Knock knock「ほらよ」
唐突に押し付けられた、小振りな白い紙の箱。可愛らしく赤いリボンで飾られたそれを、ネロは訝しげに受け取った。
見た目以上に軽い。一体何が入っているのだろう。
「開けてもいいやつ?」
「…おう」
笑うなよ、と頬に朱が差したブラッドリーに付け足され、淡く好奇心が色付く。
いそいそとリボンを解き、蓋を開けると、そこには砂糖細工の赤い薔薇が収まっていた。花弁一枚一枚丁寧に作られており、薔薇の香油を混ぜてあるのか、ほんのりと芳香が鼻先をくすぐる。
懐かしい、北の国原産の種だ。
直ぐにサルカラが思い浮かんだが、彼の作品にしては作りが荒い。どこか違う店で買ったのだろうか。
「今日、西と東のちっちぇえのどもの誘いに乗って、シュガー卸してる店行ったんだよ。そこで、まあ、成り行きで、作ることになってよ」
「えっ」
その言葉に、慌てて小箱へ視線を戻す。
砂糖の薔薇からは魔力を感じない。と、いうことは、この男が魔法も使わずにこれを作ったのか。
***
朝食後、ブラッドリーは部屋へ戻る途中、シノ、ヒースクリフ、クロエが楽しげに話しているところに出くわした。
「あっ、ブラッドリー!」
通り過ぎようとした瞬間、クロエに呼び止められ振り返ると、キラキラと期待に目を輝かせこちらを見ていた。西の魔法使いがこういう顔をしている時は、だいたい面倒事に巻き込まれる時と相場が決まっている。
「ねえブラッドリー、今日は任務がないよね? 良かったら、一緒に中央の都へ行かない?」
やっぱりだ。
「生憎、てめえらに付き合うほど暇じゃねえよ」
今日は久しぶりの非番だった。たまにはゆっくり自室で過ごそうと思っていたため、お守りをしてまで外出する気は起きない。
じゃあな、と言いかけるより先に、眉尻を下げたクロエが口を開いた。
「そっか、そうだよね。ブラッドリーは銃の手入れもしてるし、手先が器用そうだから、絶対上手いと思ったんだけど…」
「あ?」
「砂糖菓子を作りに行くんだ」
「菓子?」
「前にシュガーを卸しに行った、メリトロってお店、覚えてないかな。サルカラさんから教えてもらえる事になって」
あ、と思わず声が出た。
中央の都で起きた不可解な事件。祝福のシュガーを食べ過ぎ、自身を呪ってしまった男を助けた時だ。
珍しくネロと二人で行動していた。なのに、お宝も無い、化け物も居ない、そんな甘ったるいだけの城でムシャクシャした折、蹴飛ばした花瓶の砂糖細工の花を丁寧に拾い上げていた姿を思い出す。
今なら、ネロが何故腹の足しにもならない砂糖菓子に目をかけたのかが分かる気がした。
「…気が変わった。付いてってやるよ」
「ホント⁉」
「わぁ、嬉しいな」
「フン、俺の方が上手いに決まっている。細かい作業は得意だからな」
三者三様の反応を横目に、本日の予定が書き換わる。
双子に告げると「ブラッドリーちゃん、面倒見良くて偉い!」などと頭を撫で付けられ、瞬間虫の居所は悪くなったが、お目付役無しでの外出が叶いまた元の居場所へと戻っていった。
メリトロに着くと、サルカラ指導の元、早速砂糖菓子作りに取り掛かった。
紙に描いた完成イメージを参考に各々食紅を選ぶと、真っ白なマシュマロフォンダントを色付けていく。
ブラッドリーが選んだのは赤だ。
トロリと香油を一滴垂らし、食紅がムラにならないよう、丁寧に、丁寧に、練り込んでいく。途中、魔法を使ってしまいたい衝動をグッと堪え、根気よく真紅に染め上げた。
垂らした香油は北の国原産で、昔ネロが保存食だと言ってよく砂糖漬けにしていた薔薇の物だ。今思えば、手間暇かけた物を好んで作っていたなと思い至れる。
当時は気にも留めなかった事が、今、チクチクと心に棘を刺す。あの時気付いてやれていたら、今頃まだ、二人で盗賊をしているのだろうか。
などと詮無いことを考えてしまい、俺様らしくない、と静かに自嘲する。きっと、あの時気付けずに離別したからこそ、今気付くことが出来たのだ。
サルカラから受けたアドバイスに習いながら、一枚一枚花弁を作っていく。とにかく手間を魔法で省かず、指先だけで仕上げる事に専念した。
そうする事で、何かが見えると思ったからかもしれない。
誰よりも知っていると思っていた物が、本当は何も分かっていなかった。だから、今度こそ知りたい。
あいつが何を見て、何を思い、何を求めるのか。
全てを理解して共感する事が出来なくても、せめて尊重して寄り添ってやれるように。
完成した真紅の薔薇は、その場に居た全員に絶賛されたが、やはり魔法で作った方が早いと思ってしまった。
***
「作ってみたがよ、やっぱ魔法で作った方が早えよ」
「はは、まあ…そうだな」
「けどよ、作ってる間中、ずっとてめえの事考えてた」
「…」
「手間って、食う奴のために掛けるもんなんだな。作ってる間、てめえが何て言うか、気に入ってくれるか、とかつい考えちまってよ。だからてめえの飯は美味いんだな」
「…っ」
「まあ、俺様にはこういう、ちまちました作業は向いてねえわ。それなりに楽しかったけどよ」
ニッと八重歯を見せるブラッドリーの顔が、涙の膜で揺らぐ。
ブラッドリーは変わった。
あの頃のブラッドリーなら、わざわざ店へ出向く事も、手ずから砂糖菓子など作る事もしなかっただろう。
今のこいつとなら、もしかして、本当にもしかしたら、また同じ未来を描けるのかもしれない。
「…そうか。楽しかったんなら、何よりだ」
「おうよ。で、薔薇は贈る本数で意味が変わんの、知ってっか?」
「へ?」
ブラッドリーが悪戯が成功した子供のようにニィと口端を上げ、パチン、と指先を軽快に鳴らすと、白い箱がバラバラと降ってきたので慌てて腕で受け止める。
その様子を満足そうに見届けたブラッドリーは、ネロの頭をポンポンと撫でるとくるりと踵を返した。
「返事、待ってるぜ」
「まっ、ブラッド!」
ヒラヒラ手を振り去っていく背中へ制止の声をかけるも、ブラッドリーは止まらず部屋から出ていってしまう。バタン、とドアが閉まり、一人残されたネロは一旦テーブルへ箱の山を置くと、先程の含みを探るべく箱の数を数えてみた。
「ええと…一、二、三…」
職業柄、よく店の客から話には聞いていた。
大切な人へ贈る薔薇を何本にすればいいのか、相談を受けた事も度々ある。
「四、五、六、七…」
どの客も嬉しそうに本数の意味を語って聞かせるものだから、つい覚えてしまった。
「八、九、十、十一…、十…二……」
プロポーズや結婚式の演出に使うんだ、と教えてくれた客の、はにかんだ笑顔が思い浮かぶ。
一つずつ、確かめるように箱を開けていくと、どの箱にも見事な薔薇の砂糖細工が咲き誇っていた。そのどれからも、魔法の気配は感じられない。
「…っ、ブラッド…!」
ネロは迷わず最初の箱を手に取ると、自室から駆け出した。
言いたい事が沢山ある。
今度こそ、ちゃんと伝えられる気がするから。
ネロは逸る心を抑えながら、一段飛ばしで階段を駆け上がった。