主従パロみつくり「僕は燭台切光忠。これからよろしくね」
見目麗しい男はそう笑った。
用心棒。護身のために身辺につけておく者。異国では"ボディーガード"とも言われる。時には己の身を呈し、いついかなる時も主人を守る。それが俺、大倶利伽羅の仕事だった。
用心棒と言っても警察や軍隊などの公的なものから民間の警備会社まで様々あるが、俺は個人で働き直接依頼主と契約する形をとっていた。そのため顧客には極秘に警護してほしい者、公的な機関に依頼するには後ろめたい者が多かった。政界の重鎮だとか裏社会の大物とか、な。ああ、組織内の規則に縛られないため依頼主のあらゆるニーズに対応可能だ。そういった所は我儘な女優たちに受けが良いな。・・・トーク力を求められた時は丁重にお断りしたが。主人といえど馴れ合うつもりはない。
己の手を汚すことも少なくなかった。表立って言えないことも裏で揉み消してきた。あまり良い職業と言えないが、この仕事に就いて後悔はなく、寧ろ天職だと思っていた。馴れ合いをあまり好まない俺にとって、主人を護る"だけ"で金が手に入るなどなんと喜ばしいことか。まあ時には契約業務を超えた要求をしてくる主人もいたがな。慣れあえと。そういった輩は俺が要求を飲まないと分かるや否や解雇してくる。しかし今まで積み上げたキャリアのおかげでまたすぐ新しい主人が見つかる。
「この業界できみの名を知らない奴はいない!すっかり有名人だな、伽羅坊」
白い恩人が言っていた。有難いことだがもっとひっそりと暮らしていきたい。我儘だろうか。
そんな思いを抱えつつ、俺は特定の主人を持たず転々としながら活動していた。
そんなある日、とある金持ちから声が掛かった。俺の元へ訪れた代理人曰く、そこの家の息子が暗殺者に狙われているとのこと。以前殺されかけたのを期に用心棒を雇おうと決めたそうだ。あまり先方の業界に詳しくない俺でも何度か耳にしたことがある家名に、これは報酬も弾む筈だと俺はふたつ返事でその仕事を請け負った。
「では詳しいことは後日、燭台切家の屋敷にて」
しゃがれ声ながらも穏やかな顔つきの代理人はよろしくお願い致します、と微笑んだ。
「ここか・・・」
代理人から貰ったメモを頼りに着いた場所には洋館がそびえ立っていた。"そびえ立つ"など語弊が生まれるかも知れないが、それだけ存在感のある(直球に言えば馬鹿でかい)屋敷だった。縦に3階、横は・・・50m以上か。
前もって代理人に渡されていた通行許可証を門番に見せ中に入る。広大な敷地の隅で老齢の庭師が年季の入ったはさみでせっせと植木の枝を整えていた。庭の人工的で整然とした植物とオブジェの美しさに感心する。だが俺は和庭の方が好きだ。和風の屋敷で育ったからだろうか、整いすぎた美はどうにも落ち着かない。
「ようこそ燭台切家のお屋敷へ」
庭を眺めていたところを、中年の使用人に迎えられた。
「ここの主人に用心棒の依頼を受けた。案内してもらえるか」
「はい、存じ上げております。どうぞこちらへ」
通行許可証を見せる前に使用人は人の良い笑みを浮かべた。話が早くて助かる。以前依頼主が使用人に俺のことを伝え忘れいろいろ面倒なことがあったからな。
通行許可証を胸ポケットにしまいつつ、その使用人について行った。
「お庭をご覧になっていましたね。燭台切家のお庭は数年前他界された奥様が大事にされていたもので、世界中から集められた100種以上の植物から成っています」
「そうか、いい庭だ」
「ありがとうございます。きっと奥様も喜ばれていることでしょう。・・・ご依頼された旦那様は現在お仕事の都合でご不在ですが、ご子息様がおります故、ご子息のお部屋へご案内致します」
「ああ」
俺はそのご子息とやらを護るよう依頼されている。こんな金ばかりかけているような屋敷の息子だ。どんな奴か知れたものではないな。
