夏油はにこりと目を細め、人を食ったように笑った。今までの彼も、胡散臭い笑みを浮かべることはあったが、今の彼は全てが嘘で作られたような笑みだった。

    「嬉しいよ、君は覚えているんだね」
    「そうだね、ずっと覚えているよ。君のことをずっと、ずっと昔から。それこそ、産まれる前からね」
    「それは……光栄だね」

    顔に手を当て頬杖をつく夏油は、雰囲気、喋り方、動作に至るまで初めて見るものだった。
    「それにしても、何故大部屋に移したんだい?作業療法だってうんざりだ。低俗な猿どもと一緒に群れるなんて、想像しただけでも吐き気がするよ」
    「それは悪かったね。傑くんの様子が安定してきたみたいだから、移ってもらったんだ。他の患者さんとも仲良く出来ていたみたいだし」
    彼は忌々しげに顔を歪め、「冗談じゃない」と鼻で笑った。やはり、今朝までの夏油とは様子が全く違う。別人格とみた方が良いだろう。
    「君は、今朝までの傑くんとは違うみたいだね。彼は君のことを知っているのかい?」
    「いいや、あいつは私の存在を知らないよ。いくらあいつがホストだからって、迂闊に猿どもに近付くのはやめて欲しいよね」
    夏油はため息をついて憂い気に言った。どうやら、彼のことはあまり好きではないらしい。それよりも、気になる発言があった。
    「ホストということは、あの傑くんはホスト人格のことかな?元の傑くんとは違うのかい?」
    多重人格には様々な類型があり、中でもホスト人格とは最も長く表に出て日常生活をこなしている人格のことだ。しかし、ホストは必ずしも元の人格とは限らない。
    「そう。元の傑は、今は無意識のそこ深くに眠っているよ。その代わりに私たちが、この身体の主導権を握っているわけさ」
    僕は胸ポケットからボールペンを取り出し、手帳にメモを取った。彼の発言は、カルテの情報と一致する。
    「傑は幼い頃、父親に酷い暴力を受けていたんだ。彼は忘れている……というより、思い出さないようにしているけどね」
    「それは辛い体験だったね」
    「そう、耐えられない彼の代わりに暴力を耐えていた。でも大丈夫だったよ。私達には『さとる』がいたからね」
    その言葉に、僕はボールペンを走らせる手を止めた。
    「さとるくん?」
    これまで出てきた彼の人格は全て、元の名前と同じ「すぐる」と呼ばれていた。彼の口からは初めて聞く名前だった。
    「私の親友さ。古い知り合い」
    「へぇ…それって学校の友達?それとも……別の人格のこと?」
    「クックックッ、違うよ」
    何故か得意気に彼は笑って、そうして目の前を人差し指で指した。
    「…………って、俺!?」
    「そう、君さ。君が私の親友」
    「………………」

