重なる想い「ハッ。おいおい、誰の宴でオイタするつもりだ?」
ブラッドリーは不敵に口端を上げた。
突如ぐるりと十数人に囲まれ銃口を向けられながら、騒然とするパーティー会場で静かにグラスを呷る。
腕の動きに合わせ、墨色の外套の裏地に描かれた、臙脂に浮く金刺繍の羽根が舞うように煌めいた。
「……ネロ」
ブラッドリーが双眸を細め呟くと、その場にぶわりと一陣の風が吹いた。
人混みの中を目にも止まらぬ速さで駆け抜ける影が一つ。それは視認されるより先に次々と刺客を仕留めていく。招客たちの悲鳴と刺客の断末魔が交錯する中、ブラッドリーはゆったりと懐から取りだした愛銃を狼狽えるリーダーと思しき男へ突き付けた。
と同時、その背後に仕事を終えた灰色の影が立つ。漸く姿を留めた男は毛皮のフードを目深に被り、その頭上には狼の耳がピンとそそり立っていた。
「その装束、まさか、」
「ウチの護衛が優秀で悪かったなあ。俺様の縄張り荒らした事、せいぜいあの世で悔いるんだな」
パンッ
乾いた銃声が響き、強襲者たちは全て掃討された。
***
あたたかな午後の日差しに、ネロは思わずくあ、と大きな欠伸を零した。
チラ、と視線を上げると、変わらずブラッドリーは書類に目を通し続けている。まるで昨夜は襲撃など無かったかのような、普段と変わらぬ執務姿だ。
狼の獣人であるネロは基本的に夜行性のため、日中寝ている事が間々ある。昼寝に定位置は無く、木陰だったり、庭園に置かれたベンチだったりと様々だ。
ブラッドリーの護衛を務めてはいるが、ブラッドリー本人も人並み外れた銃の腕を持つためべったり護衛する必要性が低く、そのためネロは行動の自由を許されていた。しかし昨夜は襲撃があったためこうして主人の近くに居るのはいいが、特にする事も無く只側に居るというのはどうにも睡魔に抗い難い。かといってブラッドリーが片付けている書類仕事を手伝える器量は持ち合わせていなかった。
マフィアのボスっつっても、お役所仕事と変わんねえな。以前、ブラッドリーがボヤいていた声が頭を過る。お役所仕事、をネロはよく分からないが、辟易した様子からきっと詰まらない仕事なのだろうと当りを付けていた。そもそも、行動的なこの男は部屋に閉じこもって黙々と書類と向き合うなど向いていないのだろう。
室内には時折、カリカリとペンが紙の上を走る音が響く。シャラリ、紙擦れはページを捲った音だろうか。
執務机の背後に座り、ぼんやりとそれらの音を聞いている内に、こくり、こくりとネロは舟を漕ぎ始めた。
この世界には多様な種族が暮らしている。様々な獣人族や、妖精族、そして人間たち。遥か昔に獣人族の中から何も特性を継がない亜種として生まれたという人間は、時を経て世界中に住処を拡げ、今では一番の領土と人口を誇っていた。
いつしか人間たちは他種族を蔑み、捕らえては奴隷や見世物として扱うようになった。狼の獣人であるネロも奴隷として捕らえられた一人だ。
狼人族は複数世帯の群れで暮らしており、その中ではっきりとした上下関係があり目上と認識した者には従う性質がある。その性質と高い戦闘能力を利用され、護衛や戦力としての使役目的で狙われるのが常だった。
特に子供は扱いやすいため高値で取引される。ネロが奴隷オークションへ出品されたのは十を数えたばかりの頃だった。絶望と共に幕が上がった瞬間、最高値を叩き付け落札したのがボスことブラッドリーだ。自分などに目が眩む額を迷いなく出した事にも驚いたが、獣人奴隷の扱いを聞き及んでいたネロは連れられたアジトで更に驚いた。
獣人奴隷は通常、買われた直後に問答無用で手酷く痛めつけられる。最初に痛みと恐怖をその身に沁み込ませ、後に反抗させないよう躾けるためだ。そして鎖に繋がれ、使役時のみ檻から連れ出される。
ブラッドリーはそれをしなかった。しないどころかネロの首輪を外し、自室をあてがい、温かい食事を与えたのだ。困惑したネロが翌朝何故かと本人に問うと、「仲間は家族だ。もちろん、てめえもな」と当たり前のように言われ、一生この男に尽くそうと心に決めたのが八年前。
ブラッドリーの力になりたい。ただその一心だったはずが、恋慕を抱いたのはいつからだったか。
「成人祝いだ。何でも欲しいモンくれてやるよ」
ネロが十八になった日の夜。成人祝いに仲間達からしこたま酒を飲まされ、初めて浴びた酒精にヘロヘロにされながら宴の後に呼ばれた寝室で、ブラッドリーから耳を疑う言葉をかけられた。
俺の、欲しいもの、は。
甘い誘惑に、ごくりと喉が鳴った。
記憶が朧気だが、確か、緊張に声を震わせつつ口付けを強請ったと思う。自分の言葉に、一瞬見開かれた瞳を印象強く覚えている。