屋敷の中へ入ると、そこは豪華絢爛と言うに相応しい光景が広がっていた。広々としたエントランスホールに天井から吊り下げられたシャンデリアが燦然と輝きを放ち、塵一つない家具に反射する。床には赤い絨毯が敷かれ、廊下に飾られた美術品は己の美しさを誇示しながら悠然と構えていた。
隅々まで気を配られたそれらを見て最早感心を越え呆れ返っていた俺は、再度この屋敷の息子に不安を抱いたのだった。
数分かけて屋敷の奥の奥の部屋にたどり着くと、使用人は「ここです」と言い静かに扉をノックした。
「光忠様、例の方がいらっしゃいました」
中から「えっ!」と驚いた様子の声が聞こえた。ガタッと大きな音が数回。・・・あの音は転けたのか。しばらくすれば内側から部屋の扉が開き、隙間から男が顔を覗かせた。使用人の背中で男の顔は見えない。
「用心棒なんていらないって何度も言ったのになあ」
「旦那様の計らいですよ。また以前のような・・・」
「わかってるよ。案内ありがとう。さ、入って」
それだけ言って早々に男は顔を引っ込める。入ってと言われても・・・。呆然とする俺を見かねた使用人がどうぞ中へ、と促した。意を決して中へ入れば、これまた豪華絢爛・・・ということはなく、至って簡素な部屋が広がっていた。悪い意味ではなく、洗練されたシンプルな部屋ということだ。窓からの景色もよく、持ち主のセンスの良さが伺えた。ドア一枚を隔ててのこのギャップに思わず噎せ返るような心地になった。扉の前で立ち止まる俺に部屋の奥から「どうぞ、そこに座って」と男が声を掛けてきた。
「今お茶を入れるからね」
「そんなに構わなくていい」
「僕が入れたいんだ」
そう言われてしまえば従うしかない。部屋の奥にあるキッチンで馴れた手つきで紅茶を入れる男。背は俺より高いだろうか。・・・あまりジロジロ観察するのも悪い。俺は男に言われたとおり、部屋の真ん中の黒いソファに座った。自重で柔らかいクッションに身体が沈んでいく。やはり高価なものだ。手触りも良い。ふわふわなソファの感触を楽しんでいると、後ろからくすくすと笑う声が聞こえた。
「そのソファ気に入った?」
「・・・高そうだと思っただけだ」
「そういうことにしようか」
男は笑いながらテーブルの上に紅茶と洒落た洋菓子を置き、向かいのソファに座った。
「カモミールはお好きかな?」
「・・・そういったものはよくわからない」
「じゃあ一口飲んでみて。苦手だったら・・・ミルクとお砂糖か蜂蜜を入れてミルクティー風にしてみよう。ああ、レモンを入れてみるのもいいね。僕のおすすめ。リラックス効果があるから、眠れない時とかによく飲んでるんだ。よかったらチーズケーキも一緒にどうぞ。さっぱりとしたカモミールに合うと思うよ」
よく喋る男だ。やはり少々馬が合わないかもしれない。今後の展望に再再度不安を抱きつつ、顔を上げて、初めて男を正面から見た。
「自己紹介がまだだったね。僕は、燭台切光忠。これからよろしくね」
見目麗しい男だった。この屋敷のように、言うなれば整いすぎた美。シャツの上からでもわかる程よくついた筋肉、長い脚、ニキビ一つない陶器のような白肌。嫌味なほどあるべき場所にあるべきパーツが収まっている造形。神様が時間をかけて作ったのだろう。今までいろんな奴の用心棒をしてきたが、その中でもダントツで美しい。
驚きのあまり呆然と見つめていると、男は頬を掻きながら笑った。
「そんなに見つめられると照れちゃうな」
「っ、見てない」
「ははっ。君って見かけによらず可愛いね」
「・・・馬鹿にしているのか」
「おっと、褒めたんだよ。気分を害してしまったのなら謝るよ」
「別に」
「よかった」
この男と話していると調子が狂いそうになる。大して申し訳ない素振りを見せず微笑む男に、俺は気分を落ち着けるため紅茶を一口飲んだ。
