闇夜のおとぎばなし□1
らーめん屋は吸血鬼らしい。キューケツキって、何だ。
いや、キューケツキぐらい知ってる。血を吸うバケモンだろ。作り話の。ホントにそんなのがいるワケねー。そのハズだ。
じゃ、オレ様が見たらーめん屋のアレは何だ?
昨日の夜中に寝苦しくて目が覚めた。物音がうるせえ。らーめん屋の家は屋根と壁と布団があって、他の寝床よりはマシなところだ。そのはずなのに、そのときは寝苦しかった。デケえ物音が耳元で聞こえる。……喋ったり、暴れたりなんかはしていない。ただデケえ生き物がモゾモゾと動いている、熱を含んだ物音だ。
デケえのは、らーめん屋だ。こんな夜中に叩き起こしやがって。ウゼエからぶっ飛ばしてやる。
このまま、オレ様のすぐ隣の布団でモゾモゾ動いているらーめん屋に蹴りを入れるつもりだった。きっちり狙いを付けるために、頭までかぶった布団の隙間から隣の布団を覗き見る。
そういや、そっちの布団にはチビが寝てた気がする。らーめん屋は何やってんだ。
部屋の電気は消えていても、オレ様にとっては窓にかかったカーテンの隙間から入ってくる月と街灯の光だけで充分だった。
「オマエ、今日はいつもより話を聞いてなかったな。打ち合わせはともかく、午後からのレッスンはちゃんとしろよ」
「あ?」
チビの声だ。目を開けると白い天井。昨日寝れなかった分、ここでイスを並べて寝てたんだった。打ち合わせ? いつ終わったのかも覚えてねえ。
あいついねーのか。らーめん屋。気配がしない。チビはいる。他にはいない。
「電気消すぞ。オマエはまだ寝るならどっか行け。ミーティングルームの鍵は俺が返しとく」
「おいチビ。……首ンとこ、血ィ出てるぜ」
部屋の電気が消される。それと同時にガタガタとうるせえ音がした。何やってんだかわかんねえが、消された電気が一呼吸の後にもう一度付けられた。ドアに鍵が掛けられた音がする。そんでチビは大慌てでオレ様の方へ歩いてきた。
青くなった顔がオレ様を上から覗き込む。首筋を手で押さえている。
「い、いつから出てた?」
「さァな」
チビが押さえているのは左の肩だ。やっぱり昨日のは見間違いじゃなかったらしい。なんでらーめん屋はンなとこ噛むんだろ。コイツの服だと目立つだろーに。いつもの服でも、衣装でも。
「教えてくれたことには感謝する。けどこれは別に……うわっ」
ゴチャゴチャうるせぇ。アレコレ考えるのも面倒くせぇ。色々面倒になって、飛び起きてチビの腕を掴んだ。不意を突かれたチビの抵抗は鈍い。やっぱオレ様の方がツエー。
「何のつもりだ!」
「血なんざ出てねーじゃねェか」
「は?」
掴んだ腕の下はいつもの生白いチビの首そのままだ。カマかけてみたけど、やっぱ血なんか出てねぇ。よく見りゃ少し、腫れているか。ほとんど治りかけの飯粒のような傷口が転々と残っている。
「らーめん屋はどこ行った? そのヘンにいんのか」
「いや、買い出し……って言ってた。レッスンまで時間があるから、晩飯の材料買ってくるって」
「それじゃしばらく戻らねーな」
わざわざ買い出しに行くぐれーなら、オレ様の分もあるんだろう。今日も、そんでコイツの分も。
勝手に青ざめたチビは、観念したようにオレ様がさっきまで寝ていたイスに座り込んだ。しょうがねーから寝てたイスのもう片方に座る。チビの隣だ。視線を向けると、首が、首の傷が気になる。
「オレ様の寝床を取るんじゃねえ」
「なんで……オマエが……。……昨日の夜、見たのか?」
「見てなきゃンなこと言わねーよ」
「そうか……」
「知ってるぜ、ああいうのキューケツキっつーんだろ」
「声がデカい」
「あん?」
部屋ン中には他に誰もいねえ。廊下にもひと気はない。チビにはそんなこともわかんねーのか。わざわざ小声で喋りやがる。
「円城寺さんは、周りに隠して生きてるんだ。バレたら不味いことになるのがわからないか?」
「どーゆーことだよ」
「……本物のヴァンパイアが現代に存在してるなんて知られたら、マスコミに追い回されるとか、なにかの研究機関に捕らえられるとか、そもそも人の血を吸うってことで恐れられるとか、色々考えられるだろ」
「細けーこいとごちゃごちゃ言いやがって。らーめん屋ならマスコミもケンキューキカンとやらもぶっ倒せるだろ」
「アイドルがやっていいことじゃない」
「めんどくせェな、チビもらーめん屋も」
「そうかもしれないが、何にしろオマエには関係ない話だ。ただ、……誰にも言わないで欲しい。円城寺さんのために」
「チビが毎晩血を吸われてることを、か」
「っ……毎晩……毎晩じゃない」
チビがはっきりしねェ声でそう呟いて、また首筋に手を当てた。顔近づけて見なきゃわかんねーような傷が、その手の下に残っていた。指はその傷をなぞるように僅かに動かされる。
生々しい。見たものが頭に蘇ってくる。
夜。夜中だ。何時だったのかは、覚えてねぇ。布団の隙間からは時計は見えなかった。暗闇に慣れた目に、チビの布団の上に覆いかぶさったらーめん屋の影が見える。