    なるほど。確かにこれは精神病の症状である。しかし、目の前の人格の目的が分からない。何より、ホスト人格よりIQが高そうだ。

    「君と僕は、いつ親友だったのかな?」
    ひとまず否定せず傾聴に務めることにした。共感と傾聴は医療面接の大原則だ。
    「前世だよ。私と悟は呪術高専で出会って親友になったんだ。ちなみに恋人でもあったよ」
    「……へぇ」
    僕だって新米とはいえ精神科医だ。研修の間それなりに経験を積んで、癖のある患者も大勢診てきた。患者の中には僕に思いを寄せるあまり、あることないこと妄想を捲し立てられて、最終的に既成事実まで作られかけて担当を変わるなんてことも1度や2度じゃない。
    昔から僕はモテた。容姿は言わずもがな、喋ると残念だと硝子にはよく言われた。医局内だけでなく、他病棟の看護師からも毎週食事に誘われる。
    男に口説かれるのは初めてだったが、流石にこれは、斜め上の妄想で取り繕う言葉すら出てこなかった。
    「どう?これを機に私と付き合ってみるというのは」
    「はは……流石に未成年の患者に手を出したら、僕の医師免許取り上げられちゃうよ」
    「いやいや、私もうアラサーなんだけど。君と同い年じゃないか」
    「同い年ってことは、君は今27歳かな?」
    「そう、君と同級生と言っても過言じゃないね」
    「それは過言だね」
    解離性同一性症において、人格によって年齢はバラバラだ。この夏油は、元の夏油や今まであった人格と比べると年は上らしい。
    僕がメモに夢中になっていると、じっと僕を観察していた彼が、何やらニヤリと笑って口を開いた。
    「君、最近眠れていないだろう?」
    その言葉にギクリとした。何故、それを。いくら寝不足でも、クマひとつ出来ないのが学生の頃からの自慢だと言うのに。
    「よく殺される夢を見る。初めは胸。その後、刃物で首を正面から貫かれた後、そのまま下に腹を大きく裂かれ、足を滅多刺しにされて、最後に額を刺されて死ぬ夢だ。犯人は……そうだな、大柄な男だ」
    「嘘だろ……」
    あまりに具体的な内容まで的中するものだから、反射的に驚きよりも引いてしまった。しかし、彼は気にすることも無く言葉を続ける。
    「私にはね、見えるんだよ。君には呪霊が取り憑いている。その寝不足も呪いによるものだ。取ってあげようか」
    そう言うがいなや、彼は手をかざすと、何やら手のひらの見えないものを掴んで飲む仕草をした。
    「何を…?」
    「君には見えないんだね。せっかく前と同じ美しい眼を持っているのに、六眼で無いとは勿体ない!呪術界どころか世界最大の損失だ!それでも、君の美しさが損なわれることはないけどね。大丈夫、これで君はもう悪夢に苛まれることもないよ」
    彼の発言は何一つ分からなかった。今朝までは普通の男子高校生だったのに、今や新興宗教の教祖にしか見えない。
    僕は占いや霊能力など、スピリチュアルなものは生まれてこの方一切信じてこなかったが、実際に目の前にするとその信念がぐらついてしまった。不眠は僕の行動を観察していれば推察は可能だろうが、果たして夢の内容まで具体的に当てることは出来るのだろうか。
    確かにこれは、未だに霊感商法が蔓延り、騙される人間がいるのも納得だった。

    「よく分かんないけどありがと。今日はいい夢見れそう」
    「もちろん。お礼はキスで構わないよ」
    「まだお金の方がマシなんだよね」
    「おかしいなぁ、昔の悟は私にメロメロでキスどころかもっとすごいことまでやってたのに」
    「そう……」

    ガチャと音がして、タイミング良く歌姫が入ってきた。そろそろ精神療法を再開するのだろう。僕も午後から授業の時間が迫っていたため、彼女に夏油を任せて部屋を出る。また会おうね、と無邪気に手を振る彼の姿に、こめかみが痛くなって目をつぶった。