独特の風味が口内に広がる。さっぱりしているがほんのり甘く、嫌いではない味だった。続いてチーズケーキに手をつける。フォークを入れればスッと切れ、小さくしたものを口に運ぶ。濃厚な味わいだ。食事に興味がなく「食えりゃそれでいい」精神の俺でも、次から次へと口へ運んでしまうほど美味しかった。
「美味い」
「ふふ、よかった。そんなに美味しそうに食べてくれるなら作った甲斐があるなあ」
「これ、あんたが作ったのか?」
「うん、料理が趣味でね。あそこのキッチンも使用人の人たちに無理言って作ってもらったんだ。・・・よかったら僕の分もどうぞ」
男に言われて自分の皿を見れば既にチーズケーキの姿はなく、そんなに夢中に食べていたのかと恥ずかしくなった。・・・だが貰えるのなら貰いたい。俺は遠慮なく男のチーズケーキも頂くことにした。
「で、本題に入ろうか」
俺が食べかけのチーズケーキの皿を置こうとすると、「食べながらでいいよ」と制止された。
「代理人から話は聞いているかな?以前僕は命を狙われてね、その時は何とか対処出来たけど・・・。社長、僕のお父上が酷く心配されて、今後の為に君を雇うことにしたんだ」
「さっきの使用人との会話を聞くに、あんたは乗り気ではないようだな」
「まあね。僕自身腕が立つし」
断ったのにいつの間にか話が進んでいた、ということか。極稀にある話だ。
俺はチーズケーキの最後の一口を飲み込むと、かもみーる・・・?で口を潤した。
「で、どうするんだ。俺を雇うのか、雇わないのか」
「うーん・・・どうしようかなあ」
顎に手を添え考えるポーズをとる男。眉間にしわを寄せて悩む姿もキマっていて腹立たしいな。男から目線を逸らし、ふと後ろの窓見た。先程通ってきた庭が見える。ああ、あの庭師まだあの植木を・・・・・・・・・・
「(違う!)」
声に出すよりも早く、俺は立ち上がると同時に光忠の腕を引き頭を伏せさせた。その瞬間、耳を覆いたくなるような衝撃音と共にガラスが割れ、破片が床に散らばった。机上のティーカップが弾け、茶が飛び散る。
「なっ・・・!」
「動くな!そのまま伏せていろ!」
ブーツに取り付けたホルダーから銃を取り出し、割れた窓から慎重に外の様子を伺う。既に庭師の姿はなく、剪刀の道具だけが植木のそばに落ちていた。しかしまだ油断はできない。逃げたふりをして・・・とも有り得る。神経を張り巡らせ来るかもしれぬ次の襲撃に備え、視線をそのままに男の元まで後退した。
「燭台切、ゆっくりでいい。その姿勢のまま窓から離れて奥に。出来るだけ家具の後ろを通ってくれ」
「わかった」
燭台切が部屋奥に移動していくのを見届け、再び窓に近づき外を見る。暫く警戒を続けたが庭は平和そのもので、次の襲撃の気配はなかった。
「もう大丈夫だ」
「あ、ああ・・・びっくりした・・・」
銃撃なんて初めてだ・・・と呟きながら燭台切が部屋の奥からゆっくりと歩いてきた。あまりの事態に頭の処理が追いついていないのか、その顔は青白くなっていた。仕方ないだろう。いきなり命を狙われたのだから。彼がため息をついた直後、けたたましい音を立て扉を開けた使用人たちが「光忠様!」「坊ちゃん!」と口々に中に入ってきた。
「光忠様、お、お怪我は・・・!?」
「大丈夫だよ、怪我もない。彼が助けてくれたからね」
「ああ、よかった・・・!」
「それで、犯人は捕まったのかい?」
「・・・いえ、逃げ足の早い奴でして・・・今総力を挙げて捜索しております」
そうか、と肩を落とし苦い顔をする燭台切。
犯人は捜索中、捕まっていない・・・。俺はどこか釈然としない思いを抱えていた。何かが、何かがおかしい。顔を顰めて頭の中を回転させ、この引っかかりの正体を探る。あの庭師は・・・。
考えているうちに、また数人の使用人が部屋に入り、燭台切に駆け寄った。
「ご無事で何よりです坊ちゃん・・・!」