オレ様は目玉だけを動かしてその光景を眺めている。すぐ、隣だ。足伸ばしてらーめん屋のケツを蹴っ飛ばせる。いつでもだ。
かぶってる布団が邪魔でらーめん屋の顔は半分も見えない。何考えてんだ。生っ白いチビの顔を覗き込んで。違う、顔じゃねえ、首だ。首を狙っている。急所だろ、そこは……。そうだ、ヤるなら、特に寝込みを襲ってヤるなら、確実にそこだ。
何でらーめん屋がそこを……。チビの白い首を凝視しすぎて、今も目に焼き付いているような気がする。夜だから余計に生々しく見えるんだ。そこに顔を近づけたらーめん屋の口が開く。白い歯が覗く。デカい口の上下左右に四つ尖ったキバが見えた。昼間には見たことないモンだ。そいつも目に焼き付いている。今までに見た何よりも、そいつは白かった。
その直後に見た血の色――普通の夜なら、見えないような血の色が、チビの白い肌と、らーめん屋の白いキバの上で、はっきりと赤く見えた。
チビの身体が震えてる。眠ってンだろうか。起きてて、抵抗しねェのか。呼吸が乱れている。気配でわかる。らーめん屋も、チビほどじゃねぇが、熱くなった息を長く吐いた。
それを眺めながら、こっちはワケもわからず息を殺していた。
「円城寺さんは、いつでも……人としても、ヴァンパイアとしても、理性的だ。無闇に血を吸ったりしない。必要なときだけだ」
「あっそ」
ンなこと聞きたいわけじゃねえ。じゃあこれ以上話すことがあんのか。まだ頭がザワザワする。わけわかんねー。
「この話、信じるのか?」
「アア? ンなのどーでもいい。それよりチビは悔しくねーのかよ、あんな……上に乗られて……その」
「は? そこまで、見てたのか」
「うっせェ、見ねー方がおかしいだろ! 隣で血ィ吸われてる奴が居て見ねーわけねェ! 見られたくなきゃどっか行きやがれ! これはセーロンだろうが! セーロン!」
「た、たしかに正論かもしれないがオマエに正論を言われるのは、腹が立つ」
「ウゼェチビだぜ。とにかく質問に答えやがれ」
「悔しくないのかって? そんなこと考えたこともなかった。だいたい、円城寺さんはその分メシを食わせてくれるし」
「ア? メシに釣られてんのかよ」
「日頃の恩もある。体調面でも問題ない、ってコトだ。オマエだって材料費も払ってないんだろ。その分の恩返しぐらい」
「ザ、ザイリョーヒ? ンだそれ……。そんな理由かよ」
「ああ」
本当にそんだけなのか? あの夜の、あの光景が。
「逆に聞くがオマエは円城寺さんに血を吸われたら悔しいのか」
知らねェ。あんなにみっともなく息を乱して、布団を握りしめて、らーめん屋が首にキバを刺し、唇を這わせるたびに揺れるチビの身体、上気していく呼吸。
本当にそれだけか? ザイリョーヒなんかで、理由になんのか。知らねェし、わからねェ。
□2
らーめん屋は相変わらず気の抜けた鼻歌を歌ってやがる。フ抜けた顔。皿を洗いながら、時々こっちを見て意味もネェ話をする。
「今日はタケルと喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩じゃねェ」
「はは。なんだかいつもと様子が違うように見えたんだがな」
変なのはチビだけだ。昼間あの話をしてから、オレ様のことを警戒しているらしい。何がしてーんだかわかんねー奴。ただウゼぇ。
そのチビも、さっきらーめん屋に言われて風呂に行った。どーせすぐ戻ってくるにしてもウゼェのがいなくなってせいせいする。
が、今度はらーめん屋が気になる。皿洗ってるだけの面白くもねえ背中を目で追っちまう。飯食ったあとはいつもみてーにテレビ見てダラダラして、そのうち寝ちまう――の前にらーめん屋に急かされて風呂に入れられて歯を磨く、そんだけでいいのに。
テレビの内容も頭に入ってこねえ。でも、当たり前じゃねェか。そこにキューケツキってのが居るンなら、気になるのがトーゼンだ。様子がおかしいのはオレ様以外だ。
「暇なら皿を片付けるのを手伝ってくれないか」
「やだ」
「そう言わずに。ああ、そういえば冷凍庫に貰い物のアイスが入ってるから、タケルが風呂上がるまでに片付けを終わらせて、みんなで食べよう」
「もらいもの……つーことは、らーめん屋が作ったンじゃねーのか。じゃあ、いらねー」
「ん? 漣は自分の手作りの方が良かったか。ははっ、今度挑戦してみよう」
「そーゆーんじゃねぇ」
「んん? どうしたんだ? 今日の漣は難しいな」
なんでコイツはオレ様にも食わせようとするんだ? チビに食わせてんのは、ザイリョーヒだろ。チビの話を信じるなら、らーめん屋はチビにメシを食わせて、太らせてその分の血を吸ってんだろう。チビの血がザイリョーヒで。メシの金を払う代わりにそうしてる。らーめん屋はチビの血を吸うために、わざわざチビにメシを作って食わしてる。
ああ、わけわかんねェ。それが何だってんだ。オレ様にはカンケーないハズだ。
でも、じゃあ何でらーめん屋はオレ様にもメシを食わすんだ。ケーサンあわねーだろ。チビとオレ様の何が違うんだ? それともオレ様の血も吸おうってのか?