許された唇は想像以上に柔らかく、触れるだけのつもりが気付けば舌を弄ばれていた。酔いのせいか昂ぶりのせいかそこからは曖昧だが、気付くとブラッドリーに身体を拓かれていた。
その日から度々肌を重ねるようになったが、女に不自由しないブラッドリーが何故自分などを抱くのか、ネロはずっと分からずに居た。
「……ロ、ネロ?」
心配するような声音に呼ばれ、ハッと瞼を上げると、ピンクスピネルの双眸が間近でネロを覗き込んでいた。
「ボッ……! ボス、すんません、俺……!」
肌寒い秋の日の昼下がり、室内は日向がポカポカと温かく、ネロはうっかり寝落ちてしまっていたらしい。
ここはアジトで、襲撃があったとはいえ警戒態勢が敷かれている訳ではない。とはいえ何かあったらいけないと思い側に居るのに。
慌てて立ち上がろうとするネロを制するように、ブラッドリーがその肩を抑えた。
「いや、いい、いい。いつも寝てる時間だろ。書類ばっか見てて俺も眠ぃよ」
ハハ、と軽く笑いながら頭を撫でられ、寝起きで惚けた頭は衝動のままにその手へ自ら擦り寄る。その弾みでパサ、と毛皮のフードが脱げ、灰青色の髪と同色の耳が露わになった。
ブラッドリーが親指の腹で耳の付け根を優しく撫でると、気持ち良いですと言わんばかりに耳がペタンと後ろへ倒れる。
「ふはっ、昨日の夜叉姿が嘘みてえなツラだな」
「う、だって、今はボスしかいねえし……」
緩んだ顔を指摘され、ネロの頬はカッと朱に染まった。ブラッドリーは肩にかかる髪を梳くようにその項へ手を差し込むと、頭を引き寄せ唇を重ねる。二度三度啄ばんだだけでネロの瞳は潤みを増した。
「二人きりの時は、なんて呼ぶんだ?」
「ぶ……ブラッ、ド……」
「そう、良い子だ」
たどたどしく名を呼ぶと、普段鋭いブラッドリーの眼差しがふわりと緩む。
初めて触れ合った日から、ブラッドリーから二人きりの時は敬語を禁じられ愛称で呼ぶよう求められた。それも謎の一つだ。
自分から求めておいて何だが、ブラッドリーは主人であり、ネロと番になれない事は重々承知している。いつか人間の女性と結婚し、子を成し、その血を繋いでいくのだろう。
自分との交わりは戯れに過ぎないと分かっていても、特別を許されると夢を見てしまいそうになる。
ハッキリと上下関係がありながら恋人のように触れられる事に、ネロの狼人としての本能は困惑していた。
「ネロ、こっち向いて膝に座れ」
ブラッドリーに促されるままネロは立ち上がると、おずおずとその膝先へ跨がった。するとグイ、と腰を抱き寄せられ、驚く間もなく腹がぴったり密着する。
「わっ、ちょ、まっ、」
「お。もう硬えじゃねえか」
ズボンの上から主張を始めた膨らみを擦られ、背に走る快感に尾がバサッと揺れた。
唇を吸われ、柔く歯列をなぞっていた舌が口内へ侵入してくる。弱い上顎を舌先で舐められネロは背を仰け反らせた。気持ち良さに無意識に腰が揺れてしまう。
唾液が溢れる程に舌を絡ませ、何度も角度を変えては互いの唇を貪りあった。
快感に理性が浸食されていく。だが、この曖昧な関係のままで居続ける事にネロの性は限界を叫んでいた。
「まっ、て、ブラッド、待ってくれ」
「あ?」
ブラッドリーの肩をグイ、と押し、ネロはなんとか快楽から逃れた。
怪訝な顔で見上げる主人に、ネロは一度ぎゅっと唇を引き結ぶと、意を決して疑問をぶつける。
「なあ、ブラッド。あんたに口づけを求めたのは俺だ。けど、どうして女に不自由ないあんたが、わざわざ野郎の俺を抱くんだ?」
そりゃあ、まあ、嬉しいけど……。と、意気込んだくせに結局最後は目を伏せ口籠ってしまった。耳もシュンと下を向く。心臓は変な早鐘を打ち鳴らしていた。
ネロの問いに即答は無かった。
沈黙に耐え兼ね伺うように視線を上げると、予想外に真摯な瞳とぶつかった。
鮮やかなピンクは静謐を湛え、自然とネロの背筋が伸びる。
「大昔、人の戦に一人の狼人が力を貸した。その圧倒的な力で勝利を手にした謂われから、狼人族は勝利と栄光のシンボルになった。それから挙って権力者どもが狼人を従えたがったもんだから、てめえら一族は数を減らし、少し前に絶滅したとされていた。そんな幻みてえなやつに、俺は出会えた。ツイてると思った。箔が付くのはもちろん、戦力としても手に入れてえと思ったから、迷いなく競り落とした。……最初は、それだけだった」
淡々と言葉を紡いでいたブラッドリーの顔が、ふわ、と和らいだ。腰を抱いていた手が離れ、指先が慈しむようにネロの髪を梳く。
「あんな小せえガキだったのになあ。すっかりデカくなっちまいやがって。……実はな、てめえに縁談があったんだよ。密かに狼人の女を囲ってるジジイが噂を聞きつけて、番にさせねえかって。犬猫じゃねえんだからって断ったんだが、てめえの意思なんかよりも俺が嫌だったんだ。てめえが誰かに触れられんのが」
意味、分かるか?