    「なぁ硝子〜!ちょっと相談乗ってもらえる?」
    「嫌だね」
    月曜日の昼休み。院内の飲食スペースであるテラス(喫煙OK)に呼び出された彼女は、めちゃくちゃに機嫌が悪かった。どうやら昨夜、多発外傷患者の緊急オペにオンコールで駆り出され、徹夜での手術が終わったばかりらしい。
    「精神科はいいよなぁ……こちとらもう5日も家に帰ってないんだぞ」
    「お疲れサマンサ〜!!ほら飲んで飲んで飲んで、飲んで?」
    そうして僕は彼女にスタバのトールのブラックコーヒーとワンカートンを献上する。ちなみに僕は新作フラペチーノだ。彼女は顔を顰めながらもしぶしぶ飲み干してくれたので、どうやら話くらいは聞いてくれるらしい。
    「若い頃は徹夜なんて何ともなかったのに、年々しんどくなるのな。教授はクソだし、もう転科しようかなぁ……」
    「脳外は大変だねぇ」
    「お前がうちの医局に入ってれば、もっと楽だったんだけどな」
    目元に大きなクマを作った硝子は、ジト……と恨めしそうにこちらを睨む。
    「今でも不思議に思ってるよ。学生時代、あんなに薬を処方するだけだとバカにしていた精神科を選ぶなんて。私はずっと、お前は救急か脳外にいくものだと思ってた。どういう心境の変化だ」
    「……なんだっていいだろ」
    「確かにどうでもいいな。大切なのは科よりもそこで何をするかだ」
    彼女は煙草を1本取り出すと、口に銜えて火をつけた。僕には煙草の良さは分からないが、煙草を吸う硝子を見るのは好きだった。
    「硝子はさ、人の魂はどこに宿ると思う?」
    「いきなりなんだ。哲学か?随分スピリチュアルに寄ったもんだな。生憎、新興宗教ならお断りだ」
    「違う違う、医学的な話しさ。よく魂の重さは21gなんて言われるじゃない。肉体は魂の牢獄とも言われるし、実際、医学論文もいくつか出てるじゃん」
    彼女は顔を顰め、ゆっくりと副流煙を吐き出して言葉を続けた。
    「……さぁ、私は見たものしか信じないようにしてるから何とも。それこそ精神や緩和では重要視されるだろうが、死んでしまえばそれまでだ。生きることに意味が無いように、そこにはなんの意味もない。残されたものにとって意味を持つものだよ」
    硝子は苦虫を噛み潰したような顔で、煙草の灰を落とした。何か嫌なことでも思い出したのだろうか。僕は既に空っぽになってしまったフラペチーノのカップを、傍のゴミ箱へ入れた。
    「ならさ、人格はどう思う?」
    その言葉に彼女は眉を上げてこちらを見た。
    「それはもちろん、前頭葉だろう。優位半球の前頭葉前半部は思考、自発性、感情、性格、理性に関わる。あとは記憶に関わる側頭葉と感情に関わる大脳辺縁系か。あとは前頭眼窩野も関わってくると思うが……それくらい五条も知っているだろう。急にどうした」

    訝しげにこちらを見やる彼女に、とうとう先日、入院してきた彼のことを話すことにした。

    「へぇ、多重人格か。私も見たことはないな」
    「まあね、確かに色々検査してみて人格の乖離は見られたし、IQもバラバラ。今は精神療法と薬物療法、催眠療法で経過観察中」
    「でも不思議だな。元々別の総合病院で見てもらってたんだろう?何故うちに来たんだ。精神疾患なら精神病院に行けばいいし、わざわざ大学病院でなくともいいだろう」
    「さあ。受け入れたのは日下部だし、学会発表のためじゃない?多重人格は珍しいしね」
    「確かにな……で、五条はそれが詐病だと疑ってるのか?」
    「う〜ん……詐病というか、そいつの主張が多重人格にしてはちょっとおかしくて。統合失調症の合併かもしくは他に器質的疾患があるんじゃないかって。ほら、脳のことなら硝子の方が詳しいでしょ。別分野の意見が欲しくてね」
    「ふーん、具体的にどうおかしいんだ」
    「僕のことを親友って呼ぶんだ」
    そうすると、硝子は押し黙ってしまった。
    「……お前、親友なんていたのか?」
    「僕が小学校から大学卒業まで、彼女はおろか親友もいなかったの、硝子なら知ってるでしょ?まあそういう意味では硝子が1番親友に近いかもだけど」
    「このメビウスに誓って親友じゃないね。お前は交友関係広い癖に、特別仲良い友達はいなかったもんな。まさか彼女までいなかったとは知らなかったが」
    確かに、余計な口を滑らせたかもしれない。
    「僕は皆のアイドルだからね☆で、顔見知りのやつに勝手に親友と思われてたならまだしも、僕とは初対面だよ?しかもまだ16の子供だ」
    「なるほどなぁ。で、名前は?」
    「…これ情報漏洩にならない?」
    「私に相談してる時点で今更だろ。安心しろ、今から私も診てやるよ」
    「夏油傑」
    彼の名前を告げると、盛大にため息を吐いた彼女は、何故か少しだけ嬉しそうだった。




    続きます
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