そうは、見えねェけど。
「オイらーめん屋」
「どうした」
わざわざため息ついて、なんにもわかってねー風に返事をする。皿の方が大事なのか振り向きもしねえ。適当に聞き流してるときの返事。演技、じゃねーよな。
「オレ様の血、吸ってもいいぜ」
「え? いやぁ、今はそんなに腹も減ってないから……あ」
今のらーめん屋の声、ケッサクだったな。手ェ滑らせて流しに皿を落とした。慌てて拾って、ガチャガチャやってる。
でも、ああそうか。そういう感じか。チビが言ってたらーめん屋は隠そうとしてる、っつーのは。
「い、いつ気付いたんだ。いや、あはは、面白い冗談を言っているなぁ、漣は」
「言ってることがシリメツレツなんだよ。オレ様がそんぐらいのこと気付かねーわけねーだろバァーカ!」
「漣」
らーめん屋は腕についた洗剤の泡も落とす余裕もねェ様子でこっちを振り向いた。焦った顔がマヌケで笑える。
だが振り向いて焦りながら瞬きを繰り返す目に、ほんの一瞬チラつく深夜の獣のような瞳の色が見え、即座に間合いを取れるよう反射的に膝に力を込めた。
らーめん屋の泡だらけの手がにわかに宙を掴むような動作をする。得体も知れねェ、何が出るかわからねェ、引くかどうか睨んで考えたが、台所からオレ様のところまで距離がある。間にオレ様が寄っかかってるちゃぶ台もある。動くならコイツを引っくり返して、そっからだ。
息を吐くより短く睨み合って、先に諦めたのはらーめん屋の方だった。
宙を掴みかけた手がダランと垂れて、肩でため息を吐く。当たり前だ、キューケツキだろうが何だろうが、オレ様の方が強い。
□3
らーめん屋はいつものフ抜けた姿に戻って台所で手を洗い、少し背を丸めながらちゃぶ台の方まで来てオレ様の向かい側に座った。ムカつくぐらいジンチクムガイな気配を晒している。
「漣、頼むから部屋の中で暴れないでくれ。このちゃぶ台だって長年の付き合いで愛着があるんだ」
イラつく。フ抜けたフリをしながら、オレ様の次の動きを予測していたとわざわざ念を押しやがる。
「先に手ェ出したのはらーめん屋だろうが」
「自分が何をしようとしたのか、わかったのか?」
「当たり前だ。もう一度やって返り討ちにしてやってもいいぜ」
「そうか……。すまなかった。少し驚いただけなんだ。お前さんを痛めつけようと思ったわけじゃない」
らーめん屋がやろうとしたのは、痛めつける、以外のことか。なんだそれ。コイツの話には裏がある。いつもと同じだ。らーめん屋はいつでも、全部は言わない。いつもゴチャゴチャ喋ってうるせぇくせに。でも、別にンなことどーでもいいんだ。
「どこから話そうか……」
「言っとくがらーめん屋の身の上話なんざキョーミねーからな。吸うのか、吸わねェのか、どっちなんだよ」
「それは」
らーめん屋が生唾を呑んだのがわかった。視線が泳いでいる。どこを見てんだか隠そうとしているらしいが、さっきと、同じだ……。さっき皿を洗いながら振り向いて、餌に狙いを定めた瞬間の目だ。そうなんだろ。曖昧な苦笑いでオレ様と向き合っているが、細かく揺れる視線はオレ様の首を見ている。
「昨日の夜、見たぜ」
らーめん屋は薄く開いた口から冷たく長い息を吐く。その音が耳障りなほどデカく聞こえる。ウルセェ声と反対で、らーめん屋のイッキョイチドウは常に静かだ。今だってそうだ。だが息を吐く、息を吸う、その音だけが、オレ様の耳に騒がしく聞こえてくる。オレ様の神経がざわついているせいだ。
らーめん屋の視線に首筋を撫でられている気分だった。ウゼェ、触んな、ゾクゾクする。
「見て、どう思った?」
「質問してんのはオレ様だ。腹、減ってんだろ」
「……いや」
低い低い声でつぶやく。
「くはは! 切羽詰まってんなァ。チビにはたまにしか吸わせてもらってねーって聞いたぜ。なあ、さっきも腹減って、油断して口が滑ったんだろ。昨日も、……昨日の夜も、どうせオレ様が気付くとわかってたんじゃねェのか」
「漣」
また低く呟いた顔は影に入って、表情が見えなくなる。
部屋ン中は明るい。窓の外は暗い。夜だ。うつむいたらーめん屋の顔は、夜の影に近かった。
そのままぬらりと立ち上がり、音もなくコッチに近づいてくる。畳の上を歩く裸足に足音はない。気配の重量が感じられない。だが一歩ごとに畳が僅かに重く沈む。