「うん、心配してくれてありがとう」
この男は使用人たちに慕われているようだ。まあ旦那様が不在の今、ご子息にもしものことがあったら、と冷や冷やしていたのもあるだろう。少し汗ばんでいる使用人もいた。
「・・・?」
その汗ばんだ使用人に密かに近づく。汗の臭いの中に、微かに別の臭いが感じられた。その時ハッと、この部屋に来る道中のことや使用人の言葉を思い出し―――ようやく、この引っかかりの正体に気づいた。
「ありがとう。君のおかげで助かったよ」
笑顔で手を差し伸べ礼を言う燭台切を、俺は鼻で笑った。そして言ってやった。白々しいな、と。
「え?」
「随分と嘗められたものだ」
「・・・・どういうことかな?」
「この襲撃はあんたたちの自作自演だろう」
燭台切は目を細めた。
まず気になったのは使用人の言葉と庭師だった。
『燭台切家のお庭は数年前に他界された奥様が大事にされていたもので――』
奥様が大事にしていた庭の植木に、例の庭師は年季の入ったハサミを使っていた。あれでは切り口が悪く木を傷めてしまう。庭師なら知っていて当然だ。そんな腕前の庭師をこの家が雇うわけがない。なぜならこの家は、用心棒1人雇用するにも今までの実績から性格などのありとあらゆる情報を集めているからだ。(実体験だ。代理人との話し合いの際知った。)外部から侵入し庭師や使用人になりすましている線は低い。ここに来るまでに屋敷のセキュリティを確認したが、どこも万全だった。
それと襲撃後の対応。こんなに多くの使用人が駆けつけるほどの騒動なのに、庭は平和そのもの。銃声を聞いて警備員が来ないなどおかしい。
そしてこの汗ばんだ使用人。おそらくこいつが例の庭師だ。襲撃後急いで着替えここに駆けつけたのだろう。遅れたことを怪しまれぬよう数人の使用人たちと共に。急いだ時にかいた汗に混じって僅かだが硝煙の匂いがした。銃を1回撃っただけではこんなに匂わないだろう。何回も練習したのか。
どれも中途半端でわざとらしい犯行だった。まるで気づかせようとしているような。いや、"気づくかどうか試していた"のだろう。
「俺を試していたのか。実力を知るために」
少ない情報でどれだけ危機を回避するか。主人を護れるか。集中力と責任感が問われる仕事だ。この屋敷に足を踏み入れた時からテストは始まっていたのだろう。
自分の考えを全て伝え終えると、沈黙していた燭台切が両手を叩いた。
「御名答、そのとおりだよ」
燭台切を皮切りに周りの使用人たちも静かに手を叩き始めた。騙してごめんね、と苦笑する燭台切。
「君のことは調べさせてもらったけど、どうしても実力を確認したくてね。百聞は一見に如かずって言うだろう?」
「それにしてもやり過ぎじゃないか?」
使用人たちの片付け始めている割れた窓ガラスとティーカップ、零れて絨毯を汚すカモミールを俺は一瞥した。
「ああ、大丈夫だよ。元々ここは僕の部屋じゃないし。そのティーカップも安物だよ」
テストのために用意したのか、これら全てを。何でもないかのように言う燭台切に辟易する。俺は金の問題を言ってるんじゃない。これだから金持ちは・・・。
「それよりも大丈夫だった?怪我はない?」
「それはこっちの台詞だ、っ、あんた何やって・・・!」
僕は大丈夫だよ、と言いながら俺の手を取り身体中を見回す燭台切。生憎だがこんなことで怪我をするほど間抜けではない。燭台切は俺に怪我がないとわかるとほっと息をついた。その所作に俺は言い表せぬむず痒い気持ちに襲われた。それを振り払いたくて「あんた」と声を出す。
「俺が助けなかったら、」
「君なら助けてくれると思った」
どうするつもりだったんだ、と言う前に、燭台切が食い気味に言葉を被せてきた。
「君と実際に会って、話して、何故かはわからないけど直感した。『君なら大丈夫だ』って。だから早々に作戦実行のサインを出したんだ」
