つながる「大丈夫、誰もいないよ。もうみんなどっかに行っちゃったみたい」
返事は、言葉じゃなかった。もうかなり昔に打ち捨てられたらしい旧世代的なコンクリート造りの住居の中からかすかな振動だけが聞こえた。頷いて、そのかすかな衝撃でボディが軋んだ音が。
よかった。この距離でもセンサーは反応してるらしい。
もう一度、その見渡す限りのなんにもない荒野に――たぶん、やっぱりずっと昔の時代に街ごと捨てられちゃったみたいな風景を――向き直ってぐるりと一瞥した。もちろん動くなにかの影もない。敵もいないし、元から味方なんていない。風が吹いて乾いた道路の上を砂埃が通り過ぎていく。むしろ誰か……敵でもいいから誰かいてくれた方がマシって気分になるような、憂鬱な真昼の明るさだ。それは理屈にあわない感情だけど。
とにかくいい気分になれる場所じゃないのは間違いない。今はいいけど、ずっとこんなところに突っ立ってちゃ、空から敵の偵察機でも来たときにはすぐ見つかっちゃうし。ボクもしばらくはおとなしく廃屋の中に引っ込んどくことにする。
中はボロボロ、ここもホコリだらけだ。壁もうっかり寄りかかっただけで崩れちゃいそう。最初に入ったときと同じように、結構気を使って奥へと進む。でも急いで。広くはない。人間一家族用ぐらいの住居の奥に、小さいベッドが原型を留めて残っていた。
真っ二つに折れて床の上に折り重なったドアを踏み越えて、そこに戻ってきた。踏んだドアが派手な音を立ててさらに割れる。するとベッドの上に座り、壁にもたれかかって俯いていた顔がふと持ち上がってこっちを見た。
「逃げたんじゃなかったのか」
これはしっかりとした音声だ。少しひび割れたようなノイズが乗っているけど、多分発声機関や頭脳の方の不調じゃなくて、身体の破損した部分に変な風に響いてるんだと思う。
「壊れかけたレプリを置いて一人で逃げたりなんかしないよ。寝てたの?」
「エネルギーの残量が少ないからな。それ以外にやることがねぇ」
「助けに来てくれる仲間とかいないの?」
「フッ。このツラを見てそんなのがいると思うか?」
「うーん、そう言われると」
照明もない薄暗い廃屋の中で、自嘲気味に顎をしゃくったその男の顔をまじまじと見た。
色んな所が壊れてる。顔だけじゃなくて身体中が傷だらけだ。古い傷も新しい傷も、見えるとこだけでもたくさん。
その中でも一番目立つのは、やっぱりその顔の右目の上から走った大きな亀裂だ。額に付けられた防御パーツの上から始まり、右側の眼球の上を焼き切りながら頬に向かって走っている。割れた眼球の水晶体の破片が、眼孔の中に残っている。その孔から顔面のフレームの歪みも見える。
見るからに、さっきできたばっかりの傷だ。その傷の印象に隠れて、残った左目の薄暗いような目の色がまた自嘲気味に笑ってた。
「フッ。そうだね、相手を見た目で判断しちゃいけないって言うけどさ。確かにあんまり、味方はいなそうだね」
吹き出して笑って喋ってから、さっきのなんだか、今聞いたばっかりのやつに似てたなと自分で思った。
「記憶がない割にはそういう皮肉は言えるのか」
「そうだね、多分ボクは高性能なんだと思うな」
「フッ」
これは自嘲じゃなくて、心底愉快って感じの笑い方。
「まあ、そういうことだ。ここで待ってても助けは来ねえ。オレはこの通りエネルギー切れでスクラップ寸前だ。悪いがここから先は一人で逃げてくれ」
「そう、言われてもな……」
ボクは部屋の中を見渡した。ベッドの反対側の壁に窓がある。ひしゃげた雨戸とヒビの入った窓枠の隙間から細く光が入り込んでいる。その先端はベッドの足元には届かないまでも、この寝室の唯一の照明として機能していた。
部屋全体が薄青く暗い。だけどボクのセンサーならこのくらいの光でも充分に活動できる。
「どこに行けばいいかわかんないや」
なにしろこの崩れかけの部屋はどん詰まりで、外には敵も味方もなにもない。
唯一、ボクと同じように動力炉を回転させているそのレプリの隣へ、ボクもベッドによじ登った。
「ああ、そうか――目覚めたばかりか――その割には口が達者で、おかしな感じだ。地図や、最近の情勢なんかのデータなら渡せる。端子はどこだ? オレのは、ここに……」
「ねえ、名前は?」
「あん?」