オレ様の前で足を止める。顔が見えねぇ。目だけは、見える。夜中に光を見るときの獣の目だ。ほとんど真上から、オレ様を見下ろしてやがる。首をだ……暑い、メシ食ったばっかで熱い、ペラいタンクトップ一枚でむき出しにしているオレ様の首だ。
「座れ。オレ様を見下ろしてんじゃねェ」
素直に膝を折る。何考えてんだか知りようもないが、
「れん」
今度は生ぬるい声だった。
「自分を許してくれるんだな?」
「ハァ? 許すとか知らねー、オレ様が吸えって命令してんだよ」
顔が近ェ。鼻先に冷たい息が吹きかかる。なんだコイツ。人間の体温じゃねえ。昼間はこんなんじゃなかっただろ。
首に触れられた指の先も背筋にクるほど冷たかった。皮膚に当たる硬い鉄みたいなの、爪か。ビリビリする。ゾクゾクする。気分がいい。
「少し痛いかもしれないが」
「かも、って何だよ」
「はは……自分は吸われる側じゃないからな」
「痛ぇのなんかにオレ様が負けるかよ」
「なぁ漣、どうしてだ?」
「しつけェウゼェ知るかよンなもん」
オレ様に触れる手も視線も昼間と全然違うのに、口では昼間と同じぬるいこと言うのが最高に意味わかんねぇ。キューケツキって何なんだよ。らーめん屋はらーめん屋じゃねーか。
□4
らーめん屋の顔が近づく。オレ様の首筋に、唇が触れるという距離まで。冷てェ息が肌を撫でる。反対側の首筋に添えられた指も相変わらず冷たい。腹の底、奥の深いとこにジリジリとしたものがくすぶり始めている。
熱ィ。知らねェ感覚だ。さっきからこれが、妙に気持ちがいい。
「れん」
「うるせェ」
まだ何か言うことあるのかよ。こうやって返事してやるのも面倒だ。黙ってろ。
首を撫でるらーめん屋の息が、わずかに熱く湿った。
「う……ッ」
目の前がチカチカした。天井の丸い蛍光灯がその瞬間いやに眩しかった。
鋭利な刃物で皮膚を押し裂かれる痛みだ。昨日の夜に見た白い牙で。上下左右に四本見えたあの白は、人間のものじゃなかった。ああ、そうだ。もう散々思い知らされている。アレで首の皮膚を裂かれた。ぷちん、と裂けた音だって、自分の身体を通して聞こえた。
あの白い牙が皮膚を裂いて、肉を押し広げて、オレ様の首に傷を付けている。
らーめん屋のデケえ歯! 牙じゃない歯だってデケえだろ、こいつ。あの牙だって、目に焼き付いてる形は相当デケぇ。それがオレ様の首に噛み付いている。
血が滲んでいる。怪我して血を流すのとはワケが違う。こじ開けられた傷口にらーめん屋は唇を這わせ、血を吸い上げている。
オレ様の身体の内側にあるものを、むりやり受け渡されている。熱か? 血ってのは、熱いからなのか? 冷てェらーめん屋の身体に、熱を奪われてゾクゾクする。それでこっちの身体は冷えそうなモンなのに、同時に身体の奥の方から衝動がこみ上げてきて、全身が熱くなって止まらない。
どーなってんだ。漏れそうになった声を押し殺した。さっき噛まれた瞬間の情けねぇ声、またああいう声が出そうだった。
らーめん屋の唇がオレ様の首筋を這っている。あのデケェ口。濡れている。舌が、傷の上を舐めた。熱い。柔らかくて、ぬるぬるする。
「っ……はは、漣の肌、白くて痕が残ってしまいそうだな……」
「……ア? こんっ、なの……よ、ヨユーだし。チビみてぇに、痕になったりしねぇ」
「噛み跡は残さないようにするよ。タケルの傷も、ほとんど見えなかっただろう? ただ内出血させてしまった分はなぁ」
首から顔が離れて、らーめん屋は笑ってオレ様を見た。昼間と同じ、あのフ抜けの、生ぬるい笑い方だ。あの顔でオレ様を見下ろしている。
「どこか痛むところはないか?」
「ハァ? ンなのらーめん屋が噛んだとこ以外ねーよ。だいたい、ちょっとしか吸わなかっただろーが! チビの血はもっと吸ってただろ!」
「あれ? わかったのか?」
「変な気を使いやがってバァーカ! オレ様があの程度でへばるとでも思ったのかよ!」
「あ、いや、漣は初めてだから、休憩しながら、な?」
何言ってんだか全然わかんねー。オレ様を舐めてんのか? ビビってんのか、コイツ。
すげーイライラする。
「漣も知っての通り、近頃は定期的にタケルに吸わせてもらっている。だからそれほど腹が減っていなかったのは本当だ。だが昨日、隣で寝ている漣を起こしてしまうかもしれないとわかっていながらタケルの血を求めてしまったのは、お前さんたちに……漣とタケル、二人になら自分が人間じゃないことも受け入れてもらえるかもしれないって、甘えが出てしまったんだろう」