こうやって悩むポーズがサインだったんだよ、と、俺を雇うか迷っている時の顎に手を添えるポーズをする燭台切。
「そして思ったとおり、君は助けてくれた」
「気づいたのはぎりぎりだったがな」
「でも助けてくれた」
「・・・それが仕事だ」
気恥ずかしくなり顔を逸らす俺に、燭台切はふふっと笑った。
「で、どうだろう。僕の用心棒、受けてくれるかな?」
そう言って手を差し出してくる燭台切。その顔は答えなど一択しかない、とでも言うように自信に満ちたものだった。おそらくこの男、自分からした誘いを断られたことがないのだろう。この見目と所作では当然なのかもしれない。だが世の中はそんなに甘いものじゃない。俺は好き勝手された報復に少し男の顔と自信を歪めたいと思った。
「条件次第だ」
「お、お給料は要相談だけど、なるべく君の要求に沿うよ。住み込みで働いてもらうから部屋も用意する。有給休暇もとれる。仕事関係で欲しいものもこちらで手配しよう。このご時世にこれだけの条件なんて、魅力的だと思わない?」
燭台切は表情こそ崩さないものの、早口でまくし立てるところから滲み出る焦りが伺えた。・・・まだだな。顔を逸らす俺に燭台切は、
「今なら僕の手料理付き!」
と付け足した。
どこの通販・テレビショッピングだ。思わず吹き出してしまった俺を燭台切が笑顔を貼り付けたまま不安げに見つめてくる。そこまで言うのなら仕方がない。
「・・・大倶利伽羅だ。守ってやるが、主人といえど馴れ合うつもりはない」
差し出された手を握れば、燭台切――主人は目を輝かせて力強く握り返してきた。
「うん、よろしくね伽羅ちゃん!」
「伽羅ちゃんはやめろ」
「ところで伽羅ちゃん、いきなりだけどクイズをしようか」
聞く気のない主人に言葉を失いつつ、目線だけ彼に向ける。
「何で犯人役を庭師にしたかわかる?」
ただの問題だよ、テストじゃないからね、と笑いながら主人。疲れた頭の中を再度回転させる。
庭師、庭、お庭・・・・・・御庭、
「・・・"御庭番"か」
「正解!」
江戸時代、将軍から直接命令を受け秘密裏に活動した隠密だ。まさに今回犯人役だった使用人のことだが・・・
「下手な洒落だな」
「失礼な!思いついた時自分でも上手いと思ったんだからね!」
ぷりぷり怒る主人を見て、密かにため息をつくのだった。
―――――――――――――――――――――
今の主人に雇われて1ヶ月がたった。
主人の名は燭台切光忠。燭台は切らないが食材は切る。契約条件の一部にするほど料理の上手い男だった。
「今日はアンティパストにカプレーゼ、プリモピアットをペスカトーレにしようと思うけど、伽羅ちゃん何食べたい?」
「カレー」
「え?」
「カレー。中辛がいい」
あの時の愕然とした主人の顔は忘れられない。
久しぶりに作ると苦笑しつつ彼の作ったカレーは今まで食べた中で1番美味かった。食べ盛りを過ぎた俺でも何杯かおかわりしてしまうほどに。
「美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるよ」
と主人は言う。
毎日3食が主人の手料理という訳ではない。彼の手が空いた時に作ってくれる契約なため、食べられるのは週に2回あるかないかだ。それ以外は屋敷のコックや外食。俺はその中でも主人の料理が一等好きだったため、彼が作ると聞くと密かに心躍らせた。
「君って意外とわかり易いよね」と主人に笑われたが何のことかわからない。
もちろん彼の料理に現を抜かすばかりじゃない。仕事はちゃんとしている。
主人の目覚める前から俺の仕事は始まる。
与えられた部屋で起床すると、顔を洗い寝癖を直し暗器を身体中に仕込む。(ちなみに俺の部屋は一用心棒に与えるには十分すぎるほどの設備と広さを持っていた。)やり方を間違えると肌にあたり痛みを伴うため、慎重に、されど素早く仕込む。もう何年もやっているから手馴れたものだ。
