同じ大学内に、憧れてる人がいる。
明るく優しいその人の周りにはいつでも人がいて、少し離れた場所にいても、多くの人が見上げるほどの長身は目を引く。
誰に対しても気遣い上手な好青年と評される人柄に加え、スタイルも顔立ちも良い上に、ファッションセンスも申し分無い。シンプルながら良いものを身に付けていて、さりげないアクセサリー使いも抜群。入学した当初は垢抜けない感じがあったという話も聞いたことがあるけれど、少なくとも今の彼からは想像がつかない。
そんな彼の難点といえば、女性に弱いところくらいじゃないかと私は思う。弱いというのもデレデレするとかそんなんじゃなくて、どうも彼は女性に慣れていなようで、押しに弱すぎる。現に、今だって私の視線の先でメイクをバッチリ決めた女子二人に両サイドを挟まれ、さらにはさりげなくボディタッチまでされている。
隣にいれば誰もが羨むような魅力的な男性を、アグレッシブな女生徒たちが放っておくわけがない。それは分かるが、彼はよく女性に囲まれていて、その度あたふたとしているのを見ているとなんだかもどかしいような気持ちになるけれど、彼を観察できる貴重な機会をみすみす逃すことはできない。
私だって叶うならスハ君とカフェに行ったり、映画を観に行ったりしたい。でもそんなお誘いをする勇気はないから、日々彼を眺めるだけ。たったそれだけのことでも、私にとっては大学内での最大の楽しみと言っても過言ではなかったのに。最近飲み会で初めて会った先輩に度々その時間を邪魔されていて、それはもうストレスが凄まじい。一体私の何がどう気に入ったのか、私を見かけるたび話しかけてくる上に妙に近い距離で居座ってくる。自意識過剰かもしれないけど、下心を感じる気がして少し怖いというのが本音だ。
人と揉めることが得意ではない上に、自分より大きい男性に立ち向かえるほど強くなれなくて、毎度なんとか接触しないよう逃げていたのに、不運にも今、少し先にその人の姿が見える。咄嗟に気づいていないフリをして踵を返したが、間に合わず腕を取られると同時に反射的に振り返り、服越しの感覚すら無理でその手を振り払おうとしたのに、解ける所か益々強くなった手の力に思わず顔が歪む。痛いし、怖い。
今までいくら距離が近くてもこんな風に触れられたことはなくて、いきなりのことに頭がうまく働いてくれない。
目の前で笑う先輩から逃げるように後ずされば、それを追ってさらに距離を詰められ思わず泣きそうになった私の背中に、誰かの手が触れびくりと身体が竦んだ。
「ねぇ、手離しなよ。拒否されてるの分からないの?」
隣から聞こえる、どこか逆らえない圧を持つ静かな女性の声に顔を上げると、最初に目に入ったのは綺麗に纏め上げられた紫の髪だった。目元に掛かる前髪の奥の瞳は先輩を見据えているけど、私を落ち着かせるようにぽん、ぽん、と軽く弾む手はすごく優しい。颯爽と現れたこの人は私の味方だと分かった瞬間、自然と息が吸えるようになり、呼吸までままならないほどパニックになりかけていたことを悟って自分でも驚いていると、私の腕を掴んでいる先輩の手を、ネイルが映える細い指でさっさと引き剥がしてくれた。
「女の子の扱いがわかってない男はお呼びじゃないの。さっさとどっか行ってくれる?」
同性の私でもハッとするほどの美人な女性に凄まれた先輩が、思わずといった様子で一歩下がる。忌々しげな目を向けられてまた身体が竦むけど、お姉さんが私を背に庇ってその視線を遮ってくれて、苛立った様子で遠ざかっていく足音に自然と力が抜けていく。
「大丈夫?腕痛めたりとかしてない?」