らーめん屋、何言ってんだ? 何一人でチョーシ乗ってンだよ。ンな事聞いてねェ、甘えとかなんとか勝手に言ってんの意味わかんねぇ。
「だから自分は漣に許してもらえた、今日はそれだけで胸がいっぱいで腹もいっぱいだ」
なんだ、その全部わかってるみたいなクソムカつく笑い方は。
わけわかんねー。甘えてェならもっと甘えりゃいいだろ! 欲しいんだったらもっと欲しがればいいンだよ! オレ様がいいっつって我慢してやったってのにこれで終わりだと?
「漣もタケルも、自分にはもったいないぐらい、たくさんのものをくれる――」
「一人でニヤニヤしてんじゃねェ! オレ様にカンシャしてンなら、その恩返しやがれ! つーかなんでオレ様が一方的に血ィ吸われなきゃなんねーんだよ! 返せ! オレ様にらーめん屋の血を吸わせろ!」
「……え?」
□5
ベタベタするのもされんのも好きじゃない。だからぜんっぜん楽しくねぇ。らーめん屋の首はデカくて硬いし。思いっきり口開けて噛み付いたから顎が痛ぇ。口ん中汗の味しかしねぇ。最悪だ! あと何回か噛んでやらねーと気が収まらねー。
「やめっ、漣! どうしてそうなるんだ!? 暴力はよくない!」
「るっせェ、抵抗もしねーで口だけかァ!? そういところがムカつくんだよ! さっきオレ様をどうにかしようとしたあの力を見せてみやがれ!」
「だって自分が本気で抵抗したらお前さんが……痛ッ」
「痛くねーだろこんぐれーで! らーめん屋はキューケツキなんだろうがァ!」
「吸血鬼でも痛いものは痛い! た、助けてくれ、タケル!」
「アァ!?」
らーめん屋が助けを呼ぶ前に、このしょぼくれたアパートの廊下をバタバタ走る音が聞こえていたのはわかっていた。出てくるのが遅い。
「オマエ、何をやっているんだ! 大丈夫か円城寺さん!?」
チビが大声で叫ぼうが、オレ様の知ったことじゃない。畳の上にぶっ倒したらーめん屋の腹に膝を入れる。両肩を押さえつけて、もう一度首に顔を近づける。
クソ、なんっつー力だ。全体重かけて伸し掛かっても両腕の力でコッチが持ち上げられそうだ。だがもう一度噛み付いて、いや一度じゃ足りねぇ、あと二、三、四、五……とにかく何回もだ!
「あっ、あっ、危ない!」
「逃げんな!」
ついにらーめん屋が力づくでオレ様に抵抗した。顎を手で掴んで押し返される。噛みそこねて上下の歯がガン、といい音を鳴らした。クソこのデケー手の方に噛み付いてやろうか。
「本当に何をやっているんだ……?」
「見てわかんねーかよ! オレ様がらーめん屋の血を吸ってやろうっつってんだ!」
「は?」
顔を上げると、口を半開きにしたマヌケヅラのチビが固まってるのが見えた。
慌てて風呂から出てきたんだか知らねーが、濡れた髪からポタポタと水が落ちている。アレやるとらーめん屋がウゼェの、チビは知らねーのか? ちゃんと頭を拭けとか湯冷めしないようにタオルを肩にかけろとか。よっぽど焦ってンのか。
「どういうことだ? どうしてオマエが円城寺さんの……? ヴァンパイアなのは円城寺さんの方、だよな?」
「自分にも何が何だかわからないんだ。漣、そろそろどいてくれ」
「どくかバァーカ!」
「……もしかして、オマエもヴァンパイアになったのか? ヴァンパイアに血を吸われた人間も、ヴァンパイアになるって話、聞いたことがある」
「いや! そんなに吸ってない! ほんのひと舐めしかしてないんだ!」
「だからそのほんのひと口で勝手に満足してんじゃねーっつってんだよ!」
「ということは円城寺さん。ソイツの血も、吸ったのか。やっぱり……」
「え? あ、ああ。その話もゆっくりしよう。だから漣、まず落ち着いてくれ。そうだ、冷凍庫にアイスもあるぞ」
「それはいらねーっつっただろ!」
らーめん屋、マジで頭悪ィんじゃねーか。オレ様が腹減ってこれやってると思ってンのかよ。
□6
「心配、してたんだ。オマエが円城寺さんにろくでもねーことするんじゃないかって。だが、……想定していた以上だった」
「ンだとチビ。文句あんのか」
「ある」
ないわけがないだろう。コイツはまだ円城寺さんに噛みつきそうな態度を取っているが、どうやったら反省させられるんだ?