自分の身支度を終えると部屋を出て廊下を歩くこと数十歩、時間にして十秒ほどの隣の部屋へ。そこが主人の部屋だった。コンコンと二回ノックし返事を待たずして部屋に入る。
主人に対して無礼だと?そんなことはない。主人本人にも使用人たちにもこの行為は許されている。その理由も後ほど説明しよう。
広々とした洋間を抜け、奥にある寝室の前に立った。先ほどと同じように二回ノック。返事を待たずして中に入った。ベッドの上の膨らみを見て、大きくため息をつく。
「主人、朝だ」
「うぅ・・・ん」
「朝だ、起きろ」
「あと五分・・・」
「そう言って1時間寝る気だろう。もう騙されないぞ。起きろ」
「んー・・・」
「いい歳した大人が駄々をこねるな」
「からちゃんがきびしい・・・」
「生憎あんたを起こさなければ仕事が始まらないものでね」
だから起きろとベッド膨らみもとい主人を揺する。数秒後、ようやく観念した主人がのそりとその身を上げた。
「おはよう」
「・・・・おはよぅ・・・」
起き上がったとはいえ、まだ目を閉じたらすぐにでも寝てしまいそうな主人。朝の挨拶も尻すぼみだ。
主人は寝起きが悪い。起きてから頭が働き始めるまで時間のかかる男だった。
雇われた日の翌朝。俺は主人を探して屋敷中を歩き回っていた。
昨晩「朝食を共にしよう」と言っていた主人の姿が見当たらないのだ。"食事を共に"など馴れ合いそのものでしかないが、あの男、使用人たちに「伽羅ちゃんの朝食は僕と一緒で」と指示していたらしい。住み込みの使用人たち共同の食堂に行っても俺の分は用意されていなかった。
「ごめんなさいね、あなたの分は光忠様と一緒に作ることになってるの」
申し訳なさそうに眉を下げる使用人。彼女に罪はない。俺は「そうか」と言い残し、主人を探す旅に出た。
そして現在に至る。かれこれ1時間ほど旅をしている。
用心棒を置いていったいどこをほっつき歩いているんだ。護られる気はあるのか。昨日の件もあり、俺は主人にあまりいい感情を抱いていなかった。
空腹も相俟ってイラつきながら馬鹿でかい屋敷を行ったり来たりしていると、見かねた掃除中の若い使用人が声をかけてきた。
「光忠様でしたら、まだお部屋でお休みになっていらっしゃるかと・・・」
・・・何だと。
「寝ているのか?」
「ええ」
「もう8時過ぎだ」
「光忠様は朝に弱い方でして・・・。大体10時半ごろに起床なさります」
俺は絶句した。
高く昇った日が赤絨毯の廊下をさんさんと照らしている。あちこちから使用人たちの生活音が聞こえる。自慢の庭で小鳥がさえずっている。ついでに俺の腹も空腹を訴えている。屋敷は既に朝を迎え入れた。
なのに。
「(寝ている、だと・・・!?)」
握りしめた拳がわなわなと震えた。
すぐさま主人の部屋に突入した。ノックをしてすぐ扉を開ける。
洗練された家具に洗練されたインテリアの綺麗な部屋が目の前に広がった。が、そんなものに目を取られている余裕などない。俺はそのまま奥の寝室へ歩を進め、扉を2回叩いた。
「主人、起きているのか」
返事はない。
もう2回。今度は少し強めに叩く。
「主人、朝だ。起きろ」
それでも返事はなく、思わず舌打ちをした。
最もプライベートな空間である寝室は他者の侵入に対して敏感だ。外界からの刺激をシャットダウンし、寝たりリラックスしたり将又やましいことができる、部屋主だけの特別な空間。それ故俺は他人の寝室に入ることにあまり気が進まない。
だが、これは一刻も争う事態だ。
俺は虚しく鳴く腹に手を当てた。
「朝食を共にしよう」だと?ふざけるな。あんたの起きるのを待っていたら朝食は何時になるんだ。持論だが、11時を過ぎたらそれはもう昼食だ。まったくもってふざけるな!
