スミスがイサミの誕生日を知ったのは偶然だった。週に二度、仕事帰りに必ず立ち寄るイサミの店に、いつもは売られていない花の種が並んでいたのが話のきっかけだ。
イサミが営むブレイフラワーは街中にある素朴な花屋である。通い始めた当初は笑顔の裏に緊張を隠していたスミスだが、今では自宅の次に心安らぐ場所となった。
店内に満ちる青い匂いに鼻を擽られながら入口をくぐるとすぐに、来客の気配にイサミが振り返る。ラッピング材の整理をしていたようで、両手に色とりどりのリボンをぶら下げているのが妙に愛らしかった。
「いらっしゃい」
来客がスミスだとわかると、少しばかり砕けた口調で迎えてくれた。いつの頃からか「ませ」が取れたことを感慨深く思いながら、スミスも「やあ」と笑って手を上げる。
花の種に気が付いたのはその時だ。カウンターの隅に並んだ白い袋。こんなもの前からあっただろうかと目を凝らせば、袋には花の写真が印刷されていたので種だと悟った。
イサミもまた、スミスの視線に気が付いたようだった。ああ、と言いながらリボンを置き、袋を一つ持ち上げてみせる。
「もうすぐ夏休みに入るから、お客さんからの要望で今の時期だけ置いてるんだよ。日本では夏休みに宿題が出されるんだけど、その中に自由研究っていうものがあって……それで、花を育てる子が結構いるんだ」
「ジユーケンキュー?」
聞いたことのない言葉だと首を傾げれば、イサミがかいつまんで説明してくれた。要は、学生の自主性を高める課題らしい。
「へえ……日本には変わった宿題があるんだな」
イサミに倣ってスミスも袋を一つ手に取ってみた。上部に名前と思しき漢字が添えられた写真は、スミスも知る花だ。鮮やかな花弁を広げる姿は涼しげで、いかにも夏の花といった風情である。
「日本の夏休みって確か一ヶ月くらいだろ? その間に咲くのか?」
表は写真がメインで、裏にはラベルが張られていた。くるりと引っくり返してみるも日本語表記しかなく、残念ながら全ては読めない。まだまだ読みの方は勉強中なのだ。
「ああ、咲くぜ。よっぽど雑な育て方でもしない限りな。俺も小学生の頃に育てたことがある。自由研究じゃなくて知り合いが種を分けてくれたからだけど」
I see、とスミスは相槌を打つ。あって当たり前のことなのに、イサミにも小学生時代があったんだなと興味が湧いた。
「その時は綺麗に咲かせられた?」
イサミの生真面目さが生来のものであることは、短い付き合いでもわかることだ。きっと店に並ぶ花と同じように丁寧に世話をしたのだろうと思っていれば、意外にもイサミは苦い笑みを浮かべたのだ。
「いま思えば多分手をかけすぎたんだな。なかなか咲かなくて……花が咲いたのは、夏休みの最終日だった」
ドキドキしながら育てた花は、なかなか蕾を付けてくれなかった。蕾を付けないままで夏休みの終盤に差し掛かるといよいよ不安になって、毎日半べそで様子を見たものだ。水をやり、少ない小遣いで買った栄養剤のアンプルを挿し、それでもまだ咲かないことに頭を悩ませた。
とうとう蕾がついた時も、今までの不安から喜びよりも恐怖が勝った。もしも枯らしてしまったらと考えて、母親のエプロンに縋ってスンスン泣いた。
「だからまあ、無事に咲いてくれた時は嬉しかったな……丁度俺の誕生日に咲いたから、最高のプレゼントを貰った気分になった。親も俺が毎日半泣きになってたのを見てたから、俺の誕生日を待ってたのかもねって」
恥ずかしいけど今となっては良い思い出だとイサミが笑う。なんとも微笑ましいエピソードだ。出来ればスミスも「いい話だな!」と笑みを浮かべたいのに、全くもってそれどころではなかった。
今、イサミはさらりと夏休みの最終日が誕生日だと告げた。まだ日本文化に慣れきってはいないものの、仕事の都合もあって日本の夏休みは概ね八月三十一日が最終日であるとスミスは知っている。ほとんど反射的に壁にかけられたカレンダーに目を向ければ、夏休みに入るまであと数日だった。
Oh my gosh と叫びかけて、慌てて口を閉ざす。イサミの誕生日まであと一ヶ月と少ししかないことも、親しくなれたことに浮かれて初歩的なことを知らなかったことも、どちらもスミスには相当な衝撃だった。突然黙りこくったスミスにイサミは不思議そうに首を傾げている。
「どうかしたか?」
スミスは生唾を飲み込んだ。
……今の今まで誕生日も知らなかった相手から「君の誕生日を祝いたい」と言われたら、イサミはどんな反応をするだろう。イサミのことだからきっと無碍にはしないだろうが、踏み込むには少しばかり早計な気がする。スミスは出来る限り失敗のないように、イサミとの関係を深めていきたいのだ。
ふと、手元に視線を落とす。小学生のイサミが懸命に育て、彼の誕生日を彩った花。おおよそ一ヶ月で花は咲くという。毎日イサミのことを想い、イサミの為に育てた花。スミスが贈る初めての誕生日祝いに相応しい気がした。
「スミス?」
窺うような視線にスミスはようやく顔を上げ、笑みを作って袋を差し出した。
「今日はこれを貰うよ」
「なんだ、あんたも興味持ったのか?」
「そんなところ」
手渡してから、単価の安い種のみの購入を嫌がられないかと心配になったがイサミは特に気にしていないようだった。むしろ思い出話から興味を持ってもらえたことを喜んでいる節さえある。
「綺麗に咲くといいな」
控えめな笑みと共に激励を送られ、スミスも「ああ」と頷く。胸に抱いた種はほんのりと温かい気がした。
大切に育ててきっと綺麗に咲かせてみせる。そしたら、花屋の君に花を贈るのも変かも知れないけれど、どうか受け取って欲しいと切に願う。
花の名前は〝Morning glory〟、和名は朝顔という。