「だが、漣が落ち着いてくれてよかった」
「そうは見えないが……円城寺さん、本当に大丈夫なのか? すごい歯型が残ってる」
「う、やっぱりか。明日はタオルでも巻いて隠すとして……撮影に響くな。はは」
「くはははは! オレ様の歯はツエーからな!」
「威張るな、反省しろ。あの、塗るやつで隠せないかな」
「うーん、メイクで隠せる程度ならいいんだが」
円城寺さんが首を傾けてコイツの歯型を覗き込もうとする。もちろん、首筋の傷は本人からは見えない。
当たり前だがコイツのしたことは意味不明だし大問題だ。円城寺さんが困っている。なのにコイツのことを怒りもしない。もしかしてこの歯型が見えていないから、事態を重く受け止めていないんじゃないか。
俺は畳の上にあぐらをかいて座っている円城寺さんの前に近づいて、その首に手を伸ばした。
「うわっ、タケル?」
「……コイツの歯型、デコボコしてる。ときどき猫に噛まれたときなんかに、こうして跡に残ることがあるけど……」
コイツの噛み跡は円城寺さんの首にくっきりと丸く残っていた。それも複数だ。指先でその丸い形跡を撫でると、歯が食い込んだ形にボコボコになっているのがわかった。日焼けした肌の色に隠れてわかりにくいが、腫れて赤くなってもいるらしい。少し熱を持ってる。
「キューケツキのくせに痛ェとか跡が残るとか、弱っちいなァ」
「漣は自分のことを何だと思っているんだ? っ……タケル、その、そろそろ……」
「うん? なあ、円城寺さん。もしかしてこの傷、腹が減ってて治せないとかじゃないのか?」
「どうして、そんなことを」
円城寺さんがぐっと息を呑む。
「チビのくせに盗み聞きかよ」
「くせにの意味がわからない。オマエの声が大き過ぎるんだ。……円城寺さん、いつもならこのくらいの傷、すぐに治せるんじゃないか」
「いや、どうだろうな。確かにヒトよりは怪我も治りやすい体質かもしれないが」
「俺が円城寺さんにあんまり吸わせてやれなかったせいだ。……すまない」
「タケル……」
円城寺さんは苦々しい笑顔で首を振った。
触れている円城寺さんの首筋はたくましく、円城寺さんが声を発するたびに、首を少し動かすだけでも、太い筋が隆々として脈打つ。体温は高く、汗が滲んでいる。……このくらいの深い夜になると、円城寺さんの体温は次第に下がっていって、そのうち氷のようになる――というのを知っていたのはきっと昨日までは俺だけだった。その円城寺さんの体温が、今はじんわりと熱い。アイツの熱が移っている。
俺の血を吸ったあとにも、円城寺さんは同じように熱くなっていると知ってはいるが。
それでもこの肌の上に残った歯型と、そこに籠もった熱に触れていると、どうしようもないものが込み上げてきていた。
「タケル、くすぐったいんだが……」
「……あ! 円城寺さん、すまない」
慌てて円城寺さんから離れると、円城寺さんは噛み跡を隠すように着ていたTシャツの襟を少し引っ張った。けど、噛み跡が大きすぎて全然隠せてない。
「タケルはさっきからそればっかりだな。おまえが謝ることなんて何もないさ」
「じゃあ俺の血を吸ってくれ!」
「駄目だ」
答えは用意されていたかのように、すぐに返ってくる。
□7
「チビは昨日たっぷり吸われたんだろ。くはは! ヒンジャクだからヒンケツにでもなっちまうんじゃねーか」
「俺は貧弱じゃない。今日も体調は悪くない。だから円城寺さん」
「いや、漣の言う通りだ。まいったな……さっきから、こっちの決心が揺らぎそうだ」
「さっきから、って」
円城寺さんの、苦笑い。首の噛み跡をさすっていた円城寺さんの手が、今度は俺の頬を覆うように触れた。
「せっかくずっと我慢しているんだがな」
円城寺さんの手、指、熱い、大きい。熱を持って湿っている。俺の顔も熱い。じんわりと汗が滲んでいるのは、風呂上がりのせいじゃない。
でも、視線が。円城寺さんの視線が、瞳の奥ににじむ野生動物のような金色の視線が、まっすぐ俺の目を見据えている。
そこじゃなくて、……首を見て欲しい。円城寺さんが、深夜に人知れず目を覚ました時のように。
「我慢なんか、しないでくれ」
頬に当てられた円城寺さんの手に自分の手を重ねて、俺はその場所から動かそうと……頬じゃなくて、その下に、首を触ってもらおうと、今日の昼間まではまだ小さな傷跡が残っていたそこに触れてもらおうと、力を込めた。