俺はもう1度扉を叩き、返事を待たずに寝室へ入った。
彼の体格に見合った大きさのベッド。ふかふかの布団に包まれた主人は静かに寝息をたてていた。寝ている、安らかに。
「(人の気も知らずに・・・!)」
落ち着け。この男は主人だ。主人なのだ。なるべく穏やかに起こすのだ。
深呼吸をして高ぶりかけた気を何とか沈めた俺は、主人を優しく(当社比)揺すった。
「主人」
「んん・・・」
「朝だ、8時半だ」
「まだ8じはん・・・」
「もう8時半だ」
どんなに揺り動かそうが、鬱陶しそうに布団に埋まる主人。これはなかなかに手強い。
俺が主人を起こしてくると言ったときの使用人たちを思い出す。満場一致の苦笑いと「やめておいた方がいい」だった。その意味が漸くわかった。
わかったが、それでも朝食を諦める訳にはいかない。俺の腹の虫たちは合唱を始めているのだ。食がなければ力が出ない。用心棒として主人を守るためにご飯は必要不可欠だ。
「おいあんた、俺の朝食を抜きにする気か」
「ごはん・・・」
「ああそうだ、朝ごはんだ。共にとるとあんたが決めたんだろう。あんたが起きなければ俺は食事にありつけない」
主人は体の向きを変え、寝ぼけ眼をこちらに向けた。
「からちゃんがちゅーしてくれたら、おきる・・・」
「は・・・?!」
俺は突拍子もない主人の発言に固まった。
寝ぼけているのかこの男。
心の中で自尊心と朝食が天秤にかけられる。主人にちゅーだと?そんなこと出来るか!いや、だが、しかし、しなければ朝食抜きだ。どうする。どうすればいい。
こうしている間にも主人はまた夢の世界へ旅立とうとしている。
・・・迷っている暇などない。
俺は身を乗り出すと主人のむき出しの頬に一つ口付けを落とした。
「これで満足か」
唇を手の甲で拭いつつ問えば、主人は目を見開いて呆然としていた。
「何だその顔は。あんたがやれと言ったんだろう」
「冗談だったんだけどな・・・・・まさか本当にやってくれるとは思わなくて」
「なっ・・・!」
羞恥に顔が赤くなるのを感じた。
主人はそんな俺を見て「かわいい」と笑った。
「どうせならここにしてくれても良かったんだけど」
ここ、と弧を描く自らの唇を指さす主人。
「ふざけるな。誰がするかそんなこと。起きたのなら早く支度をしてくれ」
「そう、残念だなあ。今度は本気だったのに」
この男は俺を揶揄うのが好きらしい。一々反応していたらこの男の思う壷だ。
俺は主人に背を向けると「外で待っている」と言って寝室を後にした。
それからというもの、使用人たちにあの寝起きの悪いご子息様を起こす役割を押し付けられた。主人も「伽羅ちゃんに毎朝起こしてもらうなんて嬉しいなあ」と笑うものだから、俺は断ることができなかった。まあ、共に朝食をとるのだから、俺が起こしに行ったほうがいいのは違いない。
「からちゃん」
寝起きの舌っ足らずな呼びかけに「何だ」と返す。
「いつものアレは?」
「・・・・・あんたはもう起きているから、やる必要はない。馴れ合うつもりはない」
「じゃあもう一回寝る・・・」
「おい」
主人はせっかく起こした体をベッドに沈めた。
その姿はまるででかい子供だ。
仕方がない。俺は大きくため息をつくと、主人の頬に軽くキスした。
「今日も頬なの?」
不満そうに眉を寄せる主人を無視し、俺は寝室から出ていった。
これが俺の毎朝のルーティーンだった。