無二の寂しさ、そのねには 日に当たっていても、温かい飲み物を飲んでみても、お湯に浸かってみても、布団を上まで被ってみても、そうして起きてみても、どうにもならない寒さがあって、一般的、日常的に行える身体へのアプローチが大して意味をなさないことがある。
「と、いうのを解決したいわけなんだが……」
農業組合関連でしばらく島を離れていた朔太郎が帰ってきて。荷解きやらが落ち着いたところを見計らってお茶の時間にした。温めたフォンダンショコラを、彼の前に置くと礼を述べて、僕が席に着いてから手を付けていた。こういう時、むずがゆくてなんだか落ち着かない。ナイフを差し込んだ先からチョコレートが溶け出した。
そうして、彼があちらでのことを話しはじめようとするのを遮って、話を切り出した。
「へぇ、協力してほしいんならする。けど……博士には? あたるんなら先にそっちだろ?」
「ウ……ぅ〜ん、説明するのが難しい、というよりこう言って納得するか分からないけど。まず、博士には相談してない。お前に話したいことだったから」
「……」
「本当に不調だったらもう報告してる」
「そう……」
「それで、たぶん心因性だろうから。そういうのはお前の方が上手くやれるだろ、僕よりはさ。それに、お前がいないからなるのかも、で……って、何か顔赤くないか?」
「そりゃ、なるって……」
照れた彼は頬杖をついて、唸った後、へらりと眉を下げて笑った。
「つまり、俺がいなくて寂しかった、みたいな? あっは、恥ず……」
「え……ああ、寂しい……そうなのかな。寂しかったのかな。僕は」
寂しさくらい知っている。無下にされる、腫れ物扱い、普通だったらよかったのに。虚しさと悲しさと、よく混ざるそれは知っている。足元が真っ暗闇みたいに思えるそれは。
でも、それとは違う。違うはずなのに、彼にそう言われたら腑に落ちてしまった。彼のような存在は、僕にとってははじめてのものだから。知っていることだってわからなくなる。
ガタガタと椅子を引く音がする。そちらに意識を向けると、隣に来た朔太郎が腕を広げて立っていた。
「ほら。ハグでもしたらマシになるだろ」
「ええ……」
こいつ身体的コミュニケーションで解決しようとするところがあるよな。でも、たぶん悪くない提案だ。椅子から立ち上がって向かい合う。彼は、ちょっとびっくりしたみたいな顔をして、僕のことを抱きしめた。
「どう?」
「どうって。ああでも、体温高いよな。お前。だからかな、まあ、寒くはない」
抱きしめ返しながら、体の厚みだとか、まだ落ちてない海の匂いだとか。しばらくぶりに会った彼のことを頭に留めていく。そうすれば、彼の言うとおり寂しさというこれもマシになるはず。彼がいなくたって。ひとりでどうにかするべきなんだ、こんなこと。
彼が少し体を離して目を合わせてくる。
「次また寂しくなったら、俺のとこに来ること! そしたらまたこうしてやるからさ」
ニコニコと照れの色が引いた晴れやかな笑顔で言い切るものだから、毒気が抜けてしまう。ダメだな、これは。僕はきっと次も彼を頼ってしまう。回顧するに、立ち返るには今更すぎるだろうし。そうして、僕はひとりでどうにかするのを諦めた。
「うん。あの、もうちょっと強く」
「は……」
「つ、強すぎ」
望んだのは僕だったけど、こんなに馬鹿力で抱きしめられるとは思ってなかった。さっき胃液に浸かったばかりのフォンダンショコラが逆流してくる気配が頭の片隅によぎる。それはさすがにちょっと。彼の背中を叩くと、多少腕の力が緩められた代わりに、寄せられる分の体重が増えた。息を吐いて、僕も身を寄せる。胸ポケットに入れたままの、スマホの硬質さを煩わしく感じる程度には、これは心地よかった。速いような鼓動を打つところに、裏側から手を添える。肉に埋まった背骨を布越しに撫でると、彼の喉がごくりと唾を飲み下したみたいな音を立てた。
「これで違うことって、ないだろ」
「何……なんの。ッ」
息を呑む。するすると彼の指先が、視野の外で髪を撫ぜて、そのまま耳朶を爪先で軽く引っ掻いたから。それに身じろぎすると、耳元で湿ったみたいな息を漏らした彼が頬を擦り寄せてくる。これは……これも……する必要が……?
混乱しているうちに首筋を辿ってハイネックの内側に指が滑り込んでくる。朔太郎がこれから何をどうしたいのかもわからないのに、声も上げずにされるがままでいるのは、よくない気がする。
「朔太郎」
「ん」
「あの、抱きしめてくれるだけで充分だから」
「……あー、やばい。完っ全に……はー。やじゃなかった?」
「え、ン? たぶん? 何だったんだ、さっきの……」
「ぉあー。今じゃ……今じゃなくて……。ごめん! 改めさせて〜」
「待て待て待て。何もわかってないだろこれ。僕が!」
パッと離れた朔太郎を追いかけて問い詰めると、苦い顔をして唸った後、こちらに手の平を向けて距離を取ってくる。ああ?
「これに関しては、お前が気付いてくれないと意味ないから。でもさっきのはマジでトチった。もうしないから、ああいうのは」
珍しく真面目ぶった顔をしているので、言っていることには本気なんだろう。何が何だかまっっったくわからないし今じゃなかったらしいが。
「はあ? でも、いずれ改めて……何、何か知らないけど、する気で……何を……?」
「(笑)くっそワヤワヤじゃん」
「お前のせいだろ!」
僕が吠えると余計笑う。くそ。
笑い終わった朔太郎が目に浮かんだ涙を拭って、はあー、と息を吐いた。
「いつか。気付いてくれたらいいから」
寂しそうな、はじめて見るような顔で笑うから、面食らう。
気付いてくれたら、と言う彼の、願う切実ささえ感じ取れる。けど、それを自分に問いかけてみても、何もかもがつきあたりで、すぐには応えてやれそうになかった。彼のためにあつらえたような寂しさを知ったばかりなのに、彼の言う通りにその何かに気付いて、それに付ける言葉を、僕は選び取れるんだろうか。そうしてそれを伝えても。
朔太郎は、また抱きしめてくれる?