顔を覗き込んできたお姉さんの顔を正面から見ると、その美しさに思わず見惚れてしまいそうになるけど、真っ直ぐ見つめられる恥ずかしさに視線を落としてしまった。うろうろと彷徨う目が黒のスキニーパンツに包まれた細い脚を辿り、さらに下に映る10cm以上ありそうなブルーのピンヒールを見つめてしまう。
「…あれ追い払ったの、まずかった?余計なことしたかな」
「あ…、いえ…!あの、正直怖かったので…助かりました。ありがとうございます…」
「…そう?なら良かった」
「浮奇!?」
なかなか答えない私を怪訝そうに見ていた顔がふわりと綻んだ瞬間、私の思考が弾け飛んだ。綺麗で可愛くて、なんかもう、言葉にならなくて呆けていた私を思わぬ声が呼び戻し、ハッとして首を巡らせると驚いた顔をしてこちらに駆け寄ってくるスハくんが目に映る。彼に纏わりついていた女の子たちも驚いた顔で彼を見つめているのがその奥に見える。
なに、今日、なにが起きてるの。
「なんで大学にいるの!?」
「たまたま仕事が早く終わったから、一緒に帰ろうと思って迎えにきたんだけど…可愛い女の子たちと仲良くしてたみたいだし、私は一人で帰るからごゆっくりどうぞ?」
「は!?え、ちがうちがう!何言ってるの!?仲良くしてない!浮奇しか可愛くないし綺麗じゃない!」
…あの、スハくん。今全女子を敵に回すこと言ってる自覚ある?後ろで女の子たちがとんでもない顔で睨んでますけど。
焦ってるスハくんは気付いてないかもしれないけど、お姉さんの口元ちょっと笑ってる。もう、この一瞬でお姉さんとの上下関係がわかってしまった。
「浮奇、うき、信じて。本当に、私浮奇のことしか見てないよ?ねぇ、」
「ふぅん?…じゃあ、私の事抱っこして家まで連れて帰って?」
「…え?……ここから家まで?本気?」
驚いた顔で問う彼の首にお姉さんがするりと細腕を回し、長身の彼を引き寄せ屈ませる。
くるんと綺麗に上げられたまつ毛がゆっくりと上下し、耳元に唇を寄せて何かを囁く様はまるでドラマのワンシーンのようで、見惚れていたのは私だけじゃないと思う。
「私のことしか見てないなら、恥ずかしくなんてないでしょ。上手にお散歩できたらご褒美あげるけど、どうする?」
「…っ……んんー…!ずるいなぁ…!もう!」
何かを言われたらしいスハくんが真っ赤になって唸ったかと思えば、悔しそうに顔を歪めながら右腕をお姉さんの太腿の裏に掛け、なんと片腕にお尻を乗せるようにして抱き上げてしまった。
お姉さんに何を言われたのかは気になるけど、それ以上に女性を軽々片腕に乗せるスハくんの格好良さと、慣れた様子で身を預けるお姉さんの美しさに思考を奪われてしまってそれどころではない。
満足そうに微笑むお姉さんが「Good boy.」と頬を撫でると、反対に少し不満そうな顔をしたスハくんが顔を背け、ネイルが輝く指先にかぷりと噛み付く。
さっきまで本気でやるのかとか聞いてたくせに。
すっかり周りが見えなくなっている姿に、如何にお姉さんに夢中なのかを教えられた気分になるけど、全然悔しいとかはなくて。寧ろ何もかも納得した。
彼のセンスの良い服装はお姉さんと並ぶと誂えたようにぴったりだし、手首についているブレスレットはよく見るとペアなのが分かる。それに、スハくんが空いている左手でさりげなく引き取っているお姉さんのバッグのブランドと、彼の靴は同じブランドだと思う。
何より、いつもの爽やかな笑顔とは異なるとろけるような笑みで彼女と話す姿が、どんな姿より魅力的なのは誰の目から見ても明らかで。
皆が焦がれるミン・スゥーハという男の人は、なにもかもが彼女による彼女の為のものだった。