穴が開いている　階段を転がり降りている。足はもつれて言うことをきかない。今にも階段を踏み外して転がり落ちそうだ。転がり落ちたら死ぬだろう。階段に全身を打ち付けながら、下の階まで落っこちて、最後は床に頭をぶつけて、首の骨でも負って死ぬだろう。予感が背中を追っかけてくる。だけど一向に、落っこちる気配がない。
　階段がいつまでも続いている。踏み外しそうな足元、次の段が現れる。もつれた足元、次の段を踏みしめて、また降りる。どこまでも降りている。
　いったいいつになったら一階にたどりつく？　踊り場すらないこの階段は。
　踊り場にさえたどりつけば、少しは明るくなるだろう。踊り場に大きな窓がある。窓の外は運動場で、その向こうには住宅街の街灯が見えて、いるはずだ。なのにいつまでも暗い。階段がいつまでも続いている。
　こんなことなら肝試しなんてするんじゃなかった。三浦が変なことを言い出すから、こんなことになったんだ。三浦……あいついつも余計なことばっかり！
　早く逃げないと。階段を駆け下りている。出口は一階だ、わかってる、出口は一階にしかない。だから階段を降りている。転がり落ちそうになりながら。転がり落ちて、首の骨を折るイメージに追いかけられながら。下、下に落ちる、下、下は見えない。真っ暗だ。真っ暗な中を永遠に降り続けている。
　こんなのおかしい。
「上を見るな」
　と、声が聞こえた。
　真っ暗だった。階段が消えた。踏みしめるべき段が消えて、首をへし折るべき床が消えた。ここは夜の学校、だった、はずなのに。
　穴が開いている。本当に地獄に落ちるのかもしれない。
「地獄はこれほど生ぬるくはない」
　知らない男の声だった。涼しい声だった。落ち着き払って、真夏の湿気も吹き飛ばすようだった。
「三浦が私達みんな地獄に落ちるって言った」
　その声の落ち着きようと比べたら、私の震える叫びは陳腐に聞こえた。
「一介の妖怪が誰を地獄に落とすかなど決められはせぬ。どれ一つ助けてやろう」
　ここは真夜中の学校だったはずだ。友達に誘われて肝試しに来たんだ。クラスの女子六人……男子が一人……。いつの間にか四人いなくなって……私は逃げて、階段の上から私は！
　そうだったはずなのに、暗く涼しい穴を落ちている。
「対価が必要だ。お主の生涯、蜘蛛の一匹でも救ったことはあるであろう。ないのであれば、今救って見せてくれ。吾輩は人を尋ねておる。人ではないな、青い顔の蝦蟇だ。お主とそう変わらぬ年格好の男だ。吾輩が自ら探しているのではない。人づてに頼まれたのだ、ただそれだけだ……」
　涼しい声は、不思議な一種の音楽のようだった。変なことばかり言っていた。私の記憶を叩くように。そして脳裏に奇妙な像が映し出された。
「知ってる……青い顔の、男子」
「ほう」
　穴の上から声が聞こえた。
「では手探りに糸を取れ。蜘蛛の糸を。どうせ目にはほとんど見えぬであろうが、それでも信じて手に取るがいい」
　穴の上からハラリと糸が垂れた音が。か細い頼りのない音だ。本当に救いなのだろうか。
　穴の上からの声が途絶えた。
「待って！」
　穴の上をたまらず見上げた。眼の前に太い糸が垂れている。
　救いだ！
　私はその縄に手をかけた。そして階段を踏み外した。
　輪っかになった縄の先が、私の首にかかっている。
　すぐ下の踊り場から住宅街の街灯の光が差し込んでいて、そこは薄ら明るかった。
　首の骨が折れる音。
「うむ……ままならぬものだ。何んともままならぬ、人の命というものは……。しかしともかく、あ奴はここで油を売っておるようだ」
　それは人の声ではなかった。