でも駄目だ。円城寺さんの力が強くて、鉄のように動かない。視線も。あの、夜の色が浮かんでいるのはわかっているんだ。だが首を見てくれない。アイツの血を吸ったせいで、いや、そのおかげで、少しは腹が満たされてるんだろう。
いつもの人のいい、優しい笑顔を浮かべている。
「そうは言っても、人間は大量に血を失ったら死んでしまうんだぞ」
ははは、と冗談めかして笑う。
「まだ全然平気だ。そのくらいは自分でわかる」
「ヒヨワなチビじゃ頼りねーってんなら、オレ様の血もあるぜェ?」
振り向くとアイツが、タンクトップの襟首を引っ張って首筋を派手に露出させていた。
円城寺さんの視線は否が応でも、ほんの一瞬だとしてもそこに向いたはずだ。……俺もああすればよかったのか。コイツは何も考えちゃいないのだろうが。
白い肌に、傷と痣が残っている。鋭利な刃物で裂かれた小さな切り傷は、血は止まっている。裂けた皮膚の隙間に薄いピンク色の肉が見える。それに、傷の周辺には青く変色した痣。
見ちゃいけないものを見た気分だ。コイツ、恥ずかしげもなく。
「漣、タケル。今日はもう終わりだ」
「そのイッポーテキなの、ムカつくぜ。らーめん屋ァ」
「円城寺さん、どっちか、選んで欲しい」
さっきまで大声で騒いでたコイツも、殊勝なことに円城寺さんの答えを待って押し黙った。ガン付けてるだけかもしれない。ともかく、静かだ。
俺に触れていた円城寺さんの手もいつの間にか離れて、距離を取られていた。腕を組んで考え込んでいる。だがどうせ答えはわかりきっていた。
いつも通りだ。円城寺さんは朝早くに俺とコイツを起こして、コイツは起きない。俺が一人で日課のランニングに出かけて戻ってくると、ようやく起きたらしいコイツは寝癖のついた頭で円城寺さんの作った朝飯を食っている。おかえり、と声をかけられるのが嬉しい。コイツは一応視線を上げて俺を見たが、口いっぱいにメシが詰まっていて喧嘩の売り言葉すら出てこない。円城寺さんが机の上に二人分の朝飯を追加で並べて、三人揃ってメシを食う。量も品数も多くて机の上が狭い。皿は次々とカラになる。コイツがおかわりと叫んでいる。
今日はオフなのに、円城寺さんは店の仕込みに行くと言ってメシの後すぐに家を出た。俺かコイツか、どっちか最後に家を出る方が鍵を閉めといてくれって、合鍵を一つ手渡された。円城寺さん作の一番小さいサイズのあみぐるみ付きの部屋の鍵。いつもの通りだ。
「暇だ」
畳の上に、座布団の枕も敷かずに寝っ転がった。日当たりのいい部屋で、窓から明るい日差しが差し込んでいる。
円城寺さんがこの場に居たら、メシを食ってすぐに横になるのは行儀が悪いぞ、と言われてしまうだろう。普段なら自分でも気になってやらないことだ。コイツも不審に思ったんだろうか、意味もなく顔を覗き込まれた。
「やっぱへばってンじゃねェのか? チビだから血も少ねえんだろ」
「違う。……俺が円城寺さんに血を吸われたのは、二日も前だ。オマエこそ、妙に大人しい」
「アァ? こんなモンかすり傷だ。ほんのひと舐めだぜ、らーめん屋が言ってた通りにな」
□8
「……分からないことが多すぎる」
「それも、ザイリョーヒか?」
「それじゃ計算が合わないだろ」
「ア?」
「材料費ってのは……円城寺さんが勝手に言ってるんだ。そう理由でも付けないと、血はもらえないって」
「ふん。納得してねーのにオレ様への言い訳に使ったのか? どーでもいいけど。じゃ、他に理由があるってことだな」
「俺の理由なんか、気になるのか?」
天井から吊るされた古いタイプの四角い照明と仰向けに寝ている俺の間にコイツの顔が割り込んでいて、その影はちょうどいい具合に眩しさを遮っている。不機嫌に尖らせた口もよく見える。素直に頷かない……こういうときは、肯定の意味だ。
「材料費なんかじゃ割りに合わない。俺はもっと円城寺さんが欲しい」
俺がそう続けると、コイツは山で狐でも見かけたみたいな妙な顔をした。コイツ自身が珍獣みたいなもんだってのに。
「俺が初めて飢えている円城寺さんに襲われた時、円城寺さんが俺に本能を向けているんだとすぐにわかった。食いたいって……オマエにも、わかっただろ」
「ふん」
で、次は鼻を鳴らして質問に答えた。
