実家の近くで同級生がカフェを開こうとしていてちょっと気まずい※卒業後の話です。
「カフェをやろうと思うんだよね。映えるやつ」
「は?」
異世界の言葉を聞くような気分で、イデアは目の前のケイトの顔を見た。なぜだか家に押しかけて夕飯まで作り、当然のように一緒に食事をとっている、謎の陽キャ。今日は彩りあふれる野菜のオーブン焼き。いったいどこで食材を調達しているのやら。
「なに? やっぱり君も、日の当たるところに住みたくなりました?」
「え? なんで? ここでやるんだよ」
ここ。ケイトが指を下に向ける。ここ? それはつまり、この、嘆きの島のことか?
「正気か? こんなところにカフェの需要があると?」
「あるでしょ。意外とライバル少なそうだし」
「それは需要がなかった結果としての自然淘汰では?」
「ま、合理主義の人たちが多いのは分かるけど。でもイデアくんだって、推し活は好きでしょ?」
「それとカフェに何の関係が?」
「推しのメンカラで、クリームソーダとかカクテルとか作れる店に興味ない?」
あぇっ、とイデアの喉から妙な声が漏れた。
「ここの人っていろんな意味でオタク気質の人が多いから、案外イケると思うんだよね」
「そ、それは……まあ……商機はある、かもですが」
いやでも、とイデアは首を振る。
「いくら写真撮ったって、機密保持的に大手のSNSには上げられないでしょ」
「場所が特定できない写真ならオッケーじゃなかった? 心配なら島内SNSだってあるわけだし」
「それはまあそうですが……」
「だいじょぶ、外の景色が写り込んだりしないように工夫はするよ」
やっぱそこは大事なトコだからね、とケイトは頷く。
「あの……やりたいことは分かりましたが、なんでいきなりカフェ?」
「オレもそろそろ、バイトばっかしてないで定職についたほうがいいんじゃないかって思ったんだよ。どっかの組織に就活したけど門前払いされちゃったからさ」
「ご自分の魔力量の多さを恨んでくだされ。ファントムの瘴気に当てられて暴走するリスクのある人間を、本部では働かせられないんですわ」
「知ってる」
イデアくんと一緒に仕事してみたかったんだけどなぁ、とケイトは肩をすくめた。
「そもそもケイト氏がなんでこんなところで暮らしてるのか、本当に理解不能なんだけど。ろくにSNSも使えないようなところに閉じ込められて、何が楽しいわけ?」
「別に外と連絡取れないわけじゃないし、制限はあるけど投稿だってできるし、外との出入りだってできるじゃん。オレが好きで来たんだし、ぜんぜん不満なんてないよ」
いや普通は好きでも来れませんが。どういうツテを辿ったのかは知らないが、いつの間にか島に住み着いていたのを初めて見たときには腰を抜かすかと思った。
「でもケイト氏、映えるカフェは欲しかったんでしょ……」
「うん。だから作ればいいじゃん?」
いやホントに何なんですかねこの人は。本物の陽の光も差さないような地の底で、オレが太陽ですが何か? とでも言いたげな明るさで笑っているケイトのことが、さっぱり理解できない。
「オレは今までいろんなところに住んできたから、どんな街にもあるものとないものがあるって分かってる。何もかもがあるところなんてない。でもさ、常夏の街でスノボができる雪山が欲しいって言っても絶対ムリだろうけど、かわいいカフェくらいなら、ある日急にオープンしたりするかもしれないわけ」
彼が何を言おうとしているのか、イデアにはさっぱり想像がつかない。
「だから、住む場所を自分で決められるときが来たら、そういう変わっていくかもしれないものじゃなくて、絶対そこにしかないものを基準にしたほうがいいって思ったんだよね。だから、ここに来た」
「なにゆえ⁉」
「いや、だから、それがイデアくんだって話だよ」
当然のことのように、ケイトはさらりとそう言った。
「ほかのもので代わりにできない、大事なもの。そばで見ていたいと思えるもの」
「あ、あのさあ、君……いま、自分がなにを言ってるか分かってる?」
「分かってるつもりだけど?」
リーフグリーンの瞳が、優しく細められる。
「いろいろ考えたよ。でも、やっぱりオレは、イデアくんの隣が一番楽しいと思ったんだよね」
「そんな理由で、どこでだって生きていける君が、わざわざこんな地の底まで来ちゃったわけ?」
「そういうこと」
イデアは逃げるように視線を落とし、皿の上の野菜に握ったフォークを突き刺した。視界に入る自分の髪がほんのり桃色に染まっていることに気づき、ああもう、とこの体質を恨む。
「オレのこと、バカだと思う?」
「そりゃ思いますが」
「即答⁉」
「……でも」
一口大に切られたパプリカを口に入れる。じっくり焼いたのだろう、野菜の甘味がよく出ている。
「その……嬉しい、とは、思います。ハイ……」
「えっ⁉」
ケイトのほうにも炎髪があれば、きっと色が変わったのではないかと思うくらい、弾んだ声。
「……あ、あのさ、イデアくん」
ケイトがガタンと音を立てて立ち上がる。
「ハグ、してもいい?」
断る理由など、あるはずがなかった。
◇
「こうなったからには失敗できないね、今後の生活のためにも、カフェ計画がんばるよ!」
「あっ、はい」
「猫カフェもありかとは思ったんだけどね。ほら、むかし学生時代に、リスちゃんのいる店でバイトしたときのこと、覚えてる? あんな感じでさ」
「ヒッ……思い出したくなかった黒歴史を……」
「えー? なんで? 楽しかったじゃん」
「あの件にまつわる楽しかった成分なんて、体力育成の試験が免除になったことくらいしかありませんが⁉」
「ポップコーンおいしかったよね」
「それはまあ」
「リスちゃんもかわいかったし」
「ムカついたことのほうが多かったような」
「お客さんもいっぱい来たし!」
「客が多くても従業員はなにひとつ嬉しくない!」
無限にポップコーンとハンバーガーとポテトを作り続けたときの記憶が頭をよぎる。できないとは言わないが、二度とやりたくはない。学生時代の記憶など、正直そういうものばかりだが。
「カフェ開いたら、たまにはイデアくんも働きに来ていいからね」
「客ではなく⁉ カフェでお偉いさんが無意味に働いてるの、普通にイヤでは……」
「あはは、確かに!」
さすがにこの島で、イデアをカフェのキッチンに放り込もうとするのはケイトくらいのものだろう。いや特に褒めてはいないが。
「でも、あのときのイデアくん、カッコよかったからさ」
「……え」
一体どのへんが? ひたすら挙動不審になっていた記憶しかないのだが? しかしまあ、そう言われてしまうと、そこまで悪い気はしないような。
あのときのケイトの姿は、今でも思い出せる。華やかで、きらきらしていて、自分なんかとはまるで違う世界の住人だと、しみじみ思い知らされるような感覚。
卒業してしまえば、あんな世界とはどうせ、もう一生縁がないと思っていたのに。
「い、いや! そんな言葉で騙されませんぞ!」
「ちぇー、ダメかー」
ケイトはいま、手を伸ばせば届く距離にいる。きっと、これからも。
その事実を、イデアはじわじわと噛みしめるのだった。
(終)