右腕の内部のフレームが露出して、黒焦げている。その手で自分の砕けた胸のアーマーを乱暴に剥がす男の手を、ぎゅっと掴んだ。その下にグリーンのクリスタル状の汎用コネクタが見えた。
「名前。ないと困るじゃん」
「名前? お前の名前は、アクセルだ」
「それはさっき起動したときに聞いたよ。そうじゃなくて、そっちの」
狭いベッドに乗ってかなり近づいて、そのレプリの鼻先を指差す。それでやっと話が理解できたらしく、残った片目でポカンとしながらボクとボクの指先を交互に見た。
「必要か? もう壊れている」
「必要だよ! だってさっきからずっとすっごく不便なんだって!」
ポカンとした目が何度か瞬きをして、それから苦笑へと変わった。顔に入ったヒビのせいなのか、ちょっと不器用な笑い方だ。
「……レッドだ」
「レッド。ふうん。レッド。レッドかぁ」
「ありふれた、名前だろうよ。何が気になる」
「わかんない。誰かの名前を呼ぶのって、不思議な感触がする」
「そう、か」
レッドはまた目を見開いて、ポカンとして、驚いたような顔をして、じっとボクを見つめた。
「データを、受け取れ。……逃げるなら、当てがあったほうが……いいだろう。いくらか頼れそうな相手を、知っている」
声に交じるノイズが少しずつ増えている。話をするのにそれが邪魔なようで、発声と発声の間が少し間延びする。まだエネルギー残量はありそうだけど。でも、眠たそうだ。
「仲間なんかいないんじゃなかったの」
「知り合いぐらいは、いるさ。……おい、何をやっている?」
「じっとしててよね。多分うまくいくからさ、……やったことないけど。生まれたばっかりだからね?」
ベッドの上に投げ出されたレッドの両足の上に跨って、ボクは慎重に身体を近づけた。とにかく安定した状態でいないといけない。端子と端子を接触させたままで。でないとロスが発生する。
レッドの胸のグリーンのクリスタルと、ボクの胸の青いクリスタルが接触する。
廃墟の寝室に、カチン、と音が小さく響いた。
「そこまでするほどのデータ量じゃ……、お、おい! アクセル!」
エネルギー残量が少ない割には、結構な大声でレッドが叫んだ。いや、叫ぶことができた、って言った方が正しい。つまり、ボクの内部からのエネルギー転送がうまくいっている。
身体がほんのりと熱くなった。どうしてだろう? ボクの方は、エネルギーが減ってるはずなんだけど。
「それはお前が逃げるためのエネルギーだ! オレなんかのために使うんじゃない!」
「大丈夫だよ。ボクの動力炉、太陽光からエネルギー精製できるようになってるみたい」
「なんだって?」
慌ててたレッドが、急に息を呑んで考え込んだ。
よかった、力づくで拒否されたらめんどくさいなって思ってたんだ。それでなくてももこの体勢を維持するには、よっぽどくっついてないと難しい。ちょっと動いただけで端子が外れそうだ。こういう使い方、想定されてないらしい。
「そんなことができるレプリは、この世に二体しかいないって話のはずだが」
「そうなの? やっぱボクって高性能なんだね」
「……らしいな」
ボクの身体からエネルギーが抜けて、レッドの中へ流れていく。とても変な感じだ。エネルギーが減っていくのは困ることのはずなのに、気分としては悪くない。少しずつレッドの身体が動けるようになっていってて、自己修復が始まってるのを見ると、逆に面白いような気分になる。
「じゃあさ、その二体ってのは……ううん、やっぱり後ででいいや。じっとしてないと転送率が悪くなっちゃう」
「お前が一人でジタバタしているんだが」
「そっかなぁ?」
声に乗るノイズも減ってる。おしゃべりもしやすくなってきた。ボクは思わずレッドの顔を見ようと顔を上げたが、そうすると胸の端子が遠ざかってしまって、エネルギーの転送効率が無駄に下がってしまった。
「ねえ、動けるようになったら話をしてよ。一緒に逃げながら。いいでしょ、レッド」
「ああ、わかったよ。そうなるしかないみたいだな」
端子が外れないように、改めてレッドに抱きつく。そうするとちょうどいい。そういえばこれは抱きついてるって状態なのか。
抱きついてるからレッドがどんな顔して返事をしたのかわからない。でもボクの頭の上で、またフッて笑った声は聞こえた。
それから右腕――中身見えてるし焦げてるけど、まだ動ける方の腕――が、ボクの背中にゆっくりと回された。これはもっとエネルギーを送っていいってことかな?