ブラッドリーは、驚き目を瞠るネロの上唇を軽く啄んだ。それは先程の熱を帯びた口付けとは違う、確かめるような、願いを込めるような、ただただ愛を伝えるためのキスだった。
「てめえとどうこうなりてえとまでは思っちゃいなかったが、いつも褒美を強請らねえてめえが初めて求めたのが俺様だなんて、そりゃあクるもんあんだろ。誰でも。てめえは一回キス出来りゃ満足だったのか?」
「なっ、だって、俺は獣人だし、あんたはボスで……!」
「そんなもん、あの夜てめえに触れた瞬間から全部どうでもよくなっちまったな。パズルの最後のピースがハマる様なこの満ち足りた気持ちは、てめえとでなきゃ得られねえ。背中を預けるのも、側で語らうのも、肌を重ねるのも、俺はてめえとがいいんだよ、ネロ」
「……っ」
バササ、と尾が揺れた。
これは夢だろうか。実は自分はまだ昼寝の途中……だったりするなら、最悪の悪夢だ。
ボスが、俺を? 本当に?
でも、だって、
「……俺、ブラッドの子供、産んでやれない」
ブラッドリーはベイン家という歴史の長いマフィア一家のボスだ。当然、跡継ぎが要る。
獣人で、そもそも男で、子を望めないネロは隣に居るべきではない。
「てめえとのガキなら目に入れても痛くねえだろうなあ! けど、俺はネロが居たらそれでいい。後継は別に血縁じゃなきゃいけねえわけじゃねえからな」
「俺、狼人だし、あんたの隣なんて相応しくね」
「相応しいとか相応しくねえとか、誰が決めんだそんなもん。俺様がてめえを選んだんだ。誰にも文句なんて言わせねえよ」
ブラッドリーに目元を拭われ、初めて自分が泣いている事に気付いた。
初めて出会った時から、ずっとブラッドリーはネロにとって太陽だった。一家の皆にとってもそうだ。
憧れ、敬い、近くて遠い存在だったこの男の隣に立つなど、自分には烏滸がましく考えてもみなかったのに。
「……俺の事が好きか?」
「……ッ、もちろんっ」
「俺も、てめえの事が好きだ。愛してる。ちゃんと言葉にしてやってなくて、不安にさせて悪かったな。……だああクソッ! 今すぐ繋がりてえ」
「へ、いやっ、誰が来るか分かんねえし、仕事も終わってねえだろ」
ネロが指差した先には山の様な紙の束がある。
マフィアの表の顔として手広く事業をしているから、だそうだが、今にも雪崩が起きそうな量は仕事を中断している場合でない事を無知なネロにも示してくれた。
「くそ……今夜覚えてろよ」
「お、おう……? え、俺が悪いの……?」
明らかな八つ当たりにネロは眉尻を下げる。
何か、ストンと鉛のような物が抜け落ちた感覚がする。心が軽い。
ブラッドリーの事を想ってもいいという安堵と、ブラッドリーに想われているという喜びに心が浮足立つのを感じた。
膝から降りるタイミングを見失ったネロが、部下の来室によりバタバタとずり落ちるのは数分後の事だった。
***
あとがき
最後まで読んでくださりありがとうございます!ずっと書きたかった「メモワブラッドリー×狩人ネロ」のお話を書くことが出来てとても嬉しいです。
が、元々書きたかった「闇オクで最高値でネロを落札するボス」のシーンに加えて、ネロが恋慕を自覚した話やボスがネロへの想いに気付く話などなどもっと二人のお話が書きたくなってしまったのでそのうち書けたらいいなと思います。
また書きあがりましたら、お目にかかる機会があれば幸いです。