もしかしたら、コイツが昨晩円城寺さんから向けられたのは、少し違うものだったのかもしれない。昨晩の円城寺さんは、それほど飢えていたわけじゃなかった。その前の夜に俺の血を吸っていたからだ。
だがそれも些細なことだろう。どうせ遅かれ早かれコイツも思い知ることになる。そういう予感がする。それに昨晩の円城寺さんはそれを柔らかく覆い隠していたにしても、コイツの首に噛み付いた以上、完全に隠しきれていたはずがない、と思う。
「それで、俺は本能的に円城寺さんに食われたいって思った」
「ハ?」
「食いたいという本能があるなら食われたいという本能があってもおかしくないだろ。人間同士でも、そういうのは、ある。したい、されたい、みたいな……言葉は違うかもしれないし、俺はあんまり……経験ねぇけど」
「……ハァァ? わけわかんねー……」
「オマエも同じなんじゃないのか。円城寺さんに、血、吸われたがってた」
「あれは吸わせてやったんだよ! らーめん屋は欲しがってるクセにウダウダうぜーから」
「同じだ、多分」
俺を覗き込んでいた顔がますます不機嫌に口を尖らせ睨むように眉を吊り上げ、だが視線だけは泳いで俺から離れていって、そのまま天井の照明を遮るのをやめた。
どっかに行ったわけでもなく、俺の頭の横にあぐらをかいたまま、傍らの机に寄りかかったらしい。三人で朝食を食った後、円城寺さんがすっかり皿を片付けて、俺が台拭きできれいに拭いた机だ。コイツは何も手伝わなかった。
照明の眩しさに目を細め続けるのも嫌になって、俺も起き上がることにした。ただ何となくこれ以上コイツと向き合って会話するのも違う気がして、そっちは見ずに、窓の方を向いて座った。
日当たりが良い。風もよく吹いていて、開けたままのカーテンを少し揺らしていた。
眩しい。
「なあオマエ、ヴァンパイアについて何か知っているのか」
「血を吸うバケモンってことぐらいしか知らねェな。そんだけわかってりゃジューブンだろ! オレ様ならワンパンで泣かす」
「他にもあるだろ。にんにくが苦手とか日光を浴びると灰になるとか……」
「ンだそりゃ。どっちもらーめん屋の好きなモンだろ」
「ああそうだ。変じゃないか? 辻褄が合わないことが、たくさんある。そもそも円城寺さんは、俺の血を吸う前までは、どうやって飢えを満たしていたんだ」
「あ? そんなもん……」
コイツも言い澱んで、ふと考えたらしい。多分、俺と同じ推測をした。だが頭に浮かんだその考えも、すぐに「ありえない」と打ち消される。円城寺さんがそんなことをするはずがないと、俺もコイツも同じように思ったはずだ。
だから答えが出ない。
「円城寺さんは本当のことを言わない」
「ああ、そうだな……わかるぜェ。そうだ、昨日のアレもそうだろ。オレ様やチビの血をこれ以上吸わねぇっつーのも、まさか殺しちまうのが怖いからなんて理由じゃねー」
「人間に失血死ってのがあるのは本当だけどな。でも円城寺さん、一度に大量に血を吸われた人間がどうなるのかってのは、殆ど言ってたようなもんだった」
「コソクなくせにツメが甘いんだよ、らーめん屋」
そうだ。全くその通りだ。円城寺さんは優しくてズルくてとても甘い。どうやら人間じゃないらしいが、誰よりも人間らしい。
「俺はもっと知りたいんだ、円城寺さんのこと。円城寺さんが俺で飢えを満たしたいのなら、俺はその欲を暴きたい。暴いて、それから満たす。それが理由だ」
「ふーん」
まるでどうでもいいとでも言いたげな相槌だったが、鳴らした声はどこか楽しげだった。円城寺さんと違ってコイツは隠し事なんかできない性格だ。思ったことを全部口にする。だから、笑ってるのも隠しきれてない。顔を見なくてもわかる。
「オマエも同じなんだろ」
「オレ様はらーめん屋の考えてることなんざすぐにわかンだよ! ただアイツがゴチャゴチャ言い訳しよーとしてんのがウゼェだけだ!」
「同じなんだな」
「まァ、チビのやりてーこともちょっとだけなら手伝ってやってもいいぜ。たまたま、目的が近ェからな! くはは!」
「素直に頷けないのか?」
結局コイツは最終的には大声で笑っててうるさい。だが気持ちはわかる。俺もどうしてか笑い出したい気分だった。どうしてコイツなんかと一緒に円城寺さんと、と思わなくもないが、どう考えたってコイツしかいない。
大声で笑うのなんか柄じゃねえから、しないけど。